あるいは切ない仮初めの日々
そして、私とナスティさんの結婚式から、三ヶ月ほど経った。
初夏に結婚式を挙げて、夏が過ぎて、秋の入り口。
少し涼しくなった風に吹かれながら、私はとある入り江に佇んでいた。
「この夏も、色々あったなぁ……」
どこか遠くを見ながら、そう呟く。
本当に、色々あった。
いやまあ、当然ナスティさんを迎えてからのあれこれはあったよ、大変だったよ。
というか、それは今も継続してるよ。なんせ、今の私に、完全な休日はないのだから。
今日はオフだけど、夜は……皆で、の日でもある。
残念ながらというかなんというか、体調的には全く問題無い。
なんせドミナス様に回復してもらってるからね!
精神、というか脳機能も回復してもらってるはずなんだ。
だけど……どうにも黄昏れてしまうのは何故なんだろう。
自業自得、と言われたらその通りすぎて、反論も出来ないんだけど。
なんて黄昏れていた私の目の前で、ザブンと海面が不自然に揺れた。
「あれ~? せんせい、こんなとこで何してるの?」
「あ、こんにちは。えっと、海を、見てました」
唐突に顔を出したセイレーンさんに、私は曖昧な笑みを見せながら答える。
特に意味も無く、海を見ていた。今の私はそれだ。
それは、人によってはかなり危うく見えるのではないだろうか。
何なら、そのまま海へとDive in to the blue しそうに見えるかも知れない。
もちろんそんなことはないんだけど……ちょっとばかり、精神的に疲れてはいた。
正直なところ、ナスティさんと皆の関係は平穏で、良好と言ってもいいかも知れない。
あまり馴染みの無かったドミナス様が打ち解けるのには少し時間がかかったけど、そこは流石多種族と交流してきたナスティさん、いつの間にかドミナス様とも仲良くなっていた。
だから、人間関係で神経をすり減らすことはほとんどなくなっていたのだけど、そうなったらそうなったで、別の問題も発生した。
いや、問題にしているのは私だけなのかも知れないけど。
良好に回り始めた家庭内、それまでは色々と気を遣ってくれていたキーラやゲルダさん、ドロテアさんも潜めていた牙を改めてむき出しにしてきた。
結果、私は毎日が食って食われての日々を送っている。
その副産物として、私は誰よりも経験を積んでいて、まあ、反撃もそれなりに出来てはいるのだけど。
それでも、油断ならない毎日、毎晩は、私の精神というか魂の何かを削っていた。
「大丈夫? 疲れてる? おっぱい揉む?」
「あ、はい。……いや、違います、揉みませんからね!?
お申し出というかお気遣いは大変ありがたいのですけども!」
見せつけるように海面から浮上したセイレーンさんの豊かな膨らみを見て、私は思わず反射的に答え、即座に首を振る。
ちなみに、もちろん水着に包まれていたからセーフである。セーフだと思う。セーフなんじゃないかな。
あれから、たった三ヶ月であっという間にセイレーンさん達の間に水着は広まった。
なので、今や人前に姿を見せる時にセイレーンさんが水着を着ているのは当たり前。
おかげで私も、目のやり場に困ることもなくなった。
いや、損したとか思ってないよ? ほんとほんと。
これ以上は流石に、色んな意味で私がもたない。
ついでに、キーラの堪忍袋もはち切れそう。
ともあれ、無事に水着はセイレーンさん達に浸透しつつあるらしい。
多分、これから先は彼女達が独自にお洒落を築いていくのだろう。
その切っ掛けを作れたと思うと、ちょっとだけ誇らしくもあったりしつつ。
ちなみに、人間の間でも水着は広まりつつある。
特に、私の家庭内では急速に。
もしかしたら世界初かも知れない、レジャーとしての海水浴。
予想通り、ドロテアさんは色気の塊と言っても過言では無い水着姿を披露してくれた。
特注なのか、セパレーツというよりもビキニに近い水着は、正直破壊力抜群、という言葉すら生ぬるかった。
だが、そこに意外な伏兵が現れる。ゲルダさんとキーラである。
二人ともご立派なスタイルをしてはいるが、どちらかと言えば控えめな性格。
けれど、この夏は二人とも大胆な水着姿を披露してくれた。いや、とある海岸を貸し切りにしたからできたのかもだけど。
それを見たノーラさんが、その場で水着を大胆路線に修正、おかげでさらに目のやり場に困る。
ドミナス様とナスティさんは大人しい水着のままだったのだけど……それはそれで、二人らしい魅力を発揮していたのでやっぱり眼福だった。
つまり、結局水着の恩恵を一番に受けたのは私である。
……いいのかそれで、と思いつつ。
「それはそれとして、どうしたんですか、急に」
するとセイレーンさんは、いつもの無邪気な明るい笑顔を見せてくれる。
「んとね、そこでお絵かきしてたの。あ、丁度良いから、せんせいも見てくれない?」
「え、私で良ければ喜んで! ええと、どれどれ……?」
差し出された紙を受け取った私は、しげしげとその絵を鑑賞する。
以前開発した耐水紙と金属ペンは、すっかりセイレーンさん達の間に馴染んでいた。
特に、絵を描くことに興味を持った人達の興味関心と努力は凄くて、とっくに私なんかよりも上手くなった人達が結構いる。
今目の前にいるセイレーンさんもその一人で、私のことを今でも『せんせい』と慕ってくれている。
もうとっくに『おぬしに教えることは何も無い』状態なんだけどさ……。
多少生前の心得があったと言っても、その後仕事が忙しくてろくに描けてない私と、暇を見ては描いているセイレーンさんとでは、上達の速度が違うのは当然である。
で、その結果が今目の前にあるわけだ。
「うっわぁ……また、上達しましたねぇ。海底に注ぐ光の濃淡とか……ほんと、良く描けてると思いますよ」
「そう? そう? んふふ、せんせいにそう言ってもらえると、嬉しいなぁ」
ちゃぷちゃぷくるくる。
言葉通り、実に嬉しそうに水面でくるくると旋回するセイレーンさん。
その無邪気な喜びようは、私の心にクリティカルヒットしそうになる。
だが、これ以上はいかん、と鉄の自制心を起動して、トゥンクしそうな心臓を押さえつけた。
「いやいや、ほんとほんと。……うわぁ、こんな地形もあるんですねぇ……流石に海の中に行ったことはないから、不思議でしょうがないです」
そう、ファンタジー的異世界なせいか、それとも海底とはそういうものなのか、目にするスケッチはいずれも幻想的なもの。
前世のテレビ番組で海中や海底の映像を見たことは幾度かあるけど、このスケッチの迫力はそれに迫るか凌駕する勢いだ。
それが、三ヶ月前にペンを手にした彼女の手によって描かれていることの、恐ろしさ。
元々セイレーンさんは歌という芸術分野に秀でていたのだけど、実は絵画方面にも優れていたのかも知れない。
「えへへへ~、そういうのだったら、もっとあるよ?」
「そうなんですか? だったら、それもまた今度みたいなぁ」
「いいよ~、せんせいにだったら、見せてあげる、ね!」
輝くような笑顔に、私は思わず目を細める。
こんな日々が、きっと何時までも続くのだろう。
そんな感慨が、実は傲慢なまでの自惚れだったのだと、数日後に思い知らされることを知る由も無く。