転機は藍色とともに
船が出てから十日ほども船に揺られただろうか。
とうとう私は、魔王の島へと到着してしまった。
私と、同じ境遇らしき女の子たちが十人以上、港へと下ろされる。
迎えに来た魔王側の役人はフードを被っていたが、明らかにその頭部の形は人間のそれではなかった。
その役人に私達を引き渡したと思えば、船乗り達はさっさと帰るべく、船を出す。
一分一秒でもこの島にいたくないらしく、それ迄見たこともないほど見事な手際の良さだった。
そんな彼らの慌ただしい出航を見ていた魔王側の役人は、フードから見える唇を、侮蔑の形に歪めていた。
しばらく、そうやって逃げ出す船を眺めていた後、ふぅ、とため息を一つ吐いた後に私たちの方に向き直る。
「あ~……遠路はるばるようこそいらした、歓迎する、などと言われても、あなた達には迷惑かどうでもいいかどちらかだとは思う。
あなた達の境遇には同情するし、その心情は推し量ることもできない、とも思う。
いや、すまない、同情を侮蔑と思われた人がいたら申し訳ない。
そういうつもりはないのだが、私にはそんな表現しか思い浮かばないのだ」
驚いたことに、聞こえたのは女性の声だった。
役人が被っていたフードを外せば、ふわり、長い藍色の髪が風に踊る。
整った顔立ち、優しく輝く瞳は髪と同系色の深い藍。
やや釣り目気味で意志の強そうな顔は、若干の困惑と同情とがないまぜになった複雑な表情を浮かべていた。
頭部から生えた二本の角、頬や首筋をところどころ覆う鱗。
背中には立派な翼も生えている。ただし、コウモリのそれによく似た形の。
「……半竜人……?」
思わず、そう呟いてしまった。
すぐに、はっとして自分の口元を両手で押さえる。
人間とドラゴンの相の子である半竜人。
ハーフエルフなどがそうであるように、自らの出自が元で差別されることなどもあり、ハーフと称されることを忌み嫌う者もいるという。
目の前にいる役人がもしそうであったなら……激高した半竜人に、軽く撫でられるだけでも私など吹き飛んでしまうはずだ。
そう思い至り、口を押え、身体を硬直させながら、恐る恐る役人の方を伺った。
だが。
「おお、そうだ、その通りだ!
よく知っていたな、初対面で言い当てられたのは久しぶりだ!」
むしろ、喜んでいた。
後に彼女から教えてもらったのだが、初めて迎え入れを任されて、どうやったら少しでも打ち解けてもらえるか悩んでいたのだそうで。
私が反応を示したことで会話が繋がり、本当に助かった、と感謝された。
むしろ、感謝するのは私達の方なのに、と思うのだけれど。
「あ、いえ、その、たまたま本で読んだことが……すみません、不躾に」
「いやいや、全く問題ないぞ、私は!
むしろ光栄だな、よくぞ知っていてくれた!」
そう言って快活に笑う彼女の声に、表情に。
私は。私たちは。
自分たちを締め付けていた冷たく重い何かが、ゆっくりと解かれていくのを感じていた。
「私はゲルトルーデ。この国の騎士であり、あなた達を迎え、魔王様の城へと案内する者。
そして、あなた達の身を守る者、だ。
あなた達の安全はこの私が保証する。どうか、安心して欲しい」
凛々しく、それでいて優しく。
彼女の告げる声音に、その言葉の意味に、何よりもその率直さに。
私達はただ瞳を潤ませ、声を出すこともできない。
「そうだ、もしよければ、私のことはゲルダと呼んでくれ。
それから、後で皆の名前も教えてもらえると嬉しい」
にっこりと浮かべられた笑顔は、私にとって……もしかしたら、私達にとっては久しく見ていなかったもの。
どうなることかと神経をすり減らしていたところにそんなものを向けられて、もう堪えることは無理だったらしい。
ぐず、とすすり泣く声が聞こえて。それが、一人、二人、と伝播していく。
やがてほとんど全員が泣き出してしまえば、彼女は覿面にうろたえてしまって。
「なっ、ど、どうしたのだ!?
いや、そんなに嫌だったのならば強制はしないから!
そうだな、すまない、魔族に親し気にされても困るだろうな……」
「違うんです、そうじゃないんです」
なんとか、まだまともに声が出せる私が皆の代弁をする。
私の声も涙声になってしまってはいるけれども。
それでも、誠意を見せてくれた彼女に誠意で返そうと、笑顔を見せた。
「きっと、ですけど。嬉しいんです。ほっとしたんです。
私達、どうなることかと思っていたのに、そんなこと言ってもらえて、安心したんです」
私の言葉に、他の女の子達もうんうんと頷いて見せる。
それを見て、彼女も安心したような笑みを浮かべた。
「そ、そうか、それなら、私も嬉しい。
あなた達の心労は、察するに余りある。私の言動が少しでも役に立てたなら幸いだ」
どこまでお人よしなのだろうか。
そんなことを言われれば、一層感極まって泣いてしまう女の子は増えてしまう。
途端にあわあわと慌て出す姿を見れば、くすくすと笑いだす子が数人。
私も、その中の一人だ。
そして、打ち解けようと頑張っているこの人に、ちょっとだけ歩み寄りたくなってしまった。
「あの。私、アーシャって言います。
お言葉に甘えて、ゲルダさんって呼んでも、いいですか?」
「ああ、大歓迎だ! アーシャだな、よろしく頼む!」
その瞬間に見せた、とても、とても嬉しそうな笑顔は、忘れられないほどのもので。
思わず私は、見惚れてしまった。多分、他の子も。
そして次の瞬間。
「私クリスです、ゲルダさん、クリスをよろしくお願いします!」
「あ、私も!」
次々に、勢い込んで名乗り始める彼女たちを相手に、たじたじとなりながらも。
「あ、ああ、よろしく頼む!
だが、すまない、もう一度ゆっくりと……私は、そこまで覚えが良くないんだ」
ゲルダさんは、恥ずかしそうな笑みを浮かべながら、そう言った。
しかしそれは、かえって女の子達を煽ってしまったようで、さらに押しかけるように群がっていく。
「……それ、逆効果ですよ、ゲルダさん」
群がる女の子達に押し出された格好になった私は、ぽつり、そう言わざるを得なかった。
多分、ゲルダさんには聞こえていないだろうけれども。