同類相哀れまない?
油ヤシ自体は、中学の地理の授業でも出てきたので、知っている人も少なくないと思う。
東南アジアのプランテーション、大規模農園で作られている農作物だ。
果肉、種子両方から油を取る事ができて、作付面積当たりで採れる油の量はトップクラスだとか。
「油、ということは石鹸に使うのか?」
石鹸作りを最初から手伝ってくれていたゲルダさんは、流石に反応が早い。
実際、食用油だけでなく石鹸の材料としても使われてるんだよね。
なので私は、コクリと首を縦に振る。
ちなみに、食用としてはマーガリンの材料にも使われていたりする。
バターみたい、というのはそんなに外れてもいないんだよね。
と、そこで驚きの声を上げたのはヴァルガさんだった。
「なんと!? 油を落とせるあの石鹸は、油から出来ていたのですか!?」
「あ~……驚きますよね~。そうなんですよ、油から出来てるんです。
でも、このことは秘密にしていていただけますか?」
私が頬をかきながら言うと、ヴァルガさんは重々しく頷く。
いや、そこまで重く受け止めてくれなくてもいいんですけどね!?
肝心要の水酸化ナトリウムがないと、作れないんだし。
「わかり申した、このこと、魔王陛下に誓って秘密にいたしましょう」
「あ、ありがとうございます……」
裏事情をわかっているだけに、ヴァルガさんの生真面目な態度にちょっと申し訳ない思いもする。
だからって、あまり事細かに説明しても色々と問題があるし、ここはぐっと飲み込もう。
「この油ヤシって、かなりたくさん油が採れるんですよ。
だから、石鹸の材料に使いたいっていうのが一つ、と」
正直、国内の石鹸需要はうなぎ登り。
人間はもちろん、人型の魔物魔族はもとより、大型の魔物まで使うようになってきているらしい。
ドワーフと仲の良い巨人族の方々用に銭湯が作られたのはもちろん、聞いた話では、ゲルダさんとこのお義父様も温泉に入るときに大量に消費しているとか。
……お義母様が洗ってらっしゃるらしいんだけど、あの巨体を相手にどうやってるんだろう……。
流石に夫婦のことだし、突っ込んでは聞けなかった。気になるけど、気にしちゃいけない。
ちょっと頭を振って雑念を追い払い、私は話を続ける。
「こっちの油、多分果肉から採った油ですよね?
種子からも採れるはずなんですけど……」
「ああ、そっちもありますえ」
私が言うと、ナスティさんが当たり前のように、油の入った瓶を取り出してくれた。
この行き届きっぷりったらないよね、ほんと。
「流石ナスティさん、抜かりないですね!」
「なんやのもう、これくらい、大したことあらしまへん」
そう言いながらナスティさんはそっぽを向いた。
と思えば、「やっぱこっちは暑うおすなぁ」とか言いながらパタパタ手で顔を仰いでいる。
耳や頬がほんのり赤かったりするし……なんなのこの可愛い人。
いや、あんまりニマニマ眺めてたらゲルダさんが怖いから自重するけれども。
「アーシャ、それで、これは何に使うつもりなんだ?」
あ、やっぱりちょっと言い方が刺々しい。
珍しくジェラシーを滲ませてるゲルダさんもそれはそれで可愛いんだけど、あまりやきもきさせても申し訳ない。
家庭円満は細やかな気配りの元に成り立つしね。……特にうちは。
「ええとですね、この油を使えば、石鹸よりも手荒れしない、お皿なんかを洗うための石鹸みたいなものを作れるかも知れないんです」
「ほう? ……そういえば確かに、エルマさんも手荒れを気にしていたな」
流石ゲルダさん、そんなところに気付く辺り、天然イケメンは健在らしい。
石鹸が普及するにつれて、手荒れの問題が割と深刻になってきている。
何しろ石鹸は弱アルカリ性。皮膚の油脂はもちろん、皮膚のタンパク質まで溶かしちゃうので、あんまり使うと手荒れの元なんだよね。
それ対策でハンドクリームなんかもたくさん作ってるんだけど、所詮は対症療法だから、限界がある。
だから根本的な対策として、いわゆる中性洗剤を作りたかったんだ。
「こっちの、種子から採れた油を使うと手に優しい洗剤が作れるはず、なんですけど……実験してないので、断言は出来ないんですよね~」
「なるほど。ほな、もうちょいもろてきましょか?」
「あ、そうしてもらえると助かります」
私がお願いすると、くすくすとナスティさんが楽しげに笑った。
「あらま、そない助かるんやったら、お代もそれなりにいただかんとやねぇ」
「うっ……お、お手柔らかにお願いします……」
それはもう楽しげなナスティさんの様子に、私はちょっとビビりながら答える。
最近のナスティさんを考えれば、どんな要求をされるか、わかったものではない。
ツンデレのデレの部分がかなり供給過多になってる気がするよ……いや、決して嫌ということはないんだけど。
あっ、そんなことを考えてたら、ゲルダさんからの視線が痛いっ!
「……それだけか? アーシャがここまで入れ込むにしては少し弱いと思うのだが」
若干不機嫌なゲルダさん。しかし、そのご指摘はごもっとも。
もちろん解決したい問題ではあったのだけど、それだけじゃないんだよね。
……あれ、もしかして、アーシャのことはよくわかってるんだぞアピール?
あ、ちょっとナスティさんが悔しそうな表情を一瞬見せたぞ? え、そういうこと?
……いや、見なかったことにしよう。ここで下手に突いたら蛇が出る。
まずは平穏無事に仕事を終わらせなければ。
「流石ゲルダさん。実は、こうやって作った洗剤で野菜とかを洗えば、加熱せずにそのまま食べられるんですよ。
そうすると、加熱で失われるはずだった栄養もしっかり摂ることがでるわけです」
「……何? 野菜を生で食べるなど、私達はともかく……いや、本当にその通りなら、大した物だと思うが」
「まだ実験してないので、断言はできないんですけどね。多分、大丈夫じゃないかと」
懐疑的なゲルダさんに、私は自信を持って断言した。
興味があったら、おうちの台所洗剤、中性洗剤のラベルを見てみるといい。
かなりの台所洗剤が、今でも使用用途として『野菜・果物の洗浄』を載せているはずだ。
少し昔だけれど、堆肥をメインで使っていたころは、野菜に回虫の卵が付いていることが多かったらしい。
泥にもまみれるから、その他の細菌もついていただろうことは想像に難くない。
もちろん加熱すれば問題ないけれど、ビタミンなどは加熱することでかなり失われてしまう。
それを何とかしようとした末に生み出されたのが、中性洗剤というわけだ。
なんでこんなことを知っているかと言えば、前世のテレビで見たんだよね。
食べ物の安全も守る、ということに使命感を溢れさせていたインタビューを見て、感銘を受けたものだ。
家庭ではもうあまりその用途では使われていないけれど、今でも食品工場なんかでは野菜の洗浄につかってる場合もあるらしいし、メーカーさんの情熱は今にも受け継がれているのだろう。
話が大分長くなっちゃったな……。
正直、以前に比べてこの島の衛生状況と栄養状態はかなり改善してきている。
それでもまだ足りないと思うのがビタミン類で、そのために生野菜を食べるサラダとかも普及させたいんだよね。
で、そのために中性洗剤が欲しかったのだけど、その材料として、ラウリン酸という成分が豊富なヤシ油が欲しかった、というわけだ。
「ふむ、よくはわかりませんが、民の安全のために使えるとあらば、我らとしても是非使っていただきたいところですな!」
「ありがとうございます、絶対に無駄にはしません!」
相変わらずの気持ちいい領主っぷりを見せるヴァルガさんの期待に応えるためにも。
絶対ちゃんとしたものを作らないと、と気合いを入れながら、私は笑顔で応えた。




