糸を通して見えるもの
「で、今日はどんな実験をするんだい?」
私が机の上に並べた材料を興味深げに眺めながら、ノーラさんが訪ねてくる。
机の上に並べたのは、色んな太さの、アラクネーさんの糸。
それから、ミスリル銀の塊と硝酸、水酸化ナトリウム。
王城にわざわざ来たのは、このミスリル銀を使うから、なんだよね。
「ミスリル銀と硝酸ってことは、溶かすところまではわかるんだけどさ」
「糸の意図が不明。……いや、今のはわざとじゃなく」
照れたようにドミナス様が頬を赤くし、手を小さく振る。可愛い。
こっちの言葉でも『糸』と『意図』は発音が似てるから、駄洒落みたいになるんだよね。
駄洒落に対する感覚も、割と近しいものがあるみたいだし。
そして照れてしまったドミナス様を愛でたい気持ちで一杯ではあるのだが、それだと話が進まないのでぐっと堪える。
堪える。
「今日はこの糸が主役なんですよ。その前に、こっちの準備をして、と」
言いながら私は、防護手袋にマスク、ゴーグルを付けて、ノーラさんにも手伝って道具の準備を始めた。
力仕事が苦手なドミナス様は見学。この後活躍してもらうしね。
まずは桶を準備、そこに薄めた硝酸を入れ、さらにミスリル銀を溶かしていく。
もう一つ、別の桶には水酸化ナトリウム水溶液を作っていって、と。
「この桶、前使ってたあれの流用だね。なんかもう懐かしいねぇ」
「ですねぇ……あの石鹸から、色々始まりました」
あの時作った次亜塩素酸ナトリウム水溶液も、水酸化ナトリウムも、いずれもこの国に欠かせないものになった。
石鹸は言うまでもなく、化粧水だってそう。たった二年半前のことなのに、なんだか懐かしい。
「……ねえ、私、暇なんだけど」
なんて私とノーラさんが懐かしんでいたら、ドミナス様が割って入ってきた。
ちょっと不機嫌そうな声……ああ、そうか、あの頃はまだ、ドミナス様は一緒に物作りしてなかったもんなぁ。
慌てて私は、アラクネーさんの糸をヴァイオリンの弓みたいな道具に張って、ドミナス様に差し出す。
「ああ、すみません、ドミナス様。
準備できましたので……この糸に弱く『雷撃付与』をかけてもらっていいですか?」
「わかった。弱いってどれくらい?」
「あ、えっと、大体ですね……」
私がお願いした途端に、勢いよく食い気味に答えて身を乗り出してくるドミナス様。
こういうところが可愛くって仕方ない。
それはノーラさんも同じなのか、ニコニコしながら見ている。
こういうところ、やっぱり精神的に年長者だからか開発仲間だからか、大人の余裕みたいなものを感じる。
口に出したらドミナス様が拗ねるから、言わないけどね。
ともあれ、ドミナス様が『雷撃付与』をしてくれたので、準備完了。
「さて、ではこれを、ですね……」
私は、おもむろにその糸を、ミスリル銀が溶け込んだ桶に漬けた。
弱くかけてもらったからか、バチバチと小さな音を立てる程度の反応を見せて、しばし。
「……なるほど、糸にミスリル銀をコーティングする、と。これをどうするんだい?」
「ええ、これをですね、こっちの水酸化ナトリウム水溶液に漬けますと」
と言いながら漬けると……タンパク質で構成された糸は解け、水溶液の中にはミスリル銀の棒だけが残された。
それを、金属製のトングみたいな道具で拾い上げて、蒸留水でしっかりと洗浄すれば……。
「は~……なるほどねぇ、こんな細いパイプができるわけだ」
できあがったそれをしげしげと見ながら、ノーラさんが感心したような呟きを零す。
……若干悔しそうなのは、技術者的なものだろうか。
これくらい細いパイプを作ろうと思ったら、細めのパイプをさらに引き延ばすだとか、特殊な型とプレス機を使って加工するとかがあっちの世界では一般的だったと思う。
どちらにしても機械によるとんでもない圧力が必要だし、プレス機を使った「深絞り」と呼ばれる加工だと潤滑油も凄く重要だと聞く。
いずれも、この世界にはまだ無いものだからねぇ。
で、今回試してみたのがこの方法。
炭素の糸に通電して発熱させて、そこに金属粉をまぶして、熱で溶かしてコーティングしていく、という方法を何かで見たことがある。
ただ、その場合酸素がない空間内でやらないといけないはずだし、そこまでの金属粉を用意するのと合わせて、こっちだと厳しい。
ということで、今回は帯電させた糸でミスリル銀イオンを析出、メッキする方法をとってみたわけ。
で、実験の際、糸の中に溶液が入って中でミスリル銀が析出したり、なんてことを防ぐために撥水性の糸をお願いしていたのだ。
「これは、もしかしてこの前言っていた注射針?」
できあがったパイプを見ていたドミナス様が、気付いたらしい。
流石の察しの良さに感心しながら、私は頷き返した。
ミスリル銀で注射針を作れば、ドミナス様に『浄化』を付与してもらったら、消毒が簡単にできるようになるよなぁ、というのが発端で考えたやり方なんだよね、これ。
「そうです、その原型と言いますか。これをカットして加工して、で作れたらな~と思うんですけど。
ノーラさん、どう思います?」
「そうだねぇ……」
じぃ……と技術者の目になって観察していたノーラさんが、おもむろにパイプを手に取る。
色んな角度を向けたり、穴の中を覗き込んだり。
そして最後に、つぅ……と指でパイプを何度も撫でて、何かを確認していた。
「うん、基本的な考えは問題ないと思う。
けど、聞いてた注射針として使うなら、製造方法はもうちょっと考えた方がいいねぇ」
「ありゃ、どこかまずかったですか?」
上手くいったと思ったけど、ノーラさんのチェックは通らなかったみたいだ。
私の言葉にノーラさんはこくりと頷く。
「この形で張ってると、いくらピンと張っても真ん中が少し下がってくる。
それを付与してから水溶液に漬ける、ってやり方だと、浮力の関係で糸が浮き上がって張りが緩んだところに雷撃と水が弾ける衝撃がくるから、糸が歪んじまうみたいだねぇ。
良くも悪くも、アラクネーの糸は伸縮性が結構あるからさ。
結果、パイプも歪んじまう、と。って言っても、目にはほとんど見えない程度だけどね」
「でも、ノーラさんの指にはわかる、と。
確かにそれだと、注射針として使って皮膚を通す時には引っかかりそうですねぇ」
流石ノーラさん、技術者視点でばっちり問題点を洗い出してくれる。
多分こういうこと、私じゃわかんないしねぇ。
「研磨で誤魔化せなくもないけど、厚みが均一じゃなくなっちまうしね。
これなら、糸を桶の中に張ってから雷撃を通すとかの方がいいんじゃないかい?」
「なるほど。……ドミナス様、できます?」
さらに、駄目出しだけじゃないのも流石。
早速ドミナス様へと向き直って聞いてみれば、こくりと頷いて返してくれた。
「問題無い。アラクネーの糸なら魔力を通しやすいから、雷撃も問題無く通せる。
ただ、熱が出るから、燃えないように調整が必要」
「それくらいだったら、ドミナス様なら大丈夫ですよね?」
「もちろん。魔術の領域で、私にできないことはあんまりない」
自信たっぷりに言い切ってくれるのがなんとも頼もしい。
これなら、注射針も遠からず作れることだろう。
と、ほっとしてたところで、ノーラさんが不思議そうに聞いてきた。
「でも、この実験くらいなら、あんなに大量の糸はいらないんじゃないかい?」
「あ~……あれはまた、別件でしてね……」
私は思わず目を逸らしながら、答えた。
こっちはな~……技術的な問題はほっとんどないと思うんだけど、倫理的な問題というか社会的な問題というかが、どうなんだろう。
いやでも、この国でなら大きな問題にはならないかも知れない? とか思っていた時だった。
お城のメイドさんが、来客を告げてくる。
そして、入ってきたのは。
「や~、女神アーシャ様ご機嫌うるわしゅ~♪」
「一気にご機嫌斜めになったよ!?」
そう、クリスだった。