神への挑戦:文字編
「やり口は気に入らぬが、しかし知りたいことを知る手がかりにはなった。
そのこと自体には感謝せねばなるまいよ」
苦々しい口調ながらも、魔王様はそう言って吐息を零した。
……申し訳ないけど、その気持ちを、私は推し量ることしかできない。
いきなり、世界征服することを千年だか二千年だか前の人に望まれていた、なんて言われたら、魔王様の性格からしたら憂鬱にもなるだろう。
どちらかと言えば、平穏無事にこの島で過ごしていたいだろうに……。
そこまで考えて、私は首を捻った。
「……あれ? でも陛下って、多分この島から離れられないですよね?
封印されたら、島も沈んだわけですから……陛下がこの島を離れたら、同じようなことになりませんか?」
「流石じゃな、アーシャ。恐らくその通りじゃ。
復活したばかりの時に一度試しに島を離れたことがあるが、1時間ほどで数cmばかり島が沈んだわ」
なお、言うまでもなくそれぞれの単位は私の脳内で変換されたおおよその物である。
しかし、ということは……。
「1時間でそれってことは、1日離れたらもう大惨事ですね……」
「じゃろうな。であれば、外征など夢のまた夢。一体この本の作者は何を期待したのか……。
いや、それも詮無きことじゃな。こうして写しが手に入った今となれば」
魔王様の言葉に、皆が頷く。
そうだ、本来ならば強力な魔族が何かの弾みで解かなければいけなかった隠蔽が、こうして解かれたのだ。
後はその写しを読み取るだけ。
……だけ?
「……あの、陛下。
ちなみに、神代文字って、お読みになられたりしますか?」
私の問いかけに、魔王様はそれはもう良い笑顔を向けてくれた。
あ、この笑顔は……と察した直後に、言葉が重ねられる。
「うむ、無理じゃな」
「や、やっぱりですか……」
がっくりと私は肩を落とした。
落とした、のだけれど。グレース様、ゲルダさんとドロテアさんにドミナス様は微妙な顔をしている。
「陛下、もう少し正確におっしゃっていただけませんか?」
ジト目のドロテアさんに、魔王様は若干ばつの悪そうな顔を見せた。
「う、ちょっとしたお茶目ではないかえ。
というか、大まかには嘘ではないぞよ?」
「存じておりますが、それでももう少し言い方というものを考えていただけませんか」
あ、これは割とガチだ。ガチで詰めてる。
……べ、別に、私のために怒ってくれてるのねっ、なんて思ってないんだからねっ!
でも、魔王様の反応に、もしかして、とピンとくるものがあった。
「あの、もしかして……すらすらと読むことはできないけれど、少しずつなら解読できる、ということですか?」
私の発言に、魔王様やグレース様は驚いた顔になり、ゲルダさん達は実に嬉しそうなドヤ顔を見せている。
……いやまって、そこまで思われるようなことは言ってないと思うんだけどな!?
「う、うむ、まさにその通りじゃ。
基本的な知識はあるが、実際にそれを使って訳したことはほとんどないからのぉ」
「陛下のおっしゃる基本的な知識というのは、私基準だととんでもないものなんですが……」
思わず小さく突っ込みを入れる。
何しろ、歩くハードディスク、いや複合型ファイルサーバかって位の記憶容量を持っている魔王様。
ギガ単位どころか、テラ、下手すればペタだってあり得るくらいの記憶力を誇っている。
そんな魔王様の言う基本的な知識とは、推して知るべしだろう。
なのだけど、魔王様はそれでも首を横に振る。
「いや、ほんに基本的な知識なのじゃ。
何せ、相手は神が作った文字じゃからのぉ。
文字通り創世の文字、その場その場でどんどん文字が作られておった時のものじゃからなぁ……」
嘆息しながらの魔王様の言葉に、私は思わず目を見開いた。
「……はい? え、文字が作られていた時の?
えっと、それってつまり……ある時点の文字を全て知っていたとしても、その後にさらに作られた可能性が?」
若干かすれがちな私の言葉に、魔王様はこっくりと頷いて返す。
「察しが良いのぉ。
何しろ普段使っておる文字と違い、これらは一文字一文字が意味を表しておる。
そして創世の頃であれば、それこそ指し示すべき存在が次々生まれておったころじゃろう。
おまけに神同士は思念による会話でも通じ合うこともできておったらしく、新しく作った文字でもその場で意味が相手に伝わるのじゃ。
それゆえ、遠慮も容赦もなしに好き勝手作りまくったらしい」
「なんですかそれ!? そんなの、訳せるわけないじゃないですか!」
私は、思わず悲鳴のような声をあげた。
つまり神代文字とは、漢字のような表意文字。
であれば、いくら抜群の記憶力を誇る魔王様であっても、そもそも知らないものは記憶のしようがない。
それが、その場の思いつきで次々作られたとなれば、お察しください、だ。
「うむ、訳せるところだけ訳して、知らぬ文字は類推して当てはめて、でおおよそを掴むことはできなくもないが、正確とは言えぬ。
固有名詞などは特に難しいのぉ」
「で、ですよね……せめて文字に傾向でもあればまだ……。
私の前世で使っていた文字に、一文字に一つの意味を持たせるものがありましたけど、それはいくつかの特徴がありましたし」
あれもまた、覚えるの面倒だったよなぁ、時間かけたら割と何とかなったけども。
などと思いだしていたら、魔王様の興味を引いたらしい。
「ほう、そなたの前世にそのような文字があったのかえ。
何かのヒントになるやも知れぬ、少し聞かせてくれぬかえ」
「あ、はい、かしこまりました。
まず、その字には、大きく四つの傾向がありました。
物の形から、それを記号化したもの。
上、下、などの概念的な意味を現したもの。
これらの文字を組み合わせて新しい意味を持たせたもの。
例えば木を二つ合わせて林、とかですね。
後は、意味をあらわす部分と音を表す部分を組み合わせたものがありました。
それぞれの特徴を理解してから学習すると、学習効率は上がったように思います」
「……ふむ。完全に同じではないが、近しい特徴のものも少なくないな」
私の説明に、魔王様も思い当たる節があったのか、何度となく頷いている。
「考え出す、という行為である以上、アイディアのきっかけや考える過程は似通ってくるのかも知れませんね」
「それも道理じゃな。であれば、まずある程度整理して法則を掴んでから取り掛かった方が良さそうじゃ」
うん、と一つ頷いた魔王様が、ちらりとドミナス様を見やった。
「ドミナス、そなたも手伝うがよい」
「え、できれば拒否したい」
「ドミナスぅぅぅぅぅ!!!」
あっさりと拒否するドミナス様に、久しぶりに聞いた魔王様の絶叫。
あ、帰ってきたんだ。
なんとなく、そう実感した。