五分が貴重な時間
挨拶を済ませ、名残惜しみながら離れると、私達は内風呂というか、私の寝室に繋がっているお風呂で軽く汗をながした。
この家には、お風呂が三つある。
私達みんなで入れるような大きなもの、メイドさん達が使うもの、そして私の部屋から行けるもの、である。
大きなものは、実際皆で入ることもあったりする。
……流石に、結婚式の夜のようなことは、めったにないのだけれども。
それから、住み込みで働いてもらっている以上、メイドさん達にもお風呂は提供したいってことで作ったメイドさん用のお風呂。
これは、メイドさん達からとても好評で、無理を言ってよかったと思っている。
最後に、私の部屋からいける、このお風呂は……まあ、その。汗を流す用だ。
どんな汗かは、気にしてはいけない。
「……アーシャ、またこんなところに痕付けて……また皆にからかわれちゃう」
「ご、ごめんね、気をつけてたつもりなんだけど」
なんてことを言い合いながらも汗を流し。
……さらに汗をかくようなことはしていない。本当だよ?
それから私達は、着替え始めた。
……これもほぼ毎回恒例なのだけれど、着替えながら、私達はちらちらとお互いのあられもない姿を盗み見ていたり。
それこそもっとあられもない姿を見ているというのに、何を今更、と思うかも知れない。
でもね、こういう着替えの途中の姿って、それはそれで趣があってね?
……いえ、やっぱり黙っておきます、ごめんなさい。
ともあれ、大分時間をかけながら、朝の支度をして。
「じゃあ、行こうか」
「うん、行こう」
私達は手を繋ぎ、部屋を出る。
廊下を渡って、まずは朝食を摂るために食堂へと向かったのだけれど、その途中で少し急ぎながら外へと向かうゲルダさんに出会った。
「あれ、ゲルダさん、おはようございます。もうお出かけですか?」
「ああ、アーシャ、キーラ、おはよう。
そうなんだ、今日は哨戒部隊の会議があってな」
「うん、おはよう。……そういえば、またこないだも船が来てたし……最近多いけど、そのこと?」
「ああ、そのことも含めて、だな」
キーラの問いかけに、ゲルダさんは小さくため息を吐く。
あれから2年半あまり。その間に、この島へと送られてくる生贄の数と頻度は、少しずつ増えていた。
いや、少しずつ、と言うと違うな。去年なんかは年間二千人、それまでの平均の、倍も送られてきたのだから。
となれば、ゲルダさん達が警戒を強めるのも当然のことだろう。
「他にも色々あるわけですね。……確かに、気になることもありますし……」
ゲルダさんに頷き返しながら、私は眉をひそめた。
送られてくる人数、頻度が増えていることはさっき言った通りだけど、私はもう一つ気になることがある。
実はというかなんというか……前に比べて、薬師が送られてくることが、どんどん増えているのだ。
教会が打ち出した、例の薬師排除令はさらに勢いを増しており、話を聞くに、ほとんど魔女狩りじみたものになっているみたい。
なんでそこまで、と最初は呆れていたのだけれど……最近では、何か明確な狙いがあるのでは、と疑うようになってきた。
単純に、医療行為の独占を狙う、っていうのは最初から考えていたのだけれど、ここまで来ると、それ以上のものを感じてしまう。
とは言っても、それを確かめる術なんてないのだけど……。
「うん、アーシャが気になっていることはわかっているし、その辺りもなんとかできればと思っている。
すぐに効果が出るかはわからないが……手段を探っておくに越したことはないからな」
この辺りの懸念は、ゲルダさんともちょこちょこ話をしていたのもあって、すぐに察してくれた。
うちの方針の一つは、婦婦の会話はしっかりと、だからね。
……だから私が皆と一杯話さないといけないってことにはなってるけど、頑張ってるよ!
五倍頑張るって誓ったしね! のど飴も作ったし!
……おっかしいな、結婚生活ってこんなに身体張るものだったのかな……?
そして、そんな生活にもすっかり慣れてしまった我が身の頑丈さときたら。いや、ありがたいんだけどね。
「そうですね、その辺りはゲルダさんにお任せしないといけない部分も多いですし……。
頼りにしてますよ、ゲルダさん」
「ふふ、あなたにそう言われたら、頑張らないわけにはいかないな」
私の言葉に、ゲルダさんはにっこりと笑い返してくれる。
この二年半あまりで、ゲルダさんもすっかり風竜王らしい風格というか、頼もしさを身につけた。
もとから頼もしかったけれど、今はそれ以上の強さと余裕を持っている気がするなぁ。
なんて感慨に耽っていると、ゲルダさんが何かを思い出したような顔になった。
「ああ、そういうわけだから、もう行かなくてはいけないんだ。
すまないな、ゆっくり話す時間もなくて」
「いえ、私達こそ、引き留めてすみません。
……あ、でもゲルダさん。折角出る前に会えたんですから、挨拶を」
そう言いながら、私はゲルダさんを見つめ、顔を少し上向きにした。
途端、ゲルダさんが頬を染め、きょろきょろ、周囲を確認するように視線を動かす。
いや、ゲルダさんだったら、気配で周囲に人がいるかどうかわかるでしょうに、とも思うけど、それは言わないでおいた。
結婚生活が始まってそれなりになるというのに、ゲルダさんは未だにちょっとウブなところが抜けていない。
寝室のような、そういう空気の場では大分慣れてきたけど、こういう日常の空間で不意に、というのにはどうにも弱いみたいだ。
まあ、だからこそおねだりしてるんだけどね!
しばらくためらっていたゲルダさんは、私とキーラ以外いないことを何度も確認すると、意を決したように大きく深呼吸。
「うん、じゃあ……」
背の高いゲルダさんが覆い被さるように……それでいて恐る恐るという感じで、唇を重ねてきた。
私はそれを受け入れて、そっとゲルダさんの腰に手を回す。
本当はぎゅっと抱きしめて熱烈なキスをしたいところだけど、さすがにそこまでやったらゲルダさんが大変だ。
ということで、比較的軽めに挨拶のキスを終えて。
「ふふ、ありがとうございます。
じゃあ、いってらっしゃい、ゲルダさん」
「……もう、アーシャは、相変わらず意地悪だ……。
行ってきます、できるだけ早く帰るよ」
私達は視線を絡めながらも、身体を離す。
名残惜しいのはお互い様、でも、立場があるのもお互い様。
こればっかりは仕方ないから、ね。
玄関へと向かうゲルダさんの背中を、見えなくなるまで見送る。
「……ゲルダさんも大変だね……ますます忙しそう」
「うん、そうだねぇ……でも、キーラも人のこと言えないでしょ」
「……それ、アーシャには言われたくない、かな」
「あ、あははは……」
キーラのじと目に、私は思わず乾いた笑いをこぼした。
先ほど言ったとおり、この島の薬師は急激に増えている。
とっくに百人を超えて、さらに増えている状況。
今では王都だけでなく、周辺の都市にまで薬師を派遣することができるようになっていた。
……で、それを束ねるのが私、なわけだ。
初期からいる薬師三人娘が幹部として手伝ってくれているので何とか回せているものの、それでも仕事はどんどこ増えている。
かなり一杯一杯なのだけれど、それでも、なんとか回ってはいるんだけどね。
……薬師の人が大体皆、アーシャ教(仮)に入信しているから、というのもあるけれど……。
いや、私は勧誘してないからね!?
でも、三人娘とか先住の子達が気がついたら入信させているんだもの! 私悪くない!
根本的には私のやらかしから始まっているとか、そういう突っ込みはやめて、お願い!
「まあでも、そんなアーシャが好きなんだから、仕方ないんだけど、ね」
「うう、そんなキーラの気持ちに甘えているようで悪いなぁ……」
くすりと笑ってくれるキーラに、困ったように頬をかきながら、私は、私達は、食堂へ向かった。




