ディアばあさんの工房
買い物を終えた私たちは、今度こそ工房へと向かった。
その道すがら、ふと気づいたのだが。
「そういえば……この街って、道がやたらと綺麗ですよね。
もしかして、下水が通ってるんですか?」
「ああ、そういえばあちらの大陸では珍しいみたいだな。
ついでに言えば、上水道もあるぞ?」
「なるほど、あの噴水みたいなのは上水道なんですか。
凄いですねぇ……でも、それだったらかなり助かります」
この世界、水道など便利なものはない、と思っていた。
少なくとも、私のいた村も、王都ですらなかった。
なのに、この街では上下水道完備。
いや、現代日本の感覚では、完備とは言えないが。
上水道は各家庭に引き込むまではできておらず、公共の広場で水を汲む方式だ。
正直なところ、井戸で水を汲むというのは中々の重労働だ。
数m下から、それなりに水が詰まった桶を引き上げるのだから。
これが、地面と同じ高さかそれより少し高い位置にあると、ばしゃばしゃと簡単に汲むことができる。
……まあ、そこから各家庭に運ばないといけない部分は同じなのだけれど。
「薬草から薬を作るにしても、色んな治療をするにしても、水ってかなり重要なんですよ」
「それはわからなくもない、な。ああ、水汲みが必要だったら言ってくれ、力仕事は得意だから」
「ええ、それは、よく、わかります」
改めて、ゲルダさんが抱えたり背負ったりしている荷物を見る。
……下手したら、合計20㎏以上はあろうかというのに、まるで意に介した様子もなく軽々と運ぶ姿は頼もしいの一言。
そういえば、自衛官も20㎏の装備を身に付けて数十km歩く訓練とかするというし、これくらいプロの軍人であるゲルダさんには朝飯前なのかも知れない。
だからって、それに甘えすぎてもいけないとは思うが。
「……アーシャ」
「あ、はい?」
不意にゲルダさんが声をかけてきたので、驚いたような声を返してしまった。
いけないいけない、考え事を始めると没頭しちゃうのが私の悪い癖だ。
「言っておくが、あなたの補佐は陛下直々のご命令だ。
だからあなたが後ろめたい思いをする必要はない。
むしろ私を上手く使うのがあなたの義務と言ってもいい」
「え、えええ!?
いや、それはなんというか……いや、理屈はそうなんですけども」
くそう、なんだか心の内を読まれてしまったみたいだぞ。
というか、ほんとゲルダさんって察しがいいし、気が利くなぁ……。
「それから。
私個人としても、あなたに協力したいと思っている。
だから、遠慮なく私を頼ってくれ」
「ちょ、え、あ、は、はい……?」
また直球だよ。なんなの、この照れもせずに投げ込んで来る直球。
やめて、そんな真剣な顔で見つめてこないで。
ああああああ、顔が赤くなってくのが自分でわかるぅぅぅ!
「ああすまない、少し言いすぎただろうか。
時々、どうにも押しが強くなることがあるみたいで、ね」
「自覚があるなら自重してくださいようぅ……」
少し困ったような顔は、それはそれで可愛い。
なんだこの存在、ズルすぎないか。
ほんとに私、誰かに刺されないだろうか。
そんなことを思いながら歩いて行くと、不意に嗅ぎなれた匂いを感じた。
はっと、その匂いがした方向を見る。
「ああ、あれがディアばあさんの工房だよ。
だった、というのが正しいのだろうけど……」
ゲルダさんが、少し遠い目になる。
気持ちは、なんとなくわかる。
だった、と言ってしまえば過去になってしまう。完全に。
自分で、過去にしてしまう。
それは、なんとも……もの悲しいものだ。
「……いっそ、この建物の名前にしてしまいます?
『ディア工房』って」
「……その提案に縋ってしまいそうになる、な……。
だが、それだとあなたに失礼ではないだろうか。
今日からここは、あなたの工房になるのだから」
物凄く申し訳なさそうにゲルダさんが言う。
そんな顔して言うから、どれだけディアさんがこの街に貢献していたかが、伺いしれてしまうのだけれど。
「ディアさん、きっと長いことこの街で働いていたんですよね?
そのおかげで命を長らえた人もきっといて、その人にきっとこれから、私も助けてもらうと思うんです。
だったら、敬意を表して名前を残すのって、ありだと思うんですよ」
だって、ゲルダさんにこれだけ惜しまれ、魔王様にあれだけ敬意を表される人なのだから。
お会いできなかったことはとても残念だけれど、その名残はこれから触れることになるのだろう。
であれば、偉大なる先輩に対して私なりに敬意を表していたい。
私の言葉に、少しゲルダさんの顔が歪んだ。ほんの数秒で元に戻ったけれども。
「うん、ありがとう。
陛下に提案はしてみよう」
「ええ、ぜひとも、お願いします」
何かを懐かしむような切なげな笑顔のゲルダさんに、私は微笑み返した。
そうして、しばらく建物を見ていた時だった。
「あらぁ? ゲルダはんやないですの。
こないなところで珍しい、どないしはったんです?」
少しのんびりとした口調で、声をかけられた。
っていうか……え、関西弁? 京都弁?? いや、あくまでそれっぽい方言というだけのはずだが。
「ああ、ナスティ。そうか、あなたはこの近くに住んでいたんだったね」
「ええ、うちらあの辺りに家をいただいてますさかいに。
そちらのかいらしいお嬢さん、新入りさんですの?」
そういって私に視線を向けてきたのは、随分と背が低い……少女、と言ってもいい外見の、女性。
肩のあたりで切りそろえた茶色の髪は少しふわふわとしており、大きな瞳は純真そうに輝いている、ように見える。
うん、向けてくる視線、表情をあどけない少女の笑顔で取り繕っているけど、油断できない内面が滲み出てきている当たり、見た目通りの年齢じゃない。
多分、グラスランナーと呼ばれる種族の女性だ。
成人しても人間の三分の二から半分程度の身長しかなく、小人族だとかハーフリングだとか言われたりもする。
その外見通りにすばしっこく、手先も器用。
そして何より、頭が良く回る。
その名の通り草原を駆けまわる暮らしをしているから知識という部分で不足はあるが、それを補ってあまりあるたくましさを持った種族だ。
「ええ、今日こちらに来ました、アーシャと言います。
薬師として、ディアさんの工房を預かることになりました」
「あらまぁ、こないかいらしい人が薬師はん。
確かに、薬やらなにやらよう触ってそうな手してはりますなぁ」
……気のせいだよね? なんだか微妙な棘を感じるのは。
『こんな若いのが薬師だなんて信頼できるんだろうか。薬で汚れた手をしてまぁ』
と脳内で変換されてしまったのは、前世の知り合いの性悪のせいだ。
「そういえば、ナスティはディアばあさんに薬草を納入していたな。
今後はアーシャにお願いできるか?」
「そらまぁ、ゲルダはんの頼みとあれば否も応もあらしまへん。
ほんなら、明日からでも届けましょか」
「ああ、お願いする。よろしく頼むよ」
「ありがとうございます、宜しくお願いします」
ゲルダさんの言葉に続けて、頭を下げる。
一瞬、私を値踏みするように目を細めたのは気のせいだろうか。
「ええ、うちらかて薬草を引き取ってもらえる分には文句もあらしまへん。
役に立ててもらえるなら、ありがたいことですわぁ」
おっかしいなぁ、売るのは売るけど、こんな小娘が作る薬なんてどんなものか知れたものじゃないって聞こえるぞぉ?
引きつりそうになる顔を、なんとか抑えながら、笑顔を見せる。
「じゃあ、明日からよろしくお願いしますね、ナスティさん」
「こちらこそよろしゅう。アーシャせんせ」
ナスティさんはにこりと、実に楽しそうに。
底意地の悪さをほんのり滲ませた笑顔を見せた。