跋扈する悪魔
「……どういうことか、詳しく説明してもらおうか、ドロテア」
なんだろう、冷静さを欠こうとしている感じの抑えた声でゲルダさんが問いかける。
気のせいかな~、空気が細かく震えてる気がするな~。
他のお客さん達はまだ気づいていないみたいだけど……いや、まさか気づかないふりしてる?
妙に、こちらを誰も見てこないもの。
いやまあ、このメンバーの修羅場なんて怖くて普通の人は関わりたくないだろうしね。
そして、その渦中のど真ん中で、煽ったのは、私。
何やってんだ、ほんとに。と思いながら……妙に落ち着いているのはなぜなんだ。
「詳しくと言われても……まさか、アーシャがあんな迫り方をしてくるだなんて」
そしてゲルダさんのプレッシャーを受けて、若干ドロテアさんは落ち着きを取り戻していた。
なんでだ。
まさか修羅場の方が落ち着くとか、そういうタイプ? こう見えて昔は戦場にいたとかそういう?
実際にそうだったかはわからないけど、なんかまたドロテアさんの意外なとこを発見しちゃったぞ……?
「ほほう。あくまでも勿体ぶるつもりか」
あ、空気の震えが一瞬だけ、はっきりとわかっちゃった。
……この空気の中でも、ノーラさんはもとよりキーラも怯えてない……え、何この肝の据わりっぷり。
若干目が据わってる気がするのは気のせいかな。
ともあれ、これ以上ヒートアップしちゃうと、さすがにエルマさんに怒られるだろうし……。
「まあまあ、ドロテアさんも説明しにくいんですよ。
何しろ私がしたことって……」
横合いから割り込んだ私は、そっとゲルダさんの手を取った。
いきなりのことにびっくりしたのかゲルダさんの肩が震え、それから私の方を凝視してくる。
そんなゲルダさんに向かって、にっこりと笑いかけると、その手を、私の胸元へと引き寄せた。
「え、な、なんだアーシャ、一体何を」
「何をって、その時の再現ですよ」
突然の私の行動に動揺したのかゲルダさんがそんなことを言うけど、おかまいなしに私は続ける。
胸元に引き寄せた手を、今度はゆっくりゆっくり持ち上げ、一度その手の甲に視線を落とす。
それから、ちらり、上目遣いにゲルダさんの方を見れば……察したのか、ほんのり赤くなっちゃってるや。
ふふ、可愛いなあ。
思わず私は、衝動のままに微笑みを浮かべた。
途端、ぴくんっ、とゲルダさんの手が小刻みに震える。
「待て、待ってくれ、アーシャ」
「あれ、待っていいんですか?」
懇願するようなゲルダさんの声に、私は動きを止める。
手の甲は、私の唇から5センチほど。答える時に漏れた吐息がくすぐるくらいの距離だ。
私は、敢えてその距離で止まって見せ、ゲルダさんの言葉を待つ。
止まったことが予想外だったのか、ゲルダさんはぱちくりと瞬きをして。
それから、さらに赤くなってしまった。
「ほ、本当に待つ、のか……」
「え、だって待ってくれってお願いされたら、さすがに」
そして、言われたことは『待ってくれ』だ。
だから、待つ。手は離さず、そのまま。
その意味を、察しの良いゲルダさんは気づいてしまった。
つまり、この膠着状態は、ゲルダさんの言葉で動き出す。
手を放してくれ、にしても、続けてくれ、にしても。
チャンスを逃すか、羞恥とともに受け入れるか。
それを、ゲルダさんは自分で言わないといけない状況に追い込まれてしまっている。
「ね、ゲルダさん。どうして欲しいか、言ってくれませんか?
このままだと私、ご飯食べられないですよ?」
「なっ、いや、確かに、そうだ、が……」
このお店に来てから、注文する暇もなく修羅場に突入したもんだから、まだ何も食べてないんだよね。
さすがにお腹も空いている。……いや、別の美味しいものは食べてるのかも知れないけどさ。
いつまでもこの状況にしてはおけない。そのことがさらにゲルダさんを追い詰めていく。
「あまり待たされるのもなんですし、十数える間に言ってください。
じゃあ、いーち、にーぃ」
「なっ、ちょ、ちょっと待ってくれアーシャ!」
「だめです、さすがにこれ以上は待てませーん。さーん、しー」
承諾の言葉も得ずに、いきなり私は数を数えだす。
さらに慌てたゲルダさんは制止の言葉を発するが、今度は聞けない、とカウント続行。
どうしたら、どうしたら、とおろおろとしている間に。
「じゅーう。……あ~あ、数え終わっちゃいました」
そう言うと私は、す、とゲルダさんの手を口元から遠ざけた。
途端、ゲルダさんはすっごく残念そうな顔になる。
だから私は、その顔を見た瞬間に手を掬い上げ、手の甲に唇を落とした。
「んなっ!? あ、アーシャ!?」
おお~……ゲルダさんの裏返った声なんて初めて聞いた。
顔はこれ以上なく真っ赤だし……ああもう、すっごく可愛いなぁ。
「あはは、だって、十数えたらどうする、って言ってなかったですもんね。
だったら、してあげた方がいいかなって。
あ、もしかして嫌でした?」
私の問いかけに、ゲルダさんはぶんぶんと首を横に振る。
そんな仕草に、くすっと笑って。
「こんな感じで手の甲にキスしてから、ですね……」
「ま、まだあるのか!?」
と、ゲルダさんが悲鳴のような声を上げる。
私は……多分にんまりって感じで笑って、ゲルダさんとの距離を詰める。
そして。
ばすん、と私の頭が、お盆で叩かれた。
「は~い、そこまで。
こんなとこで寸劇始めてどーすんのさ。
ここは酒場なんだ、飲み食いの注文しないのは客じゃないからね?」
呆れたような声で、エルマさんが注意をしてくる。
多分本気じゃないんだろう、笑いながらだし、お盆も痛くはなかった。
でも、さすがにこれ以上は迷惑になるだろうし、ありがたく従おう。
「すみません、ついつい……ゲルダさんが可愛くて」
「こらこら、さらっと火に油注いでんじゃないの。
それ以上やったら風紀によろしくないからね、出禁にしちまうよ?」
「ああっ、それだけはご勘弁を!」
エルマさんの言葉に、素直に謝る。
確かにその通りだし、私としても正直あそこで止めてもらえたのはありがたいから。
そんなやり取りを私とエルマさんがしている横で。
「……なるほど、あれが悪魔なアーシャ先生……手ごわいねぇ」
「私が手も足も出なかったの、わかるでしょう?」
「……私は、ああいうアーシャもいいかなって……」
ノーラさん、ドロテアさん、キーラがそれぞれに勝手なことを言っていた。