火に油
ドロテアさんに、「鬼! 悪魔! ろくでなし!」にも似た罵倒を受けながら、私は特に慌てることなくエルマさんのお店へと向かった。
だって、そんなことを言いながら、私とつないだ手を振りほどこうともしないんだもの。
むしろ私としては、にまにまと笑ってしまうくらい。
もちろん、私が手を引っ張ってる形にして、顔を見られないようには気を付けていた。
さすがに、この状況で私のこの表情を見られたら、ドロテアさんが拗ねるどころじゃ済まなくなっちゃう。
そうなった場合、機嫌を取り戻してもらうには、何をすることになるやら……。
まだそれは早いんじゃないかな~と思うことをする羽目になりかねない。
ということで、私は言わせるだけ言わせて機嫌を損ねないようにしながら、エルマさんのお店へと着いたのだった。
「やっと来たか……いや、ドロテア、何かあったのか?」
既に待っていてくれていたゲルダさんがそんなことを聞いてくる。
さすが、気遣い上手な上にドロテアさんとの付き合いが長いだけのことはある。
店に着く直前に文句を引っ込め、表情を取り繕っていたドロテアさんの誤魔化しもなんのその。
ずばっと見抜いてしまい、そのせいでますますドロテアさんのポーカーフェイスが崩れてしまう。
「な、なんのことですか、ゲルダ」
「いや、さすがにそれは無理があるよ、ドロテアさん。
あたしでもドロテアさんがいつもと違うのわかっちまうもの」
それでも誤魔化そうとしたドロテアさんに、ノーラさんがツッコミを入れた。
……いや、ノーラさんだって十分以上に観察眼鋭いと思うんだけどね?
「まあ、そういうことだ。それで、何があった?」
「それは……はぁ……仕方ない、ですね……」
ドロテアさんがため息を吐きながら、席に着いた。
私も同様に、席に着いた瞬間。
「それと、どうしてアーシャと手をつなぎながら来たかも聞きたい、かな……」
ぽそり、キーラが呟く。
その言葉に、ドロテアさんも私も一瞬言葉を失った。
おっかしいな、店に着いた時に手を離したはずなのに、その瞬間を見られたとでも……?
キーラにそんな特殊能力なんてなかったはずなのに……。
いずれにせよ、ここで下手な誤魔化しは、かえって悪手というものだろう。
「まず、最初に何があったか、ですけど。
ドロテアさんから、聞きました。五人の協定のこと」
単刀直入な私の言葉に、キーラ達三人が動きを止めた。
数秒、色々考えたのだろう。ドロテアさんへと、「なぜ?」と言いたげな視線が集まる。
観念したかのようにドロテアさんは大きなため息を一つ。
これもまた、少々珍しい。
「きっかけは、一つの不幸な偶然でした。
陛下が、この国の結婚制度、つまり重婚も合法であることを話してしまわれたのです」
「何? ……確かに陛下に口止めはしていなかったし、そもそもするわけにもいかないが……」
「ええ、てっきり面白がって静観しているものと思っていたのもあって、そちらへの手回しを怠っていたことは、我ながらうかつでした……」
なんかさらっと魔王様酷いこと言われてる気がするな!?
でも考えて見れば、私に教えてくれた時も結構ニヤニヤ笑ってた気がするな……。
言われても仕方ないのかも知れないね、うん。
なんて不敬なことを思っている間に、会話は進んでいた。
「なるほど、それでアーシャにばれて追及された、と。
しかし、まさかお前が口を割るとは……」
「……ゲルダ。私は、私達は思い違いをしていました。
アーシャは女神なだけではなく、悪魔でもあったのです」
「待ってください、さらっと女神にしないでください!」
聞き捨てならない台詞に、私は思わず横入りしてしまう。
役割として、女神的な存在にされてしまうのは多少仕方ないと思わなくもないけれども、ガチ女神扱いはさすがにごめんこうむりたい!
せめてみんなの前でだけでは普通の女の子でいたいの!
そんな私の願いは、横合いからかかった声で打ち砕かれた。
「へぇ、ってことは、悪魔の方は否定しないんだ?」
そう、ノーラさんである。
さすが、こういうところを見逃さない。見逃して欲しかったけども。
私は一瞬口ごもるも、渋々口を開く。
「自分で言うのもなんですが、あの時の私はちょっとこう……悪魔と言われても仕方ないところがありました」
「悪魔なアーシャ……ちょっと、見てみたい、かも……」
「やめておきなさい、キーラ。あなたにあれは、まだ少々刺激が強すぎます」
重々しく、ドロテアさんが首を横に振る。
酷い言われようだな!? と思いつつも、言われるだけのこともしちゃったしなぁ……とも思う。
さっきのあれは……いやいや、思い出したりしてないよ?
そんで色々まずい衝動を思い出したりもしてないよ?
「ドロテアがそこまで言うとは……」
「どうやら、相当手強い相手みたいだね……」
ゲルダさんとノーラさんが二人して、私の方を見てくる。
いやなんでそんな、警戒すべき敵を見るような目をしてるんですか。
怖くないよー私怖くないよー?
「残念ながら、私ではまったく太刀打ちできませんでした……」
「ドロテアが? まったく?」
ゲルダさんが驚いたように目を見開く。
それから、また私へと視線を向けてきた。
「アーシャ……あなたは一体、何をしたんだ?」
問われて私は、しばし考える。
どこまで言うべきか? どこまで言えば効果的か? ……いやまて、効果的ってなんだ?
そんな思考が一瞬で駆け巡る。
そして、口を衝いて出たのが。
「一言で言えば、餌で釣りました」
これである。
ちょっと待とう自分。またおかしなモードに入りかけてるぞ!?
だけど時間は戻ってくれないし待ってもくれない。非情である。
「まて、餌、だと?
ドロテアが釣れるくらいの……まさか、さっき様子が変だったのも、そのせいか?」
「さすがゲルダさん、鋭いですね~」
ゲルダさんの追究に、私はにこやかに笑いながら答える。
あれ? なんかおかしいぞ? なんでこんなこと言ってるんだ、私。
なんて内心で呟いて自分を誤魔化そうと、あるいは抑えようとする、んだけど。
だめだ、私の内側から何かが滲みだしてきてしまう。
「一体何を餌にしたってんだい?
ドロテアさんが釣れそうな、欲しがりそうなものなんて……」
そこまで言って、察しのいいノーラさんは気づいたのか言葉を切った。
ほとんど同時に、ゲルダさんも気づいたらしい。少し遅れて、キーラも。
「ふふ、何だと思います?」
そう言って私は少し目を細め、意味ありげに自分の唇を人差し指でゆっくりとなぞって見せる。
途端。
ぎん! と擬音が鳴りそうな勢いで、ゲルダさん達がドロテアさんを、食い入るように見つめた。
あのドロテアさんが、思わずびくっと身を竦めるような勢いで。




