デート、あるいは市場調査
「ん~~!!
久しぶりだなぁ、潮風が気持ちいいだなんて!」
そう言いながら、私は大きく伸びをした。
腕を、背筋を伸ばしてから大きく息を吸いこむと、肺の中に新鮮な空気が飛び込んで来る。
肺の中に奥底に溜まっていた二酸化炭素と交じり合い、換気されるのを感じてから、ゆっくりと吐き出した。
それだけで気分が一新したような気分になるから、不思議なものだ。
「ふふ、なんだか初めてあなたらしい顔を見た気がするな」
私の背後から、おかしそうなゲルダさんの声がかかる。
くるり、振り返った私は、多分ちょっとだけバツの悪い顔をしていたんじゃないかな。
「すみません、なんだかはしゃいじゃって。
それに、お仕事もあるのに無理を言ってしまって」
「いや、それは気にしないで欲しい。陛下からも、仕事として割り振られたようなものだし、な」
ぺこりと頭を下げた私に、ゲルダさんは笑って手を振ってくれた。
裏表のないその笑顔に、私はちょっとほっとする。
「そう言ってもらえると、助かります」
「うん、どういたしまして。
さて、それで、どこを案内しようか。
デートと言っていたが、街中を色々と見て、調べて回りたいのだろう?」
さすがの察しの良さに、思わず笑ってしまった。
魔王様は言うまでもなく、ゲルダさんだってかなりこちらの言いたいことを拾ってくれる。
……魔王様はちょっとこう、拾いすぎだとは思うけれども。
「そうですね……色々と。
街の雰囲気とか、市場で売っているものとか、手に入りやすいものとか」
「売っているものを知りたいのはわかるが、街の雰囲気も必要なのか?」
「ええ、実は。これは、また後で説明しますね」
いまいち腑に落ちていないらしいゲルダさんに向けて、片目をつぶってみせた。
シュツラムガルド王国首都、シュツラムブルグ。
この辺りの名前は、魔王様がシュツラウムだから、その名前を使ってのものだと思う。
ちなみに、魔族は個人主義が強く、家名はないことが多いのだそうだ。
さて、そのシュツラムガルドだけれど、私の居た大陸の南方に位置する島国。
まだ全容はわからないけれど、この王都は結構温暖な気候のようだ。
と言っても、南国とまで言うほどでもないけれど。
私の居た国よりそれなりに強い日差しの中、まずは市場へと向かって歩いて行く。
「アーシャ、大丈夫か?
あなたは北の方から来ているのだから、暑さには不慣れだろう」
「あ、大丈夫です、まだこれくらいなら」
気遣ってくれたゲルダさんに笑顔を返しながら、軽く額を拭った。
今の季節は春の終わり、となればそろそろ暑くなってくる頃合い。
島国ではあるが、湿度は低くカラッとしていて、日本のような蒸し暑さはなかったりする。
どことなく沖縄を思い出すけれど、あそこまで気温は高くない。
とはいえ、しばらく歩き回れば少し汗ばむ程度の気温でもある。
「市場までは、もう少しだ。そこでなら飲み物も買えるから、後で休憩しよう」
話では、市場までは1㎞もない程度の距離しかないようだ。
魔王様との会話では5㎞四方を覚悟しないと、と言っていた街の範囲だが、実際はもっと狭いと思っていいみたい。
主だった街の機能は精々1㎞四方に集中しているし、人間の居住区はその周辺がほとんどだ。
「気を使っていただいて、ありがとうございます。
市場って、やっぱり人間が運営しているんですか?」
「いや、他の種族も参加している。
ドワーフ達の作る鉄製品は暮らしに欠かせないし、エルフ達も基本は自給自足だが、時々森で取れたものを持ってくることもある。
もっとも、彼女らが住んでいるところは街の外縁や森の中だから、街中は人間主体になるけれど」
そう、言われてみればある意味当たり前なのだが、エルフやドワーフも生贄を差し出していた。
人口比で言えば人間が圧倒的に多くはあるものの、人間以外の種族もそれなりにいる。
「これなら、当面は人間とその近所の種族に絞れば、まだなんとかやりくりできそうな気がします」
「うん、それにエルフ達は薬草の扱いが得意な上に自前の治癒魔術もあるらしいし、ドワーフの頑丈さは有名だ。さしあたりは人間を中心に考えたらいいと思う」
ゲルダさんの言葉に、こくりと頷いてみせる。
……まあそれでも、4万人は相手にするつもりでいないと、とも思っているのだが。
「よほど遠くに行くことがあれば私が抱えて飛ぶこともするから、遠慮なく言って欲しい」
「あはは、それは、できればない方がいいんでしょうけど、その時はお願いします」
私は笑いながら、そう答える。
抱えられて空を飛ぶ。
アニメや漫画だったら憧れのシチュエーションだが、実際にとなると……安定性という部分でかなり怖い。
ゲルダさんだったら私を軽々持てるのかも知れないけれど、それでも、だ。
乱気流だってないわけでもないだろうし。
「ああ、任せてくれ。
っと、話をしているうちに、もう市場だな」
「あ、ほんとですね。なるほど、これがここの市場かぁ」
開けた通りに、いくつも店が並んでいる。
人の行き交いはそれなりにある、が……賑やか、とは言えない空気だ。
特に、年配の人程表情が暗い。まあ、それも仕方のないことだが。
この島で何十年と暮らしているのだ、先の見えない暮らしに閉そく感も覚えるというものだろう。
「おや、ゲルダさんじゃないですか」
「やあエルマさん、元気そうでなにより」
その中でもまだ元気そうな中年女性がやっている食堂、というかカフェのようなお店にやってきた。
ゲルダさんとも顔なじみのようで、軽い世間話をしている。
と、私の方をちらりと見て。
「そちらのお嬢さん、見ない顔ですけど……もしかして」
「ああ、お察しの通り、だ。アーシャというんだ、エルマさんもよろしく頼むよ。
特に彼女は、新しい薬師だからね」
「そうなんですか? そいつは何よりですねぇ。
ディアばあさんが亡くなってからこっち、おちおち風邪の一つも引けやしなかったですから」
「あ、あはは……アーシャです。ご期待に沿えるよう頑張ります」
「ああ、よろしくね。この食堂をやってる、エルマってもんだ」
笑顔で答えてくれるエルマさんに同じく笑顔で頭を下げながら、私は内心でがっくりときていた。
改めて、薬師が私以外いないということが会話でも確認出来てしまったのだから。
責任重大だなぁ……。
「で、街の様子を確認したいという彼女に案内をしているところで、ちょっと休憩でも、とね。
何か飲み物と軽くつまめるものはないかな」
そう言いながらゲルダさんは窓際のテーブルに向かい、椅子に座る。
私は、その向かい側だ。
「飲み物はレモン水がありますけどねぇ、つまむものっても昼の時間は終わっちまいましたし。
オリーブの塩漬けだと、ワインが欲しくなっちまうでしょう?」
「私はそれでも構わないが、アーシャがどうだろう。
まだ歩く予定だから、酔うとしんどくないかな」
そう言いながら、私の顔を伺ってくる。
う~ん、私のことは気にしなくていいんだけどなぁ。
まあでも、それがゲルダさんの性格と言えばそうなんだろう。
「飲めるのは飲めるんですけど、そんなに強くはないですね。
私はレモン水だけでいいですから、ゲルダさんはワインをどうぞ?」
「いや、あなたを差し置いて私一人楽しむというのも、ね」
遠慮するゲルダさんに、エルマさんが遠慮した様子もなく笑いかけた。
「またまた、ゲルダさんにとっちゃワインなんて水みたいなもんじゃないですか」
「確かに、ほとんど酔わないが。
ここのワインは中々美味しいからね、後ろめたい気分で味わいたくないんだよ」
そう言いながら、ゲルダさんは片目をつぶる。
……わざと、じゃないっぽい。天然か、天然でこれなのか。
ああ、エルマさんもまた、嬉しそうな顔しちゃって。
なんだよこの国、人タラシしかいないのかよ! と心の中で叫びながら。
「そのワインって、この国で作られたものなんですか? 輸入物なんですか?」
「ああ、うちが扱ってるのは全部国産だよ。ずっと昔から頑張ってる人のワインを卸してもらってるんだ」
エルマさんが誇らしげに胸を張る。
その誇りは、そんなワインを扱っている自分にではなく、そのワインを作っている人に拠るもの、に思えた。
ちょっと、うらやましいかも知れない。
「じゃあ、そのワインを蒸留して濃くしたものとかもあったりします?」
「あるにはあるねぇ。……なんだい、あんた意外と酒好きなのかい?」
「嫌いじゃない、とだけ言っておきます」
探るような意地悪な笑みを見せるエルマさんに、にっこりと笑顔を返しながら。
欲しいものはそれなりに手に入りそうだ、と私は心の中で安堵していた。