いいことなんて、何もなかった
いいことなんて、何一つない人生だった。
最初の人生は、生まれた家自体は恵まれていた、と思う。
成功している医者の家に生まれた、そのこと自体は。
「お前には、婿を取るしか価値がないのだ!」
女は家を継げない、と思い込んでいた父は私に冷たくあたり、医者の婿を取れと強要してきた。
私はそれに疑問を持つことも許されず、また、困ったことに両親の遺伝子はしっかり受け継がれていたのか、強制された努力は私に望むと望まざるとにかかわらず学力を身につけさせ、医学部に合格はしてしまう。
けれど父のお眼鏡に適うような相手を見つけることはできず、見つけるまで大学から出るなと博士課程にまで進めさせられた。
父のごり押しもあって博士課程に進んだ私に対する風当たりは強く。
「君の論文、これ本当にデータ取ったの?
こんなに都合のいい結果なんて、普通出ないよ」
むしろ、そのいちゃもんの方にこそ論理的な根拠はなかったのだが。
ともあれ、私の研究はまともに評価されることはなくて。
あれもこれも上手くいかないストレスを抱え、心身共に衰弱していったある日、交通事故で死んでしまった。
けれど驚いたことに、私はもう一度目を覚ますことになった。
見慣れぬ壁、見慣れぬ天井、見慣れぬ街。
私は、生前とは違う世界に生まれ変わっていたのだ。
アーシャと名付けられた私は、何か特殊な能力があるわけではないが、馴染みのあるストレートの黒髪に透けるような白い肌、ぱっちりとした青い瞳、と随分可愛らしくなった外見に、生前の知識を持っていた。
生まれ変わったこの世界は、文明レベルで言えば中世か近世か、そのくらい。
魔術と呼ばれる超常的な力はあるようだが、一般人がほいほいと使えるものでもない。
「この世界なら、私の知識を活かせる……人々の役に立てる!」
そして今度こそ私は自分の居場所を作れるはず。
そう、思った。
けれど、現実は残酷だった。
「字を教えて欲しい? 勉強したい?
何バカなこと言ってるんだ、それよりも今日の作業をしろ!」
字を勉強したいと訴えた私に、こちらの父がかけた言葉がそれだった。
何とか教会の司祭様にお願いして字を教えてはもらえたが、親はそのことで何かにつけて私に冷たく当たる。
まして私が謎の知識など披露すれば、向けられるのは尊敬の目ではなく薄気味悪いものを見るような目。
何か提言すれば、煙たがられる。
そんな日常から逃げるように近くに住んでいた薬師の元へと通い、本を読ませてもらうようになった。
「私の蔵書で良ければ、好きに読ませてあげるわ。いつでもいらっしゃい」
と受け入れてくれた彼女との日々は、せめてもの救いであったとは思う。
だが、間の悪いことに、魔術によらない治療は全て異端の所業である、とのお触れが教会から出されてしまい、彼女は逃げるため遠くに去ることになってしまった。
そしてある日。魔女の弟子と噂されていた私は突然来た領主の兵により拘束され、有無を言わさず引っ立てられることになる。
その時目にしたこの世界の両親の、ほっとしたような顔が頭にこびりついて離れない。
そのまま、領主である子爵の館まで連れられた私は、下卑た顔の子爵と対面した。
「本来であれば魔女である貴様は即刻打ち首なのだがな。
喜べ、貴様には名誉ある、意味ある死をくれてやろう」
どうやら魔女の弟子どころか、魔女扱いになっていたらしい。
苦労して覚えた薬草の知識を元に作った薬が、決定打だったそうだ。
いつの間にか、師である薬師よりも効果の高い薬を作っていたらしい。
魔女でもない限りそんな薬を作れるはずがない、と子爵は得意気に、的外れな推理を披露してくれた。
統治する貴族が法であるこの世界では逆らうこともできず、私は王都へと送られ、そして、また別の貴族と対面することになった。
じろじろと無遠慮にこちらの顔を覗き込んでくるその表情は、なんとも下種な、悪徳商人のようだと思ったことを覚えている。
「なるほど、この顔ならば問題あるまい」
「ははぁっ、閣下のお眼鏡に適いまして恐悦至極にございます!」
子爵と、閣下と呼ばれた男が繰り広げる三文芝居を、私は随分と冷めた目で見ていた。
一しきり茶番を繰り広げた二人が、こちらへと振り向いた時に見せた表情に私は酷い嫌悪感を覚えたことを覚えている。
「喜べ娘。貴様は、魔王への名誉ある供物として選ばれた」
ああ、なるほど。
それは、ああも下種な商人に見えたはずだ。
やつらの顔は、本性は。
下劣な奴隷商人だったのだから。
こうして、私は魔王の住む島へと送られることになった。
島、とは言うが、正確には島国、と言うべきだろう。
私の聞き知る限りでは少なくとも四国程度、もしかしたらそれ以上。
イギリス本土グレートブリテン島くらいの大きさがあるかも知れない。
その島は、私の住んでいた大陸の南の海に、数十年前、いきなり浮上してきたという。
突如として大陸全土の空が曇り、雷が鳴り響き、嵐のような風が吹き荒れ、その風の中に魔王の声を聴いた者もいたとか。
起こった現象や島の位置が伝承にあった魔王の伝説と合致していたため、人々は魔王が復活したと認識。
魔王という脅威に対してどう対応すべきか、議論が重ねられた結果……人々は、魔王の機嫌を取るために供物を捧げることを選択した。
見目麗しい乙女たちという供物を。
それも、年に一人二人というレベルではなく、各国が競うかのように幾人も。
「それで収まる魔王も魔王よね……」
島へと送られる船の中で、私はため息とともに呟いた。
その結果、かはわからないが、確かに、魔王が大陸に向けて侵攻して来るような事態は起こっていない。
また、送られた女性達は、一人として帰ってきていないという。
性的な意味でか物理的にかはわからないが、食われてしまったのだろう、とまことしやかに言われている。
まあ、そうなのだろう。
伝承によれば、風属性の魔物を引き連れ、嵐を呼び、雷撃を雨あられと落として大陸中を席巻し、人間を絶滅の縁へと追いやったらしい。
後に勇者に倒され、島とともに封印されたと伝承は結ばれているそうだ。
「なんで封印とか中途半端なことするかなぁ。っていうかそのまま寝てなさいよ」
復活した魔王に捧げられる供物としては、そうぼやかざるをえない。
おとなしく寝ていてくれれば、こんなことにはならなかったのに。
いや、あるいは。
「かえって、諦めがついていいのかもなぁ……」
結局、この世界でも私の居場所はなかった。
作ろうと頑張ってはみたけれど、徒労に終わった。
また転生できるかはわからないけれど、あのままじわじわすりつぶされるような人生を送るよりは。
そんなことすら思ってしまう。
「……食べるんなら、一思いにやって欲しいなぁ」
もう、どうでもいいや。
船室というよりも船倉と言った方がいい部屋の壁にもたれながら、私の心の中は、すっかり冷めきっていた。