RE:DAYS6 -10- 『実験、成功』
灰となり消えていくのは、どんな化け物であっても同じ事だ。
ナナミの業火のあまりの強さにかき消され焼ける音もその姿も、見えないが、炎が消えた後にはただ灰だけが残った。
所長は、安らかには逝けなかっただろう。
それでも、最後に所長の前に立っていた人達はきっと、こうなってしまった所長の事を、どうあれ想っていたはずだ。
「とりあえずは、終わり……です。まだ残っているノッカーもいるはずですから、気をつけながら一般フロアまで行きましょう」
ナナミはまだ少しだけ赤く染まったままの右手を握りながら、薬品庫の入り口へと進む。皆、無言のままそれに続いた。
この瞬間の帰路について、隊列を言い出す程、俺もヒナも野暮ではなかったようだ。一般フロア手前のホールへの帰路についても、俺がつけた傷跡を辿れば容易かった。
俺は隣で歩いているフタミに話しかける。
「しかし、えらい早かったな。デカいの、手間じゃなかったか?」
感覚の青があれど、フタミと俺のその力の範囲は明らかに違っているはず、けれどフタミ達はおそらく巨大ノッカー二体を処理してすぐに薬品庫に駆けつけたのだ。ヘンゼルとグレーテルであるところのパンくず……は食われてしまうが、目印としての刀の傷があったにしろあまりにも早い到着だった。
「あぁー……、そろそろ溶けてるかもなぁ」
フタミの言葉に、俺の身体が少し緊張で硬くなる。
――ホールは近い、嫌な声が聞こえていた。
「だってさー! なんか叫び声聞こえてたし! 普通に聞こえてたし!!」
ナナミがワチャワチャと言い訳している。つまりは、あの巨大なノッカー二体は。
「私は止めました。止めたんですよ。あんなに格好つけたのに倒さず放置なんて、ナンセンスです」
シズリが溜息を付きながら、電撃を纏っていた。
「いいよ、俺がやる」
――最後の最後にコイツらじゃ格好もつかないが、仕方無い。
だったら、最後くらいノッカーとしての花を持たせてもらおうじゃないか。
「デカけりゃビビると思うなよ!」
――最初は、その目を見ただけで、震えが止まらなかった。
俺はホールに駆け込んで、氷が解け襲い来る巨大なノッカーを思い切り殴り飛ばす。
「元々は、さ!」
――力の赤で、倒れていた。泣きながら、ヨミに生命の緑を撃ち込んだ。
一体目が俺の殴打で揺らいだ所に、跳躍して脳天めがけて爪撃を叩き込む。
「こういう風に!」
――そいつらよりもずっとデカいのに、もう、少しも怖くない。
二体目には、いつかナナミが見せてくれたような、渾身の蹴りを顔面に当てる。
「……やってたんだ。世話になったな、イスルギ」
俺は左手での殴打と蹴りを繰り返した後。ズドンと倒れる二体の巨大ノッカーを見ながら、右手で折れたイスルギを撫でる。絶命こそしていなくても、後は他のメンバーがどうにかしてくれるだろう。
俺達が全員揃っているならば、所長の脅威に晒されていないならば、もう二体しかいないこいつらが俺達の敵なんかにはならない事くらいは、気づいていた。
俺が離れると、入れ替わりにナナミが「ありがとおにーさん」と囁いてから、倒れたままの巨大ノッカーを燃やし尽くす。
「死体の中でお話ってのは、やですからねー!」
そう言いながら、ナナミは笑っていた。
フタミは肩をすくませながら苦笑している。
全員が、俺が救うべき全員がこの場に揃った。だからここからは、もう生命のやり取りなど起こらない。
けれど、舌戦が待っている。それも、多少強引な舌戦が。
俺はポケットの中の白い注射器の存在を手探りで確認すると、ホール内のノッカーの死体を燃やし尽くしたナナミが中央に戻ってきて、適当な場所にぺたんと座り込んだ。
他の皆も、その周りに各々座り込んで、休憩を取っている。
「それじゃ、これからどうします?」
ヒナが口を開く。
その視線は、九十三番目の世界では俺に向けられたように、フタミへと向けられていた。
望むべき事を達成する為に、その世界での未来を捨てて"次の世界へ戻る"という行為が、所長に勝利した世界では一度だけ許されている。その話はおそらく、九十四番目のこの世界でもヒナがフタミに話している事だろう。
この世界では、最終決戦の前に生きていた全員が生き残った。
だからこの場合、もし戻る日があるとするなら一つ。
「俺は、行くよ」
フタミはそう言いながら立ち上がると、その場にいた全員もまた、立ち上がってフタミの方を見た。
そう、こうなった時の俺ならば、最初の一日目へ行くのだ。
けれどそれは、所長が目指した終わりなき"完璧へのループ"に突入するようなものだ。
毎度勝ち続けられるわけでは無い分、所長よりも質が悪い。
「ダメだフタミ。これが限界だ。分かってるだろ? 生きている俺らが二人いたら、所長はああなる。それをお前は、満足する結果が得られるまで退け続けられると思うか? これが俺達の起こせる、最大級の奇跡だ」
俺がそう言うと、皆も頷く。
俺が別世界のフタミだということについて、もうヨミに隠す必要も無い。
だが、きっとヨミも知っていたのだろう。
さして驚く様子も無く、フタミの事をジッと見ていた。
そのヨミの右手は、何故か拳銃が収められたホルスターの目の前にある。
「それでも俺がナムや、ゴウや、ムクを、助けられるかもしれない」
その言葉に、シズリがそっと反論する。
「兄様……その話を口に出すのは、ルール違反です。ナンセンスです……」
この世界のフタミとシズリもまた、あの日のやり取りを越えている二人なのだ。
「それに、今回のあの様子を見る限りじゃ、初日に戻った時点で所長は本気を出してきます。まだ皆に認知されていない状態で何も知らないフタミくんと、急に現れたフタミくんと、危機感や戦闘力がここまで揃ってない私達で、何とか出来るッスか?」
ヒナさえも、フタミのその行為を止めようとする。
もしかすると、九十三番目の世界のヒナも、俺が初日に戻ると言えば似たようなことを言ったのかもしれない。
「だったらコイツで!」
そう言ってフタミは興奮しながらポケットから黒の薬液が入った注射器を取り出す。
考える事は、やはり同じだ。彼もまた、あの部屋で黒の薬液を見つけ隠し持っていたのだろう。
――希望に向かう為に、俺達はやはり、同じ事をしようとする。
だが、その瞬間、銃声と共に注射器は弾け、薬液が床に滴り落ちる。
ヨミは、おそらくこの展開を読んでいたのだ。俺は気付かなかったが、いつもフタミを気にしていた……と考えるのは我ながら少し照れくさいが、ヨミはフタミが注射器を拾ったのを見ていたのかもしれない。
だからこそ、ホルスターに手をかけていた。
「おにーさん……、もう、いいんです」
ヨミの、小さくも、悲痛な叫びだった。ポタポタと滴る黒の薬液を眺めながら、フタミは膝を付く。そんなフタミにヨミは近づき、思い切り抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫ですよ。頑張った、頑張ったんです私達。だからもう、頑張らなくていいんです」
その言葉を聞いたのを最後に、俺は全員に目で合図をし、全員でフタミとヨミの二人から距離を取った。
此処から先の二人の話を聞くのは、無粋だ。
だが、ヒナだけは一瞬だけその場に残り、フタミに白い薬液の入った注射器を手渡していた。
「そうか。ヨミはこっちでもノッカー化が進んでたか」
離れた俺達の元に戻ってきたヒナに話しかけると、ヒナはコクリと頷く。
「私はともかく、あの子はまだ間に合いますしね」
抱きしめ合いながら何かを話し合っている二人を見ながら、ヒナは冷静に今後についてを話し始める。
「とはいえ、本当にどーしましょうか。キューさん、これからの事、考えてます?」
ヒナがあっけらかんとした声でこちらの顔を覗き込む。
「まぁ、お前と二人っきりなのは間違いないだろうな……」
俺は少し遠くで交わされている口付けから目をそらしつつ、答える。
「わー…………」
「むぅ…………」
「はぁ…………」
三者三様のため息混じりの声は聞かない振りをした。
自分の事とはいえ、他人だからこそ少しだけ考えてしまう。もしかしたら、今何とも言えない声を出していた彼女達があそこにいる、そういう未来も、あったのかもしれない。けれど、白の注射器が無事ヨミに使われているのを見て、俺は胸をなでおろした。
ヒナのみが気まずそうに咳払いをして、話を続ける。
「えっと、簡単に言えば、私がこっからすぐに出られないのは間違い無いッス。だってノッカーであり、兵器なわけですから、そもそもノッカーであるという事が分かり次第、おそらく警備システムか、もしくは外の世界の人間によってヤラれます。だから此処から出られるのは……」
ヒナはチラリと周りと見る、シズリがそれについては諦めたような顔でいる中、ヒナの顔は意外と明るかった。
「キューさん、私、フタミくん以外の全員ッスね」
その言葉に、シズリから驚きの声が上がる。
「え……、でも私もノッカーに……」
シズリはそう言うが、ヒナは首を振る。
「厳密にはノッカーなんかじゃないッスよ。ノッカーの力を改造によって手に入れた人間って立ち位置になるはずッス。だから、その身体の遺伝子自体は進化特殊例のまま、大人しくしていれば殺害対象とはみなされないはず。自分からノッカーの肉食ったりしました?」
そう言うと、シズリはブンブンと横に首を振る。
「なら良かった。限りなくノッカーに近い人間って言えば良いんですかね。危ういレベルですけど、シズリちゃんは大丈夫。ナナミちゃんもまぁ、ノッカーではないですしね」
ナナミは何とも言えない表情で笑っているが、それはあまり明るい物ではなかった。
「俺と、フタミと、ヒナ」
俺がそう呟くと、丁度後ろから情事というには些細すぎるやり取りを終えた二人の恋人がこちらへ歩いてくる。
「悪い。俺の我儘だったよ」
そう、素直に謝ってくるフタミに、皆がそれぞれに首を横に振った。
「しょーがないッスよ。どうせ、九十三番目がこの状況ならキューさんもこんな我儘言ったでしょ?」
きっと、そうだっただろう。
それで、諦めたかどうか、分からない。
だから、完璧を目指し続ける賭けを諦めて、未来を選んだフタミに、俺はポケットに入れたままのイレギュラーをプレゼントすることにした。
「正解だよ。お前は俺よりも、ちゃんとしてる」
俺は、フタミに軽い抱擁を求めると、フタミも少し照れながらそれを返してくる。
「だから、その力はもう、いらないよな?」
そう言って、俺はポケットに潜めていた、薬品庫でのイレギュラー、白い薬液の入った注射器をフタミの首元に刺しこみ、薬液を注入した。
「お前が黒を隠し持ってるってんなら、俺が白を持ってても、おかしかねーだろよ」
その途端に、フタミの身体から力が抜ける。
それを支えるように、俺はフタミの身体を地面に寝かせた。
「お前は、ヨミに使わなかったのか?」
フタミは自分にされた事について、理解したらしく、少々忌々しそうに俺に告げる。
「俺も使ったよ。だから、俺の世界ではこの施設にヒナがひとりぼっちだ。けど、こっちの世界では所長の部屋に一本だけ残ってるのが見えたんだ。だからそいつを使った……あっちにもあったらな」
そういうと、フタミは横になったまま笑う。
「お人好しにも、程があるんじゃないか?」
少しずつ、ノッカーの力が身体から消え去っていくようで、フタミの身体から威圧感が消えていく。
「未来を選んだお前への、プレゼントだよ」
そう言って、もう一度フタミとの会話相手をヨミにバトンタッチして、俺はヒナの隣まで戻る。
「悪いなヒナ、お前に使えばお前が出られたのに、愛に勝たせちゃったよ」
いつか言った言葉と同じような言葉をヒナに伝えると、ヒナは同じような返事と共に笑う。
「野暮ッスよ。別に良いんス、待つのには慣れてますし。それにまぁ、今度は一人じゃないんでしょ?」
ヒナは一瞬だけ俺の手を握ろうとして、首をブンブンと横に振った。
「危ねッス……、キューさんもヨミちゃんでしたもんね。思わずキュンとする所でした。どちらにせよまぁ、私は郁花ちゃんとくっついて欲しかったんスけどねぇ」
そう言いながら、遠い目をするヒナ。
そして、幾度と無く繰り返されるフタミとヨミの抱擁に次ぐ抱擁と、甘い言葉がいい加減鬱陶しいので、俺は解散を指示する。
「ほら! じゃあ出られる"ヤツら"は出ろ出ろ!」
そう言うと、フタミもどうやらノッカー遺伝子は消えた物の、立てる程の力は戻ってきたようでヨミに肩を貸してもらいながら立ち上がる。
そして、ゼロが一般フロアまでの扉の端末を操作すると、俺がまだ知らない外の世界への扉が開いた。
「じゃ、後はよろしくッス。私らも、まぁよろしくやるんで! いや変な意味じゃなしに!」
笑うヒナに、ゼロが名残惜しそうな顔をしているのが見えた。
「いつか! 迎えに来るからね!」
そう言うゼロに、ヒナは手を振って返事をする。
「浮気はー! ダメだぞー!!」
そう言うナナミに、俺は足元にあった瓦礫を軽く投げてやる。
その瓦礫をシズリが受け止め、それを彼女はポケットにしまうと丁寧にこちらに頭を上げた。
そして、ヨミがこちらを振り返らずに、叫ぶ。
「おにーさん!」
それは、フタミへの言葉ではない。
――間違いなく、俺への言葉だった。
「向こうの私も、ちゃんと今みたいに、幸せでしたか? ちゃんと納得して、おにーさんをこっちに送りましたか?」
大きな声で、何とも答えづらい事を聞く。
――やっぱり、この子には敵わない。
そうして皆も、俺の言葉を、全員で待っているようだった。
フタミも、こちらを振り返りながら、少しだけニヤついている。
だから俺は、それに胸を張って答えた。
「ああ! 俺をしっかり送り出してくれる、最高の恋人だったよ!」
俺は、九十三番目の世界のヨミが最後に俺の腕に結んでくれた布を思い切り掲げて返事をする。
その布が何の布だったということは、おそらくヨミもとっくに気付いていたようで、笑ってそのマントを振ってみせた。
幸せだったかどうかについては、何も言えなかった。
けれど、こちらのヨミを納得させるには、それだけで良かった。
一般フロアへの扉が閉まる。
俺が望んだハッピーエンドに到達したのだ。
「あはは、行っちゃいましたね」
ヒナが笑いながら、両手をパンと叩いて、黒い空間を目の前に出した。
「一応言っときますけど、行きたいとこ、あります?」
俺はその言葉に首を横に振ると、ヒナは「ですよねー」と笑ってその黒い空間を閉じた。
「次の世界は、もう無い。これで、実験は終わったんだよ」
そう言って、俺は壁にもたれて座った。
「そう……ですね。これ以上は無いんだって、私も今はそう思ってます」
ヒナも、俺の隣に座る。
「しばらく休んだら、まずは掃除だな」
「きっと、残党もいますしねぇ。どうします? すごい強いのいたら」
ヒナはククッと笑いながら、楽しそうに伸ばした足をバタバタさせている。
「大丈夫だろ。だって、俺達だからな」
そう言うと、俺達は二人で声を出して笑った。
「なんだかんだ。実験、成功しましたしね」
終わったのだ。
全て終わった。
けれど、生きている限り、俺達にも未来がある。
だから、前を向くのだ。
だって俺達は、この歪で狂った実験での、数少ない成功例なのだから。




