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RE:DAYS6 -9- 『ヒーローは、アンタだけじゃない』

 その咆哮は、地を揺らし、壁を揺らす。

 部屋中の戸棚に張られたガラスが割れて、中身の注射器が床に散らばっていく。


 咆哮の音量は大きすぎて感覚の青を使えなくさせる程だったが、もう青は必要無い。俺が振り下ろす青き刃の先にいる化け物が、この刀で斬るべき最後の獲物だ。


 思い切り左足を踏み込み、所長に横薙ぎを食らわせようとするが、それを所長は安々と受け止める。


――流石にもう、単純な斬撃では簡単には断ち斬れない。

 ならばと思い、一歩後ろに引いた瞬間に所長の腕が迫る。

 それを眼前でイスルギで受け止めるが、この刃を以てして、所長の腕を切り裂くのは不可能だという事を瞬時に理解した。


 何故なら所長のその腕は、刃とぶつかり合っていて尚こちらの方に力を込めているからだ。

 "失敗作"以外のあらゆるノッカーを斬り捨てて来たこのイスルギが、単なる腕に力負けをしていた。


 俺は一気に所長の腕にイスルギを押し込み、その反動で距離を取るが、それは所長を押し飛ばしたわけではなく、俺が所長の腕を使って距離をとっただけの話だ。


――斬撃が効かないならば、刺し貫くのみ。


 だがそれもまた、近接戦闘に於いてはギャンブルに他ならない。

 イスルギで所長を刺し貫く力さえ無く、もしその刃が一般フロア前のホールでのフタミのイスルギのように折れてしまったとしたら、その瞬間に所長の腕は俺の頭を吹き飛ばす。

 

 だから、何度も何度もこう使うのは悪いと思いながらも、俺はイスルギを横に振る要領で、振り切る瞬間にイスルギから手を離す、足元へと飛ぶイスルギは、何とか上手く所長の足元を床に固定させていた。

「少し、止まってろ!」

 ヤツはおそらく身体を硬化させる事も出来るはずだ。であれば流石に足を狙われるとは思っていなかったという事もあるのかもしれない。


「っっばーん!!」

 その隙にヒナがその指から熱線を放つが、それもまた硬化した彼の皮膚にはダメージが与えられていないようだった。九十三番目の世界の様にいかないという事は間違い無い。

 ただ、ヒナの後ろに無傷のゼロがいるという事だけが、救いだ。彼女は必死に書き換えられていっている彼のデータをデバイスで確認しているようだ。

 ゼロは、じっと所長の目を見つめていた。


 だが、今回の所長はもう破れかぶれを選んだのだ。だからゼロという耐性を食らう必要は、無い。

 全てを破壊し尽くす理性なき化け物に、戻れない場所に行く事を選んだのだ。

 それは同時に、やはりこの施設から出す訳にはいかない理由にもなる。


 イレギュラーだらけだ、イレギュラーだらけだが、それは何も、全てが不幸だというわけではない。

 

 俺がイスルギを投げつける前に考えていた事は、床に散らばった黒の薬液でのドーピングだ。その兆候は、ホールで黒の薬液が落ちてきた時から感じていた。

 そして、俺は所長の足元に散らばる注射器を拾う為に駆け出したのと同時に、その中に白い輝きを探す。


――白の薬液が、まだ残っている。

 あの世界では有り得なかった事。もしあったならば、向こうのヒナも幸せになってほしい。


 それに気付いた瞬間に俺は、思わずその白い輝きに手を伸ばす。

 だが、所長は地面に刺さったイスルギを刺さった地面ごと引き抜き、俺の頭上を踏みつけようとしてくる。

「これはお前にはいらねえだろうが!!」

 俺は所長の振りあげた足が落ちてくる瞬間に、右手をその爪ごと掲げ、所長の足を俺の脳天の手前で受け止める。

 

 イレギュラーは確実に存在している。

 転がり落ちた注射器に手を伸ばそうとするフタミをさっきゼロが止めたばかりだ。

 ギリギリで回避出来た地獄。だが、ギリギリで救われる可能性だって、転がっている。

 俺はすぐさま床に落ちていた白い注射器を拾い上げ、ポケットにしまい込むと、同時に床に散らばった黒い薬液のうちの一つを手に取り、自分の太ももへと突き刺した。

「白は俺もいらない。でもこっちは、俺が貰う。生憎俺のピークはとっくに越えてるんだ。だから一本くらいは、フェアだよな?」


 久しぶりに身体に流れ込んでいく、薬液の感覚。それは、懐かしいようで、愛おしい程に"痛かった"

 もう俺は人間ではないということを、思い出させるような、遺伝子の躍動。


 痛みというものを忘れて久しい気すらしていた。

 傷の認識、生命の危機の理解は出来る。

 現に、さっきフタミにそれを気付かされたくらいだ。

 けれど、俺にとってもう、痛みや苦しみへの恐怖などは、無い。

 この薬液は、体の中から、俺を無理やり次のステップへ押しあげていく。

 

――けれどそうか、これは心の痛みか。

 俺の心はまだ、生きている。


「ズルくて悪いな、親父」

 俺は右手の爪で所長の足に突き刺したまま、思い切り所長の身体を左側に揺らす。

 投げ飛ばすのは、流石に無理だったが、所長は一瞬バランスを崩し、地鳴りのような音を立てながらその地に立ち直る。

 その衝撃で、足に刺さったままのイスルギは折れ、刃の先がそこらに転がっているのが見えた。

 チラリとヒナを見るが、自分の攻撃はほぼ通用しないであろうことを理解したのか、攻めあぐねているのが見える。

 おそらくは所長との追いかけっこの時点で気付いていたのだろう。


 所長にとってはおそらく、追いかけてくるのはヒナでなくとも良かったのだ。

 所長の目的は、もはや九十三番目の世界で所長を殺した俺を殺すということに変わっていたのだろう。


 だから、俺が追いかけてくればそれだけで良かったのだ。

 もし、俺が追いかけて来なかったとしても、結果は同じ。

 追いかけて来た者を殺していけば、俺に辿り着くだけの話。


 だから、追いかけたのがヒナで良かったとも思った。

 そして、そのヒナを追いかけることを託してくれたシズリとナナミ、そしてフタミとヨミの事が、本当の仲間のように思えて、有難かった。


 だけれど、俺の仲間達はもう。


 それでも、お前の仲間達はまだ。


 この世界で死んだのは、所長という一人の狂人、敗北をあまりにも恐れた男の心だけだ。それは、少しだけ哀れにも思えた。

 俺の覚えている親父は、善人だったのだ。彼は、その研究結果に何を望んだだろう。きっと、誰かを救うというその一心で、身を粉にして働いていたのだ。

 働くという言葉も少し違うかもしれない、彼が彼の望んだヒーローになる為の、努力だったのだ。

 

 けれど、それを踏みにじられてしまった。彼にとって、その傷は永遠に残ってしまう物だったのだろう、だから繰り返した。

 努力を折られ、心を踏みにじられ、完膚無きまでの理不尽な敗北。


 それは、彼の心を狂わせるのに充分だったのだ。

 そして、その狂気を刺激するのに充分な理由が、此処に存在する俺だ。


 これは、俺が存在した事で生まれた九十四番目の世界の危機だ。

 放っておけば、全滅もあり得る程の、驚異。


 俺の世界の所長は、まだその理性にすがって、狂気を抱いたまま人間であろうとした。けれど、この世界の所長はもう、狂気そのものに成り下がった。


「……責任重大。だから、俺が止めなきゃな」

 俺はそう言いながら両腕の爪を出し、所長へと一歩踏み出そうとした瞬間、今言い放ったばかりの俺の声が、後ろからも聞こえた。


「アンタだけじゃない。"俺達"で、止めるんだよ」


 それらの存在に気付かなかったのは、感覚の青を切っていたせいだ。

 けれど、俺の背中に届いたその声が、振り返らずとも一人の男の存在を示す。


 けれど、所長の足元へ一直線に伸びた冷気の線が、振り返らずとも一人の少女の存在を示す。


 その冷気により凍った足元をすぐさま溶かす所長に対して、ヤツの水浸しの足元を走る雷撃が、振り返らずとも一人の少女の存在を示す。


 鳴り響く銃声が、振り返らずとも、一人の少女の存在を、示す。


「間に合った!」

 そのヒナの声で、俺は確信した。


――全員が、此処にいる。


 所長はシズリが放ったその電撃により動きを止め、ヨミによって撃ち込まれた数発の銃弾によって、その身体に異常をきたしていた。

「ヒナちゃん! 目!」

 ゼロが指を銃に見立てながら、その指に光を溜め込んで、撃ち込む。

「「っばーん!」」

 即座に声と動作を合わせて、ゼロとヒナの放った熱線により所長は目を撃ち抜かれ、狼狽える。

 進化の限界に辿り着いている所長に、もうヨミの銃弾は毒でしか無い事が、今更になって分かる。


 ならば危なかった。

何故なら俺も、進化としては限界に近づいている実感があり、更にヨミの銃弾を握り潰しさえしていたのだから。今気付かなければヨミに撃たれる事を望んでいたかもしれない。


「俺達の世界だ。ヒーローは、アンタだけじゃない」

 そう言って、フタミが俺の横へ立ち並んだ。

 その手には、折れたままのイスルギが握られている。

 フタミは床に落ちたイスルギを見て、笑う。

「なんだ、アンタのも折れちゃったのか。"アイツ"に悪いな」

 けれど、その笑みは決して悲しみを帯びた物ではない。

「でもいいさ。これが終われば"アイツ"だって望んでた、大団円だろ?」

 フタミは寂しげに、だけれど静かに笑いながら、俺の先へ、所長の方へと歩み寄る。

 所長への恐怖など無いような素振りで、その力への恐怖など知らぬ素振りで、歩を進める。

 その姿を見て、彼もまた、気付かずとも、この世界でのヒーローなのだと、思い知った。ならば俺も、ヒーローだったのだろうか。


 俺が知らぬうちにソレになりたかったように、彼も、彼の道を歩んでいる。

 それは俺とは別の、彼なりの道ではあるが、その一歩は力強い。


 その一歩に遅れないように、俺もフタミに続く。

「折れていたって、貫けるさ。だって、お前は俺だろ?」

 俺はそう呟いてフタミの前に飛び出し、雷撃を振り払って前に飛び出ようとした所長の両腕に、両拳を当て、爪を突き刺す。

 所長の口が大きく開き、俺の肩へ噛み付こうとするが、その口内へ、二つの熱線が飛び込む。


「「っっっっばーん!!」」

 その熱線によって、所長から俺への攻撃は止まり、一瞬の隙が出来る。 

 その隙に、一発ずつ、所長の腕を銃弾が貫いた。

 

 進化の限界を越えた所長の腕は即座に変異を始め、その硬化していたはずの両腕がグニャリと脈打ち暴れだす。その蠢いている両手のうち、左手をフタミが折れたイスルギで斬り落とし、所長の咆哮が響き渡った。


 硬化が消えた事により、斬撃でも斬り落とせたのだろう。

 そして、俺も同時に、右手の爪を思い切り横へと薙ぎ払い、所長の右手も地面に落ちた。

 

 俺の爪がイスルギ程の力を持っているかは未知数ではあったが、俺の利き手が右手だということを、フタミもまた理解していたのだろう。

 だからこそ彼は左手へ斬撃を行ったのだと思うと、やはり彼も俺のことを理解している。俺だから当然ではあるのだが、それがやはり、どうしても嬉しい。

 

 両腕を失ったと同時に自由になる所長は、その足で俺を蹴り飛ばそうとするが、その足はナナミの左手から伝った冷気による氷によって封じられていた。


「この面倒な両手でもさ。無くちゃ消せない、でしょ?」

 その面倒な両手を持っているナナミが、得意げな顔で笑う。


 咆哮が、より強く部屋を揺らす。思わず数人が耳を塞いでいるのが見えた。

 それは、所長の心の叫びだろうか。それとももう、心など微塵も残っていないのだろうか。

 だが、その声はまるで、悲しんでいるように、苦しんでいるように聞こえた。

「ありがとな、エボル現象のヒーロー」

 俺は呟いて、所長の足に刺したままの折れたイスルギを引き抜く。


 俺は……俺達は彼を見逃すわけにはいかない。

 勝利を、正解を、諦めるわけにはいかない。

「でもそんな姿は、俺達の前だけにしといてくれ」

 フタミもまた、呟きながら折れたイスルギを振りかぶる。

 そうして、俺達は、所長の脳天を、貫いた。


 咆哮が、消える。


 所長の体から、力が抜けていき、少しずつ身体が小さくなっていく。全員が、何とも言えない表情でそれを見守っていた。


 そのうちに、カラン、と二本の折れたイスルギが、人型のノッカーから落ちる。

 まるで風船を無理やり膨らませていたような感覚を覚える。

 進化の果ても、終わってしまえばただの人型ノッカー、元はただの、人だったのだ。


 俺は折れた二本のイスルギを拾い上げて、一本をフタミに渡しながら、小さく安堵の溜息をついた。

「助かった。俺だけじゃ、無理だった」

 俺は振り返り、皆に礼を言う。だが、その言葉に被せるように、フタミが皆を代表して口を開いた。

「でも、俺達だけでも、無理だったんだろ?」

 俺は小さく頷くが、おそらくは俺がいなくても、九十三番目の世界のように所長に勝利はしていたのだろう。

 けれど、おそらくこの部屋で胸を撫で下ろした人間の数は少なかった事は間違い無い。


 だから、これは思えば大きな賭けだったのだということに気付く。

 安易に、戻ってきてしまったのだ。

 何もかもを捨ててしまった俺が犠牲になれば、全て何とかなると思い込んでいた。

 

 けれど、実際はどうだっただろう。

 俺の知らない事ばかりが起きていて、俺と、そしてまた皆がいたからこその勝利だったのだ。

 

「ありがとな」

 フタミが、小さい声で俺に呟いた。

 そして、その目に宿る意思に、俺は覚えがある。

 けれど、それに言及するのは、今はやめることにした。


 ふと、息絶えた所長の方を向くと、ナナミが所長の前に立ち、炎陣を作っているのが見えた。所長にトドメを刺す時の俺の言葉を聞いて、思い立ったのかもしれない。

「確かに、ヒーロー……一応これでも世界を救った人なんです。特効薬は、この施設からちゃんと配られた……はずなんですから」

 事実として、所長が狂う前に、この施設から世界へエボル現象への特効薬は配られていたのだ。

 その後の現実が彼を狂わせただけ、長期スリープで俺達が眠っていた間に起きた出来事が、彼を狂わせただけなのだ。

 だから、それをより強く知っているナナミは、狂ってしまっていたとしても彼を弔う事を考えたのだろう。

 これは、俺がいた九十三番目の世界では想像も出来なかった光景だ。


「皆さんが嫌でなければ、良いですか?」

 その言葉に、全員が首を縦に振る。

 それを確認すると同時に、業火が所長を包む。


 チラリと隣のフタミを見ると、目が合った。

 その表情は少し泣きそうな、悲しい顔をしていた。

 きっと俺も、そんな顔をしていたのだろう。

 

 そう思いながら、消えていく、一人のヒーローの成れの果てを、俺達は見守っていた。

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