RE:DAYS6 -8- 『アンタも含めて、生き延びるんだからな』
九十三番目の世界の時には、この時点でもう俺とヨミ、そしてヒナとゼロの四人だったパーティー。
だが、今この九十四番目の世界では、六人全員の生存と、それに俺を加えた七人のパーティーへと変わっていた。
俺はその事に何度もホッとしながら、目の前に時折現れる逆手で持ったイスルギと拳から出た爪で斬り伏せていく。
ヒナのナビゲートに従って進んではいるが、それは皆の為でもある。
俺自身、もう既に医療フロアを移動するのは五、六回目になるはずなのである程度の地形は覚えていたが、それでもこのフロアは道が分かりにくい。
居住フロアとは違い、何度も三叉路や十字路があるからか、迷路のようにも思えてくる。とはいえ、行き止まりが無いことだけが救いなのかもしれないが。
居住フロアよりもだいぶ広い廊下に、適度に配置されたガラス張りで向こうが見える部屋の数々。そのガラスの殆どは割られ、そして残るは動かぬノッカーのみ。
「なぁヒナ、フロア前までに、薬品庫って通るか?」
「そうっスねー、ほらそこ」
そう言われると目の前には因縁の薬品庫があった。
そこから俺はイスルギを鞘から抜いて、進む方向にその刀身で傷をつけながら走る。
「トチ狂ったか?」
「パンくず撒いてんだよ!」
フタミに思わず突っ込まれるが、俺はこの線を知っている。刀で作られたわけでは無かったが、命を懸けた『パンくず』だった事を覚えていた。
そのままヒナのナビゲートに従って進むと、まだ記憶にも新しい広いホールが視界に入った。それと同時に、気を引き締める。
――ここでも、一人の生命の可能性が潰えたのだ。
「みんな! あそこが目的地ッス!」
ヒナがそう言うと同時に、俺はいっそう駆ける速度を上げ、一足先にホールの中へ駆け込んだ。そして、イスルギを上へと掲げる。
――思った通りに、天井が軋む。
だが、念の為に走らせていた感覚の青から、違和感が走る。
「待て! 皆ホールに入るな!」
違和感の正体、それは軋む音が天井の一部だけではなく、複数の場所から聞こえたのだ。つまり、俺が知らない展開。
――今回アイツは、一体では、無い。
慌てて俺は叫んだが、俺の真後ろにいたヒナとフタミだけは間に合わずホールの中へ足を踏み入れてしまっていた。
それと同時に、ホール入口の天井が崩れ、パーティーが分断される。瓦礫と共に落ちてきたのは、あの時の巨大なノッカー。それも、瓦礫は部屋中の天井から落ちてきている。それも、巨大なノッカーと同時に。
「話と違うじゃないッスか……」
ヒナは焦りながらも入り口の瓦礫の隙間から廊下にいる他の皆が無事なのを確認してからぼやく。
「あの時は一体だけだったんだ。なんだか、難易度上げてるみたいで悪い気すらしてきた」
そう言いながら、俺はイスルギを地面に一旦突き刺し、入り口の瓦礫を裏拳で吹き飛ばす。
そして青を走らせた瞬間に、俺がいつもポケットに忍ばせていた嫌な物が瓦礫と一緒に落ちてくるのを見た。
――巨大ノッカーと共に落ちて来た薬液の色は、赤でも、青でも、緑でも、ない。
これは、答え合わせだ。この、不自然に巨大化したノッカーが、どうして人としての形を失ったかという答え。
――だからもう一度、その力は、使ってくれるなよ。フタミ
心の中で叫ぶ。咄嗟の事でフタミはまだ気付いていないようだった。
アレを彼に使われるわけにはいかない、状況が違う今、わざわざ教えて注意を逸らすわけにもいかない。
「ヒナ、ホールを制圧するまで後ろを頼む。あいつがおそらく、所長のはずだ」
そして、俺は今まさに廊下の天井を突き破り飛び出そうとしていた"俺のよく知るあのノッカー"に向けて、今までに無い程の渾身の力を以てイスルギを投げつける。あわよくば仕留めたいと思っていたくらいだった。
だが、俺が投げたイスルギは空中で所長の腕を貫き、そのまま所長を壁へと張り付けにしたものの、所長はニヤニヤと笑いながらイスルギの刃に沿ってその腕を引き下ろし、悠々とこちらへ歩いてきていた。
慌ててナナミが氷壁を張ろうとするが、その氷壁を所長は即座に炎で掻き消す。
――この前はそんなの、なかったじゃないか。
それは、前の世界では知らないだけだったのだろうか。
それとも、前の世界ではいらないだけだったのだろうか。
俺には分からない、何も分からないが、やるしかない。
「俺の知ってる所長じゃない! ヒナ! 時間稼ぎ、頼むぞ!」
そう言って、俺は一人で巨大ノッカーの群れで孤軍奮闘しているフタミの元へ駆ける。
持って数分か、ヒナとはいえ何をしてくるか分からない所長と長い間対峙させるのは不安だ。
それにホールの方も、フタミ対多数で、この状況はまずい。
流石に、天井から降りてきた巨大な体躯のノッカーだと、一撃一殺というわけにはいかない。それも、そこそこのスピードを持つその巨大ノッカーは五体、俺が戦った時の五倍の数がいる。
だからこそ、フタミが地面に落ちているその注射器へと飛び出した瞬間に、即座にまずいと思った。
彼は俺だ。だからきっと、こんな時に黒の薬液を見つけてしまっては、やることなんて、決まっている。
――俺は、俺達は壊れないけれど、お前を壊させちゃ、いけない。
だが、それを止めるには、距離が離れすぎている。
これを打破するには、その方法が正しい事も事実だったが、この場に俺が要るということも、もうフタミは頭から抜け落ちているのだろう。俺がこの状況に陥っていたって、そうだ。
何故なら結局、フタミが気付く前に、その薬液を手に取る前に止める事が出来なかった。
――だけれど、イレギュラーは起こるのだ。
この瞬間では口を塞がれていたはずの、パンくずを撒いた健気な少女の、強い叫び声が聞こえる。
「フタミさん! それは駄目!!」
所長の確認が済んでこちらを気にしてくれていたのだろう、ゼロが叫ぶ。
そう、止められるなら、彼女しかいない。
そうしてきっと、その言葉はヨミが言うよりもずっと効くのだ。
――だって俺が三原色を身体に宿すきっかけを作ったのは、彼女だったから。
それを責めようと思った事なんて一つもない。
だけれどきっと、俺は彼女の為に躊躇う。
彼女が、そして彼が、それを心に刻んでいてくれていて、助かった。
そして、彼女が叫び、彼がその言葉を聞いて、一瞬立ち止まってくれて、助かった。
ゼロの言葉を聞いて薬液へと走るを使うのを躊躇ったフタミが、巨大ノッカーから距離を取るのと同時に、俺はフタミの目の前にいた一体の巨大ノッカーの首元に、右拳から突き出した四本の爪を思い切り差し込む。
「悪いな。俺もこの展開は初めてなんだ……でも、俺を忘れんじゃねえぞ! お前まで俺になっちまったら、誰がヨミを幸せにすんだよ馬鹿野郎!」
俺はフタミを怒鳴りながら拳の爪を全力で下に降ろすと、ノッカーの首から下に四本の線が出来ると同時に、このフロアに現れた五体の内の一体の生命の消滅を感じ取った。
――残り、四体。
だが、その直後に感覚の青が首元に近付く風圧を感じる。
防御は間に合わない事を悟り、身体で受ける事を意識し、首元を変異させ硬化させた瞬間、その風圧はバキィッという音と共に消える。
振り返るとそれは、フタミが巨大ノッカーの硬い爪をイスルギで受け止めた音だった。
そして、そのイスルギの刃はその一撃の重さで折れてしまっていた。
フタミはその折れてしまったイスルギを俺の首元を狙った巨大ノッカーの腹部に強引に差し込み、柄ごと蹴り飛ばす。
「なぁ、アンタは首を跳ねられても平気なのか? 勝手に死んで、踏み止まったことを後悔させるなよ?」
フタミは、ノッカーの死骸で潰れた注射器を一瞥してから、俺を睨む。
そうして、やっと俺は今の巨大ノッカーの一撃が、ノッカーとしての俺の生命すら奪う可能性のある、致死の一撃だったということに気付く。イスルギすら、折れたのだ。
「アンタも含めて、生き延びるんだからな」
してやられた。所長にも、ノッカーにも、そしてフタミにも。
さっきフタミに言った事を、そのまま返されてしまった。
周りが見えないのは、つまり俺も同じだったという事だ。
「……悪い。助かった」
助けに来た側が助けられていては、元も子も無いじゃないか。
だが俺が素直に礼を言うと、フタミはまんざらでも無さそうに笑って倒れたままの巨大ノッカーの腹部から折れたイスルギを引き抜き、そのまま巨大ノッカーを絶命に至らせた。
――残り、三体。
「いや、お互い様だろ。けどその代わりと言っちゃなんだけど、残り三体の内二体は……」
折れて、ノッカーの体液で赤く染まったイスルギを何とも言えない顔で見ながら、フタミは呟きかける。だが、俺はそれを制して、前に出た。
「いいや、ヤツらは全部俺がやる。元々ノッカーとは拳でやり合ってたんだ。お前はヒナの援護に……」
俺がそう言うと同時に、真後ろから氷壁と電撃が走った。
そこに銃声が鳴り響き、一体の巨大ノッカーが倒れ込み、動かなくなる。
――残り、二体。
「あぁ、二体で良くなった」
だが、俺のその提案も、後ろから聞こえた声によって却下される。
「いいえ、むしろキューさんが向こうに行くのが正解です。ほら、ヒナさんとゼロさんはもう行っちゃいましたよ」
シズリが一体の巨大ノッカーをその速度で翻弄しながら、俺に呼びかける。
「ここは私達だけで十分です。それに、貴方は救いに来たんでしょう? だったら一番大事な局面にいなくちゃナンセンス……」
シズリは俺達に近寄ると、前から迫りくる巨大ノッカー二体に電撃を浴びせ、その動きを止める。そして、後ろからやってきたナナミが氷でノッカーの足元を凍りつかせた。
「そうそう、ナンセンスだよー。減点しちゃうぞ!」
ゼロを狙っているであろう所長を守りながら、ヒナは後退しているようだ。むしろ薬品庫に追い詰められているという方が正しいかもしれない。
護衛対象のゼロ、そしてそれを守る力があるヒナという布陣は適切だが、心許ないと言えば心許ない。
「私はお二人に、一度ずつ救われましたから、満足ですよ。だから先にどうぞ。死にはしません、ですよね? お兄様」
彼女はそう言って、フタミに笑いかける。
その提案にフタミが頷いた後に、シズリは俺の目を真っ直ぐに見て、頷いた。
「パンくずも、あるしな」
そう言ってフタミも笑って、イスルギを静かに床に置いて、肩を回した。
「すぐ、追いつきますから! 待っていてください!」
ヨミの笑顔に押されるように、俺は廊下の方を振り向いた。
「ヒナさんは所長と一緒に廊下の先です。まだ、貴方の力なら感覚の外に出ていないはず。だから、皆をお願いします」
シズリが、勝率の女神がそう言うのであれば、俺はそれに従う他無い。
「……分かった。こっちは、任せろ。ヨミを……、皆を守れよ」
俺は、この世界での自分自身にそう告げる。
この世界の皆もまた、覚悟を胸に秘めた、戦いに挑む者なのだ。
此処にいない二人以外の全員が俺を見ているのが分かる。
だから、俺は皆を信じ、無言で頷き、廊下へ向かって駆け出す。
その途中で、ハイタッチを求めてきたナナミの平常運転を少しだけ微笑ましく思いながら、思い切り強いハイタッチをして俺は駆けながら感覚の青を走らせる。
そして、所長に投げて壁に刺さったままのイスルギを引き抜き、青と共に疾走する。
目的地は、いつものあの薬品庫だ。
感覚の青は、研ぎ澄まされている。
だが、身体に悪寒が走り、駆ける速度は自然と上がっていく。
ヒナならば、大丈夫だという過信があった。
俺ならば、大丈夫だというもっと強い過信があった。
そんな力への過信を、今さっき改めたばかりなのだ。
氷壁が、俺の進路を邪魔している。
まるで、俺が追いかけてくることを知っていたかのように張られ続けている氷壁。
こんな芸当、前の所長ではしなかったというのに、世界が違えば使ってくる小細工も変わるということなのだろうか。
まるで、ナナミの力をそのまま取り込んだような力だ。
俺はその氷壁を打ち砕きながら、自分でつけたパンくずを辿り、所長とヒナの元へと急ぐ。そして、辿り着いた最後の一枚の仕切り、ドアを渾身の力で叩き破ると、ヒナと対峙する所長がいた。
ヒナは、まだ無事だ。だが、肩で息をしており、致命傷では無いものの、傷は見える。死の可能性は感じないが、劣勢だということは見て取れた。
所長が、俺の姿を見て嘲笑う。その姿は、前の世界で見た姿とは、また違う姿だ。
こんな短期間で、こんな進化をしたなど、考えられることではない。
「ノックにしては、強すぎるんじゃあないか? ノッカーくん」
俺に対するその余裕で、俺が前の世界で対峙してきた所長と違うのはすぐに分かった。
本来は、彼にとってイレギュラーであるはずの俺の存在を、いともたやすく受け止めている。
「ノックしたつもりはねえよ。お前に払う敬意なんて、一つもない」
所長は、俺の言葉を聞きながらクククと嘲笑い、ギラついた目でこちらを見ている。
その両手には、右に炎と、左に冷気、そしてその周りには電撃すら纏っていた。
そしてその指の一本一本が煌めいている。
所長が変わらずノッカーだということは、間違いない。
けれど、こいつは、俺が対峙した九十三番目の所長など、比にならない程に、進化している。それもそのはずで、所長の足元には、何本もの注射器の空が見えた。
「僕はねぇ、一度だって負けを認めるわけにはいかない。だからお前が来た時に、絶望を見たんだよ、深い深い深い、不快な、絶望をね」
もう既に、所長の口調は豹変していた。
そして、こいつは、自身の敗北を理解している。
「僕を、殺したな? レイジ」
俺が現れた時点で、他の世界を渡り歩いていた彼は自身の敗北を知ったのだろう。だとしても、この男の放つ威圧感の説明にはならない。明らかに、進化が進んでいる。
「心なんてものがあるから、負けるんだよ、な?」
所長はそう言いながら、自分の首元に、黒い薬液の入った注射器を数本まとめて刺した。
それを止める間も無く、黒い薬液は所長のその身体へと注入されていき、所長からうめき声が漏れる。
そして、そのうめき声と共に、言葉から理性が消えていく。
――限界を、越えている。
耐性を壊して、人としての理性を捨てて、彼は限界を、越えていく。
「ボクの、心と、ヒキカエに……」
所長の身体が、変貌していく。人の身体を保っていたその四肢が、顔が、全てが、変貌していく。殺すための、力を示す為だけの、化け物へと、進化していく。
「死ンデモラう」
所長は、とうとうその理性を捨てた。
敗北という現実が、彼の心を完全に壊したのだ。
そこでやっと気付く、彼が求めていたのは、きっと勝利ではない。
敗北の回避こそが、彼が求めた物だった。
だからこそ、何度も何度もやり直した。
――今の俺と、同じように。
だからこそ、俺の存在そのものが、敗北という事実が、彼の理性を砕いたのだ。
俺がそれに気付いた時にはもう、目の前の化け物の心は、消えているようだった。
叫び声が、木霊する。
力が、咆哮する。
成れの果ての、果ての、果ての、果ての、果てへ。
悪の権化だとしても、何百年という時間を使って、何十回という世界を渡り歩いて、狂気に犯されながらも、理性に手を伸ばしていた男が、壊れた瞬間だった。




