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DAYS6 -5- 『サービスです。愛してますよ』

 ナナミを見送った俺は、西廊下の入り口でその様子を眺めていたヨミに視線を送る。もう少しで夜も明けるのかもしれないが、それでも良い。


 俺達にとって、暗い暗い夜が明ける。

最後の訪問者は、今までの誰よりも恐る恐る、まるで|死刑囚が死刑台まで歩く《デッドマンウォーキング》かのように、俺の前へと辿り着いた。誰よりも怖いのだろう、けれどその気持ちは俺もきっと同じだ。彼女の元へ行くのなら、同じように歩いてしまう。


「隣……いいですか?」

「ああ、待ってた」


 今の俺として目覚めて、初めて出会ったのがヨミだった。


 最初が彼女なら、最後も彼女なのだ。

 ナナミは馬鹿を装ってはいるが、結局のところ誰よりも真面目で、そうして少し余計で、それでも間違いなく粋な事をする。

 

 今夜は、生き残りのメンバーが一人ずつ、俺の隣に座った。

 だけれど最後のヨミだけが俺の右側に腰を下ろした事を、俺は少しだけ不思議に思う。

 だが、人間の温度を左手に感じた事で、そちら側に座った意味に気付き、俺は思わず一人で小さく笑った。


 まだ、人間の手のままの左手に温度を感じながら、互いに何も言わず、数分が経った。

 幸せな沈黙だったように思える。


 どうしてそれが幸せだと感じるのかという事に、未だにちゃんと向き合った事が無かった。俺は、この少女に恋でもしているのだろうかとも考えたが、そういう感覚とも違う気がしていた。違うと思い込もうとしていたのかもしれない。


 だが、こうやってゆっくりと、こんな事を考えられるのはきっと今が最後かもしれない。だからこそ、初めて俺の右側に座り、俺の手を握ったまま口を硬く結んでいる少女の事を考える。


 ナムの遺志を引き継いでからは、ひたすら庇護すべき対象として、見ていた気がするのだ。けれど、よく考えてみれば、それはきっと無理やり刷り込んだ使命の物だったような気もする。とはいっても、その使命は未だに胸の奥で蒼く燃えている。


 俺がヨミに惹かれても、それを振りほどこうとしていた理由の一つはきっとソレだったのだ。だけれどもう、ハッキリと分かってしまったのだ。

 俺が記憶を失う前のような人間にならなかったのも、最初にこの子に出会ったお陰で、今此処で二人でいられるのも、この子のお陰。


――その感情は、感謝だけではない。


「ありがとな、ヨミ」

 俺はあえて、幸せな沈黙を破る。

 話しておかなきゃいけないことがあるから、彼女も此処に来て、俺も此処にいるのだ。

「いーーえ、なーんてことないですよ。嬉しいですか? これ」

 俺の左手に繋いだヨミの右手を、彼女は笑いながら空いた左手でポンポンと叩く。

 その時に、少しだけ身体こちらに寄せられて、ドキっとする自分がいた。

 俺はそんなことを言うヨミに笑いかけ、天井に向けて、長い息を吐いた。


――その感情は、使命感だけなんかじゃ、ない。


 色恋について考えられる程、俺達は幸せな環境にはいない。

 ともすれば、その愛や恋についてなら、気付かずにいた方がマシかもしれないのだ。


――何故なら、後ほんの少しで、最愛の人を亡くすかもしれないのだから。


 それでも、それでもと、俺はヨミの右手を少しだけ強く掴んだ。

 ヨミは一瞬その身体をビクつかせたが、後は心地よさそうに、その軽い痛みの上を浮いているようだった。ヨミが身体をこちらに寄せて、抱きつくように俺の胸元に頭を乗せる、優しい胸の痛み。


 悲しくも、心地良い、痛みだった。

 俺は、この子は、此処にいるのだ。

 明日はともかく、数時間後はともかく、此処にいるのだ。


 それを確かめ合うように、無言で手を握り合う。


「俺さ、思い出したよ」

 ヒナに思い出させられた後に、第一に誰もに告白した、最初の一言を俺はヨミにも切り出す。


 するとヨミは、俺の言葉に表情も変えずに、告白で返してきた。

「そうですか……ん、じゃあ昔の私も、おにーさんのこと好きでした?」


 ヨミの右手に力が籠もる。

 思わず彼女の顔を見ようとしたが、俺の胸に顔を埋め、その表情は見えなかった。

 真っ赤な耳だけが、彼女の感情を示している。

 その大胆な行為と裏腹な動きに、思わず俺は笑ってしまった。


「多分、好きだったかもなあ。唯一、モテてたな。なんでだか、分からないけど」

 記憶を辿ると、何故かそんな言葉が出ていた。だが、事実だったように思える。ヨミは改めて俺の胸にグリグリと強く頭を埋める。というよりももう軽い頭突きのようになっている。


――俺のモテ期は、死地で来るのか。 

 

 嬉しく無いと言えば嘘にはなるが、この状況じゃ、どうしようもない。それでも、ヨミに対する想いの力が、更に増した気がした。


「あ、はは……。なんでですかね? お兄さんすっごーーいイケメンとかってわけじゃあないじゃないですか、格好はいいですけど……。でも、ほんと、なんでだろ。好きなんです、どうしてか好きになっちゃったんですよmね、おにーさ……貴方、の事が」

 俺の名前を呼ぼうとしたのだろう、だが勿論記憶が無い彼女は口ごもる。覚えていないというのが、少しだけ悲しい。


 もう一度俺の事を好きになってくれたのに、俺のことを忘れてしまっている彼女を想って、そうしてもう一度俺を好きになれたのに、俺のことを呼べない彼女を想った。

 

「二見、二見零示(フタミレイジ)だよ。改めて、よろしくな。えっと……」

 

 ヨミの本当の名前、葛原栞(くずはらしおり)――(しおり)、とは呼べなかった。覚えてはいたが、ノッカー化が少しでも見られた彼女には、尚更言えない。

 けれど、シズリを『シーちゃん』と呼んでいたのは昔の記憶が朧げでも残っていたのかもしれないなと思った。栞という名前も、あだ名として呼ぶなら『シーちゃん』と呼ばれるのが無難なところだ。

 だから実験が始まる前は、ヨミがシズリの事をシズちゃんと呼んで、逆にヨミ自身の事を皆が『シーちゃん』と呼んでいた。

「へへ、私の名前、覚えてて迷ってる。でも、思い出したら危ないかもですしヨミでいいですよ。それに、私は二十三番さん――おにーさんを好きになった四十三番――ヨミなんですから」

 もう、ヨミの顔の紅潮はおさまり、俺の顔を真っ直ぐに見つめていた。変わらず、俺の左手にはぬくもりがある。


「ほんのちょっと前の事なのに、懐かしいですよねえ」

 確かに、出会ってからほんの数日だった。だけれど、人生の内容は、その過ごした時間の量ではなく、密度なのだということを思い知った。

 

 俺達はもう、まるで何年も一緒に過ごしたような、そんな気がする。


「あぁ、あっという間だった……強くなったよな、俺達」

 俺がヨミに語りかける度に、俺は左手に力を込める。


「へへー、でもま! ぴーちゃんのお陰ですけどね。ピースメーカー……世界平和の為に、頑張りましょって事で!」

 ヨミが俺に語りかける度に、ヨミは俺の左手に力を込める。

 

 心臓が、一拍動く度にその血液を体中に循環させていくかのように、想いがお互いの手を伝わっていく。ゆっくりと、ゆっくりと、言葉と共に俺達はお互いの存在を握りしめる。


「ねーねー、おにーさんは結局誰が好きだったんです? ナムちゃん? でもナナミちゃんも怪しいしー、でも個人的にはゼロちゃんが一番かな! あ、シズリちゃんを選ぶのは、犯罪ですからね!」

 俺に対してあんな告白をしておきながら、自分のことを棚にあげるあたり、この子の可愛い所だ。


 ヨミのその観察眼は間違ってはいない。

 もし記憶を失った俺が最初に出会った人がゼロであれば、ゼロの事を気になっていたかもしれないとは思った。けれど、彼女に俺が救えたかは、分からない。だがそれでも、彼女の事を思い出すと、仄かな想いが浮かんで消えた。あの子もまた、純粋な良い子だったのを、覚えている。


 ナナミは、バカだけど、嫌いじゃない。きっと、こんな状況でなければ、友達として、そしていつか……ということだってあり得たかもしれない。、まぁ尤も、元は俺が少し憧れていた、髭が似合うダンディなおじさん事、九条さんだったわけだけれど。

 

 ナムは、分かり合う為の時間があまりにも少なすぎた。あの容姿には見とれたし、その想いの強さには心を打たれた。けれど、俺にとってのナムは、師匠という気持ちが強い。

 俺よりもずっと若かった彼女だが、もし俺がこれから生き延びられたとして、彼女の為の墓が出来たならば、真っ先に参りに行きたい。親の墓は、作るつもり無い。

 

 今の俺を形作ったのは、ヨミとナムの二人だということは、間違いないのだ。


 シズリも、愛や恋とは別の何かで繋がってしまっている。いつか、お互いが自分自身を許し会える未来があれば、共に歩く未来もあるかもしれないが、それはきっと俺では無いのだろうと思った。


 そしてヨミの話にも出なかったヒナは、戦友としか見る事が出来ない。けれど彼女は、多くを語らない。それだけの話だ。

 その多くを知った時に、俺は彼女をどう捉えるのか、それを確認するための時間は今はもう無い。

 けれどきっと、同じノッカーになった物同士、分かり会えるとは思った。


 そう考えていくと、俺は最悪な化け物に囲まれながらも最高の女性達に囲まれた時間を送っていたのだなと気付いた。

 

――恋愛感情を抱いたのは一人でも、俺はちゃんと、誰ものことを心から好きだったのだ。


 だからこそ、ナナミが言っていた生命の序列について、考えたくなかった。俺が訂正した部分は、あくまであの場をおさめる為で、事実なだけだ。だがナナミが言いたかった事が実質一つだけなのは気付いていた。


 "何かあれば私を犠牲にしろ"


 彼女が俺に伝えたかったのはその一点のみなのだ。だから、何も言えずに、ただ生き残る事だけを宣言して、その背中を見送った。


 ナナミは、俺達を守るために、自分を犠牲にする覚悟が出来ている。俺は、それを否定するエゴを持つ事が出来なかった。


 そうして、皆の事を考えた後、最後に一人、隣にいる少女が残る。

 これは、消去法では無い。


 俺が選んだ、答えなのだ。


「俺が好きなのはさ」


 ヨミが、ゴクリと唾を飲む音が聞こえる。記憶を思い出した瞬間から、ナナミがこのホールに皆を一人ずつ呼び出した事が分かった瞬間から、いつか来るかもしれないこの問いには、もう答えが出ていた。


「皆だよ」

 これは、あまりにも、非情な逃げ。希望すら、与えてあげられない。


 あまりの不甲斐なさに、俺は俺を今すぐ殺してやりたい。けれど、夢を持ったまま死地に向かわせてしまうなんて事を、俺はさせたくないのだ。


――俺が、ヨミを愛してしまうわけには、いかない。


 ヨミが身体を震わせているが、彼女の右手から伝わってくる。

 俺はその右手をギュッと握って、本当に言うべき言葉を続ける。


「でも、それは本当で、少し嘘。もし、全部終わったら、答え合わせをしよう」

 ヨミの震えが止まり、お互いの力が、その手に集まる。


「……ズルいですよ」

 ヨミが呟く。

「ちょっと、答えを待ってくれませんか? の方が良かったか?」

 そうおどけると、ヨミは空いた左手で、思い切り俺の頬をつねる。

 

 そして彼女は、その赤くなった俺の頬に、軽い口づけをした。

「A判定だと思っておきます。ま、受験なんてしたことないですけど! でももしこれで、思わせぶりを続けただけだったら、撃ち殺しちゃいますからね!」

 随分と物騒な事を言って、今しがた俺の頬にキスしたことなど、少しも気に市内素振りでヨミは立ち上がった。だが、その顔は真っ赤だ。

 じっとその顔を見ると、ヨミはやけくそと言わんばかりに、俺の膝の上にあったシーツを俺の顔をに思い切りかぶせた。


 それと同時に、唇に柔らかな感触が伝わる。

 シーツの向こうは、真っ白で何も見えない。

 けれど、小さい声だけが、俺の耳に届いた。


「これは乙女のサービスです。愛してますよ、れーじさん。その理由は、全部終わるまでに考えて置きます。楽しみは後に取っておかなきゃ、だから、お互い生き延びましょうね」


 そう言って、彼女の温度は俺から離れ、駆け足が聞こえた。

 俺が毛布を自分の顔から剥ぎ取ると、もうそこにはヨミの姿は無かった。


 恋する少女は、きっと強い。

 けれど、愛する男は、もっと強い。


 これで、全員の想いが、俺に宿った。


――俺は、生きなければいけない。


 俺に力を見た彼女の為に。

 俺に救いを見た彼女の為に。

 俺に希望を見た彼女の為に。

 俺に未来を見た彼女、もとい彼の為に。

 俺に恋をした彼女の為に。


「大丈夫だよ皆、俺も覚悟は、出来てる」


 約束の時間まで後数時間。

 目を瞑って、思いを馳せる。

 眠る必要などはもう無い。

 

 ただ、俺はこの数時間で触れ合った全ての人たちとの、少し冷たくて、それでいて残酷で、それでも温かい言葉のやり取りを、時間の残る限り反芻していたかった。

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