DAYS6 -4- 『まさかここにきて惚気とはね!』
ゼロと入れ替わりでこちらに近づいて来るナナミ。
そのすれ違いざまに二人は小さく手を上げて、バトンタッチなのか、ハイタッチなのか分からなかったが、手を合わせて小さな音を立てていた。
――さあ、最後の休息を徹底的に邪魔してくれた演出家様とのご対面だ。
俺が全ての記憶を取り戻しても、唯一未だに名前すら分からない金髪碧眼の改造少女を目の前に、俺はまずは毛布を横に置き立ち上がって、その頭を軽くチョップした。
どうせ避けられるくらいの身体能力はあるだろうに、ナナミは俺のチョップをあえて真剣白刃取りしようとしている。
それにわざと失敗して、脳天にチョップが到達するまでお約束なのだろうと思っていると、案の定俺の軽いチョップはナナミの頭に当たり、「アイター!」と無邪気なリアクションを取っている。それこそが彼女の美点だとも思った。百点満点のリアクションだ。
少女のように見えたが、よく見ると最初の印象よりも少しだけ大人びて見えた。それは、彼女がこの数日の戦いで得たものなのかもしれない。
ただ、元々男だったという事実だけで、何とも言えない残念さが漂っている。可愛らしいというのは、本当なのだが彼女なりの夢だったのだろう。だが、せっかくだから聞いておきたいことではあった。
だから、頭を抑えて痛がる素振りをするナナミに、俺は記憶を思い出してもどうしてもわからなかった事を一つ聞く。
「なぁナナミ。結局お前は、誰だ?」
その瞬間、少しだけ場の空気が冷えた気がした。それは彼女の左手の力に寄るものではなく、その阿呆らしい笑顔からの表情の移り変わりによる、切り替えによるものだったのだと思う。
流石に彼女も冷や汗をかくのだなと思いながら、言葉を待つ。
「あはー……、思い出しちゃった感じですか」
ナナミは声のトーンを落として、溜息混じりに笑う。
「あぁ、お前が用意してくれた最初の一人目に、ズドンとやられた。それで思い出したんだよ。元々《《七十三番の部屋は、空き室だ》》」
たった一つだけ、使われていない部屋があったのだから、よく記憶に残ってる。だが、その事について全ての記憶を保持しているヒナもシズリも、ゼロでさえ言及してこなかったのだ。
ならば何らかの理由はあるはず、有利に働くからこその理由があるはず、そもそもナナミはこの部屋をどうやって自分の物にしたのかもわからない。部屋を与えられていないなら彼女は少なくとも被験者では無いはずだ。だからこの事を聞くのは無粋な事だというのは、分かっていた。
けれど、ナナミという存在のアクの強さと、そうかと思えば雲のように消える雰囲気が、どうしても気がかりで仕方無かったのだ。
「んーっとー…………でもまぁ、思い出しちゃったらしょうがないよね」
冷めた声のトーンが少しだけ元に戻ったことに安心し、俺は今まで座っていた壁際に腰を降ろす。するとナナミは俺の膝の上に座ろうとして、俺はそれを手で押し避ける。
「流石に、もう見られて許せる行為ではないぞ」
失言だとは思っても、減点されたとしても、言うべき言葉だと思った。
「ほらでも、私の中では今は女の子ですし? 男としての自覚も勿論忘れちゃいないんですけどねー」
ほら、やっぱり。そうなると次の相手に見られるのも問題であるし、男を膝に乗せているという絵面も中々に問題だ。
面倒だったのでグイと彼女の手を引っ張り、無理やり隣に座らせた。どうしてか、ナナミだけは雑に扱ってもいいような、そんな気がするのは、彼女が元男だと言い張るからなのか、それとも、彼女のその性格故なのか。それでも俺にとって彼女は、気安く心を許せる友人のような存在だった。
「もう、お兄さんは強引だなあ」
珍しく困り眉のまま俺の隣に座ったナナミに毛布を渡そうとするが、断られる。
「もう、いらないってばー。感覚無いの忘れてる? お兄さんもでしょ?」
だが、彼女は毛布を持っている俺の手がもう既に義手になっている右手だったことに気付き、少し驚いてから、笑顔を隠しきれないような顔のまま俺にツッコミを入れる。
「わっ、わっ。えっ? 分かりつつの気遣い? お、お兄さんどうしちゃったの……。ここに来てレディ扱いはちょっと! ポイントが高すぎますって!!」
――やめれば良かった。
教えられてきた加点方式を考えると、意味の無い義手で渡した方が、意味の無い彼女の身体にとって対等であると考えた末の行動だったのだが、なんともポイントが高すぎたようだ。バランスが難しい。俺は彼女の百点を取る気は無い、彼女は俺の百点なのかもしれないが、言ってしまえば俺の中での二百点の存在もいる。
でも、あの冷たい空気感よりはずっとマシではあった。あらかた喜びを表現し終わってから、ナナミは一息ついて自分の事を話し始める。
「じゃーホントの事を言うけど、怒らないでね。私はこの施設の、というより居住フロアに常駐していた素敵な職員さんでした。元男なのはほーんと、七十二番には分かってて飛び込んだ。だからこれは職権乱用。記憶無いってのもね、嘘。というよりも一番最初に所長と敵対したのは私なんだ」
常駐していた職員と言えば……。
「お前、九条さんかよ……」
名前を呟いた瞬間に、結構強めの肘鉄が隣から飛んできた。
「二度と言わない!! 私は可愛いナナミちゃん! 今後、絶対に思い出さない事! そして誰にも言わない事、みーーーーんな知らない振りしてくれてるんだから!」
――九条七希さん。
俺よりもダンディなお兄さんだった記憶がある。口調は多少雑だったが、優しい人で、関わりこそ多くは無かったが、好いている人は多かった気がする。シズリ――雪代の三人は特に懐いていた記憶があった。
少しだけ、その立ち振る舞いに男として憧れていたくらいだったのに。
残念、至極残念ではあるが……。
この金髪碧眼の綺麗な姿、喋りすぎなせいでせっかくの綺麗なのに少し勿体無い使い方をしてしまっているけれど、綺麗な声。女の子そのもののような性格を見た後ではもう、何も言えない。
「はぁ……九条さんも格好良かったんだけどな……」
そう言うとナナミは少しだけ引き気味の表情を浮かべ、ほんの少し俺から距離を取った。
「えぇ……お兄さん……。男の頃の私の方が好みだったってのはそれはそれで……」
勘違いをする"フリ"をする隣のバカの"フリ"が得意な彼女を、元々そこそこ年上だったことも無視して隣に引っ張り寄せる。
「強引ですねえ……、冗談なのに」
少しだけ笑いながらまた距離を詰める、今度は詰め過ぎなくらいに。俺の肩に自分の肩をつけ、秘密を隠すことを諦めたように、朗らかに話を続ける。
「この施設で最初に目が覚めたのは、ヒナさんか私でしょうね。所長は私に皆を守りつつ、それでいて全滅させないように戦うバランサーの役割をさせたかったみたいでした。特にお兄さんとゼロちゃんについては、絶対に殺すなっていうお話で。そんでヒナさんは言う事聞かないから五十年を含め最後の部屋開きまで幽閉。
私は来るべき時まで自由行動、暇だったんでたっぷり時間をかけて理想の美少女になってから、ぐっすり数十年。そして所謂最初の"部屋開き"が私でした」
ナナミはとても簡単そうに言うが、その話が本当だとすると彼女は、所長の命令の元に動いている。それはつまり、俺達と敵対しているという事にもなる。
だが、俺が警戒している事を知ってか知らずか、ナナミは笑いながら話を続ける。
「私より、ヒナさんの方が圧倒的に強いんですけどね。だからこそ私が自由にされちゃったのかなぁ……。ただ、私もバカじゃないんで、部屋開きするまで所長に従った振りをして、部屋が開いたらすぐにバランサーの役目なんて放棄しちゃいました、何がバランスだって話ですよ。人体改造で生き抜いた私が言うのは皮肉ですけれど、生きるべきは努力によって己を高めた真っ当な人間です。ノッカーみたいな化け物でも、私のようなズルした存在でもない。だから、私は私の想いに従って、所長とは袂を分かつ事にしたわけです」
その言葉を聞いて、俺はホッとする。 そんな俺の肩にナナミは頭をもたれさせた。 少々うっとおしかったが、俺は無言でそれを受け入れ、そのまま話を続けさせる。
「私はねぇお兄さん。生かす事だけを目的に、生きてきたんです。へへ、所長もばっかでー。私があんな部屋にいるのを許すもんだから、私の事は制御出来ずに、まんまとここまで追い詰められちゃったという事ですねー。その代わりにまぁ、私も自分を制御出来ずに、もうボロボロになっちゃいましたけどー」
ナナミは両手を前に出して軽く握っては開くのを繰り返しながらぼんやりと呟く。その手はもう、何度も何度も作り変えられた義手で、その身体はもう、何度も何度も死ぬはずだった義体だ。
「でもまぁ、良いんです。私は、頑張りましたよ。褒められる為にやったわけじゃないけど、やれることはやりました。だからお兄さん、誰にも言われなかったと思いますから私から言います」
その視線は、鋭く、けれどとても悲しい顔だった。
「全員で生きて終わるハッピーエンドは、きっと夢です。信じるのは自由ですよ、素晴らしい事だと思います。そして、きっとそれを、皆信じていると思います。だけれど、お兄さんは決断を間違わないでください。今、この施設に生き残っている人達の生死には序列があるということを、絶対に忘れないで」
あまりにも、ひどい言葉だと思った。これが『生かす為に生きてきた』と言った人間の言葉なのかとも思った。けれど、俺が考えまいとしていた、事実そのものな事にも、間違い無かった。
「俺とゼロが、一番……上か」
俺が小さく呟くと、ナナミは首を横に振る。
「いいえ、お兄さんが一番上です。ゼロちゃんは二番目、ゼロちゃんが食べられる分には、所長には耐性が付くだけですから、強くなれる為の幅が増えるだけ。でもお兄さんが所長に乗り変わられたり食われたりしたら終わりですね。寿命を伸ばされて逃げられたら私達にはどうしようもありません。すぐにその状態のお兄さんもしくは所長を誰かが殺せるなら別ですが、出来なければ餓死した後のゼロちゃんを食べられて、終わり」
つまりナナミは、誰を犠牲にしてでも、俺は俺の生命を優先しろと、そう言っているのだ。
「そこから下の序列は、聞かないからな」
少し睨みを効かせて言うと、彼女はそれをものともせず、ナナミは序列をつらつらと言い続ける。
「そういうわけにはいかないんですよ。決断を鈍らせるわけにはいかないんです。だからせめて、私を含めた数人だけの、状況だけでも把握してください」
――止めろと言うのが、俺の逃げなんだろうな。
そう思いながら、ナナミの声に耳を塞ぎたいと思いながらも、俺は目だけを閉じ、現実を耳で受け止める。
「シーちゃんは……、今なら戦力になりますが、危なければ守るべきです。だから三番目はシーちゃんでしょうね。戦力が減るのは問題ですし。その点で言えば私はもう限界が近いですから四番目、次の改造は無理でしょうね。戦力にならなければ捨て置いてください。私がそれを望んでいますから、もし私がヘマしたら、放っておいてくださいね。五番目は……言えません」
――違うんだ、二番目はそもそもゼロじゃ、無い。
一番目を俺とするならば、二番目は、そこに立っている、彼女だ。
「ヨミちゃん……ッ!」
ナナミはそう言うと、慌てて立ち上がる。その視線の先には、最後の訪問者がいた。
「うん、ヨミちゃんとは……、お兄さんが話し合って決めてください。私の中では、戦力として生きるべき序列があります。けれど、お兄さんとヨミちゃんは、私の夢ですから、何も言わずに行きます」
全員生き残るなんてのは夢だと吐き捨てたナナミが、俺を見て小さく笑う。
「なら、ナナミのその夢は正解だよ。だって俺の序列から言えば、二番目は、あの子なんだから」
「……その心は?」
ナナミが神妙そうな顔で聞く、戦力で言えば、確かにヨミだけが純粋な人間で、武器こそ強い物の、序列としては低いだろう。
「俺が序列の一番であるなら、俺が俺でいる為に、彼女が必要だからだよ」
そう言うと、ナナミの目が見開いて、俺とヨミを交互に見る。
「あーあ……なんだ。もうそんなの、愛じゃんか!」
言われても仕方がない、だけれど事実として、俺が戦う為には、ヨミが必要な事は間違い無い事なのだから。それを愛と呼ぶかは、置いておくとしても。
「あー! いいなー! 愛じゃんか!!」なんて事をナナミはヨミにも聞こえるくらいの大声で言いながら、ナナミはヨミが来た方向と逆の方向の廊下に歩き出した。その背中を、不意に追いかけたい衝動に駆られるが、今夜の話し相手の、最後の一人が待っている。
それに、ナナミは俺が彼女を呼び止めるのを望んでいない。
だから、一言だけ、声をかけた。
「安心してくれ、絶対に死なない」
俺がそう言うと、ナナミは一瞬立ち止まった後に、こちらに背を向けたまま頷いて、東廊下に消えていった。
「はいはい、満点満点……まさかここにきて惚気とはね!、ナナミちゃんもびっくりですよ!」
そう言って、ナナミはその姿とは似あわない男らしい歩き方で廊下の奥へと消えていった。不思議な子だ。だけれどきっと、誰よりも誰かを想って、悔しさや悲しみを受け止めながら生きてきたのだ。
そんな彼女の言葉は、俺にとってはまるで、辛い事があった時に親友と馬鹿話でもして、そうして励まされたような、そんな感覚すら感じていた。




