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DAYS6 -3- 『ここから、出ましょうね』

 俺の元を去ったシズリを眺めていると東廊下の入り口で一旦立ち止まり、図書館のドアをコンコンとノックする。

 そして、そのまま一度こっちを向いて笑いながら、いたずらっ子のように走り去ると、そのドアからゼロが顔を出した。


 どうせ皆で順繰りに俺と話をするように、ナナミあたりが提案したんだろうな。なんて事を思いながら、どうして俺なのだろうと思って、小さく溜息を付く。

 だが、仲間みんな良い子だ。話せるなら俺自身も嬉しく思う。


 いつものように困った笑顔を浮かべながらこちらに歩み寄るゼロの目を見て、俺もまた似たように苦笑しながら肩をすくめた。

 こちらに近づいてくるゼロに俺の隣を進めると、笑顔を少しはにかませてゼロは俺の隣に座ろうとする。その場所に、先ほどゼロにもらった毛布を敷くと、ゼロは首を振って毛布を持ち上げそのまま地べたに座った。

 そして、彼女は自分の膝の上にその毛布をかけて、少しだけこちら側の膝にも毛布をかけなおしてから、こちらを見て笑う。

 

 ゼロ――萩原郁花(ハギワライクカ)は、こういう少女だった。

今はもう見た目こそ少女では無いが、それにしたって、はからずも愛おしくなるような素振りをする、魅力を持った女性だった。


 おそらく、こんな仕草は彼女にとっての当たり前で、計算などはしていないのだろう。純粋に優しく、慈愛に満ちた子なのだ。

 だが、それと同時に、悪というものを知らない。それだというのに、今から向かうべくは巨悪。

 それを受け入れて、人体まで改造をする覚悟を持った彼女から感じるのはもう優しさだけではいように思える。


 この子の心は、きっと好意そのもので出来ているのだ。けれど、それが愛だの恋だのと勘違いするほどに、俺は軽率ではない。ただ、もしこの世界が殺伐とした現状で無かったなら、俺は彼女に恋をしていたのかもしれないとも思った。

 

「考えたのは、ナナミか?」

 まずは、こちらから会話のジャブを打ってみる。この連続した面談を仕組んだ犯人を、後でとっちめてやらないとなという軽い意地悪な気持ちも芽生えていた。

 どうせ、出会った順番の逆から、なんていう気が利いているのかなんなのかわからない順番で仕組んでいることは、ヒナからシズリが来て、ゼロが来た時点で想像が付いていた。部屋の位置的には面倒にはなるが、ノック以外を合図にして待っている子もいるのだろう。

 ということは、ゼロの次に来るであろうお調子者に、軽い喝を入れてあげなければいけない。


 ゼロは相変わらず、癖になっている軽い苦笑を浮かべながら「あはは……」と笑う。それはもう、肯定のようなもので、俺もそれ以上は何も追求しないことにした。

「ひなさ……、いや、これはそのままでも良いのか。雛崎にやられたよ。全部思い出した」

 俺がそう言うと、ゼロの顔がパアっと明るくなった。

「ホントですかっ! フタミさん、思い出したんですか!?」

 自分の事のように、やけに嬉しそうで、珍しく――というよりも見たことのないようなテンションのゼロを見て少し驚く。ただ、なんとなく俺は彼女の事をゼロと呼んであげたかったし、勿論間違っても記憶を取り戻さない為に、本当の名前を呼ぶわけにもいかなかった。残念でならない。


「じゃあ私の事だとか、フタミさんの名前も思い出しました?」

 隣にいながらその体格差で自然と上目遣いをしながら聞いてくるゼロに、妙に色気を感じたが、これはテンションによって頬が紅潮しているだけだろう。ドキリとしたのは気の所為だ。計算外だと思いながら、俺はその質問に答える。

「あぁ……、だから"ゼロ"だったんだな。"レイ"じゃ、俺らの名前が被っちゃうもんな」

 そう言うと、ゼロは物凄い勢いで首を縦に振る。いつも見ているゼロとは別人のようなテンションの上がり方で、俺はやはり少し面を食らってしまう。

「そうです! そうですよお!! 私、すごい緊張したんですから!! 名前呼ぶわけにもいかないのに"レイ"はどうだなんて!」

 ゼロは膝にかけた毛布をパン、パンと軽く叩く。その仕草が妙に年齢にそぐわなく見えて、可愛らしくも見えた。改めて、不思議な子だと思った。


「あぁ、そうだよな」

 俺は急に昔のゼロを思い出すと同時に、呟いてしまう。

「意外と、子供っぽかったんだ」

 

 そう言った途端に、ゼロの顔がテンションではなく恥ずかしさのような紅潮していくのが見える。そして、毛布をもう一度強めにポンと叩いて、軽く舞うホコリを払い除けてからゼロは捲し立て始める。

「フータミさん!! そこはお互い様、お互い様だと思います! フタミさんだってどれだけ雰囲気が変わったかと思ってるんですか!」

 確かに、思い出にあるゼロ――郁花(イクカ)も、今隣に座っているゼロも雰囲気が多少違うが、そう言われてしまえば何とも言えなくなってしまう。

 俺は、明らかに別人と思われても仕方の無いくらいに思考が変化している。そこは確かに、お互い様なのかもしれない。


 だが、彼女の素のような姿が見られて、思い出せたのは単純に嬉しい気がした。


「あぁ……。名前を呼べないのが、歯がゆいな」

「でしょう?! 私だってそうだったんですから!」

 紅潮した顔で、食い気味に俺の言葉に反応するゼロが本当に子供っぽくて、落ち着けという意思も込めて、俺はゼロの頭をポンと優しく一度だけ撫でた。

 シズリのように、しっかりと撫でるのは照れくさかった。シズリであれば思考は大分成熟しているものの、まだ見た目だけで言えば子供だ。


 けれど、ゼロはその子供らしさを多少は持っているにせよ、シズリよりは何歳も年上の女性だ。まだ記憶が戻っていない頃に、廊下でつい頭を撫でてしまった事が未だに恥ずかしい。


 そんなこと、長期スリープのに入る前でもしていただろうか。


――していた。


「んん……。性格はだいぶ違うのに、そういうとこ変わってないの、ズルいですよね……」

 ゼロは困ったように俺の手を一旦持ち上げ、俺の膝の上に戻す。その仕草や言葉について、考えることはやめた。


「あの時の俺は俺で、頑張ってたんだと思う。それにゼロも、そうだったんだよな。だからなんだろう。これは、ある意味、親父の代わりでもあるのかもしれない」

 失言をしてしまった気がした。けれど、向き合うべき事だという気持ちが、勝ってしまっていた。


 ゼロは緩んだ顔を引き締め、少しだけ真面目な顔をする。

「代わりでは、無いですよ。所長は、そうですね……、私のお父さんだと思っていました。けれど、フタミさん――零示さんは私のお兄さんだと思っています、今も。だからこれはべっこです、別のお話ですよ。代わりじゃないです、フタミさんの暖かさです」

 不安そうな俺の表情を読み取ったのか、わざわざさっき彼女自身の手で俺の膝に置いた俺の手を、彼女は持ち上げ、もう一度彼女の頭に乗せる。その顔は、やはり紅潮していたが、それを我慢するかのように彼女は声を絞り出す。

「零示さんは、お兄さんですから。今から頑張る私をちゃんと褒めておいてください。一緒に、間違えちゃったお父さんをぶっ飛ばしちゃいましょうね」

 

 ゼロらしからぬ言葉を使ったのは、彼女なりの気遣いだろう。俺は軽く触れていただけだった彼女の頭に少し力を入れてクシャっと髪をかき回すように撫でる。

  それを彼女は、目を瞑ってまるで猫が喉を鳴らすかのように心地よさそうに受け入れた後に、ゆっくりと俺の手を握り、目を見つめた。

「ナナミちゃんには、多分皆感謝してますよ。私だって、きっとこれで、ちゃんと所長と向き合えますから。だからあんまり怒らないであげてくださいね?」

 

 元々ゼロは、子供っぽくて、気弱な子だった。それが、まるで何かに覚醒するかのように、芯のある女性に変わっていた。それはこの限界状況に於ける変化なのだろうか。

 

 元々、身体能力は高かったし、人間同士のコミュニケーション能力も低くはなかった。よく驚いてしまう癖は昔からだったけれど。

 

「私の名前、知っているんですよね?」

 真っ直ぐな目は、強さを宿している。そして、覚悟が、目の奥でギラギラと燃えている。


 諦めなど、微塵も感じさせない。

 それがこの、萩原郁花(ハギワライクカ)という女性の、一番の美徳だと思った。


 彼女は心の底から皆を信じている。

 未だに諦めを知ろうとせずにいる。

 悪を、悪しき物だと認めずにいる。

 善を、善き物と信じてきっている。


 その全ては彼女の尺度に過ぎない。けれどその尺度の全てが、綺麗なバランスを保っている。天秤は、正しく傾き、正義を保ち続けている。

 そして、必要以上に悪を憎まず、与えるべき罰も、理解している。

 

 プラスマイナスゼロ、それがこの子に与えられた、ある意味での一番の武器だと思った。


「俺は、大好きな名前だったよ。でも正直"ゼロ"って名前も悪くない」

 俺がゼロに向けて不敵な笑みを送ると、ゼロもそれを受けてニヤっと笑った。少し似合わない意地悪そうな笑み、けれどそれがまた少し可愛らしくて、思わず照れてしまい撫で続けていた手を引っ込めた。

 

 その途端「もうお終いですか?」と言わんばかりの視線を送ってくるが、それを無視して俺は話を変えた。

「俺達二人がキーパーソンだってことは、間違い無い。だから、俺はゼロを守るよ。

 ゼロは……」

 

 俺を守ってくれというのはなんだか違う気がした。何故なら、俺は守られるべき存在ではもう無くなってしまったからだ。散々彼女達に守られてきただけに、何ともその先を言うのがはばかられた。


「私は、私を守ります。零示さんは、生きてください。それだけ、それだけで良いです」


 少し、寂しそうな顔でゼロは告げる。その表情に、一瞬だけゼロの中のバランスが崩れたような気がして、不安を感じた。


――彼女の中に諦観が見えた気がする。

 

 何かを言おうとした俺よりも先に、ゼロは話を続ける。

「大丈夫、二人ともやられなければ私達の勝ちなんです。零示さんがダメなら、私が頑張る。私がダメなら、零示さんが頑張る。それでダメですか?」


――いや、これは諦めではない。


 これは現実を理解した上での最善の提案なのだ。だから、俺はそれに頷く。

「どっちかが大丈夫ならセーフなんて、俺らの方が有利じゃないか」

 有利であっても、どっちかがアウトならば最悪の展開だ。それでもあえて、笑って見せる。だが俺のその笑みは、彼女がよくする苦笑だった。

「そうですよ。だから大丈夫、大丈夫なんですよ」

 向こうもあえて笑って見せてくれるが、ゼロのその笑みも苦笑だ


 勝利への確信でも、諦めでも無い。


 俺達は、特に彼女はただひたすらに希望についてだけを、信じている。それがたとえ、誰かを失った不完全な希望だとしても。


「俺らが世界を救うかも、だなんてな」

「急なスケールの大きさに、私も驚いてます」

 冷静な口調で驚いているなんていう彼女に、思わず笑ってしまった。

「いつもは声上げて、軽くジャンプまでして驚いてる癖にな」

 軽口が、今の俺達には相応しいと思った。

「あ! それ昔っぽい! せっかく最近の零示さんは優しいと思ってたのに! そんなんじゃ女の子に嫌われちゃうんですからね!」

 こんなふざけた会話が、今の俺達には愛おしいと思った。

 

 二人で声を出して笑う。取り留めのない会話を少しした後に、ゼロは自分の膝にかけたままの毛布を、丁寧に俺の方に折り返して俺の膝の上で毛布を二重にする。

「じゃ、そろそろ私は行きます。ゆっくり休んでくださいなんて言ったのに、休ませてあげられなくてごめんなさい。察しているとは思いますが、次は……」

 ゼロがチラリと廊下の方を見ると、こっちを眺めながら手を振るバカがいた。


「あぁ、まぁ一発小突いとくよ……、軽く、軽くな」

 俺とゼロは二人で苦笑しながら、ナナミを見ていた。


 そして、ゼロは俺に背を向けてから、今までで一番真面目な声色で、俺に一番言いたかったであろう言葉を告げる。

「ここから、出ましょうね」


 そう言って、俺の返事を待たずに、ゼロは俺に背を向け去っていく。最後に告げたその言葉は少しだけ震えていて、表情も見えなかった。


 俺はそれが希望の言葉であると良いと願って、彼女の背中を見つめていた。

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