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DAYS6 -2- 『ナンセンスですよ』

 ヒナを見送った後に、少ししてその少し奥の扉が開いたのが見えた。


 まるで訪問する人間を予め決めておいたかと言わんばかりに、入れ替わりにシズリがこちらへ近付いてくる。その顔には真剣な表情が見て取れた。もう怯えも諦観も見えない。

 

 雪代垂(ユキシロシズリ)、昔から俺を兄様だなんて呼んで、慕ってくれていた一人の姉と一人の兄を持つ末っ子。

 背筋を伸ばして、彼女はゆっくりとこちらに歩いてくる。それに俺が手を振ると、シズリも少しはにかみながらこちらに手を振り返してくる。俺の目の前まで歩いてきたシズリに対して、ヒナにもしたように隣にどうぞと視線を送ると彼女はチョコンと俺の隣に座った。


「どうですか、調子は……」

「ああ、なんとか。お互い、なんだかわからないモノになっちゃったな」

 笑いながら言うと、シズリも小さく笑みを溢す。

「化物同士、というか私達はもう純粋な人間の方が少ないんですよね」

 シズリの口から飛び出る『化物』という言葉に少し胸が痛む。優しい彼女には、一番似合わない言葉だと言うのに。


 そして、言われてやっと、もう何の混じりっけのない純粋な人間は、ヨミ一人だけだという事に気付いた。

「強くなる為には、特に……簡単に強くなるためには、失うモノが多すぎますね……」

 シズリは遠い目をして、穴が開いたホールの天井を眺める。


――失うモノ、失う物という意味だろうか、それとも失う者という意味だろうか

 そう考えて、それでも聞くのは野暮だろうと口を噤んだ。 


 おそらく、この子もヒナとは違う意味ではあるが、俺を心配して来てくれたのだろう。元々、優しい子だった事を覚えている。この子を思い出すと、ムクとゴウも一緒に思い出してしまい、申し訳無さで頭を抱えたくなった。


――それが失った者だというならば。

 雪代椋(ユキシロムク)雪代業(ユキシロゴウ)の、彼女の愛しき兄と姉。

あの子達だって、本当に悪い子達では無かったのだ。少しだけ気は強いが面倒見の良いムクに、寡黙で礼儀正しいゴウ、そして気弱だけれど優しいシズリの三つ子は、俺の目から見れば性格こそ違えどお互いを思いやりフォローし合うバランスの良い家族に見えた。


 このホールで少し前に対峙した時のバランスはひどく歪に見えたが、それはこの施設の魔に取り込まれたとしか言いようが無いのだろう。実際の所、どうだったのかは想像の域を出なかったが、それでもこんな施設にいたんじゃ、何が起こっても仕方がない。思い出せば思い出す程、後悔が募るばかりだった。俺は少しだけ頭を振って、話題を変える。


「そういえば俺、思い出したよ」

 シズリがフッと天井からこちらに視線を戻し、俺の顔を見る。

「戻ったって、記憶が……、ですか?」

 俺はそれに静かに頷く。元々シズリは記憶を保持していたから、呼び名に不自由をかけただろう。

 

 ムクは俺を毛嫌いしていたが、シズリとゴウとは良く話した記憶がある。あの頃の俺が彼女達と会話をしようとする理由が、進化の特殊例との接触という目的があった事も、覚えている。

 それに、彼女達は気付いていたのかもしれない。そして、シズリはそれにも気付いていて尚、俺を兄様兄様と、呼び親しんでいてくれたのかもしれないと、今になって思う。


 記憶を失う前の俺は、ひどく愚かで。そして、記憶を失った後の俺も、また別の意味で愚かだった。


 弱い人間が、強さを求め過ぎた結果狂うのか。

 強い人間が、無理やり強くなるのを恐れるか。


 そのどちらも、俺自身からすれば、あまりにも愚かだ。


 なら、記憶を取り戻した俺は、どうだろう。 一度生まれ変わったかのような気分でもあり、元の自分に戻ったような気分でもある。


 けれど、今の俺はきっともうどちらの俺でも無い。もう、少なくとも弱くは無い。求めていた力は皮肉にも手に入っていた。そうして強く、より強く。狂わず、恐れず、惑わず。そんな自分になれている気がしていた。


 親父が俺の部屋に薬液を置いたのは、きっと俺の我儘を、最後に許してくれたのだ。今こうしていられるのがその結果だと思えば、ほんの少しだけありがたくも思った。 

 

 きっと、俺とノッカーが混ざりあったように。 昔の俺と、今の俺も、混ざりあったのだろうから。


 俺は改めてシズリの顔をじっと見て、口を開く。

「最初は兄様なんて不思議な響きだとは思ったけれど、思い出してしまえば、心地良い響きだったんだ」

 俺の顔を見るシズリの目に、涙が浮かぶのが見える。泣かせるつもりなど無かったが、我儘にも言いたい事は山程あった。


 けれど、もう謝らない。

 謝らないから、その山のような言いたい事から、一匙だけを掬ってシズリに伝える。


「頑張ろうな。"シズリちゃん"」


 シズリは、本当に、優しい子だったのだ。化物なんて言葉とは、戦いなんて言葉とは、あまりにも程遠い。ムクとゴウのいさかいを困った顔で止めるような、ゴウの進化に心を痛めて涙するような、そんな子だったのだ。

 

 きっと、それを覚えていたら彼女達と戦う事は出来なかった。だから忘れていた事が、俺の救いだったんだろう。そして、思い出してしまった事が、俺への罰だとすら思った。


 勘の鋭い子だ、俺の言わんとしていることを、そして避けた言葉を、察したのだろう。彼女も、泣かなかった。目尻に浮かんだ涙を、袖で拭った後、三角座りをした自分の膝に顔を埋めた。

「お互い、何も言いっこ無し……ですよね。頑張りましょう、"レイ兄様"」

 シズリは俺の名前の零示からレイを取ってレイ兄様、ゴウはレイ兄さんと呼んでいた。ムクは、何だっただろう。もっと、仲良くしておけば良かったという小さな後悔も、そうしていたら今大きな後悔へと変わっていたのだろう。


「ああ、ここまで来たんだもんな」

 シズリの頭を、静かに撫でる。ごく自然に、いつかのように。彼女も、懐かしむように目を細めた。


 俺達は、謝らない。

 何も知らずに彼女の兄を殺し、彼女の姉を自殺に追い込んだ俺も、何もかも知っていて、姉と共に俺やゼロを殺すのに加担したシズリも、お互いに、謝らない。

 

 ただ此処に生きて名前を呼び合えている事だけが、紛れもないただ一つの事実だという事に変わりはない。それらは、あの状態の俺達ではどうしたって避けようのなかった結果だと言うことも、分かりきっていた。


 もう、見る必要の無い現実から、そっと二人で目を逸らす。

 それは、俺達二人だけの問題で、俺達二人が決めたのだから、それで、良いのだ。


 ふと、シズリの目がまた潤んでいることに気付く。俺がその目を見ている事に気付いたシズリは、もう一度その涙を拭う。そして、俺の手をそっと払ってから、立ち上がった。


「けれど兄様。もう子供扱いはしなくて良いのですよ。私達は、おんなじですもの」

 

――おんなじ、化物同士か。

 その顔つきは、もうただの優しい子だけの子ではない。

 きっとこの子は、乗り越えたのだ。まるで家族三人で保っていたバランスを一人きりで取れるような気丈さを持っているように感じた。言葉にするなら独り立ちというべきだろうか。


 彼女はもう、優しいだけではなく、強い子になったのだ。


「あぁ……、それはごめ……っ」

 この謝罪は、なんてことの無い謝罪なのは間違いなかった。けれど、俺達の間に暗に生まれた、ホールでの戦闘についての謝罪をしないというルールを破ってしまうような気がして、思わず口ごもってしまった

 

 それに気付いたシズリは、俺の目の前でクスッと笑う。そして、言い訳を探している俺の唇に一指し指をグイっと当てて、子供らしからぬ雰囲気を醸し出す。

「それは、ナンセンスですよ、兄様」


 俺は、本当にこの施設の皆には敵わないなと思いながら、口を結んで頷いた。 よろしいと言わんばかりにシズリは笑って俺の唇から指を離して立ち上がり、踊るように後ろを振り返る。


「面倒な話なら、終わった後に、やりましょう。終わってからでも面倒だったら、やめましょ?」


 それが、彼女なりの、優しさだと思った。

 お互いの暗黙の了解なんていうのは、きっと俺が考えた都合の良い話なのだろう。


 結局、彼女は乗り越えていて、乗り越えられていないのは、俺だけなのだだ。

 だからこそ、俺はこう答えなければならない。


「面倒な話なんて、一つも無いさ。俺達は、おんなじだもんな」


 彼女と同じにならなければいけないのは、俺の方だ。


 思えば、被験者だとしても、この施設から出られなかったとしても、長期スリープに入る前の俺達の毎日は幸せな日々だったのかもしれない。

 力を求めていた俺は、確かに今よりもずっと心の奥底に冷酷な感情を秘めていたかもしれないが、それでも、力を奮う事なんて、一つもなかったのだから。

 そんな、今よりも少しだけ幸せな日々をさっき思い出してしまったからか、少し呆けていた。


 俺もまた、幸せだった思い出も不幸せになった現実も、一緒に背負っていこうと思った。

 俺とシズリは境遇こそ違えど、幸と不幸を背負っている。 

 だから、もうこの話は、お終い。

 

「ん、おんなじ」

 さっきの大人びた雰囲気は何処へやら、シズリは相変わらずダンスをするように少し離れたところから俺に向き直って、小さく笑う。

「私、今までずっと一番勝率の高い方法を取ってきましたから。明日も、任せてくださいね!」

 そう言って、シズリはこちらに頭を下げると、タタタっと東側廊下の方へ走っていった。

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