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DAYS1 -7- 『俺が当たりにするしか無い』

 ドアが強い音を立てて閉まってからの状況は、けたたましく鳴り響く発砲音でしか分からなかった。最初に聞いた発砲音が一発、そして数秒後にもう一発。低い唸り声と共にノックの音が止むと、それから少しずつ重い足音がドアから離れていくのが分かった。


 その後、体を壁に叩きつけたような鈍い音がした後、すぐさま発砲音が鳴り、ノックとは違う壁にぶつかるような音や地面を叩きつけたような音が耳に届く。その音を耳にしながら、俺は急いでアタッシュケースに駆け寄る。


 俺は部屋の隅に置かれていた銀色のアタッシュケースを持ち上げると、それは想像以上に軽く、本当に中に物が入っているか疑わしい程だった。どうやら金属製ですら無いらしい。少なくとも中身を含めたアタッシュケースそのものが、先程ヨミに持たせてもらった彼女の拳銃よりも軽いのでは無いのだろうかと思う程の軽さだ。

 

 つまり、それはこの中には簡単に武器になりえるような物、とりわけ鈍器のような物が入っているわけでは無いという事が分かる。だが落胆している暇は無い、藁にもすがる思いでアタッシュケースを机の上に置き、開ける。

「……なんだこれ、ペン?」

 アタッシュケースを開くと、中にはそれぞれに赤、青、緑に色分けされたペンのような物が並んでいた。試しに赤い色のそれを一つ取り出して見ると、アタッシュケースとは違い金属の感触があり、少し冷たい。


 よく見ると、赤い色だと思ったのは中に入っている赤い液体が透けて見えていたからだったようだ。プラスチックともガラスとも言えないが、頑丈そうな透明な筒を丁寧に囲っているように見える。要はおそらくこれらは頑丈に作られた注射器だ。

ペンの形の印象が強かったからだろう、青や緑のペンだと思った物も中の液体が透けて見えるだけでペン型の注射器のようだ。


 試しにペン先を出すように上のスイッチを押し込むとそれこそまるで押し込むと飛び出して来るボールペンのペン先のように、針が容器の内部からグっと前にせり出した。

「注射器、か……」

 ノッカーに突き刺して使う毒物の類いか? とも思ったが、ヤツらに近付くのが前提だとすれば、これを持って外に飛び出すのはあまりにも危なすぎる。何か説明は無いかと注射器から視線をずらすとそこには一枚の紙が置かれていた。分かっちゃいたが少しだけ嫌気が差した。

「ああクソ、またマニュアル……」

 

『生き残る為に必要な事』


 ヨミに破られたマニュアルの最初の一ページ目を思い出す。一行読んだだけで地獄の匂いがしたような、あのマニュアル。だが今度は読まないわけにはいかない。それに今度は数ページも無い、ただの一枚の紙切れのようだった。

 

 目をやるとそこには印刷された文字ではない、人の手で殴り書いたような説明が書かれていた。


『事情があって印刷機が壊れている、手筆で許してほしい』

 読みにくい文字の周りには乾いた血の跡があった。壊れたのが印刷機だけではなかったことが目に浮かぶ。どうやら相当急いで書いた物らしく、大袈裟に見える注射器の中身の説明にしては簡素な内容だった。


『力の赤』

 身体能力上昇、一時的に痛覚が無くなるが興奮剤の効果もある。

 効果時間は大体五分程、効果が切れると反動が来るから考えて使う事。


『感覚の青』

 音、匂い、気配等の感覚を非常に高めるが使用時に注意、慣れるまで時間がかかる。

 効果時間は赤と同じだが、同じく反動がある。


『生命の緑』

 余程の死傷で無い限り強引に傷や骨折を治療する。

 反動は未確認の為、使用には注意。


『注意』

 検証が済みきっていない為、連続使用のデータが取り切れていない。

 こんな状態の物で本当にすまない。


 謝られてしまっているが、つまりはこれらを使って自身をドーピングをしろと言うことらしい。それも、文面通りだとすると、これらが異常な薬物なのが理解出来る。そして最後に書かれた一文には、書くのを躊躇った跡が見えた。


『おそらくこれらを使い続けた副作用として、人を辞める事になる』


 手書きのマニュアルを開けっ放しのアタッシュケースの上に置くと、また銃声が聞こえた。まだ、ヨミは戦っている。ホッと胸を撫で下ろしそうになったが、逆に言えばヨミはまだあの大型ノッカーを倒せていない。そして、鳴り響いた銃声は四発。

「いや、五発目か……」

 五度目の銃声の音に、今までに無い程の強く低い唸り声が聞こえ、一瞬倒せたか? と期待した自分が愚かしい。数秒後にヨミの高い唸り声が聞こえ、数秒後には聞こえているのはノッカーの低い唸り声だけになった。

 

 この耳に入る音だけでも、彼女が劣勢、もしくは危険な状態なのが目に見えるようだ。けれどただドアを開けて安否を確認してどうなるというのだろう。武器の無い俺が出ていってどうなる。あの化け物の目を見ただけで震え上がり、少女に喝を入れられたような俺に一体何が出来るというのだろうか。

「出来るわけが、ない」


 地獄を音にしたら、きっとあんな風だ。


 絶望を絵にしたら、きっとあんな風だ。


 そこにただ飛び込むのは、もはや勇気でも何でも無い。それでも、この手にある注射器の力が、あのマニュアルの説明が本当だとしたら、そんな事を考えている暇など無い。


 俺の為に笑顔を作って死地に飛び出した彼女が、まさに今本当の黄泉へ、地獄へ、死に行く寸前だとするのならば。

「やるしか……ないんだろうな」

 注射器の説明が嘘かどうかを考える暇は無かった。あの異形を見た後であれば、そうしてヨミの話を聞いて、俺の指では引き金を引けないあの拳銃を見た後であれば、そして彼女を助けられるのであれば、この胡散臭い注射器を自分の体に突き刺す事に、恐怖感は覚えなかった。


 俺は赤い注射器を手に取り腕にあてる。その覚悟の一瞬手前で、緑色の光が目に入った。

「まさか、使う事にはならないよな」

 呟くきながら、もしもの時の為に緑色の注射器だけをとりあえず衣服のポケットに入れて、思い切って赤色の注射器のペン先を出すように強く頭を押し込む。


 刹那、小さい痛みが走り、強い目眩に襲われた。


 手の震えが強くなり、痛いくらいに拳が疼いた。


 血が巡る。

 血液が踊る。

 細胞が、変わる。


――人間から、遠ざかっていく。


 先程までの恐怖の対象が自分に変わるかと思う程に、心臓が強く脈打つのを感じる。気付くとさっきまで読んでいた紙切れを握りしめ、グシャグシャにしてしまっていた震える手で丁寧に開くと、血が固まって見えずにいた文章が擦れて出てきたのか、読んでいなかった文章が目に止まる。


『これらの薬液の力が当たりか外れかは、キミ次第だ』


『大当たりを引いたら』なんて言っていたヨミの言葉を思い出す。マニュアルの文面通りに、俺に与えられたこの注射器が、俺次第で当たりに成り得るのであるのならば。


「俺が当たりにするしか無い」

 強い目眩はすぐに治まった。アタッシュケースを閉じ、ドアノブに手をかける頃には手の震えは止まっていた。

 少し遠くで低い唸り声が聞こえる。それ以上に、体の中で暴れまわる音がうるさくて仕方がない。『力の赤』とマニュアルに書かれていた通り、自分の中で力が暴れまわっている感覚。黙っていたら壁すら殴ってしまいそうな程の怒りにも似た興奮。体がバラバラになりそうな程の破壊衝動を抑えながら、ドアを開けて外を見回す。すると、少し離れた所で、宙に浮かぶヨミを見た。


 その首先を掴む、赤い手を見た。

 

 こっちを向いて笑う、赤い目を、見た。


――力が、誰かの血を迸らせる為の真っ赤な力が、身体中を支配していく。


 ノッカーとヨミを見たその瞬間に、少し前にドア越しに聞いたヤツの心音よりも、ヨミが慣らした銃声よりも、今日聞いたどんな音よりもずっとずっと強い心音が一拍、自分の中で爆ぜるかのように鳴るのを聞いた。

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