DAYS5 -AnotherSide2- 『先手はこっち』
『DAYS5 -AnotherSide1-』にてゼロが眠りに付いた後の出来事
【ヒナ視点】
二人でベッドに入ったのはいいものの、些か狭い。だけれど、やっとこの子に会えたのだ、少しぐらいくっついても罰は当たらない。罰が当たるというなら、これから私がする事自体が私が罰を受けるべき罪になる。
機械内部に収納されたベッドの上から、私は郁花ちゃんにだけ麻酔を打ち込むように設定した。名前を呼べないのが、もどかしい。そして、そんな私の大事な親友に今からすることを考えると、胸が痛んだ。
「ごめんね、いっかちゃん……」
麻酔が注入された事を確認して彼女の薄れていく言葉を聞き終え、私は思わず彼女の愛称を呟く。指紋認証の入れ替え自体はすぐに終わった。手の平にじわりとした熱が伝った後、機械音声が終了した旨を私に伝える。
彼女も、もしかしたら気付いていたかもしれない。だからこそ、私の覚悟を強める為に、最後あんな事を言ったんだと思う。こんな簡単な作業に麻酔がいるなんて事、子供でも見抜けるような嘘だ。
けれど、彼女はそれでも頷いて、それを受け入れた。何も聞かずに、私を受け入れてくれた。
これから、私が彼女にする事は、人間のすることではない。
――けれど私はもう、人間ではない。
一旦ベッドを装置から出し、郁花ちゃんをベッドで寝かせたままにして、私だけが起き上がる。その寝顔が妙に愛おしく思い、頬を少しだけ、まだ少しじわりと熱を帯びている右手でなぞって、私はベッドを装置内へと収納させた。
所長が必要としているのは、肉親であるフタミくんの遺伝子情報と、郁花ちゃんが持っているノッカーへの強耐性。完全耐性では無い物の、その二つがあれば、所長はその寿命を大きく伸ばす事が出来る。それはつまり、ノッカーとして、人間の進化の成れの果てとして、より長く生を続けられるという事だ。
けれど、所長はもう既に狂っている。 ならそれをのさばらせておくことは、世界の終わりを意味することくらい、誰にでも分かる。
私だって、この施設に入ったばかりの頃はまだ年端もいかない少女だったかもしれないが。これでも五十年、寝て起きて、寝て起きてを繰り返し、惨状を見ながら生きてきたのだ。諦めが身体を支配して、絶望が脳を支配していた。けれど、義勇がほんの少しだけこの腕を動かした。外で聞こえる戦いの音が、私の心を前に進ませた。
だから、私は、誰よりも、誰を犠牲にしても、自分の死すら厭わずに、所長を止めたい。
「ごめんね、いっかちゃん。その力、もらうね」
私の愛しい親友ゼロちゃん……"萩原郁花"が持っている耐性を、私の耐性情報で書き換える。これは、単なるダミーだ。
彼女本来のその耐性を奪い取ることは出来ないけれど、所長が何らかの方法で彼女の耐性を判別をしようとした時に、所長に関わらずともどんな機械を通しても、彼女は私という耐性情報を持ったノッカーとして認識される。
だからこれは、一瞬の間を作る為の、トラップ。
そして、私の身体をノッカー進化への完全耐性に書き換える。これは、ダミーではない。彼女から一滴の血液を採取し、それを装置を媒介にして私の身体に注入する。
――つまり、所長がしようとしている事を、私が先に行ったということだ。
「あ、あぁ…………ん? あああああ!!」
痛い、痛い、痛い。
身体中に、痛みが走る。
目が痛む、心臓が痛む、内蔵が燃える。
指の一本一本が、折れ続けては治っていくような感覚。
私が持つ進化した遺伝子と、彼女の持つ進化を跳ね除ける遺伝子が私の中で戦い続けている。
「ぐぅ……ううう!! ああああああ!!!!」
けれど、これを耐え抜きさえすれば、私の中にも強い耐性が生まれる。それはすなわち、全てが失敗し、誰もが死に絶えた後でも、私だけは、元々ある理性の維持に加えて、より長い状態であの男を生きたまま追えるという事だ。
――私達が負けた時の覚悟だって、出来ている。
私に出来る準備なんて、大したものでは無かった。閉じ込められた五十年で出来た事は、考える事だけだ。けれど所長は違う、狂いながらも、五十年を丸々自分の目的の為に費やしてきたのだ。
純粋に、私達が所長に勝てる見込みはどれくらいだろうか、シズリちゃんに教えてもらいたい。無理に笑われて『未知数です』と言われるのが想像出来ても、それでも、少しでも可能性があるというだけで、きっと私はホッとするだろう。
もし私達が所長に負けたのならば、生き延びた私は死者すら喰らおう。きっと、私達が敗北した世界に、郁花ちゃんはいないのだから。
そんなことを考えていたのは、どれくらいの時間だっただろうか。数分かもしれない、数十分かもしれない。同じことを、ひたすら痛みにもがく夢現の中でずっと考えていた気がする。私はもう死ぬはずもないのに、死を求めたくなる程の痛みから解放される。
そして、装置のモニターを見て、私の身体情報を確認して、一人頷いた。
――UNKNOWNね。
もう私は、人でも、ノッカーでも無い。
私、雛崎奏の遺伝子はもう、壊れている。
「……先手はこっちッスよ、所長」
所長が求めた存在に、先に辿り着いた優越感は、狂気と呼べるだろうか。
もしかすると私も、彼を止めるという『使命のような物に取り憑かれた亡霊』なのかもしれない。
自分自身の情報を細かく確認した後に、郁花ちゃんの身体情報に手を加える。とは言っても、彼女が彼女でいられる程度に留めた。私の指紋情報を取り込んだ右手ではなく、逆の左手に私が普段使っている熱線のギミックだけを手術で取り込む。元々思っていたけれど言えずにいて、そうして眠る前に彼女が言ってくれた事だ。お揃いで、少しだけ嬉しい。
私が普段使いで身体に取り込んでいるくらいだ、熱線を放つ事の出来る義手が戦闘時に役に立つのは間違い無い。彼女も、覚悟を持ってこのベッドで目を閉じたことくらいは、私にも分かっていた。このくらいの人体改造であれば、生きていく事に問題は無いはず。
この選択のせいで、負ける可能性はある。
もっと、彼女を兵器化していれば、とも思った。
それでも、私は勝つことを諦めたわけではないのだから、その先を見ないのは、私だけでいい。所長を倒したとしても、彼女が人として真っ当に生きられない未来は、私にとっての敗北なのだ。だから、ほんの少しだけで許してほしい。
この装置での人体改造は、寿命を切り取る行為にも等しい。私はノッカーと化していたから何の問題も無かったが、人の身に何度も使うということは、その分寿命を削るという事になる。
その身体に埋め込んだ兵器の数だけ、その使用の数だけ、生命が摩耗していく。
おそらく、ナナミちゃんがやっているレベルの人体改造を見て、もうだいぶ限界に来ているだろうと思った。心臓と脳以外はもうほとんどが彼女の物ではないだろう。そうすると、今純粋に生きている事が不思議なくらいだ。
それを悲しく思うと同時に、それでもまだ、今なら間に合うかもしれないという希望もあった。
「フタミくんが、どれだけ便利な身体になってるかッスね……」
彼は投薬によって作られたノッカー。その遺伝子に、もしかするとエボル現象についての何らかの効果が見いだせるかもしれない。これは、フタミくんだけに課せられた密かな実験だ。所長が、我が子だからと特例的に課すことの出来た実験。
本来ならば、それが希望になるはずだったのだ。
だが、所長はそれを人類の希望ではなく、自分自身の希望として、見出してしまったのだが。皮肉なのは外の世界の事。結局、何とかなってしまっている。
ならばこの施設は、私達は、何だったのだ。
成れの果てとは、ノッカーとは、何だったというのだ。
そう考えると、所長すら哀れに思えてくる。
けれど、流行病みたいな物は、いつだってそうやって現れては、人を殺して消えていく。エボル現象も、そう思ってしまえば納得出来るのかもしれない。
そう思っているうちに、郁花ちゃんの人体改造が終わる。
装置から出てきた郁花ちゃんの肩を揺さぶると、郁花ちゃんは「ううん……」と唸りながら目を醒まして、手に違和感が無いか確認するかのように動かしている。
「機械任せだし麻酔量はバッチリ、少ししたら動けるはずだよ。だからこの部屋でやることは、一応終わり」
ちゃんと聞こえているかどうか分からないが、私は彼女にそう告げると、彼女は自分の手の平を開閉してから、こちらを見た。
「全部、終わった?」
キョトンとした顔で聞く彼女に、私は頷く。
「終わった、情報のとっかえっこも。改造も、私とおんなじ強いヤツ」
私は右手の人差し指を立てて銃の形にして、手に力を込める。
それにならって、彼女も私と同じように右手を銃の形にすると、指先に集まってくる光に驚いて「わっ、わっ」と言いながら指を振ってその光を散らせた。
「多分、感覚でどうやって撃てばいいかは分かるはず。カッコつけたいなら"ばーん"がオススメだね」
少し茶化してみせると、郁花ちゃんは、少し寝ぼけた顔で笑った。そして、彼女は目をゴシゴシと擦ると、ベッドから降りる。少しよろけていて心配だったが、彼女は手を貸した私の手を掴んで、バランスを取ると、その手を離してしっかりと自分の足で床の上に立った。
「ん、ありがと、ヒナちゃん。じゃあ、これからどうする?」
いくら医学の進歩によって寝たきりを必要としないとはいえ、まだ頭がふらついているだろうに、彼女はもう誰かを助けに行こうとしている。そういう所が好きなんだよなと思いながら、私は部屋にあるコンピュータに向かい、自分の手にも管理者権限があることを確かめ、忘れない内にと所長の権限を消し去る。これで、この施設のシステムは私か、または郁花ちゃんの物になった。
そして、全ての部屋のドアに備え付けられている覗き窓という名の監視カメラの映像をまとめてモニターに移す。すると、フタミくんとヒナちゃん、ナナミちゃんとシズリちゃんがそれぞれ一緒に行動しているのが見えた。
ホールを中心として、西廊下の一室にはフタミくんペア、東フロアの一室にはナナミちゃんペアがいる。
西フロアにはノッカーはいないが、東フロアには大量のノッカー。そして、ホールには数えきれない程のノッカーがいた。
「んー……、東から、かな」
モニターに映る皆の様子を見るに、一番消耗が激しいのはナナミちゃんだった。今まさに人体改造を施そうとしている所だったが、その行為が後何回分持つか、不安で仕方がない。
「でも、ホールに大量にいるから、結構大変になるかもしれない。"ゼロちゃん"大丈夫?」
やはり、こう呼ぶのは慣れない。けれど自分の名前すら忘れさせられている郁花ちゃんはその名前が当たり前かのように頷く。
「うん、急ご、ヒナちゃん」
そう言うと、郁花ちゃんはもう一度右手の指に光を溜めて、感覚を確認していた。ちゃんと"ばーん"って言うかな、なんて事を思いながら、私もコンピュータを離れようとしたが、その前に全フロアの施錠をしなければいけなかったことを思い出した。
まずは、居住フロアを制圧すべきだ。その為には、所長にチョロチョロと動き回らせておくわけにはいかない。ダクトを通られたら溜まった物では無いけれど、その場合は面倒だけれどダクトを封鎖していけば良い。
私は施設の施錠システムにアクセスして、フタミくんがいる部屋とナナミちゃんがいる部屋、そしてこの部屋以外の部屋に、管理者レベルでの施錠を施した。
おそらく、全てが完了するまでに少し時間はかかるだろうが、それまでの間に所長がのこのこと医療フロアから出てこないことを祈るしか無い。
もし、所長と一緒に居住フロアに閉じ込められたなら、決戦が早まってしまうが、その時はその時だ。私かゼロちゃんが入ればドアノブによる解錠で医療フロアに逃げ込む事も出来るが、それも得策ではない。
出来れば、やり合う前に皆に最後の安らぎがあれば良いなと思ったが、それよりもまずは、その安らぎの為に居住フロアを制圧しなければいけない。
「じゃあ、行こう。まずはナナミちゃん達、私が前に出るからいっ……ゼロちゃんは無理しないでね」
愛称を言いかけて焦って言いなおす。愛称だとはいえ、呼ばないに越したことは無い。私のその仕草で、彼女はおそらく私が彼女の名前を言いかけてしまったことに気付いたのだろう、少し意地悪そうに笑っていた。
「うん、行こ。私だけ呼んじゃってごめんね? ヒナちゃ……奏ちゃん」
――ああもう、本当にこの子はずるい。
名前を呼ばれて赤くなってしまった顔を見られないように、私は急いで振り向いて自分の部屋のドアノブを回した。その間も、郁花ちゃんの楽しげな笑い声が聞こえている。あんな事があったというのに、あんな事をしたというのに、彼女は笑ってくれている。
罪悪感の心の痛みを加速させながらも、それが私にはまるで希望の歌のように聞こえて、だから一歩だけ、もう一歩だけでも前へと進めるのだと思った。
私は彼女のその楽しそうな笑い声を永遠に忘れないよう、耳に刻みつけて、そうしてもう一度聞くのだと心を強く持って、ドアを開けた。




