DAYS5 -9- 『ありがとね、生きていてくれて』
銃声、銃声、銃声、銃声、銃声、銃声。そして、少しの間があり、また銃声が鳴り響く。
その淡々とした破裂音の中に、刃が風を斬る音と肉が斬り落とされる音が混じる。ただ、ひたすらにその音が繰り返されていく。
もはや、俺達を"二人"と呼んでいいのか分からないが、俺とヨミの殲滅戦は、続いていた。
ゴミ箱や天井から顔を出してくる死人ノッカーの数はいくら処理しても減らず、ホールはもはや死体の海と化しているかのようだった。俺達はその数の前では圧倒的に劣勢ではあったが、前線を張る俺に身体的疲労が溜まらないのは幸運だ。
俺がもし、人間としての肉体のまま戦い続けていたなら、疲労で動けなくなっていたのは間違い無い。その点で言えば、人間の身体を超越したノッカーという存在に限りなく近い存在になった俺も、悪くは無いのかもしれない。
もし、疲労や痛みで立ち止まる事があったなら、もう既にこの戦いは俺達の死で終わっている。
そして、今この場では守るべき存在であるところの人間のヨミが、後方支援に回っている事も丁度良かった。
彼女の銃撃という攻撃手段は、集中力を使うのは間違いないとはいえ、基本的にはその場から動かずに銃で狙いを定め、トリガーを引くという行為の連続、腕に痛みは走ったとしても、息を切らして動けなくなる事は無い。
彼女がもし前線に出て、俺が後方支援であったなら、それもまたこの戦いは負けている。ノッカーに成りかけてしまっている俺と、間違いなく人間であるヨミとの共闘は、成りかけの俺とノッカーのナムの共闘とは別の意味で、上手い具合に成り立っているように思えた。
ただし、間違って彼女の銃弾が俺の身体を掠めてしまうことだけは、避けなければ行けない。
だがヨミの性格からいって、心配する必要は無いだろうと思えた。そもそも、ヨミはかなり気をつけているようで、俺のいる場所とはだいぶ離れたノッカーばかりを狙って撃ち抜いているようだった。もし俺の近くにノッカーが数体いたとしても、彼女はあえて俺の方向へと銃口は向けないだろう。
俺がその数体のノッカーを倒すだろうというヨミの気持ちと、ヨミがそう思って俺に銃口を向けないという、俺からの一方的かもしれない信頼関係が生まれているような気がした。現に、少なくとも俺の眼の前に四体までのノッカーが現れたとしても、俺の方向に銃弾が飛んでくる事はなく、俺自身が傷を負いながらも処理しきっている。
ヨミの固有武器であるところの『対ノッカー用銃弾』を使っても死人であるノッカーには効果が無い。その為、使うのが勿体無いようにも感じたが、
今この場でそんな事を言っている場合でもなければ、戦力には代わり無かった。
あまり効率は良いにしても、彼女が死人ノッカーの脳天を正確に撃ち抜いて、改めて絶命するまでに銃弾が二発から三発放たれている。
俺が完全に殺し損ねている状態のノッカーがいた場合には、彼女にやってもらうのが一番良い。
間違いなく、頼れる存在だ。俺達もまた、やはりきっといいコンビなのだ。
なのだ、なのだ、が。
「そろそろ、洒落にならないな」
ノッカーが増え続けるペースは変わらない。だが、さっきまではナムもいて、それでやっとなんとかなっていたのだ。ナムがいなくなってしまった今、いくら俺がナムよりも効率的に刀を使えるとは言えど、戦力の低下は免れない。
この調子ならば、負ける事はないだろう。
だが、果たして勝つ事があるのだろうか。
「おにーさん、一旦撤退も考えなきゃ……。私もそろそろ弾がヤバいです」
ホール入口でヨミが残りの銃弾を数えながらこちらに呼びかける。確かに、そろそろ持ちこたえられないのは間違い無い。
だが、このホールを中心として、俺達が来た西フロアに戻った所でもう何の意味も無いのだ。
何故なら、俺とヨミ以外の仲間は全員が東フロアにいる。そして、東フロアの廊下には、俺とヨミがナナミによって退避させられた時に倒しきれなかった武器持ちノッカー達がまだ彷徨いている。
東フロアに進めばほぼ確実に挟み撃ち、西フロアに撤退すればホールのノッカーが分散して全員の危険が上がる。ならば、少しでも多く、こいつらを引き止めるしかない。
「俺は、限界まで、粘る。ヨミは銃弾が切れたら一旦自分の部屋まで戻ってくれ。西フロアは、大丈夫なはず」
俺は迫りくるノッカーに一旦背を向け、ヨミに呼びかけた。ナナミの部屋の位置と交換されたままのヨミの部屋は、東フロアの俺の部屋の近くではなく、西フロアのコンテナ部屋の近くまで移動している。
そこまでのノッカーは確かに殲滅してきたはずだ。これだけの戦闘行為をホールの中で行っている最中に、ヨミの後ろからノッカーが襲ってこなかった事を考えても、危険無く通る事は出来るだろう。
「何言ってるんですか! そんなの出来るわけ!」
ヨミが叫ぶが、俺がノッカーに腹部を貫かれるのを見て、言葉を止める。
ノッカーが迫ってきている事を知りながら、俺があえて後ろを向いてヨミの顔を見て話していたのは、そういう理由からだ。
――こうでもしなきゃ、納得してもらえないからな。
俺の腹を貫いた爪を、左手の青刀イスルギで斬り落とし、振り向きもせずに背後のノッカーの脳天をナムの青刀サンマで貫いた。
そして、もはや敵意など無く、喰らうという本能のみでこちらにゆっくりと近づいてくるノッカー数体が重なっている部分を狙って、イスルギを思い切り投げつけると、ノッカー達数体が壁へと串刺しになる。それをもう一度繰り返すと、こちらへと近づいて来るノッカーの数が一旦減った。
その隙に、ヨミの元まで駆け寄り、先程爪で貫かれた腹部を見せる。そこにはもう、悲しい事に、傷の跡など一つも無かった。
「俺はもう、死ねないんだよ。だから、大丈夫」
これは多分嘘だ。試してはいないが、きっと死ぬ事は出来るのだろう。俺がヤツラにしているように首を跳ねられたら、簡単に終わりなのかもしれない。だとしても、今のヨミを納得させるには、十分だと思った。
「分かり……、ました。でも、私だって限界まで付き合いますからね!」
そう言って、腰につけていたポシェットのポケットを開き、残りの銃弾を見せてくる。
それは二十発くらいだったように見える。そして、よく見るとベルトには六発にまとまった、リロードのしやすそうな銃弾の束がが数個括り付けられている。見慣れないソレをじっと見ると「これはとっておきです!」と笑った。
もう少しで銃弾が無くなるという割には、思ったよりも残りの銃弾が多かったので、元々はどれだけ用意周到だったのだろうと思わず笑ってしまいそうになったが、今まで倒したノッカーの数を思い出すと、その『もう少しで銃弾が無くなる』というのもあながち間違ってないように思えた。
「じゃあもう一暴れ、行ってくる」
ヨミに声をかけ、俺は改めてヨミから背を向けた。
そして、ホールの中のノッカーに何回目かの相対をしようと歩を進めはじめた俺の目に、二人の少女の姿が見えた。思わず、右手で頭を抑える。
深い深い溜息。それは、安堵の溜息というのに相応しいのだと、思いながら、俺は胸を張って長い金髪を靡かせる少女と、汗ばみながらも少しだけ覇気を感じる顔を少女を見た。
「あぁ……、いや。バトンタッチかもしれない」
そう言った途端、ヨミにも少女達の姿が見えたのだろう。声にならない喜びの声が、後ろから聞こえた。
ホールの中にいる、見たことも無いであろう死人ノッカーの群れの奥に、少しも怖気づく事ない、心強い笑顔が見える。
「すっっごい事になってるね! さーぁシーちゃん、行っくよー!!」
笑うその少女の姿は、最後に見た時よりも、いくらか大人びて見えた。
「ナナミさんが凍らせる。それを私が、砕く!」
微笑むその少女の声は、最後に聞いた時よりも、力強く聞こえた。
「そのとーーり! じゃあ行くよ! いっせーーーーっの!」
左手から冷気を放った少女は、大きく溜めた声と共に、左手を床に這わせる。 そして、その冷気はあっという間にホール中を包み込んでいく。
その範囲は俺達の足元までは届かない程度。
だがホールの全てのノッカーを包み込む程度。
おそらく、調節をしているのだろう。その冷気を纏う少女は、身体を屈めながら、こちらに笑いかけ、思い切り左腕を振り上げた。
「っっせ!!」
少女が腕を振り上げた瞬間、冷気が形となって、天井まで吹き上がる。 ホールにいる全てのノッカーが、氷のオブジェと化した。
そして、左手をバリっと氷から剥がすその少女の掛け声と共に、隣にいたか弱いはずの少女が、少し前傾姿勢になり、まるで獣のように床の氷を砕くかのように思い切り右足を踏み込み跳躍する。
いつか姉に怯え、兄を気遣っていただけの少女が、その跳躍の勢いのままに、氷漬けのノッカーを一撃で蹴り砕くと、靴の裏が当たったであろうその反動で次のノッカーに飛びかかる。首を掴みながら、次のノッカーを地面に固められ足ごとへし折り、地面に叩きつけ粉々にする。
まるでガラス細工を床に落として回るかのようだった。獣のような力を、俺は何処かで、見たことがある。けれどそれは、見慣れているはずの少女の力では無かったはずだ。
俺とヨミは、あっけにとられそれをただボウっと見ているだけしか出来ない。
「もう! 大事な物で……しょ!」
氷に塗れた左手をブラブラさせながら、右手が自由な少女が俺の投げてノッカーを壁に固定していた青刀イスルギと青刀サンマをこちらに投げる。ついでに貼り付けにしていたノッカーをその右手で打ち砕いている。
刀を投げるというのは何とも危険な行為には見えたが、その刀は氷漬けのノッカーを貫き、俺が立っている壁のだいぶ横へと刺さった。キャッチ出来る自信はあったが、流石にそこは配慮してくれたのだろう。俺は二刀を壁から引き抜いて、ホールを見回す。
――あんなにいたノッカーが、今や全てが氷の欠片だ。
あっという間に、その少女達、ナナミとシズリは、ホールのノッカーを殲滅した。
「お兄さーん! こいつらって天井からー?」
こちらに呼びかけるナナミは、俺の姿を見ても驚く素振りすら見せずに、いつものように接してくる。シズリも、ヨミを見て微笑んでいた。
「あ、あぁ! そことゴミ箱からだ!」
いつも通り過ぎる対応に、逆に俺が焦りながら答えると、ナナミは「りょーかーい」と言って、天井に両手を向けた。
「シーちゃん! 雨降らすからゴミ箱から雷! お兄さんとヨミちゃんは廊下まで下がっててねー!」
ナナミの声に俺とヨミはナムの亡骸を手に廊下まで下がると、ナナミは天井の穴に向けて冷気を送り込んでいるようだった。
パキパキという音と同時に、ホールの天井までが凍りついていくのが見える。
そして、ホールの天井全てが凍りついたかと思うと、ナナミはもう一方の手で、その氷に向けて炎を放つ。その炎は、まるでその氷が油か何かで出来ているのではないかと思う程のスピードで天井中に燃え広がり、氷を溶かしていく。もしかすると、新たな細工でもしているのかもしれない。
「シーちゃん、今!」
ナナミがそう言うと、シズリがゴミ箱に手を入れる。
その瞬間、ゴミ箱から雷撃が壁を走り、けたたましい音と共に、天井が単色の花火でも弾けるかのように白く光り輝いた。バリバリと響く雷撃の音に交じって、肉が焼き焦げる音と匂いが立ち上がる。
「最大出力で行きます!」
シズリはゴミ箱から手を引き抜き、天井に向かって思い切り手を掲げた。それを見てナナミはこちらに駆け寄り、俺らに声をかける事もなく目の前に厚い氷壁を張る。
その向こうに、体中に電気をまとったシズリが見えた。そして、天井を撃ち抜く雷撃が、彼女の両手から発せられる。
――その姿に、彼女が愛した兄と姉の姿が重なって見えた。
おそらく、シズリもまたナナミの部屋でなんらかの改造は受けているだろう。ヨミはそんなシズリをさっきから少し不安そうな目で見ている。
「あの子もさ、役に立ちたかったんだって」
ナナミがシズリに聞こえないように、小さい声で溢す。
「お兄さんとおんなじだよ」
シズリの雷撃が済んだのを確認したのか、そう言いながらナナミは自分で張った氷壁を、右手で軽く殴る。すると、軽く殴ったにも関わらず、氷壁はスッとその形状を崩し、ただの水たまりになる。
俺に分かったのは、一瞬強い熱を感じた事だけだった。
「それで私とも、おんなじ。ありがとね、生きていてくれて」
ナナミはこちらを見て優しげに笑った。いつもの精巧に作られているかのような元気な笑顔ではなく、心からの笑顔のように見えた。ナナミが「ナムちゃんも、ありがとね」と小さく呟いた声を感覚の青だけが拾っていた。
「殲滅完了……ですかね。焦げ焦げの灰になっているはずなので、どうもこうも無いはずです」
シズリがこちらにゆっくりと歩いてくる。その佇まいは、今までの彼女よりも、むしろムクを感じさせるような、そんな風だった。
「シーちゃん、それって……」
ヨミがシズリの両手を見ながら言うと、シズリは少し照れくさそうに、そして切なそうに、俺が持っている青刀を見ながら微笑む。俺とヨミと、そしてナムについての事情もきっと、彼女ならばお見通しなのだろう。
「三人分、です。私も……私達も生きる為に、引き継がないと」
シズリはもう、あの時の少女では無い。
ゴウからは、その速さと握力と跳力を。
ムクからは、あの雷撃を作り出す力を。
そして二人から戦う事と守る事、その二つの想いを引き継いだのだ。
「ありがとう、本当に助かった。ナナミ、シズリ……それと」
俺はそう言って、シズリの顔を見ると、シズリは嬉しそうにはにかんだ。ナナミもそれを察したようで、柔らかく笑っていた。
「あ! おにーさん!! 戻ってる! 戻ってる!」
不意にヨミにそう言われ、抱きつかれてしまった。俺の顔を下から眺めるように見るヨミの顔は、涙ぐんでいる。
広がりすぎていた視界が、戻っていることに気づく。そして、身体を変型させるほどの力も抜けていた。胸を叩くヨミの小さな拳の感触が、しっかりと心臓の音を昂らせるかのように、自分の壊れかけた心をノックしていた。
「ちゃんと……笑ってますね」
その言葉と共にヨミが俺の胸に顔を埋め、涙を溢す。彼女が怖かったのはノッカーとしての俺の姿ではなく、俺が飲み込まれかけていた狂気だったのかもしれない。
「だからって、泣くなよな」
もう爪も無く、人としての状態に戻っている俺は、言いながらヨミをそっと抱きしめた。
チグハグな俺達を見て、ナナミは指で丸を作り、シズリは手で口を抑えて笑っている。
使えば使う程にノッカーに変化していくという狂気じみた薬液の力は『感情』によって制御出来る事なのだという事に気がついた。それは決して、自分一人の感情ではないという事にも。
死にながらも戦った人、駆けつけてくれた人、そうして諦めなかった人。そんなの人達の感情が集まって、俺達はまだ生きている。
――だから俺は、狂わずにいられたのかもしれない。
その事実を胸に、水浸しのホールへと足を踏み入れた。
少し前から「もー、こっちは終わっちゃいましたよー!」というナナミの声がする。その声が向かう先は、ホールを向こうの廊下だ。
手を振りながら駆け寄ってくる二人分の足音に、俺は戦いの終わりを感じはじめていた。きっともうこの居住フロアに生きているノッカーはいない。
居住フロアの奪還が、終わった。俺は駆け寄ってくる二人に手を振ってから、ナムを抱きかかえる。
――俺達全員で、取り戻したのだ。
まずは、ナムの勇姿を皆に教えてやろう。彼女がいなければ、きっとこうはなっていなかった。
俺は眠っているような彼女の顔を見ながら、こんな隔離施設で目覚めた俺達が離れ離れになってもまた再会出来ている事を、彼女が作ってくれた希望と呼びたいと思った。




