DAYS5 -8- 『さよならは、一度きりでいいのに』
今思い出せば『力の赤』も『感覚の青』も『生命の緑』も、うんと綺麗な色だった。俺を変貌させていった三原色の薬液達は、綺麗な色をしていたのだ。
混ぜ合わせたら、真っ白になるのかもしれないと思えるくらいの、綺麗な力だった。事実、光の三原色として考えたならば白くなったような気がする。
だが、それが光ではなく絵の具だとして、それらを混ぜ合わせた時の色は黒になるはずだ。
白い力だっただろうか、それとも黒い力だっただろうか。
制御出来ていれば、白くあれたのかもしれないが、俺はもうだいぶその力を汚してしまったのだろうと思った。
それでもあの、真っ黒な薬液は、綺麗と呼ぶには、暗黒が過ぎた、
もう一度色を確認する気すら起きず、黒の薬液が入った注射器をポケットの中で太腿に突き刺し、薬液を押し出した瞬間に、身体が一瞬燃え上がるように熱くなった。
一度で全てが取り込まれていく感触は、一回ずつ使っていた三原色の薬液とはまた違う感触をもたらす、勿論不快な方向に、俺の身体を蝕んでいく。
燃えるような力が湧いたと思えば、その熱が一瞬にして引き、津波のような痛みが身体中に押し寄せる。立ち止まっている暇など無いのに、痛みに支配されて唸り声を上げることしか出来ない。
生命の緑が、その破壊の黒と呼ぶべき黒色の薬液の侵食を拒んでいるかのように思えた。自分の身体の中で、戦いが起きているかと思わんばかりの痛み。
骨が、軋んでいる。
筋肉が、躍動している。
顔面が、歪んでいく。
内臓が、その性能の最効率を求めるかのように、組み替えられていくかのように胎動する。神経が、何百倍にも分裂してその全てが繋がっていくかのような痺れる感覚。
俺の中から、人間性が消えていく。
進化していく、成れの、成れの、成れの、成れの、その果てに、俺がいる。
俺達が殺して来た、アイツの力も、アイツの力も、アイツの力も、アイツの力も、俺の中にある。 痛みが消え、身体の変化を実感する。
やっぱり、ロクなもんじゃなかったなと思った。そう思えた瞬間に、俺がまだ俺だという実感が持てた。
「じゃあ……まだ、戦える」
もう既に天井からベタリと地面に落ちてきた死人ノッカーは、這い上がってヨミに向かっていく途中だった。それをナムは容赦なく切り捨てていく。 だが、もう既にヤツラに生命などはない。腕を切り落としたところで、足を切り刻んだところで、心臓を貫いたところで、痛みも無ければ、動揺もなく、止まることもない。
だが、首を跳ねられたノッカーだけは、その場で倒れ、動かなくなっていた。 おそらく、頭を潰さなければ何の意味も無いのだろう。
だが、今のナムにはもうそんな事を考える術など無く、ただ我武者羅に両手に持った二刀の青でノッカーを斬り裂いていくだけだ。
俺の狂気が至らなかったばかりに、この状況は悪化している。殺した全てのノッカーの頭を潰さなければ、いけなかったのだ。俺が人間性を求めたせいで、頭を潰し続けていくという狂気じみた行為を否定したせいで、居住フロアにいるノッカーの死体の内、何体がまた、死者の再利用として、生命を冒涜されるのだろうか。
四肢を切り落とせばいいくらいに考えていた自分が、甘かったのだ。頭がついているのなら、もはや半身でもヤツラは這い寄ってくる。
だからもう、誰にどう思われても良い。
生きる為では無い、生かす為に。
――人間性など、捨ててしまえ。
ゴミ箱から這い出してくる死人ノッカーの脳天を拳で叩き潰す。横から腕に食らいついて来ようとするノッカーの首を握りつぶし、頭を捻りとった。
黒ずんだ、深い感覚の青が、部屋中をジットリと包み込むように、俺の脳に動いている存在を伝える。振り向くと、真後ろ以外の全てが見えた、視野が、異常な程に広がっている。
――それは、この右目が、きっと異常なまでに肥大しているからだ。
穴が空いた天井から落ちてくるノッカーの集団に飛び込み、両腕を振り回す。 我武者羅に振り回しただけでも、ヤツラは細切れになった。
――それは、この両手の爪が、異常なまでに鋭く、伸びているからだ。
もう、自分の姿について、考えることはやめていた。黒く、ドロリとした赤が、瞳から溢れる。その涙のような粘着質の液体を拭い、思い切り払い落とすと、その涙は液体なのにも関わらず弾丸のように、倒れている死人ノッカーに穴が開けた。
首筋に銃弾が飛んでくるのを、右手の爪で叩き切る。感知の外から飛んできた銃弾。後ろにはヨミがいる。もはや、身体で受けるのも鬱陶しかった。
その銃弾が飛んできた方向を見ると、東フロアから、左手が欠損した死人ノッカーが武器を持ってフラフラとこちらへ歩いてきているのが見えた。
「キリが、無いな」
いくつ頭を潰しても、ヨミ達が倒し続けた三年分のノッカーが溢れ出てくる。 そして、このホールにいる人間は、もうヨミだけだと言うことに気づく。俺とナムはヤツラを殺しているが、ヤツラはもう、ヨミのことしか狙っていない。その本能のままに、食らうために、ヨミの事だけを見て、襲っている。
一体一体は大したことが無い。だが、生きた人の成れの果てであるノッカーよりも、余程面倒な相手なのは間違いなかった。
最初はホールの中心でヨミを守るように刀を奮っていたナムも、もう既にヨミの目の前まで追いやられ、その身体もノッカーによって傷がつけられている。ヨミも隙を見て銃弾を撃ち込んでいるが、対ノッカー用銃弾はあくまで生きているノッカーに対してのみ有効な固有武器だ。もう既に死んだ後の、進化する余地の無い死人ノッカーに対しては、単なる銃弾でしか無い。
そして、その銃弾一発程度では、たとえうまく頭を撃ち抜けたところで、死人ノッカーは止まらない。劣勢になっているナムの加勢をする為に俺もホール入り口まで駆け寄るが、想像以上にナムが死人ノッカーを斬り散らかしているせいで、転がっている死人ノッカーの上半身に足を取られそうになる。
その頭を踏み潰しながらなんとかナムの隣まで辿り着くと、ナムはもう満身創痍といった風で、二本の刀を持ったまま、ヨミの前に立ち尽くしていた。
ヨミは無表情のまま何も言わずに、ただ、その拳銃で向かい来る死人ノッカーの脳天を撃ち続けている。 近寄ってきた俺の顔すら、見ようとしなかった。だが、それが逆にありがたいとすら思ってしまう。
きっともう、俺の姿は人間のソレではない。
俺がナムの代わりに、ホール入口付近のノッカーを排除して一息ついた瞬間、ナムの頬を銃弾が掠める。感知の外、それも、俺を狙わない銃弾に、反応が遅れた。そして、その銃弾を撃ったノッカーの狂った笑い声が響き渡る。
――まだ、コピーが残っていたのか。
だが、その銃弾は直撃はしていない。強く意識していさえすれば、次発などないはず。そう思っていると、ヨミが叫び声を上げながらホールを越えた廊下で笑っている武器持ちノッカーの脳天を撃ち抜く。
その顔には、怒りと悲しみが入り混じっていた。
その表情の意味に俺が気付くと同時に、ナムがその場で膝を付いた。
痙攣しながら、唸り声を上げる。
――対ノッカー用、銃弾
それは、生きているノッカーを、強制的に進化させ、殺す。コピーにも知能があったなら、その銃弾のギミックを、入れていても、おかしくはなかった。
ナムは起き上がろうと、身体に力を入れるが、ガクガクと手が震え、立ち上がることが出来ない。
それをヨミが、そっと抱きしめた。
「ナムちゃん……ナムちゃん! もういいんです!」
強く、強く抱きしめるが、ナムはそれすらも気にしないように、刀を杖に、立ち上がろうとする。ヨミの涙が、ナムの背中を濡らす。それでも、ナムは前に、前に進もうとする。
ナムは青刀秋刀魚を地面に突き刺し、右半身を持ち上げる。同じように、青刀イスルギを同じように地面に突き刺し、左半身を持ち上げた。
そして、ヨミの前に立ち塞がったまま、彼女のノッカーとしての生命は、終わった。
「ありが、とう。大好き……だったよ……」
ヨミが、目の前で仁王立ちしたまま生命を終えたナムをそっと抱きしめ、横に寝かせた。
「さよならは、一度きりでいいのに」
頬に流れる涙を拭いながらヨミはそう小さく呟いて、銃を構えた。
「ねえ、おにーさん。おにーさんは、まだ大丈夫ですか?」
ヨミに、強い口調で話しかけられる。
「あぁ、なんとかな」
笑ってみせようとするのは、やめた。 きっと、その笑顔はもうひどく醜い物だろうから。
「初めて会った時の事、思い出しますね。二人きりで、なんとかしなきゃって」
けれど、ヨミはこちらを見て笑う。 まるで、俺の変貌など気にも止めないように。
ナムはノッカー化していても、変化は両腕くらいの物だった。だが、もう俺の身体は、歪なノッカーそのものだろうと感じていた。この目が、この爪が、この皮膚の色が、この感覚が、人間性を消している気がした。
「ほら、おにーさん。武器、ナムちゃんが返してくれましたよ」
ヨミが、地面に突き刺さった二本の青刀に視線をやっている。その向こうでは、新たに天井から降りてきた死人ノッカーが、ゆっくりとこちらに近づいてきていた。
「今のおにーさんなら、ナムちゃんとおんなじこと出来ますよきっと」
そう言って、二本の刀を指差した。この子は、まだ、まだ諦めていない。
ヨミは、信じているのだ。
俺が、心を強く持って、感覚を研ぎ澄ませて、正確に首を跳ね続けられたなら、勝てると、信じているのだ。
「これじゃ、ダメか?」
そう言って、爪を前に出すと、ヨミは首を横に振った。
「両手で使えるなら、単純に、長い方が良いでしょ?
それに、へへ、あっちのが、格好いいですよ」
そう言って、人間は笑う。
「ああ、格好いいなら、そっちの方が、良いかもしれない」
そう言って、ノッカーは苦笑する。
そうして、地面に突き刺さった二本の刀を引き抜いた。
人が鳴らす銃声と共に、澄み渡る二本の青刀と共に、俺というノッカーは、ホールを駆けた。




