DAYS4 -10- 『反撃』
俺とヨミは、ナナミの先導で、ホールまで駆けていく。すれ違ったノッカーの半分以上がその手や身体に多種多様な武器を身に着けており、それに加えて未だにガンガンとドアを叩き続けているだけの部屋もあった、その全てのノッカーが部屋外に出てきたらと思うと、目眩がしそうだ。
この施設の誰もが、おそらく対多数を想定した戦闘を学んできていないのだ朗。
部屋開きの時に出てくるノッカーの数体の数が最大だとすると、今この施設を彷徨いているであろうノッカーの数はその十数倍は下らない。
嫌がらせで無ければ、この地獄が最後の実験などと言われても納得出来る程に、この施設そのものが俺達を殺しにかかってきているようだった。
「さっきのは……ほんとありがと。でも、今はゆっくりヤツラの相手にしてられないと思うから、急ご」
ナナミは、道中で俺にそう呟いてから唇を結んだままだった。その言葉の後は、俺がホールまでの道を先導し、全速力で駆けながら、邪魔をするノッカーの腕のみを切り落としながら進んだ。
幸い、全速力で駆けたお陰か、刀を構える手間は少なかった。通り過ぎるタイミングに気付いたノッカーについては、ヤツラの反応より早くその横を通り過ぎ、目の前を邪魔するノッカーの腕については、イスルギに力を込めて縦に構えるだけでとりあえずはどうにかなった。
そしてホールが見えるやいなや、俺は駆けるスピードを少しだけ落として、ホールの入り口で立ち止まった。
「なんだこれ……」
そのホールの中心で、血まみれになっている女性が一人、立っている。年の程は、ゼロと同じくらいだろうか。少なくともヨミやナナミよりは年上のように見えた。
腰程までの長く、赤みがかった色の髪をリボンで結んでいるその女性は、手に持っていた何らかの武器をガランと床に落とす。
俺よりも少し遅れてホールの入り口についたナナミがその光景を見て身体をビクつかせていたが、その音に驚いたのか、その武器を見て驚いたのか、それともホールの惨状に驚いたのかは、分からなかった。
ホールの中心に佇んでいた女性の髪を結んでいるそのリボンは元は真っ白だったのだろう。だがそれも薄汚れて見えた。
洒落っ気など一つも無い赤を基調としたジャージのような服装は返り血を浴びて湿り気まで見えるようだった。ところどころがより赤黒く染まっている。だが、赤みがかった髪を結んでいる白いリボンだけは薄汚れているように見えても、しっかりとしたワンポイントとして印象的だった。大事にしているように見える。
この女性は周りにいる十体に近いノッカーを一人で殲滅している事だけは、確かだ。その周りには、絶命しているノッカー達と、沢山の使用された痕跡のある武器。
女性は、こちらに気付いているのか気付いていないのか、自分の髪をまとめているリボンを解き、ポケットからメガネを取り出してその顔に掛けた。
彼女は気の抜けた声で、こちらを向いてヒラヒラと手を振る。血塗れになるほどの戦闘があったとは思えない程、余裕のある柔らかな表情だった。
「ほらほら皆さーん、見てる暇無いっスよ~。まずは片割れちゃんの部屋でしょー」
異様な光景とその緩さに目と耳を疑いながらも、その女性の後についていく俺達三人。シズリの部屋にゆっくりと歩いていく途中で、部屋の近くにある曲がり角をノッカーが曲がってくるのが見えた。
流石に戦闘行動に出なければと思い、イスルギを両手で構え直した俺を、赤髪の彼女は後ろ手で制止し、そのノッカーに対して指を銃の形に構える。
「ばーん……」
相変わらず気の抜けた声だったが、彼女の指からは光の線が放たれ、ノッカーの頭部はその線によって貫かれていた。
「まさか……」
少し怯えるように言うナナミに向けて、赤髪の彼女は「ふへへっ」と笑って振り返る。
「一番の、お姉ちゃんっスからねー。このくらいは、お安い御用っスよ」
指から光線が出るなんて事は基本的にありえない。だがナナミの事を考えたならば、あり得ない事は無いのだ。であれば赤髪の彼女が今ノッカーへと打ち込んだ指弾とも呼べる光は、ナナミが使っていた炎と氷をその手から作り出す力の派生系なのだろう。
ということは最後に開いた一番の部屋にいた彼女もまた、自分の身体に改造を施しているのだろう。
そして、その彼女はまるで何もかもハッキリと知っているかのようシズリの部屋の前まで行き、部屋の中へと語りかける。
「シズちゃーん、入るっすよー」
そう言って女性はドアノブを掴み、まるで自分の部屋かのようにそのドアを開ける。それもまた、ゼロが使っていた管理者権限の力と同じように思えた。
「せめて、私が開けるのを待ってくれると嬉しいのですが……皆さん、とりあえずはこちらにどうぞ……」
そう言いながらドア前にいたシズリが、一歩後ずさる。
「いやー、久々の外。大変な事になってたッスねぇ。ヒナちゃんビックリっス」
さりげなく思い出してはいけないはずの自分の名前を名乗った彼女に、ナナミが一歩近づき、勢いよく問い詰める。
「じゃなくて! どういう事です!? 待っててって言ったのに、あんなの……!」
怒り顔のナナミの頭をヒナと名乗った彼女はポンッと撫でて、ヘラっと笑う。
「寝てたんで準備に手間取っちゃいましてねー……でも全員無事みたいで良かったかな」
おどけた口調をやめ、少し真面目な顔で言うその女性の『寝てた』という言葉に、妙にリアリティを感じた。まるで、普通に眠って起きるかのような言い草。俺達は、部屋が開いた時の意識の覚醒を"目覚めた"と認識することが多かったように思える。
そしてその女性――ヒナは、気が抜けたのか少しだけ感極まったような顔で、笑った。
「……待ってたんスよ。おはようございます、生存者の皆さん。とはいえ雛崎奏ちゃんなんて名前も、どうせれちゃってるっスよねー。改めて始めまして、ヒナって読んでくれると嬉しいッスね!」
その『おはようございます』は目覚めた彼女からの挨拶なのか。 それとも、まさか、目覚めた俺達への挨拶なのか。彼女の言葉は、どうにも一つ一つが引っかかる。
「私はヒナさんの事も覚えていますけれど、おはようございますって……まさか……」
シズリが、青ざめた顔でヒナに問いかける。そういえば、シズリは全ての記憶が残っているのだということを思い出した。
「五十年は長かったッス。いや本当に! 長かった」
その言葉に、シズリが溜息を付いた。ナナミとヨミは言葉の意味が分からずにいたようだが意味に気付いた時にハッとした顔をする。
――彼女は、まさか最初から。
「一番は最強ッスからねぇ。そもそも、私にはなーーんにも、効かなかったんすよ。 まぁ、諸々の説明は、外のヤツラをぶっ飛ばして、居住フロアを取り戻してからッスかね。自分の部屋、見てもらった方が分かりやすいと思うし」
簡単そうに言うが、ヒナはおそらく五十年もの時間を部屋内で過ごしてきたのだ。どうやって生きていたのかは分からないが、おそらくさっき指先から出たノッカーを一撃で絶命たらしめる指弾や、ホールで十体程のノッカーを倒していた事から考えると、彼女にも何らかの身体の変化が施されていたのは明確だった。
「その前に、自己紹介を……」
シズリがおずおずと赤髪の女性に話しかけると、その女性はうっかりしていたという風なりアクションと共に、自分の事を話し始める。
「そうだったそうだった……。 あんちくしょーめ……、みーんな忘れさせちゃってんスもんねぇ……改めて始めましてじゃないんだけど始めまして! 皆さんの事は、知ってるんで良いっス。 あぁでも、本名は言っちゃダメか……、後で適当に呼び名だけ教えてもらえると!」
あっけらかんと話す彼女を見て、どうやら彼女もシズリと同じく記憶を所持している被験者だと言うことが分かる。そもそも名前を言っている時点でそれは気付いていたのだが。
「それで、生き残りはこれで全員っスか?」
ヒナはグルリと見渡して、一人一人の顔を確認していく。 その途中で、ヨミが医療フロアのドアを指差して口を開く。
「ゼロちゃんが、まだ向こうに……」
「ん? ゼロちゃん……?」
そう言って首を傾げたヒナの耳元で、シズリがコソコソと何かを話すと、ヒナの目つきが急に鋭くなった。
「あぁ……、あのクソ狸……。私の親友をコマそうって腹なわけッスね……」
おそらく、シズリはヒナにゼロの本名をこっそりと教えたのだろう。そして、ヒナの顔は怒りに歪む。
「すいません、状況変更ッス。このクソみたいな実験を始めた畜生と"ゼロちゃん"が今医療フロアで交戦中なんスよね? だからまずは、そこから私の、私達のゼロちゃんを奪還しましょ」
ヒナは手の平を握りしめながらドアの方へ向かう。
そして、ドアの前で一旦こちらを振り返って、ヒナは俺にはよく分からない言葉を発した。
「オペちゃん、そこそこボロついてるッスよね? 両手両足の番号は?」
その『オペちゃん』が誰を差したのかと思えば、よく考えると一人しかいない。ヒナの視線の先にいたナナミがいつもの元気とは程遠い、小さな声で答える。
「名前はナナミ……右が七十に左は五十ニ……両足は、単なる強化……」
それを聞いて、真剣な顔をしたままヒナが返事をする。どうやらナナミの状態は戦う事こそ出来ても、あまり良くないようだった。
「んーー……、じゃあ自分のとは合わないか。とりあえずナナミちゃんはお留守番ッスね。あとフタミくんは絶対に来てください。それ以外に戦える人います? あ、シズちゃんは待ってて良いっスよ!」
当たり前のようにヒナは俺の上の名前を呼んだ後、無言を貫いていたヨミに視線をやる。
「ヨミです。けど、銃弾切れで……」
そう言うとヒナは静かに首を縦に振った。
「じゃあ、帰ってきたらヨミちゃんの武器補充と、ナナミちゃんの武器交換からッスね」
ヒナは優しげに笑ってから、リボンで赤く長い髪をまとめはじめた。リボンを髪に結びつけて、眼鏡を外しているヒナの横に俺は立ち並び、改めて挨拶をする。
「フタミだ、よろしく頼む」
ヒナにそう声をかけると、彼女は振り返って俺の顔を少しジッと見た後、悔しそうな顔をしてから言葉を続けた。
「知ってますよ。出来ればフタミくんが何とかしてくれたら良かったんスけどねー……」
その言葉の意味が分からないままに、ヒナはドアノブを持つ。
「シズちゃーん、じゃあお二人の事よろしくッスー」
ヒナは後ろ手にヒラヒラと手を振りながらドアを開け、医療フロアへと出る。 そしてドアが閉まった後に、俺の刀に目をやって、口を開いた。
「フタミくん。それ、キミのじゃないッスよね?」
「ああ、七十六番……、ナムの忘れ形見だ。ナナミに使えるようにしてくれって、頼んだ」
俺が顔を顰めながらそう答えると、ヒナは少しだけ考える素振りを見せた後に、一歩前へ進んだ。
「ん、じゃあ良いッス。それに触れるのは、多分無粋ッスから」
「無粋、というと?」
そう聞くと、ヒナは振り返らずに答える。
「自分の固有武器のうちの一つは、乗っ取りというか、共有ッス。人の固有武器を使うことが出来るってのが自分の力。だけれど、フタミくんのソレを共有させてもらうのは、野暮みたいッスね」
そう言うと、拳に力を込めてヒナは歩を早めた。
「まだ間に合うッスよね……」
ヒナがそう小さく呟いた後に、何か名前のような物を呟いたのが聞こえたような気がした。だが、俺にその言葉に聞き覚えは無く、あまりに小さな声だったので、記憶には留められなかった。その独り言を聞き直すのは、それこそきっと"野暮"なのだろうと思った。
医療フロアは、静まり返っている。まるで、俺とヨミが逃げ帰ってきた時の喧騒は何処へ行ったかと言わんばかりの、静けさ。
だが、にわかに地鳴りのような物が響くと共に、ヒナは途端に駆け出した。
その音の場所は――近い。
「反撃、開始ッス。死ななかっただけで喜ぶのは、もうお終いッスよ!」
この施設では生き伸びる事こそが重要だと、誰かが言っていた。この施設で生きる為の方法と書かれた本が、無造作に目覚めた部屋にも置かれていた。
だが、俺達はこの環境で生き伸びる実験に付き合わされていたのだ。それでも、生き延びただけでは、この実験は終わらない。
この施設はもう、俺達を明確に殺しに来ている。それに抗う為に、それを終わらせる為に、俺はイスルギを強く握りしめ、走るヒナの後を追った。




