DAYS4 -9- 『私の部屋より、最低』
涙を拭って、ヨミが精一杯作った笑顔で話しかけてくる。
「へへ……、おにーさん、似合ってますよ。秋刀魚ちゃん……はナム先輩の部屋に置きっぱだから、この子は別の子なんでしたっけ」
立ち上がって俺に近づき、マジマジと右手の刀を見るヨミに、俺はその刀の名を告げる。
「あぁ……、あれはナムのところに置いて来た。この刀はイスルギ。イスルギだ。いいよな?」
俺は、右手で刀の鞘の持ったまま、左手でその刀身を少しだけ抜いて見せる。その青に翠の線が入った刀身を見てヨミは驚いた表情を見せた後、少し真剣な顔で頷いた。
「はい……。イスルギ、格好良いです。私はその名前、好き……ですよ」
その名前に、俺達だけは聞き覚えがある。胸を張って歩く、あの人の後ろ姿が見えるようだった。彼女が思い出してしまった名前を、その名字が嫌いだったとしても、彼女が抱えて死んだ名前を、俺達は忘れてはいけない。
「ミドリと呼ぶには、ちょっと照れくさすぎたから、納得してくれて良かった」
ヨミは、少しだけ笑った後に、その刀をジッと見つめる。その視線は、愛おしいような、苦しいような、感情の読めない視線だった。
「えぇーー! ナナミちゃんだけ仲間外れなのは良くないなぁ!」
ナナミがむくれて俺とヨミの間に入り込んで来るが、俺はその頭をポンと左手で軽く叩きながら、俺はヨミに笑いかける。
「これで、斬れない物なんて無いよな」
「……はい、きっと!」
ヨミが笑う、いつものように。本当はいつも通りなんかない。いつも通りの事なんか、一つだって無いのに、笑う。
ナナミの頭の上に置いたままの左手を少し動かすと、ナナミは少し遅れたご褒美か何かと勘違いして頭を揺らしている。
「うーん……ま、いっかぁ……」と猫であれば喉でも鳴っていそうな声を上げるナナミの頭からその手をパッと上げると、彼女は不満そうな顔を俺に向けるが、それを無視しながら疑問に思っていた事を口に出した。
「なぁナナミ、それで開いた部屋っていうのは?」
聞くと彼女は不満そうな顔のまま顔を伏せ、頭で俺の腹部を突いてくる。俺はそれを右手で押し返しながら、顔を上げさせた。
それでもむくれているナナミの頭を、後ろからヨミが撫でると、ナナミはそれで満足したようで話をはじめた。
「えへぇ……、ありがとヨミちゃん。んと……、あの部屋の子は『待っててくださいッスー!』とか言って、そのままです。なんかすっごい余裕ありげな声だったし、一番ちゃんだったからそのままにしてありますけど、見に行ってみましょっか」
――『くださいッス』とは……、何とも軽い……。
締まりの無い気もしたが、部屋番号が一番だったという事は進化耐性がこの施設で一番高かったという事だ。そうであれば記憶に関する措置もある程度緩いのかもしれない。シズリ達のようにそもそも忘れていない可能性もある。そう考えればゼロやシズリ達のように、今の状況を把握することも可能かもしれない。
「じゃあ、とりあえずはホールまで戻って、その一番の子に声をかけてみよう。それにシズリとも合流したいし、ゼロの事も気になる」
俺がそう言うと、ヨミとナナミは頷き、部屋の出入り口のドアへと向かう。
「忘れ物、無いですよね?」
振り向いて俺に確認をするヨミに、刀を掲げた。そうして、その鞘を無理やり衣服のベルト入れに押し込み、いつでも刀を抜けるように準備をする。
その動作は、一緒に振り返ったナナミの目にも移っていたようで、嬉しそうな顔をしてから改めて彼女はドアに向かい、ドアノブに手をかける。
だが、ドアを開けた瞬間、違和感が走った。
――唸り声と、そこかしこでドアが叩かれる音がする。
「ちょっと待った! なんで? なんで?」
ナナミがドアを閉めようとするが、眼前にノッカーが迫っている。話をしている暇は無い、待っている暇も。俺は青刀イスルギを抜き、両手で抱えたその刀をそのままノッカーに差し込みながら、廊下へ飛び出す。
すると、あらゆるドアというドアから、ガン、ガンという音がする。それは、まるで廊下にいる俺達へのノックのように聞こえた。
中にいるノッカー達の出せ、出せといわんばかりの合図。その音は、だんだんと強まり、そして、時々その音が消えたドアから、見たこともない形態のノッカーが、顔を出す。
このタイミングでドアが開く理由を考えるならば、一つ。被験者が眠っていた全てのドアが開いたからだ。ロックの必要が無くなった。まさか、この生き残りをかけた殺し合いそのものが、実験だったというのだろうか。
確か、その部屋主を殺した部屋開きのノッカーは部屋主を連れて部屋に閉じこもると聞いた。そして俺は、"ゴウ"という知能が発達したノッカーも、"ナム"という獲物を使うノッカーの成りかけもこの目にしている。何がいても、どう進化していても不思議ではないのだ。
だから、おかしくはない。知らない事だらけなのだ、何が起きたって、もう、おかしくはないことだけは知っている。動物型のノッカーがいた事だって、軟体型のノッカーがいた事だって、誰も教えてくれなかった。けれどヤツらは、当たり前のように現れたのだ。
だから、今開いたナナミの部屋のいくつか右隣にある部屋から出てきたノッカーの右手を見ても、さほどの絶望は無かった。慣れてきている、慣れてしまっている。このくらいのことは。
その、ノッカーの腕と一体化している、奇妙な機械は、紛れもなく――
――誰かの固有武器だ。
「ヨミちゃん避けて!」
俺が刀で貫き、絶命したノッカーから刀を引き抜こうとしていると、ナナミは部屋から出てきたばかりのヨミに向けて叫びながら、左手を振りかぶって、ノッカーの目の前に氷壁を張る。
その氷の厚さは、おそらく前に俺が見た時も大分分厚い。それは、ナナミの焦りが産んだ物なのか、それとも廊下の横幅の狭さが産んだのか、それとも意識的な物なのかは分からなかったが、結果的にその分厚さは功を奏した。
間一髪、透明な氷壁の向こうに火柱が上がる。分厚い氷壁が、ノッカーの右手の装置から繰り出された炎で、溶かされていくのが見える。
ナナミと二人でコンテナ部屋を制圧した時の事を思い出すような水蒸気の量によって、氷壁の向こうが白く染まっていった。
「私の部屋より、最低な事が起きてたんだ……。こんなの、冒涜だ……っ!!」
ナナミは、悔しさを絞り出すように呟きながら、左手を大きく掲げ、その手の先に氷柱を作り出す。それはまるで、太く、長い釘のようで先が尖っている、名付けるならば氷釘とでも呼ぶべきだろうか。
「二人とも! とりあえず走るよ! 場所はシーちゃんのとこ! 部屋から出てきたヤツらは相手にしない方が良い! 多分殆どが、すっっごく面倒だから!」
ナナミはそう言いながら、炎によって薄くなっていた氷壁を突き破るように、その手に持った氷釘を思い切り炎を繰り出してきたノッカーの右手に投げつける。ノッカーは右手ごと地面に固定され、動きを止めた。おそらくは固有武器ごと地面に張り付けたのだろう。
「此処は私が! 今度は私が! 食い止める!」
大きな音を立てて氷壁が崩れて無くなり、こちらに舞い込んでくる水蒸気に煽られながら、ナナミは再度地面に左手を張り付けた。ナナミの顔が、苦渋に満ちているのが分かる。
「絶対に、許さない! 後で、覚えてろよ!」
ナナミのその声を聞いた俺は、走り出すヨミに一歩遅れて、両手で持った刀の柄を強く握る。そして、その柄の一番上にあるスイッチを押し込んだ瞬間に、身体に軽い振動が伝わるのを感じた。
新品だからか、それともナムの刀に何らかの欠陥が置きていたのかは分からない。だけれど、イスルギは、震えている。その刀が光を帯びて、水蒸気の中で青く光る。
ナナミが、許さないというのなら、その中の一体をこの霞の中で切り落とす事くらい、許されてもいい。俺が部屋を出た時に倒したノッカーを見ると、そいつは何の変哲もないノッカーのようだった。
どうやら、死者を弄んだヤツと、弄ばなかったヤツがいるらしい。どちらも、殺すのには、変わりないのだが。
「なぁ、絶対に、許さないって、よっ!!」
俺はナナミの氷釘によって動けなくなっていたノッカーを右に避けるように駆ける。そのすれ違いざまに、地面に打ち付けられたノッカーの右腕を、下からなぞるようにイスルギで跳ね上げた。
そして前に一歩踏み込みながら、両手から右手だけに持ち替えた刀を水平にし、身体をグルリと一回転させると、俺の目に一瞬映り込むノッカーの身体に、刃先が沈み込むのが見える。
ノッカーの身体を斬り裂いた感触が刀から手の中に伝わってくる。一回転して前を向いた俺は、そのまま走り出すと、後ろでドタッと何かが落ちる音が聞こえた。それが、半分に斬り落とされたノッカーの半身だという事は、見ずとも分かる。
刀についた返り血をふるい落としながら、右手で刀を持ったまま少し走る速度を上げ、ヨミに追いつく。そうしておそらくノッカーの身体を斬り落としたその音が、ナナミにも聞こえていたのだろう。氷壁を張り終えて駆け寄ってきたナナミは俺の耳元で小さく「ありがと……」と呟いていた。




