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DAYS4 -7- 『強くなって、頑張るんだろ』

 俺の左手の傷と、俺の右腕から滴っていた血液が止まるまで、その場で言葉を発する物はいなかった。それでも俺の右腕は動かなかったが、少なくとももう俺に生命の心配は無いようだ。


 ただ、ナムは自分のしでかした事の重大さと、ヨミの顔を見て、気が気でないように見える。

「それを私に、使うなんて嘘だろ。一本しかないなら、決まってるじゃないか……」

 ナムは力無く呟く。その視線は、ヨミのノッカー化しかけている右足に向いていた。

「ナナミについては発作の予兆すら無かったらしいから、今どうなっているのかは分からない。ヨミについては、さっき鼠の成れの果てに噛まれた時に、ノッカー化を促進する何らかの、毒みたいな物が入ったんだろうな……。もしくは、そもそもこのタイミングで発作が起きるようになっていたか……」

 俺が、俺自身に状況を理解させるように、ゆっくりと状況を話す。ヨミが自分の傷について、いつも以上に注意が行かなかったのは、明らかに俺がヨミに使用した生命の緑の反動、感覚の遮断からだ。だから、そもそもの責任は俺にある。

「ダメですよ。この薬は、ナム先輩の為に持ってきた物なんです。私はもう少し我慢して、もう一度取りにいけば、いいだけ、ですから」 

 その言葉を聞き、ナムが焦ったように落ちていた刀を手に取り、自分の首元に当てた。きっとそれは、発作が起きてからの苦しみや、時間経過による理性の損失についての恐怖をヨミに与えたくないが為の行為なのだろう。


 本当に死ぬ覚悟があるのだと、何となく分かってしまった。何故なら、同じ立場ならば自分もきっとそうするだろうから。


 ヨミには、自分と同じ苦しみを味合わせたく無いという思いが、ナムを凶行に走らせようとする。だがナムの手に力が入った瞬間、銃声が聞こえた。


 見て分かる通りではあるが、ナムのその行為が何を想い何を意味するかを、ヨミはすぐに感じ取ったのだろう。ヨミがナムの手に持った刀の柄に銃弾を撃ち込み、その手から刀を弾き落とす。

 その柄から跳ね返った銃弾がヨミの足元に突き刺さるが、そんな事も分かっていたように、ヨミは微動だにせずに口を開く。今の彼女は、きっともう的を外さない。

「ナムちゃん。そういうのは……、無しです。話し合えるなら、話し合いましょうよ。でも私はナムちゃんに使いたい。でもでもナムちゃんは、私に使いたいんですよね? けれど、そもそも、その薬はナムちゃんが使う為に、持ってきたものです。ゼロちゃんだって今どうしているか分からない、命がけでナムちゃんの為に持ってきたものなんですよ。もう、おにーさんのせいです、変なことを言い出すから……」

 ヨミが、振り返ってこちらを睨む。

いつの間にか頬の傷は治り、真っ赤な目から、透明な涙だけが伝っていた。


「正論だ、正論だよ。けれど、ヨミとナムの意見が一致しなければ、俺がどちらに使うかを選ぶ事は、出来ない」

 手に持った注射器を、どちらかに手渡すわけにはいかなかった。

 

 ヨミに渡せば、ナムに使おうとする。

 ナムに渡せば、ヨミに使おうとする。

 

 それは火を見るよりも明らかだ。だから、俺は見届ける必要がある。答えが決まるその瞬間まで、この対話を見届けなければ、いけない。


「だから、二人で決めてくれ」

 俺のその言葉に、二人の視線が刺さる。その視線が、何よりも痛い。

 

 ナムからは、懇願の視線。

 ヨミからは、怒りの視線。


 数秒の沈黙を破ったのは、ナムの言葉だった。その表情は、少しだけズルい顔で、笑っている。

「私の、名前はね、石動翠(イスルギミドリ)っていうんだ」

 その言葉に、ハッとヨミの顔が上がる。

「石動財閥、覚えてる? 覚えてないか。私も少し前まで忘れてたくらいなんだから。ディジェネ――この施設を建てるのに莫大な寄付をした資産家の娘が私。石動家はね、この研究にも一噛みしてんだろうなってくらい、私利私欲に塗れた意地汚い家だよ。大嫌いだった。でも、し……ヨミに会えたのは感謝かな」


 ナムの記憶が、蘇っている?俺達を俺達足らしめているのが、記憶の喪失だとしたら、まさか、もう。ナムは、言葉を発する度、肩で息をしながら、何かと戦うように言葉を絞り出す。


「だから、私はズルでこの施設に入ってきた。長女、だったからね。友達も捨てて、家族も捨てて、無理やり此処に入れられたんだ。進化耐性検査って覚えてる? 覚えてないか」

「でも、話で知ってる」

 俺がそう言うと、ナムはヘヘッと笑って話を続ける。

「そっか、じゃあ話は早いね。私はね、耐性が完全に無かったんだ。

 親父も馬鹿だな、金に物を言わせたんだと思う。進化抑制薬、それを無理に使わせたから、私は今まで自分を保ててたんだろうね」

 ナムは、寂しそうに笑う。

「だからって! そんな事どちらが使うなんて事とは関係が!」

 ヨミの声を遮って、ナムが語気を少しだけ強める。

「あるんだってば!」

 ナムは辛そうな顔をして頭を掻きむしった。興奮がまたノッカー化に近づけているのだろうか、その言葉と共に、ナムの声が徐々に聞き取りにくい物へと変化していく。

「ねェ、あるん……っだよ。ヨミ、自分の名前……思い出せル?」

 ナムがそう言うと、ヨミは涙も拭わず、自分の名前を思い出そうと苦しんでいる。

「私、私の名前は……」

 口ごもるヨミを見て、ナムは少しホッとした表情を浮かべた。

「決まり……ダね。まだヨミは……大丈夫だ……。間に合うのはヨミ。だからニィさん、使うのは、ヨミだ」

 ナムは、何か確信を持ったように、使うべきなのはヨミだと断言する。


「名前が、境目だったのか」

「と……いウよりも、記憶……。タ、ブン、名前そのモノ、を聞いても思い出せなきゃ……意味ナいよ。でも、アタシは……思い出せチャったから、間に、アわない」

 ナムはその場で膝を付き、自分の頭を自分の手で数発殴る。壊れかけの機械を、無理やり叩いて動かそうという様な仕草に、ヨミは小さく声を上げる。


 ひとしきり殴って、顔をあげるナムは、その痛々しい音の後とは思えないくらいに、しっかりとした目をしていた。赤くとも、その目は燃えているかのように、覚悟に染まっていた。

「だから、さ……、もうそろそろ、ダメなんだ。私が、分かんなく、なる。

 覚えてるんだよ私、ヨミまで一緒に斬ろうとした、よな?」

 意識を無理やり引っ張りだしたかのように、落ち着いた声で、ナムはゆっくりと話す。

「あぁ、そうだな……」

 肯定すると、ナムは辛そうに俯き、ヨミはその場で拳を握りしめて、黙り込んでいた。

「私は、さ。この子の笑顔が本当に好きだったんだ。その為に、三年間生きてきたようなもんなんだよ。それは、記憶を思い出した今も、おんなじ。それを私は殺そうとした、やっぱ、手遅れだよ」

 ナムの言葉交じって、ヨミの嗚咽が聞こえる。 

「もう、泣くなよなぁ……。ズルいのは分かるけど、さ。でも、元々間に合わなかったんだと思うんだ。実は私、にーさんとあの女の子が来た時にはもう殆ど思い出しちゃってたんだ。それでも、もしかしたらって思った。にーさんと戦っている時も『ヨミを守らなくちゃ、ヨミを守らなくちゃ』って思いながら、戦ってた。滅茶苦茶だよな、思い出せばにーさんの事も見えてたのに、どうにも出来ない」


その後一呼吸置いて「でも」とナムは大きく息を吸い込んで、小さく叫んだ。

「見えなかった。見えなかったんだ! 『ヨミを守らなくちゃ』って思いながら、ヨミを貫こうとしてた。気付いた時には、にーさんが止めてくれてたんだ。だからさ、私は……オシマイなんだ。ごめんね、ヨミ、にーさん」

 ナムのその言葉も、涙声に変わる。

これは、彼女の終わりへと続く言葉だ。俺も、ヨミも、何も出来ない。

言葉を刻んで、彼女を刻む、その最期を、受け止める事しか、出来ない。


「それでもっ、私は!」

「だよね、そうだよね。ヨミはそう言うよね。だから最後の一押し」


 赤い目をした、人間が二人、涙を溢す。


「これは、にーさんとあの子が部屋を出ていってから思い出した事。だから、無駄足踏ませちゃってごめん。だけどねにーさん、私、本当に嬉しかったよ。でもね、この薬、もういらないんだ」

「ナム……、まさか……」

「耐性の無い人間の進化は、もう薬じゃ止められない」


 その言葉に「わあああ!」とヨミが泣き崩れる。

彼女の頭を撫でながら寂しそう顔で眺めるナムは、再度発作を堪えるかのように、頭を抑える。一瞬声が唸り声のような物に変わるが、思い切り頭を殴り、彼女は自我を保っているようだった。

「なぁ、にーさん……。ヨミの事、頼める? ちゃんと、守ってくれるよね?」

 俺は何も言わず、ただナムの目を見て、しっかりと頷く。

その顔がおかしかったのか、彼女は少しだけ鼻で笑うが、その笑みもすぐに唸り声のようなノイズにかき消される。


「それと……、悪いん、だけど、さ。私の事も、頼める? 部屋を開けられるノッカーがいちゃ、まずいんだ。私はもう、誰も傷つけたくない。たった今、二人の心を傷つけてしまったって、生きていたなら、きっと」

 

 その言葉は、つまり、そういうことだ。


「俺に、ナムを殺せ、と……」

 俺が呟くと、ヨミが泣きながら叫ぶ。

「だめ!! だめですってば!! そんなの!」

 そう叫ぶヨミを見ながら、ナムが明らかに無理をして笑いながら言う。


「出来れば……、私はヨミに頼みたかったけど、それは、あんまりだよね」

 ナムは必死にノッカーになる自分と抗いながら、最期の願いを伝える。

「ごめん……、そろそろ、ダメだ。にーさん、安心、させて?」

 その意味は、一つ。


 だが意味に気づいたのはヨミよりも俺が早かった。

俺は座り込んで泣きじゃくっているヨミに近づき、ヨミが俺の行為に気付いて制止する間も無く、ヨミの右足に進化抑制薬を打ち込んだ。

「おにーさん!!」

 泣きながら突き飛ばされるが、もう薬はヨミの体内を巡っているはずだ。結局、ナムが一枚上手だった。勝敗が上がった。

 

 これで、正解。

 初めての正解だ。

 こんなものが、正解だった。

 だけれど、誰一人として、納得は出来ない。


 俺がヨミに注射器を打ち込んだのを見たのか、後ろからナムの「良かったぁ……」という声が聞こえた。


 そして、バタリと人が倒れる音がした後、ノッカーが立ち上がった。


「気、抜くなよな」 

 唸り声を上げながら迫ってくるノッカーの拳は俺の腹部を強く撃ち抜き、俺は壁に吹き飛ばされる。今の俺に、抵抗する彼女を殺す術はもう無い。

 

 ノッカーは、ヨミの方を向き、唸りを上げる。

殺意がある事くらい、感覚の青が無くても分かる。

「ヨミ!」

 叫ぶが、ヨミは動かない。

「ナムのことを、考えろ!」

 その言葉に、ヨミはハッとして立ち上がり、銃を構える。


 銃声が、一つ。


 だが、ヨミの放つその銃弾は、ノッカーには当たらない。

ヨミへと歩を進めるノッカーは、躱す素振りすらしていないと言うのに、その銃弾はノッカーの横を通り過ぎていく。

 

 銃声が、一つ。


 だが、ヨミの放つその銃弾は、ナムには当てられない。

ヨミへと歩を進めるナムは、躱す素振りすらしていないと言うのに、その銃弾はナムの横を通り過ぎていく。


 銃声が、四つ。

 

 だがもう、その銃弾が当たったかどうかを、確認する必要すら無かった。

カチッ、カチッという音で、もう残弾が無い事に気付く。

俺は壁際からドア付近のヨミまで駆けるが、もうノッカーの腕はヨミの真上にあった。


 ヨミの頭へとその手が振り下ろされると思った瞬間、ノッカーの腕は、まるでドアの前に立つヨミを優しく包むようにして、後ろのドアノブを掴んだ。

そして、ドアが開くと同時に、ノッカーはヨミと共に廊下へと倒れ込む。


「ヨミちゃん! 大丈夫?!」

 廊下で聞こえた聞き覚えのある声は、おそらくナナミの物だ。

その声に反応して、廊下にいるノッカーがヨミを差し置いて立ち上がるのが見えた。

 

 俺は部屋を飛び出し、呆然自失のヨミに駆け寄る。

「ごめんなさい、私。弾も……、もう……」

 もう既にノッカーは駆け出しており、おそらく俺達を探していたのであろうナナミに駆け寄ろうとしている所だった。

ノッカー化していたとしても、原型の殆どは未だ留めているナムに対して、ナナミは困惑したまま、戦闘行動に出ようとする気配が無い。


「いいや、間に合う」

 俺は始めてヨミに会った時に受け取ったきり、大事にポケットに入れたままだった、一発の銃弾を、ヨミに手渡す。

「強くなって、頑張るんだろ」

 いつかヨミに言われた事を、そのままヨミに返す。

 それは残酷にも思えたが、ナナミが目の前でナムに殺される姿を見る方が、ずっと辛いのは、誰もが分かりきっている。


 ヨミは、俺から渡された銃弾のスイッチを入れ、弾倉に入れる。そして、ノッカーの頭に、照準を合わせ、引き金に手をかけた。


 だが、その手はどうしても引き金を引けず、震えている。俺は彼女のその手を、左手で包み込んだ。

「狙いを定めるだけでいい」

 そして、ヨミの指の上に合わせた指に力を込め、俺はヨミの指の上から引き金を、引く。

「一緒に、強くなって、頑張るんだ」


 ヨミは、引き金を引かなかった。

 俺にも、引き金"は"引けなかった。


 でも、ヨミの指は、引き金を引ける。

 だから、その指を使って、俺が引いただけの話。

 

 銃声が、響き渡り、ドタッとノッカーが倒れる。ノッカーのその拳は、ナナミの脳天を捉える寸前だった。


 泣きじゃくるヨミの肩を叩いて、倒れたままのノッカーの身体を、開けっ放しになっているナムの部屋に運んだ。状況を察したであろうナナミが、ヨミを抱きしめているのが見えた。

 そのドアを開けておいてくれとナナミに頼み、ナムの部屋に入ると、俺はそのノッカーの身体を部屋の中央に寝かせた。

 

 心音は、聞こえない。

「守るさ、絶対に」


 そう言って、俺は部屋に落ちていた青刀を拾い上げ、ノッカーが眠るそのすぐ隣の床に、思い切り突き刺した。

 

 そして、部屋を後にして、振り返らずにドアを閉める。

動かない右手が、酷く疼いた。

気付けば左手で、思いきりドアを殴りつけていた。

「……本当に、我儘なヤツだよ」

 拳を叩きつけて、叩きつけて、流れた自分の血で、部屋に大きくばつ印を書いた。


 俺が彼女にとって、最後のノッカーだ。

 もう、この部屋がノックされる事は、二度と無い。

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