DAYS4 -3- 『最後の赤』
ゼロが地図を見ながら俺達の前を少し先導し、その後ろにヨミと俺が並んで進む医療フロアは、一見すると廊下と部屋の組み合わせで居住フロアとそう変わらない作りのようにも見えた。ただ分岐路は明らかに多く、その度に色あせた職員用の看板が目に留まった。
時折ガラス張りのような、部屋の中身が見える部屋がある。その数は、二部屋に一部屋くらいの割合で、俺が感知したノッカー達の多くはどうやらそのガラス張りの部屋の中にいる様子だった。
俺達を見つけると、ノックとは言えない程度の力で、壁のガラスを叩き、その度にゼロが身体をすくめて短刀を取り出そうとする。だがひとまずはそのガラスが破られることは無さそうに見えた。
道中を塞ぐノッカーは数体居たが、どれも俺が感知した後に慎重にヨミの拳銃を当てさえすれば対処出来た。
想像以上にスムーズな進軍に安心して進んでいると、ふとヨミが口を開く。
「そういえば……」
ふと思い立ったような声に、一旦全員が立ち止まる。
「なんでノッカーって、生きてるんですかね?」
その言葉は思った以上に素っ頓狂で、思わず俺もゼロも首を傾げながら無言でヨミの顔を見た。
その視線に少したじろいだヨミだったが、強気に言葉を続ける。
「だって! シズリちゃんのお兄さんはご飯が必要だったわけですよね? おかしいじゃないですか! 話に聞く限りじゃこいつらだって物凄く長い間此処にいるわけですよね? だったら餓死してても……」
確かに、ヨミの言う事は尤もだ。ゴウが食事を必要としていたなら、このノッカー達だって食事をしていなくちゃおかしい。
俺の中には無いその答えを出せずにいると、ゼロが地図を見ながら現在地を確認して、とある部屋の前で立ち止まる。
「えーっと、それじゃあその答え、確認していきますか?」
ゼロが立ち止まった部屋のドアの上には、時間経過によって文字が読みにくくはなっていたが、ギリギリ読める文字で『特殊例研究室B』と書かれたプレートがあった。
「情報収集も、必要だとは思います……。私も、ノッカー化については調べるべきだと思っていますが……」
俺の方をチラっと見るゼロ。 だが、そのリスクを犯してまで一旦立ち止まる必要があるだろうかと考える。 すると、ヨミがハッと何かに気付いたようで俺達に頭を下げた。
「っていうか! おにーさんの力って時間制限ありましたよね!? 良いんです良いんです! すみません変なこと言っちゃって!」
そう言われてやっと、俺が感覚の青を使って、もう既に十分以上過ぎている事に気付く。
――力が、無くなっていない。
思えば、ムクとゴウと戦闘した時も、時間にしたならば今までよりも五分くらいは長く効果が出ていたような気がする。そう考えると、効果時間が伸びているのだろうか。
もしかすると、俺の薬液は使用後の行動によって効果時間が変わるのかもしれないと思った。一旦使った薬液は、単純な時間経過でも切れるが、薬液を使用した上でその力を行使しないことによって基本の効果時間を増やせるのでは? などということを考える。
最初に薬液を使った時にほぼ時間通りだったのは、常に全開の力が出ていたからではないのかと、淡い期待をしてしまう。この力が、使っている時だけ砂が落ちていく砂時計のような物だとしたら、その力が制御出来るようになってきた今なら、使いやすいかもしれない。
とはいえ、全ての薬液が残り一回分しか無い。
つまり、今考えた全ての可能性は薬液が残り一回分という事実を見たくない俺の哀れな妄想だ。
そんな物思いに耽っていると、ヨミに背中を押される。
「こういう細かいこと、此処では気にしちゃダメなんでした! 聞かなかったことにしてください! ほらお兄さん、ゼロちゃん、行きましょ!」
ゼロが先導しようとした瞬間に、咄嗟に感覚の青の力を走らせて、周りにノッカーがいないかを確認する。
いまや、感覚の青についてはかなりコツを掴んでいた。
自分達以外の足音、心音、呼吸音、どれが何処にあるかを把握するだけで言えば、ほんの一瞬感覚を研ぎ澄ませば良いだけなのだ。しかし、それを記憶出来るかどうかは別の話なので定期的に使う必要はあったが、それでもさっき俺が自分に感覚の青を打ち込んでから、使用した時間は一分と少しといったところかもしれない。
さっきの想像通りだと便利なんだが、と思いながら先に行こうとするヨミの肩をそっと掴み、ゼロに先に行くように促す。
「強くなったからってハシャぎすぎるなよ……? とはいえ、攻撃行動が出来ない俺が言うのもなんだか違う気もするけど……」
俺に肩を掴まれたヨミはその肩にかかる重みでやっとそれに気付いたらしく、焦って立ち止まる。
「あ、あぁ! そうでしたそうでした……。すみません……」
想像以上に、ヨミに使った生命の緑の反動は長く続いているようだ。
これだと、実際に傷を負った時に気付けずに危険では無いかと考えたが、もしかすると、実際に傷を負った所で……とまで考えが至ったところで、それもまた淡い期待だと首を振って考えるのをやめた。
「もう少しで、目的地ですね……」
緊張した面持ちでゼロが呟く。
周りを警戒しつつ、ゆっくりと進軍して十分弱。医療フロア自体は入り組んでは射るものの、全体像で考えるとそこまで膨大な広さでは無いはず。ただ迷うと同じ道を歩く事にはなりそうだと思った。
「お薬、あるといいんですけど……」
そう呟いたゼロがハッと口を抑えるが、逆にその仕草がマズかった。俺は事情を知ってはいたが、ヨミがあの番号順による進化耐性の話を聞いて、今の仕草を見て、不思議に思わないはずが無い。
「お薬って……、誰のですか?」
数秒の沈黙の後に、ゼロが口を開こうとする。
「えっと……、実は……」
「ナムにな、持っていくんだ。後、番号的にはナナミの分か」
ナムに言わないという約束をしたのはゼロだ。だったら、これは約束を破ったわけではない。助け舟というには、あまりにも脆い泥舟だが、その泥を俺がかぶるくらいは大目に見てほしかった。
というよりも、いつまでも隠し通せない事は、分かっていたし、目的の共有なんて一番大事な事なのだ。本当は、最初に伝えておくべきだったのに、その善心から何も聞かずについてきてくれたヨミには感謝する以外無い。もしかするとノリで付いてきたかもしれないが。
「ナムちゃん、だから来なかったんですね……」
顔を落とすヨミに、ゼロが言葉をかける。
「ご、ごめんなさい……。言うなって、口止めされてて」
本当に正直な子だ、とても良い事だとは思うが、せっかく俺が作った泥舟が台無しだった。
「じゃあゼロちゃんは悪くないです。お兄さんが悪いんじゃないですか!! 何で言っちゃうんですかっ!」
台無しではなかった。沈んだのは俺だけだったようだ。ヨミは、俺が用意した泥舟を見事に乗りこなしている。最初に部屋で会った時の、少しお姉さんじみた態度は何処へやらと行った具合で、プンスカと怒っているヨミを横目に、ゼロが口パクで「ありがとうございます」と伝えてきた。それに苦笑で答えると、ヨミが脇腹をついてくる。
「でも、最初に言って欲しかったですっ! よっ!」
残念ながら、思ったよりも泥船から降りるのが早かった。ただ、一回乗ってくれたお陰でゼロの約束は守られたのだ、良しとしよう。
ヨミに小突かれるまま、軽く謝ると、ゼロがある部屋の前で歩を止めた。
「ここ……、ですね」
ゼロは地図が入ったファイルをカバンに閉まい、薬品庫と書かれたプレートを見た。そして、ドアノブに手をかけようとしたのを俺は制止し、中の様子を感覚の青を使い伺う。
感覚の青が、走る、が。
キーンという音に、その感覚が切り落とされる。
「痛ッ!! 何だ、これ……」
思わず耳を抑えるが、痛みが耳を通して体中に奔っていく。
その痛みの元を探ろうとするが、まるで痛みがそのまま流れ込んでくるような感覚に、俺は困惑し、思わず痛みにうめき声を上げ、膝を付く。
「待、て。この中、何か、変なのが、いる……」
無理して声には出したが、言わずともヨミとゼロは膝を付いた俺を心配して俺の前にしゃがみこんでくれた。という事は二人にこの痛みは無いと考えていいはず、俺は感覚の青の力を急いで消すと、その痛みも同時に消えた。
俺はもう消えたはずなのに未だに自分の中で鳴り響いているような痛みの気配に少し怯えながら、二人に今起きたことを説明した。
「多分、この奥に何か、俺達が此処に来たことを知っていて、しかも俺が感覚の青を妨害したヤツがいる。だから、正確な数は……、グッ……」
もう一度青を走らせようとするが、今度はさっきを越える激痛によって、すぐに中断させられた。
「悪い、多分……確認出来ない」
「この薬品庫は、かなり広いはずですから。もしかすると沢山いるだとか……」
そう言いながら、ゼロは少し困った顔をしながらもドアノブに手をかけた。
「でも、どうあっても、行かなきゃ」
ヨミも、拳銃の弾倉を確認して、呟く。
嫌な予感がした。この施設の中でのそういう嫌な予感は、外れるわけが無いのに。
ゼロが手にしたドアノブを回すのを、俺が止められなかったのは、この先を選ぶしか無かったからだ。
そして、ドアが開かれる。
ドアの向こうを、視認してやっとその正体に気付く。
――そりゃ、聞こえていたなら耳も塞ぎたくなる。
「人間以外も、なるのか」
広い薬品庫の天井に、大量の黒い翼が蠢いていた。その地面には、大量の尻尾が揺れていた。
「やっぱり途中で資料とか、探しておけば良かったかもしれませんね……」
ヨミがゴチる。
「私もこれは……、知りませんでした……」
ゼロも絶句している。
「最後の赤、使うぞ」
俺は二人の顔を見て言い、二人が頷いたのを確認してから、力の赤を自分の身体に押し込んだ。
コウモリと、ネズミ。
そして、人と、人。
化け物と、化け物。
そして、人と、化け物。
最後の力の赤はやけに身体に馴染む気がして、もしかしたら俺もまた化け物かもしれないと思いながら、化け物かもしれない俺が、化け物だらけの部屋の中へと先陣を切った。




