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DAYS3 -AnotherSide2- 『正解だったら、良かったのにね』

『DAYS3 -7-』にて

フタミとゼロがホールに戻ってきた"後"に起きた出来事

【ムク視点】


 ホールを眺めていると、シズが廊下から少しだけ駆け足で帰ってくる。

「仕掛け終わりましたよ」

タイミングは、バッチリだったらしい。

シズがアタシの隣に並び立った時に後ろでバシッという衝撃音が聞こえた。


――さぁ、殺し合いだ。


 アタシは、シズとゴウ君と、三人でこの生活を一日でも長く続けるんだ。だから、邪魔はさせない。歪な考えだという事は分かっているけれど、それでもこの施設の真相を知った後なら、この施設の外に出たいなんて思えない。

 今の世界の状況も、ディジェネの存在理由も、シズには話していない。それを伝えるのは、彼女の予測の選択肢の中にある希望の芽を摘み取りかねないから。とはいえ、此処は私達を実験動物扱いしていた施設だ。考えれば想像出来ることでも、あの子は今この瞬間以上の予測なんてしていないだろう。


 名前もいまいち覚えていないけど、さっきの二人を無力化したから勝率は上がっているはず。とにかく、アタシ達は管理者権限を持ってるヤツを殺せばいいだけだ。


 アタシは、最大級の敵意を持って、後ろを振り向く。


 ホールの入り口に立っていたのは長身の男だった。ということは、薬液強化系の武器のヤツだ。誰かと話している、という事は、残り二人のうちの一人を引いていたら、その話し相手がアタシ達の目的の相手だ。


 さて、アタシのクジ運はどうだかなと思っていると、男がこちらに向き直り声を上げる。

「なあ、話には聞いているかもしれないが、俺は二十三番だ。状況が分からないから教えて欲しい。こちらに敵意は無いから、話しあえやしないか?」

 バカな事を言っているなと思ったし、甘いなと思った。

すると、隣にいるシズがクスクスと笑いながら彼を挑発する。


「ナンセンスですよ、お兄様」

 シズが一歩踏み出した弾みで、彼女が背負っているゴウ君の入ったリュックが揺れる。彼女も覚悟を決めてくれたみたいだ。戦うのが得意でもなければ、きっと今も本当はこんな事をしたくないはずのこの子が、良く覚悟を決めてくれたと思った。


 それが嬉しくて、ついアタシもその挑発に便乗する。

「そうだぜアンちゃん、この状況じゃ、アンタの敵意なんて関係ないと思わないか?」

 手に持ったただのノコギリを思わせぶりに構えて、強者を装う。それにしたって、戦いに持ち出したのがただのノコギリだなんてお笑い草だ。他の人らの固有武器の事は大体知っているけど、アタシらだけ仲間外れだなんて、本当にズルいと思う。せめてアタシも銃くらい撃ってみたかった。


「私達は、状況を変えてもらっては困るんです」

 そう、私達が生きていく為に。


「ごはんがさ、無いと困っちゃうんだ」

 そう、ゴウ君が生きていく為に。


 シズと私は一歩ずつ、困惑した表情を浮かべる彼に近付いて行く。

もし今、薬液を使用していないのであれば、無力化するのは容易い。

この男を殺すつもりは無いのだ。とはいえ、邪魔をし続けるのであれば、仕方ないのだけれど。


「とりあえず、話し合いがしたいんだが。それも、ダメなのか?」

 男はポケットから注射器のような物を出して、こちらに見せるようにしながらまたポケットに仕舞う。

 おそらく、脅しのようなものなのだろうが、それを見せるという事は、まだそれを使っていないという事だ。


――だったら、今なら一撃で。


 シズに合図を送ろうとすると、男の後ろから、女が飛び出してくる。

「私達は、医療フロアに行きたいだけです。シズリさん、ムクさん」


 私のくじ運は悪く無さそうだ。


――殺すべき相手が、見つかったじゃないか。

 

 それに、一番出てきてほしく無い振動刀の女の姿が無い。

「精神系進化の特殊例だった貴方達なら、流石に記憶も消されてないですよね? だったら、医療フロアに私が行きたい理由も、分かりますよね?」


 分かる、分かるよ。だから、行かせられない。私はその女の容姿を何処かで見た事を思い出す。そして、それに追随して、所長の顔が頭をよぎって、思わず顔を顰めた。

「あぁ……、アンタ、所長のお気に入り……。

 図書館使ってたのはアンタだったんだね」

 

 所長は大嫌いだった。やっている事はクソみたいなのに、薄っぺらい笑顔で接してくる所が余計に。こいつはお気に入りだったから何も知らずにいるんだろうなと思うと、気持ち悪さに戦意をそがれてしまい、私は両手で持ったノコギリから左手を離し、右手でブラブラとノコギリを弄ぶ。

 

 思わず、その不快感からコイツの本名でも叫んでやろうかと思った。アタシらは特殊進化例だから平気だけど、コイツらはおそらく名前についての記憶操作を受けている。だからきっと、進化抑制の解除のトリガーが名前になっているはずだ。だけれど、この女が完全耐性持ちだった事を思い出して、心の中で舌打ちをした。


 そんな私とは対照的に、シズは少しだけ驚いたように、そして嬉しそうな風にその女に声をかける。

「お姉様も、まだ生きていたのですね……」

 そういえば、シズはアタシよりも他の人と関わりがあったんだった。

お姉様なんて言うあたり、懐いていたのかもしれない思うと少し嫉妬心が芽生え、苛つきが加速する。


「ですが、ダメなのですよ……。私達は、成れの果てを安全に狩る事が出来る今の状況が、一番良いと判断しているのです」

 それでもやはり、シズはアタシの味方だ。それが、愛おしく感じ、申し訳なくも思う。


『一番良いと判断している』のは、この子じゃない、アタシなのだ。この子は私に付き従ってくれているだけ、そんな事は分かっている。それでも、今の状況よりも、アタシ達にとって良い状況なんて、無い。


 それよりも、口をパクパクさせて、何かを言おうとしているあの所長のお気に入りが、私は気に入らなくて仕方がない。善人面をして、無垢な顔をして、私とシズの名前まで覚えている癖に。


――コイツは一人、大事な人を忘れている。


「な、私達を覚えてるってことは、アンタも覚えてんだろ? だったらアタシ達を見て、何か足んないと思わないか?」

 エボル現象が始まってから、ずっとそうだ。 何処へ行っても、私達は"双子の姉妹"として扱われる。双子と化け物の組み合わせ。


 私達は、れっきとした三つ子なのに、顔や造形が変わったって、ゴウ君はアタシの大事な家族なのに。どいつも、こいつも、人だったという事を、忘れやがる。


 だからアタシは、その苛立ちと共に、シズのリュックのチャックに手をかけた。

「姉さん! それは見せちゃ……!」

 良いんだよシズ、だって私達だけじゃ、勝てないんだから。ゴウくんがいなきゃ、私達は生きていけないんだ。ずっと、そうだったじゃないか。

 私達は作った機械で成れの果てを拘束するのが関の山、後は全部ゴウ君が頑張ってくれてたんだ。だから、見せてもいい。あの子は私達の自慢だ。


 アタシがリュックのチャックを開けると、ゴウ君が勢い良く飛び出す。その衝動のまま男を殺そうとしたゴウ君に「ストップ!」と言うと、ゴウ君はいつものように静かに立ち止まった。


 殺すのは、一人だけ。この男じゃないんだ、ゴウ君。


――殺すのは、この女。


「なぁ、アンタ。アタシの弟くんの事、忘れてないか?」

 

 ゴウ君の姿を見て、男の目に怯えが映る。女にも緊張が走っているのが分かる。そうだよ、アタシのゴウ君は、強いんだから。アタシは吐き捨てるように女に告げる。


「思い出したか? 所長のお気に入りの"耐性ちゃん"。アタシらは精神進化の特殊例として、そしてゴウ君は制御出来る成れの果てとして、このクソ施設で飼われてた、実験動物だったろ?」

 苛立ちは、治まらない。

「成れの果ても、元は私達人間ですから、食事を必要とします。ですが、もうゴウ兄さんは人間の食事は受け付けないんです」

 シズが悲しそうに目を伏せる。その表情が、本当に悲しみから生まれた物なのかどうかは、もうアタシには分からない。いつからか、シズはアタシに心を閉ざすようになっているのを感じていた。話の上では、シズはいつもアタシを立ててはいたが、その言葉に感情が感じられなくなって久しい。


 そう思えば、思う程、物言わぬゴウ君が愛おしく感じるのも、仕方のないことだとも思った。けれど、アタシはいつでも、二人を愛している。


 そんな感傷をぶち壊すように、男が口を開くが、その言葉は的を射っており、少しだけ愉快だった。

「じゃあ、捕らえて食わせてるのか、ノッカーを……」

 そういえばコイツらはノッカーなんて呼ぶんだったなと思い出す。 ノックをしてくるなんて、主観的な理由で名前を付けるなんて短絡的だ。でも、事実を知らないのならしょうがないのかもなと思いながら、アタシは笑って返事をする。

「あぁ、アンちゃんは話が早くて良いな。そういうわけで、黙っててもアタシらの言う成れの果て、まぁアンタらの言うノッカーがポンポン出てくる今の状況を壊されちゃたまらないんだよな。殺した傍から捨てられるのにも、頭来てたんだ」


 何度成れの果ての死体が入ったゴミ箱を漁りたい気持ちに駆られた事か。それでも、そんな事をしては、ゴウ君の存在がバレてしまう。何も知らない被験者達がいるなら、悔しいがゴウ君の事をバラすわけにはいかなかった。


 アタシは笑いながら、ノコギリを構え直した。そして、このノコギリの先で切り取るのは、あの女のあの手だ。

「管理者権限、持ってんだろ? でもそれは、アタシ達もだ」 

 あんなザル警備、アタシにとっては簡単なもんだった。シズとは違って、いわゆる数学的な思考に優れたアタシにコンピュータを与えたなら、例え時間が何十年経っていようともこの施設のデータを総取りするまでに対した時間はかからなかった。ただ、実際のキー管理された医療フロアや図書館は別だったけれど。


「そして、私達の部屋は、お姉様の望むべき場所でもあります」

 シズが振り返って、アタシ達の小さな楽園を指差す。

「でも、一度も開いてない部屋はこちらからは無理だからさ、図書館が開かなくてものすっごい不愉快だったんだ。でもそれ以外は、全部アタシ達の掌の上、子供のパズルを解くようなモンだったよ。でもまぁ、使う機会なんて滅多に無かったけどね? こちとら墓場漁りの趣味は無いし」

 

 大規模スリープ後は、特殊なロックがかかっていたせいで、一度内側から開けられたドア以外は、どの権限を使っても開かない状態になっていた。

 図書館の職員専用部屋にさえ行ければ、もっと何か良い情報が紙媒体で残されていないかと期待していたが、いつまでもいつまでも開かない事に、ずっとヤキモキしていたのだ。だから、アタシ達が持っていた管理者権限は、実質意味の無い物だったとも言える。


 けれど、それを含めたアタシの言葉は、あの女に少し効いたようだ。拳を握りしめて怒りに耐えているのが見える。

 「アタシ達はさ、今まで人間は殺さないで来たんだ。バレると後々面倒だしな。 けど、アンタが権限持ちで部屋から出てきたのが分かった時に、覚悟を決めたよ」

 

 そう、その拳を今から、切り落とす。 

「すみません、出来れば、その両手、もしくは指だけでもいいですので……」

 シズは覚悟は決めたものの、それでもまだ命まで取る事は望んでいないようだった。あの女の顔を見て、気でも変わったのかと思うと、苛立ちが増す。


 だが、私が行動を起こす前に、意外にもシズが先に動く。シズはアタシが作った当たると電気が走るようになっている投擲用の電子武器をあの女に投げようと腕を振りかぶり、投げる。


「悪いが、俺達にも目的はあるんだ」

 当たったかと思った瞬間に、その声と共に横から伸びてきた手にその電子武器は床に叩き落とされた。ただ、当たった瞬間に電気が走ったのは見たので、少なくとも、ダメージは負っているはずと思い、その手の主を見る。

 

――すると、赤い目をした男が、こちらを見ていた。

 この反応速度、おそらく男は薬液を使って強化している。


 このままでは、勝てない。そう思っていると、目の前にいたゴウ君が、男に向かって飛びかかっているのが目に入った。

 

――まさか、こんな事は一度も無かったはずなのに。

 

 ゴウ君が、アタシの言いつけを破っている……? 思わず「やめろ!」と叫んだが、ゴウ君はその声を無視し、止まらない。


 ゴウ君の攻撃を、男は安々と避け、そしてゴウ君の左の爪を、砕いた。 彼は、心があるのに。彼は、私達の家族なのに。コイツは、コイツは……。


「ゴウ君を、殴ったな!!」

 叫びながらノコギリを男に振るう。コイツは、殺しても良い。ゴウ君に害を与えたコイツも、もう良い。死んでしまえば良いのだ。


 ノコギリを躱されるのは、なんとなく想像が付いていた。だから、斬撃を繰り出す間に、いつものようにシズに視線を送ると、シズは小さく頷いて、バレないように足元に拘束用の罠をしかける。

 

 だが、その企みも、私の刃も、あの女に邪魔される。

「フタミさん、足元!」


 本当に、本当に、余計な事をする。本当に、私はこの女が嫌いだ。今までも、これからも、死んでも、嫌いだ。


 彼女の声のせいで男はシズの罠を躱し、彼女の短刀のギミックのせいで、私の刃は止められた。でも良い、まず殺すべきは、コイツだ。


 アタシはそのままその女に標的を変え、刃を振るう。この女への怒りのお陰で、私の心には、もう人を殺すということへの迷い等無くなっていた。


 だが、ゴウ君が男に飛びかかっているのが見えて、集中が途切れる。理由が全く分からない、どうして今、言うことを聞いてくれないんだ。殺すべきは、尤も殺すべきはこの女なのに。


「キリが無いじゃないか! どうすりゃ良い!」

 男が言いながら、ゴウ君を投げ飛ばしているのが見える。両手に力が入り、心が怒りに震える。


「ゴウ兄さん! 止まって! 止まってってば!」

 アタシの代わりに、シズがゴウ君に叫ぶが、ゴウ君は聞こえているはずその言葉を聞き入れず、男に対して今まで見たことの無いような攻撃をぶつけていく。


「こんな事今まで無かったのに! どうして!」

 シズの叫びは、ホールにただ虚しく響く。


「黙らせてくれたら、それが一番良いんだけど、なっ!」

 そう言いながら、男は余裕の素振りでゴウ君を蹴り飛ばす。ゴウ君が、負ける? 負けるということは、殺される……?


「やめろ!!」

 叫びは、誰にも届かない。シズですら、もう戦意を失っているように見える。でも、アタシがこの女を殺せば、全て終わる。


 そう思い振るう刃の向こうで、有り得ない光景を見た。

 

――男が、ゴウ君の背を踏みつけている。

 

「弟を踏み潰されたくないなら、戦闘をやめてくれ。俺も踏み潰したくない、頼む……」


 その言葉に、思わず戦闘の手が止まった。この男は、殺してもいいが、殺したいが、殺すべき事をしているが、それでも、動けない。

 「こいつの事、止められるんだろ? 止められるなら、止めて欲しい。そして、俺らの事は止めないで欲しい。それだけの話なんだ、俺らを通してくれさえすれば、もうこれ以上関わり合いにはならないし、弟くんの事だって知らなかった事にするさ」


 この男は殺したいが、嫌いじゃない。きっと、アタシ達ともゴウ君とも、本当に戦いたくないのだ。


 アタシに従って無理に戦っているシズとは仲良くなれそうだなと思いながら、ゴウ君を殺されるわけにはいかないアタシは、一旦落ち着いてゴウ君に呼びかける。

 

「なあ、ゴウ君。ゴウ君ってば! ストップ! ストップだよ! リュックから出したのは悪かったけど、人間は襲わない。それはずっと前から約束してたじゃないか!」


――そう、人間は人間を襲ってはいけない。

 

 エボル現象が始まってから、人間を襲うのはほとんどが成れの果てだ。

進化していない人間同士で、諍いを起こす暇なんて無かった。

 

 だから、心を失って、化け物になった人間だけが、人間を殺す。だから、成れの果てと同じ、人間を殺す化け物になるのは、アタシだけで良い。ゴウ君はどんな姿であっても、心だけは人間でいてくれなきゃ、アタシはもう、耐えられない。

 

 ゴウくんは、単なる抑止力で、トドメを刺すのも、アタシなのだ。ゴウくんを、本当の化け物にするわけには、いかない。


「だって、最初はちゃんと言う事聞いてたじゃないか! なのに何で……」

 そう呟いた途端、一つの可能性が頭に浮かんだ。

 この男、まさかゴウくんに何かしたのか?


「なぁアンちゃん……。さっき私達に見せたあの注射器、どうした?」

 アタシが睨みながら男を見ると、男は平然とその事実を口にする。


「あぁ、打ったよ」

 男は、自分のポケットから注射器を見せて、ヒラヒラと動かした。その動作に、その事実に、怒りが爆発しそうになった瞬間、男はアタシの考えを読んでいたように口を開く。


「でも、自分にだ。だから今俺は、弟くんを足蹴に出来ている。申し訳ないとは思うけれど、俺も死ぬわけにはいかないし、ゼロの両手を斬り落とされるわけにもいかない」

 やっぱりこの男は、あの女ほど嫌いじゃない。

 けれど、その足元を見て、好きになれるはずもない。


 男の言葉を聞いて、シズがハッとした顔で呟くのが聞こえた。

「だからか……」


『だから』とは、どういうことだろうか。ゴウ君が、私達の言うことを聞かない理由。聞こえているのは、間違いないはずなのに、男への攻撃をやめない理由。

 

 自分が足蹴にされてまで、自分の爪を砕かれてまで、それ程までに強い人間相手に戦い続ける理由。そこまで考えて、やっとゴウ君の行動の意味に気付いた。


――ゴウ君は、アタシ達を守ろうとしている。


 アタシ達があの男と真正面から戦って適うわけが無いのを知って、アタシ達の代わりに、戦っている。きっと、声は届いている。そして、アタシの言う事を聞いているから、あの男はまだ生きている。ゴウ君は、手加減をしてくれているのだ。まだ、アタシ達との約束を守って。


 だったらきっと、アタシが言うべきは、ゴウ君が選んだ事を、認める事だ。


「ゴウ君!! そいつを、殺せ!!」

 渾身の力で叫んだ瞬間、ゴウ君はまるでリミッターが解除されたかのように男の足を浮かし、今まで見たこともないようなスピードで男の首を狩りに行く。

 

 大丈夫、次はアタシがあの女を殺して、化け物になるよ。だから一緒に、化け物になろう。


 軽く目を瞑り、男の命の消滅を確信していたアタシの耳に、また邪魔が入る。ガギン! という音と共に目を開くと、砕かれていないゴウ君の爪と男の間に、さっきまで刃を交わしていたあの女の短刀の刃が挟まっていた。


 苛立ちは、限界に近付いていた。けれどもう、アタシ達が戦闘の加勢に入ることはゴウ君の邪魔になるだけだ。

 

 そうして、男がアタシ達と距離を取る。数秒、男と女が何か言葉を交わし合っているのが見えた。その隙が、甘いのだ。ゴウ君が、爪を出し地を駆ける。


 大丈夫、勝てる。勝てるよ、ゴウ君は、アタシのゴウ君は強いんだから。ゴウ君の爪が男の腹部に突き刺さった瞬間に、アタシの頬に一筋の涙が伝った。


 ゴウ君に、人を殺させてしまったことへの後悔が無いなんて、嘘だ。隣にいるシズも、もう、何も見ようとはしていない。それでも、アタシは、ゴウ君はそれを選んだのだ。


 だから、勝とう。

 

これがアタシ達の選んだ事なのだ。それが、歪で、間違いだったとしても。

正せるなら、正したかった。でも、選ぶしか、無かったのだ。

「次は、アタシの番だ」

 ゴウ君の猛打を見て、アタシは呟きながらノコギリを構える。だがその刹那、ゴウ君の身体が私達の真横の壁に叩きつけられる。何が起こったのか分からない。


 男を見ると、死ぬほどの攻撃を受けているはずなのに、少なくとも立っていられるはずもないのに、ゴウ君を殴り飛ばす力なんてあるはずがないのに、ボウっとした顔で、そこに立っていた。


――なんだ、こいつも、もう化け物になるところだったんじゃないか。


 諦めが、頬を伝う。

ゴウ君が突き刺したはずの腹部の傷が、消えている。


ならもう、きっと勝てない。


「ゴウ君、もういい。もういいよ」

 アタシはゴウ君に語りかけるが、ゴウ君は、立ち上がる。

「アタシ達、幸せだったよ。もう、アイツには勝てない。勝てないから、逃げよう。それで少しでも、生き延びよう」

 ゴウ君が、地を、駆ける。


 後の事は、もう、見ていられなかった。ただ、ただ、ただ、叫び声を出している自分だけが、そこにいた。


 終わりが、近い。ゴウ君が、いなくなる。


 男が、ゴウ君に何かを必死に話しているのが見える。きっと、その言葉はゴウ君にも聞こえているだろう。


 あの男も、きっと、選んだんだ。だから、アタシ達が負けただけ。


 アタシ達が、彼女を殺して歪な幸せを続けるか。アイツらが、アタシ達を殺して、歪な現実を続けるか。


 それだけの違い、それだけの違いなのだ。


 きっと、どちらも、幸せではない。


 けれど、続く可能性がある未来は、向こうだよな。隣にいるシズをチラリと見て、今まで悪い事をしたと思った。


 ワガママばっかり言うお姉ちゃんで、ごめんね。アタシはアンタの、シズリって名前、嫌いじゃなかったよ。


 木の葉から伝わる雨が、木を育てるのだもの。アタシをココまで連れてきてくれたのは、アンタだったんだよ。


 手に持つ、ノコギリに力を込める。ゴウ君が、その胸を強く突かれ、倒れるのを見た。泣きわめきながら、最期の覚悟を決める。

 

――アタシ達の間違いは、正された。


 だけれど、もう一つだけ、間違うのを許して欲しい。


――悪かったけどさ、悪いと思ってるけどさ、シズが生きたいなら、生きてよね。

 

 隣にいるシズに、部屋を出る時に思わず口走ってしまった願いをもう一度言うのは、やめた。

 いつも私の言うことを聞いてきたあの子にとって、それが命令になってしまっては、元も子も無かったから。


 それは決して、嗚咽が止まらなくて声が出ないからではない。

 それは決して、感情の叫びが止まらなくて言葉が出ないからではない。 

 

 悲しい。

 悲しいけれど、きっと正しい。

 愛すべき私の弟と、妹に、さよなら。


 アタシはゴウ君の動きが止まるのを確認して、手に持ったただのノコギリを首筋に当てた。


 シズがアタシの束縛から放たれて自由に生きていくことを願いながら、先に逝く兄と姉を申し訳無く思いながら、その手を思い切り引いた。

 

 ひどい痛みも、どうってことない。それ以上の心の痛みを、たった今味わったばかりだから。身体の力が抜け、じんわりと温かいプールの中に落ちていくような感覚。手に持ったノコギリが落ちて、カランと鳴った金属音が、私の心が砕ける音のように聞こえた。


「あぁ、正解だったら、良かったのにね」

 その言葉は、きっと、誰にも届かない。

 

 意識が死に落ちる寸前に、シズの声を聞いた気がする。


――――あぁ、何か怒ってる。


 大丈夫、シズは、きっと、上手くやれるし、傷一つ無さそうだ。

 

 良かった。

 

 良かった。


 良かっ

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