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DAYS3 -9- 『おやすみなさい、良い夢を』

 血溜まりの中で倒れている少女が見える。


 それを見下ろす少女が見える。


 俺が殺した元少年の向こうにその風景が見えていた。


 目を凝らして倒れている少女を見ると、ノコギリで喉元を掻き切られているのが見える。まさか狂ったのか? と一瞬疑った。

その凶刃で、自分の姉妹を殺したのか? とそんな事を思ったのは、彼女達の顔が瓜二つだったからだ。だが、その衣服で何が起きたかはすぐに分かった。

 

――あの少女に、自分の姉妹を殺す理由など無い。


 倒れた少女の手に握られたままの、ノコギリ。

そして、倒れている少女を焦点の合わない目で見つめる少女。


 倒れた少女が狂ったのは、本当だった。

だが、自分の姉妹を殺す理由等、無い。

だから彼女は自ら自分の首をノコギリで切り裂いたのだ。


――だって、その理由を、俺が今作ったじゃないか。


 後ろにいたゼロが、俺の横を通り過ぎて、倒れた少女へ駆け寄る。

「ムクさん! なんて事を……!」

 

 倒れたムクは、叫ぶのをやめ、生きる事も、やめようとしていた。

それを、声も出さずに、三つ子の生き残りになるであろうシズリが見つめていた。

 

 どうして、どうして、話し合えなかったのだろうか。

 だが、そんな事を言う資格なんて、もう俺には無い。


 感覚の青の力を使い、耳を澄ますと弱い心音がその血溜まりの上から聞こえた。

俺は一歩ずつその血溜まりに近寄りながら、右ポケットに入れたままの、残り使用回数が一回になった生命の緑を取り出す。

 それを見たゼロが、少しだけ期待の目をこちらに向けた。

「まだ残ってるし、まだ生きてる。だから、まだ間に合う」

 生命の緑が入った注射器を倒れたムクに使おうとかがむと、シズリから息を呑む音が聞こえ、不意にその行為を制止される。


「やめて……、やめてください!」

 シズリはやっと自分を取り戻したかのように大きな声を出すと、俺とムクの間に割って入った。

「姉さんは、自分の手でそれを選んだのです。だから、いい。やめて……、ください」

 シズリから静かに感情が溢れ出て来る。

流れ始めた涙が、どうして今まで流れずにいたのだろうか不思議な程に、頬を流れていく。


 ゼロが、目を擦っているのが見えた。

「それでも、こんな……」

 こんなことが、あって良いはずがない。

ムクから生きる理由を奪ったのは俺なのだ。


 生きる為にノッカーを殺すという行為が、とうとう人間の命すら奪う事になった。

 

「考え直して、欲しい。 これを使えば、生き返る」

「ダメです。姉さんが生き返ったとして、ゴウ兄さんは……、生き返りません」

 

 言われて居ることは尤もだ、それでも、それでも、それでも。自分の身体に注入した薬液の力が弱まっていくのを感じる。その力が無くなる前に、邪魔が入る前に、俺はこの注射器を、ムクに使わなくてはいけない。


 俺の間に入っているシズリをどかそうとすると、シズリはムクの手元にあったノコギリを拾い上げる。

 まさか、彼女もムクと同じ事をするのではと思った自分の甘さに吐き気がした。


「やめてと、言っているのです。これはお願いでは、無いのですよ」

 シズリの感情が、静かに、けれど大きく揺れ動いた。

もう、その声は涙声でも無く、頬の涙以外に、悲しみの証拠等無い。


 ゼロの首元に、ノコギリが突きつけられていた。

あまりに意外な行動に、俺もゼロも反応が遅れてしまう。

ゼロがその短刀で防ぐ間も無く、俺が残った力で防ぐ間も無く、シズリはゼロの命を人質に取った。

そして、シズリは、実の姉の命を見捨てることを俺達に命令する。

 

 シズリの目は、先程の茫然自失状態とは違い、強くギラついていた。

そのまま俺達が、動けずにいると、数秒後に一人の人間の心音が消えた。

俺が右ポケットに注射器をしまったのを見て、ゼロもシズリも、死を理解したようだった。

「これで、いいのです。私達が歪だって事は、私達が一番知ってたんですから」

 シズリの目が微笑み、カランとその手に持ったノコギリを放り投げると共に、ゼロがその場で泣き崩れる。

 

 ゼロは先程まで、刃をぶつけ合わせていた相手の為に、涙を流す。

それも、その相手はゼロに殺意を一心に受けていたのにも関わらずにだ。

嗚咽を上げる彼女に向かって、シズリは優しく語りかける。

「泣かないでください、お姉様。私達がこのホールで出会った瞬間から、誰かが泣く事になるのは決まっていたことでしょう? 私はもう泣き止みました、なのにお姉様が泣くなんて、ナンセンスですよ」

 自分の兄が殺され、自分の姉が死んだのにも関わらず、このシズリという少女は、静かに笑った。


 その笑みは、静かで、純粋だが、少しだけ悲しみを感じさせる。


「お兄様も、ごめんなさい。ゴウ兄様を殺してくれて、ありがとうございます」

 シズリは、俺に向かって丁寧に頭を下げる。


「やめてくれ、ありがたいことなんて、一つもない。こんなのは、間違ってる。俺も、お前も、間違ってるよ」

「それでも、選んだのは貴方であり、私なのですよ。絶望に身を落として自ら生命を断ったお姉様をの横で、貴方は安堵の涙でも流したかったのですか?」


 言葉が出ない。

だが、その言葉を聞いたゼロが、泣くのをやめ、口を開いた。

「わかり……、ました。これは"私達"が選んだ結果です」

 ゼロが言った『私達』という言葉からは、俺の心の痛みを半分肩代わりされたような気がした。


 シズリの兄を殺す事を選んだのは俺だ。

けれどゼロもまた、ゴウを殺すという事を俺に託したのだ。

 

 だからきっと『私達』なのだろう。

ゼロが、俺の顔を見て小さく頷いてから、シズリに向き直る。

「だけど、これ以上人は死にません。これで、いいですよね?」

 ノコギリがシズリの手に触れない位置にあることを確認しながらゼロがシズリに問うと、シズリは静かに笑って答える。

「ええ、構いませんよ。ゴウ兄さんがお兄様を殺そうとしたのを見た時から、ずっと考えていました。姉さんは死ぬだろうし私は生き残る、貴方達は苦しむけれどそれでも生き残る」

 少し自嘲気味な笑みと共に、シズリは話を続ける。


「本当に、分かっていた事なのです。可能性の一つ、私が想定していた一つの終わりが今の状況で、私にとっての始まりも、今。皮肉な事ですが、私は感謝しなければいけないのですよ。自由にしてくれたのですから、死んだ兄さんと姉さんが自由になったかは分かりませんが、少なくとも私は、自由になりました」

 その言葉に、少しだけ陽気さを感じてしまう。

事実、シズリの顔は先程から、微笑んだままなのだ。


「それでも、許せるような事では、無いだろ」

 ムクはあれだけ、叫び続けていたのだ。

ゴウは命を賭して、シズリとムクを守ろうとしたのだ。その家族の絆を、砕いた俺を、彼女は許すというのだろうか。

「いいえ、許しますよ。姉さんが死ぬ程に愛していたのは兄さん。兄さんの言葉は私達には分からない。姉さんには敵わない私。さあ、果たして私には愛があったのでしょうか」

 

――あぁ、歪だ。

 

 シズリが、ムクの為に涙を流したのを覚えている。

ムクの命が消えてゆくのを、ムクが望んだ事だからと制止したあの目を覚えている。

けれど、何が本当なのだか、もう分からなかった。


 あの時シズリが見せた眼のギラつきは、自由への渇望から出た物だったのだろうか

それとも、俺とゼロに自分の姉の行動を遂行させる為の精一杯の怒りだったのだろうか。

そして、ムクの前で流した涙は、本当に悲しみの涙だったのだろうか。


 分からなかったが、もう命は戻らない事に、選んだ選択の先に進むしか無いことには変わりなかった。


「私も、兄さんと同じように、姉さんの言葉に制御されて生きてきたのですよ。 それが今、やっと終わったのです。さあ、ヨミさんとナナミさんが目覚める前に、弔うのを手伝ってくださいますか? とはいっても、その目覚めるかどうかを決められるのは私なのですが」

 手に持ったスイッチをちらつかせ、シズリが初めて年相応の少し意地悪な笑みを見せた。


 俺は、彼女達の間に絆があったと信じたい。自分を責めて苦しみたいわけでは無い、けれど忘れてはいけないのだ。時に進むという事は、人を傷つけるという事なのだということを。


 シズリが笑ってムクの手を握り「少し、動きますよ」と言いながらムクの身体を引きずって廊下へ歩き出す。それをゼロが慌てて制止し、二人で抱きかかえて、廊下を歩いていく。俺は、ホールの中心で倒れているゴウの身体を持ち上げて、それに続いた。


――こんなに軽いのにな、出来る事なら腹一杯食わせてやりたかったさ。


「この箱、ですね」

 シズリは廊下をしばらく進むと、その道中にも数個あった黒いオブジェのような箱の上部を触る。どうやら元々その箱を目的にしていたようで、上部が蓋のように開いた。箱のサイズはそれぞれ違ってはいたが、丁度良い大きさの箱だった。


 シズリはその中にムクの身体を丁寧に入れると、俺にも同じ事をしろと目で合図する。黒いオブジェのような箱は道中に数個あったが、それぞれ大きさが違った。

きっとシズリはこの為に大きさの合うオブジェを探していたのだろう。

俺はムクにピッタリと寄り添うように、ゴウの命の抜け殻をその箱に収めて、箱を閉じた。


「おやすみなさい、良い夢を」

 シズリのその優しい別れの言葉を最後に、ホールに戻るまでの間、俺達は一言も言葉を発さなかった。

 それは、俺が黙祷と呼ぶにはあまりにもおこがましいかもしれないが、それでも、俺は何も言えずに、ただ後悔を胸に命を失くした二人を想うことしか出来ない。

 

 力が発していた身体の熱はもう引いていた。

 冴え渡っていた感覚からも、もう覚めていた。

 なのに、生命が自分の胸の奥で鼓動しているのが、何とも皮肉だった。

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