DAYS3 -7- 『弟くんの事、忘れてないか?』
ホールに戻る道すがら、隣で歩くゼロはふふっと笑いを溢した。
「フタミさんはやっぱり優しいですよね。記憶が無くなると性格にも影響すると思っていましたけど、なんだかそのままでびっくり」
褒められた事は嬉しいにしても、あまり実感は沸かない。俺が思うままの事をしていて、思うままの事を言っているのだから、それが元の俺と一致しているのならば、確かに嬉しい話ではあるのだが。
目的の場所はどうやら、医療フロアなる場所だと教えてもらった。そしておそらくそのフロアには未だに誰も立ち入っていない可能性が高い事も。
同行を申し出たは良いものの、その先に危険が待ち構えていない訳が無い。
そんな事は明白だとしても、俺には黙って待っているよりも進んで死地に向かいたいようなそんな気持ちが渦巻いていた。
「待っているのも、嫌だろ。それに、男手が無いとな……」
半分本音を言いつつも『男手』なんて言葉を出してもう半分の命を投げ捨ててでも救いたいだなんて、胡散臭くなってしまいそうな本音を誤魔化す。
ただ、思えばこの施設の女性の大半というか、ほぼ全員が俺よりも戦闘センスに長けていた事を思い出し、口にしてしまったのを少しだけ後悔した。
「というか、医療フロアへの入り口が何処だか分かっているのか?」
『男手』なんていう言葉の見栄を誤魔化すように俺がゼロに問いかけると、彼女は「大丈夫です」と言った後に鞄からファイルを取り出し地図をこちらに差し出す。
「この此処です。 ホール……というよりも図書館の近く、チェックが付いている部屋からですね。簡易的なチェック用の空き部屋のドアの向こうにあります。おそらく今までは誰も入れなかったと思いますが、私がもらった管理者権限があれば鍵は開くはず」
彼女の言葉を聞きながら地図を受け取り、そのチェックを探すとチェックが付けられた部屋は少しだけ見覚えがあった。だが空き部屋ではなかったような気がする。
俺が目覚めた部屋よりもホールからずっと近い、十数メートルも無い程の距離にある部屋だ。
「その、権限ってのは、どの部屋のドアも開けられるっていう認識でいいのか?」
俺は地図を彼女に返しながら、ずっと気になっていた質問を投げかける。
「あっ……、そうだった……。説明がまだでしたよね、すみません……」
ゼロの横顔が少し曇る。
「いや、元々は皆が集まってからホールでまとめて聞かせてもらうつもりだったから謝る事は無いよ。ただ、流石に目の当たりにしちゃうと、気になるよな」
俺がフォローを入れるとゼロはホッとしたように息を吐き出した。
「そ、そうですよね……。でも、おそらくナムさんの部屋をいきなり開けちゃった事も、ナムさんの発作の原因だったと思うので……。話しておくべきでした」
少し和らいだかと思った空気がまたズンと暗くなる。この子は、普段の立ち振舞の通りにおどおどしている事が多いが、それに加えて落ち込みやすいきらいもあるらしい。
「でも、今更どうこう言ってもですよね……。えっと、そうですそうです、管理者権限」
ただ、思ったよりも復活も早そうで安心した。
「まだ全部は試してはいませんけれど、多分指紋認証でどうこうなるタイプの機械は全てパス出来ると、思います。私が出てきたあの図書館、覚えていますか?」
俺がコクリと頷くと、ゼロは話を続ける。
「あの図書館の四階部分に施設職員専用の部屋があるんですけど、あそこのロックって一般職員では開けられないロックなんです。この施設……ディジェネの根幹に纏わる情報がある部屋なので、この施設でも相当偉い人でなければ開けられない部屋の筈でした。私のこの短刀やデバイスはその部屋から持ち出したものなので、おそらく一般職員が出入り出来ていた医療フロアくらいなら平気なはず」
自分の手をマジマジと見ているゼロの視線は、少し意味深というか、不安に満ちたものだった。
おそらくは、その管理者権限自体も、さっき『与えられた』と言っていた通り、俺達の固有武器のように目覚めてから身についたものなのだろう。
「ただ、さっきのチェックの部屋ってさ、確か双子が……」
そうこう言いながら俺達は廊下を曲がると、少し先にホールが見えた。その中心に、見慣れない小さい背中が二つあるのが見える。
片方はリュックを背負っているのが見え、片方は何やら長い棒のような物を持っているように見える。あれがヨミの話していた例の双子だろうか。
そう思いながら、ホールに入った瞬間、その双子らしき背中の先の異様な光景に目を疑う。
部屋の奥でヨミとナナミが何らかの装置によって身動きを封じられている。
正確に言えば、縛られている……?
「ゼロ、気をつけろ。あそこに立っている二人、何かおかしい」
俺が焦ってゼロに声をかけながら振り向いた瞬間、バシッという衝撃音と共に、彼女は床に膝をついた。
その床に、こちら側の通路には設置されていなかったはずの罠が仕掛けられているのを確認する。
「痛ッ! 気付かなかった……。なんですかこれ……っ!」
ゼロが困惑しながら自分の足元を見て、顔を青ざめた。おそらくその罠は俺達がナムの部屋に行った後に設置された物だ。つまりは、明確な敵意によって置かれたの可能性が高い。
「おそらく大丈夫だ。痛みはあるらしいが長くは続かないと聞いた。だからゼロは少しそこで休んでいてくれ。俺はアイツらに話が出来たから、ちょっと行ってくる」
俺は自身の身体をゼロと双子の直線状に位置取り、少しでも彼女が双子の視界に入らないようにして、ホールの方に向き直る。
だが、ゼロが踏んでしまった罠の作動音に、ホールの中央にいた二つの背中は振り返っていた。同じ背丈、同じような顔。そして、同じような目つき、だがその目の色は赤くはない。
――これは、理性のある、敵意だ。
リュックを背負った方の少女は後ろ手にそのリュックから何らかを取り出す。見た目から考えて、おそらく今ゼロが踏んだ罠のような、攻撃的な機械の類いだろう。
そしてもう片方の少女の手には、ギラリと光るノコギリのような凶器が見える。棒だと良かったのだが、近づくにつれその刃の鋭利さがハッキリと分かる。
「……きっと、木を切る為じゃないんだろうな」
小さく呟いてから、俺は後ろで膝を付くゼロの顔をチラリと見た。
その表情から痛みは減っているように見えたが、動ける程では無さそうだ。
「すみません……、動け次第、私もそちらに……」
「ああ、出来れば頼む。俺一人じゃ、正直不安なんだ」
ただの人間相手に使いたくはない、使いたくはないがポケットの中で力の赤を握りしめ、こちらを向いた双子に聞こえるように声をかける。
「なあ、話には聞いているかもしれないが、俺は二十三番だ。状況が分からない、だから教えて欲しい。とりあえず、こちらに敵意は無いから話しあえやしないか?」
数メートル先からこちらを見ている二人に声をかけると、彼女達はくすくすと笑って返事をした。
「この状況を見て話し合いを提案するなんてナンセンスですよ、お兄様」
丁寧な口調の双子の片割れが、一歩こちらへ踏み出した。この施設で始めてみたスカートがふわりと揺れる。そうしてその弾みかどうかは分からないが、リュックが揺れていた。
「そうだぜアンちゃん。この状況じゃアンタの敵意なんて関係ないと思わないか?」
荒っぽい口調の双子の片割れが、ギラついた光を発しながらノコギリを構える。口調もそうだが、血に塗れたオーバーオールを雑に着ている。顔はそっくりだが、対照的な双子だった。
「なぁ、そりゃ木を切る為のモンだろ? そういうのをこっちに向けるのは良くないと思うんだよな」
軽く懇願するかのように、ノコギリ少女に話しかけると彼女は印象通りの笑い方でケタケタと笑う。
「あー、違う違う。コイツはな」
――その殺気が明確に俺を捉えているのには、気付いている。
だから一撃ならば、いつのまにか薬液の効果が消え去ったこの状態でもまだ躱す事が出来た。
「身体をバラす為のもんだよ!」
彼女のその言葉と共に、ノコギリが俺の数瞬前までの位置を掠める。
話し合いは決裂寸前、と思える自分の甘さを呪いたいが、ホールの端で拘束されているヨミとナナミは言わば人質と言っても良い。
二人の双子が余裕を持ってこちらに寄ってきているから良いものの、とにかく要求くらいは教えてもらわないとどうしようもない。
「私達はですね、お兄様。状況を変えてもらっては困ってしまうんです」
「ごはんがさー、無いと困っちゃうんだよねー」
二人が、こちらへ一歩ずつ迫ってくる。その姿は、俺よりもずっと幼い。
年齢にして、十歳かそこらだろうに、その口調や表情に子供らしさは微塵も感じなかった。
「それでも、改めて話し合いがしたい」
俺はズボンの右ポケットの中に入れてある注射器を一本取り出して、彼女達に自分にも武器があるということを知らせるように見せてから、その注射器の色を確認しながら左ポケットの方に入れ直す。
――くじ運は、悪く無さそうだ。
まさかこの段階で戦闘の気配が漂うなんて想定していなかった、だからこそ違うポケットへとよけておきたい緑を一発で引けた事をありがたく思うと同時に、元々分けておかなかった自分の不注意さを呪う。
赤と青の薬液は戦闘用なのに比べて緑は非戦闘用だ。
だから入れるポケットだけでも変えておくべきだったのだ。
そして、この行為によって、俺は明確に戦闘への意思を固める。
――赤だけでは、無理だ。
だから、俺は二本の注射器を左手のポケットの中で同時に握る。
一歩ずつこちらへ歩み寄ってくる双子の敵意の前に、注射器を押し込もうとした瞬間、俺の後ろからゼロが進み出た。
「私達は、医療フロアに行きたいだけです。シズリさん、ムクさん。精神系進化の特殊例だった貴方達なら、流石に記憶も消されてないですよね? だったら、医療フロアに私が行きたい理由も分かるはずです……!」
彼女は双子の名前を呼ぶ。彼女達が邪魔をするであろうことが分かっていたかのような素振りだった。もしかするとそれを黙っていたのは、それでも人の善性のようなものを信じたかったのかもしれない。
タブーだったはずの名前を呼ぶという行為を意図も簡単に行ったという事は、おそらく彼女の脳内にはこの二人についての情報が完全に出揃っているのだろう。
彼女に名前を呼ばれた双子のうち、片方は少し驚いたように目を見開き、片方は目を細めてゼロの顔を睨む。
「あぁ……、アンタ、所長のお気に入り……。図書館使ってたのはアンタだったんだね」
ムクと呼ばれた双子の片割れ、ノコギリ少女がその両手に持って構えている獲物から左手を離し、右斜め下にブラブラと構え直して立ち止まる。おそらくあまり仲良くは無かったであろう事は分かるにせよ、知り合いなのだろう。
「お姉様も、まだ生きていたのですね……」
シズリと呼ばれた双子の片割れ、リュック少女は何らかの装置を手に持ったまま、同じく立ち止まっている。驚きこそしているが、この子の方からは、そこまで敵意を感じない。
仲が良かったかどうかは分からないものの、自分の姉では無いだろうにも関わらずゼロを『お姉様』と呼ぶ言葉の柔らかさに、まだ話せそうな雰囲気を受け取った。
そもそも、俺の事も『お兄様』なんて呼んでいた気がする。
つまり、彼女達は俺の事も知っているのだろう。
双子とはいえ反応が随分と違うのだなと思いながら、駆け出せば一撃が入る程の距離にまで近付いた双子の顔をマジマジと見てしまう。
その視線に気付いた様子の双子だったが、彼女達は俺の視線を無視しおそらく知り合いであろうゼロに向かって口を開く。
「ですが、ダメなのですよ……。私達は、成れの果てを安全に狩る事が出来る今の状況が、一番良いと判断しているのです」
『成れの果て』とはノッカーの事だろうか。
そういえば、ゼロがまだノッカーという言葉を使った事を聞いたことが無い。記憶のある彼女達の間では、ノッカーは成れの果てという名称で呼ばれていたのだろうか。それにしても、ノッカーを狩るとは、どういう事なのだろう。
何かを言おうとして言葉を考えているゼロに対して、ムクが少し苛立った様子でブツブツと何か呟いてから口を開く。
「なぁアンタ、アタシ達を覚えてるってことはさ。しっかりと実験前の記憶を持っているわけだ。だったらアタシ達を見て、何か足んないと思わないか?」
その苛立ちをそのままに、ムクがシズリの背負っているリュックのチャックに手をかけた。
「姉さん! それは見せちゃ……!」
シズリがムクの手を制する前に、ムクはシズリが背負っていたリュックのチャックを勢い良く開ける。
その瞬間、何らかの生物が、雄々しい声と共にリュックから飛び出した。
そのままこちらに向かってこようとするその生物に向かって、ムクは「ストップ!」と叫ぶと、その生物はその場で立ち止まったまま、動きを止める。
ゼロが息を呑む音が聞こえる。
記憶に無いといった表情と、怯えが入り混じっている。
それもそのはずだろうと思った。
俺はポケットの中で注射器を握りしめる。
――リュックから出てきた生物は、人や動物なんかじゃあない。
「なぁ、アンタ。アタシの弟くんの事、忘れてないか?」
ムクの、人の言葉に動作を制され、弟くんと呼ばれた生物。
それは、シズリが背負っていた少し大きめのリュックに入る程度には、小柄で細身の、今まで見たどのノッカーよりも人型を意地したノッカーだった。
だが、それは見かけだけの話、全身から匂い立つ程の殺意。
その、ムクに制止されていなければもう既に俺かゼロの命は無かったかもしれないと思ってしまう程猛々しさが、獣のような声と共に、ホールの空気を揺らしていた。




