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DAYS3 -6- 『その為に目覚めたんだと思うんです』

 膝を付いたナムに次の一撃は必要無かった。時間経過も十分だったのかもしれない。驚かすという行為が、スイッチになったのだろう。


「あ……、え……?」

 最初、部屋に無断で入ってしまった時以来に聞いた、ナムの意識のある声には、困惑の色がにじみ出ていた。

そして眼の赤色が消えたいつものナムの顔には怯えの表情、というよりも絶望じみたような、恐怖の感情であろうものが垣間見えた。それはおそらく、未だに俺の中で感覚の青が巡っているからこそわかったことなのかもしれない。


 とりあえず、理性を取り戻したらしいナムに俺は胸を撫で下ろす。

 彼女から溢れていた、何もかもを切り刻むようなような殺気は、もう感覚の青の力を使っても感知出来ない程に薄まっていた。

それよりも今必要なのはナムの感情のフォローだろう。その事は分かっていても、それだけは感覚の青で掴む事も出来ない、上手い言葉も見つからなかった。

「おかえり。手首、痛くないか?」

 なるべく表情を柔らかくしながらナムに声をかけると、彼女は両膝を床に付いたままガバっとこちらを見上げた。まさか、俺達がこの部屋にいた事にすら気付いていなかったのだろうか。


 彼女の絶望的な表情に、状況が飲み込めていないような困惑が加わり、最後に彼女は不思議そうに自分の手首に視線を落とし、その手首を動かす。


「え……? あっ、痛っ!」

 そもそも、一旦折れた手首を強引に戻したのだから痛みは相当なはずだったが、思ったよりも痛がっていないのが不思議だった。

どうしてか考えながらナムの手首を見ると、彼女は痛がりながらもその手首を動かしている。

「あぁ……、関節……」

 つまりは、理性を失っていながらもナムの戦闘センスは健在で、彼女は俺に手首を掴まれた時に、一時的に手首の関節のみを外したのだ。それに驚いた俺が拘束を解いてしまったという事なのだろう。


 俺は折れた手首も関節の外れた手首も見たことがないし。折れた音も聞いた事が無い。戦闘の最中なのもあったのだとは思うが、てっきり骨が折れたのかと勘違いしていた。


 とすると、思っていたよりも、この急な戦闘の結果は悪くないのかもしれない。

とりあえず、誰もひどくは傷ついてはいない。

ナムは多少負傷したものの、彼女に襲われた俺とゼロについては、ほぼ無傷だ。


 とはいえ、ナムが今その心に負っているであろう傷については、何も言えない。

「改めて、始めまして。えっと、ナム……先輩?」

 俺とナムの様子を見て、もうドア前を守る必要も無いと判断したのか、ゼロがこちらに近寄ってきて、ナムに話しかける。

窮地を何度も救ってくれた短刀は、もう既に腰のホルダーに収まっていた。


「えっと……。にーさんと、誰……? しかも私、なんで? あれ? 今まで私……」

 ナムの困惑と混乱は痛々しい程で、理性を失っている彼女を見ている時よりも心が揺さぶられる程だった。

「ほら、言ってた出て来ない新人だよ」

 とりあえず説明はしてみても、ナムにはあまり聞こえていないようだった。


 おそらく、朧気ではあるが、俺達との戦闘の記憶が残っているのだろう。

彼女は俺とゼロと、自分の手首を見ながら、しきりに「なんで?」という言葉を呟いている。

「大丈夫です。私が説明しますので、落ち着いてください」

 ゼロが、柔らかな笑みを作って話しかける。

そんな彼女からは俺と出会った時のような怯えのような物は既に微塵も感じられなかった。戦闘の中で、何かの覚悟が決まったのかもしれない。

彼女もきっと、彼女なりに頑張っているのだろうと思い、俺は後ろに下がって二人の会話を眺めていた。


「私の事は、ゼロって呼んでください。そして、貴方の事は……、えっと……」

 おそらくゼロはさん付けで呼びたいのだろうが、それを遮ってナムが口を開く。

「ナムって呼んでくれていい……、でもさん付けは無しで。それで、見たこと無いってことは……、あの部屋の子か……。じゃあ私の方が先輩、だからナム先輩って所が妥当かもね」

 ナムもまた軽く笑顔を作りゼロに応える。というか新人の子だとは言ったはずだったが、やはり俺の言葉は聞こえていなかったのだろう。ゼロにまかせて良さそうだった。

今のナムはナムで、先輩として、この施設を生き抜いてきた者として、少しでも気張ろうとしているのだろう。


「それで、私は一体どうなった?」

 ナムは、ゼロや俺が状況を説明するよりも前に、真剣な顔で自分から本題を切り出した。その言葉に、ゼロは淡々と事実のみを伝え始める。

「簡単に言えば、身体進化による理性の喪失状態でした。エボル現象って、覚えていらっしゃいますか?」

 ナムは首を横に振る。その言葉には、俺も聞き覚えが無かった。


「やはり、忘れてますよね……。本当はナナミさ……ちゃんもいる所でお話をしたかったのですが、もう既にナム先輩さんの発作が始まっていましたので、手短に説明します」

『ナナミさん』と言いかけたゼロが『ナナミちゃん』と言い直す辺りに彼女の真面目さが伺える。

とはいえ元男だと彼女は知っているだろうに……順応力は妙に高そうに思えた。


 彼女はナムに、この施設がエボル現象という人体の急速進化の弊害による理性喪失を防ぐ為に作られた施設だという事を俺達に説明し、番号が一番に近い人間からその急速進化への耐性があり、七十六番と七十三番、つまりその番号が高いナムとナナミは、進化耐性を強める薬物を摂取しないと近いうちに理性を失ってしまうという事を告げた。


「このタイミングに合わせて私の目覚めは設定されていたみたいですから、ひどく意地悪な話です。意図もわかりませんけど、とりあえずは……」

 ナムの先程の状態は理性を完全に失ってしまう前に訪れる発作だということをゼロが口早に説明すると、いつのまにか手に持っていた本型デバイスを見ながら、ゼロは少し不思議そうな顔をする。

「でも、どうしてかナム先輩さんより番号が高いナナミさんには発作の兆候が見られませんでした。私の固有武器のこのデバイスで調べても、全く進化の気配が無かったんですよね……」

 気づいてはいたが、さりげなく、"ナム"と"さん"の間に"先輩"という言葉を挟んで禁句を避け続けているゼロに少し感心していたが、今はそれどころでは無い。

ナナミについては真面目に説明するあまり気づいていないのだろうが、さん付けに戻ってしまっていた。


 淡々と状況を説明しているゼロだがそれを聞いているナムの表情は暗い。

「そっか、そうだった」と小さく呟いたゼロの声は酷くショックを受けているように聞こえ、彼女の表情の暗さに追い打ちをかけるように、もっと残酷な真実を伝えた。

「原因、分かりました。これも覚えていないとは思うのですが……。実は、ナム先輩さんは元々進化耐性がありません。だから、ナナミさんよりも、理性喪失の発作が出るのが早かったのかと。この施設……、ディジェネは進化耐性が無いと原則入れないのですが、ナム先輩さんは良いご家族に恵まれてらしたようで、ご家族の懇願でこちらの施設に入ったと記憶しています」

「つまりはまぁ、私の番号は単なる買っただけの番号ってわけだね」

 ナムは言いにくい事をズバっと言ってのけて、少しだけゼロに困惑の表情が浮かぶ。

「そう……、なりますね。だからこそ、尚更進化耐性を強める薬が必要なんです」

 ゼロは懇願と言葉を濁していたが、ナムの言う通り何らかの金銭の動きがあったことは間違いないだろうと思った。

つまりナムは何処ぞのお嬢様だったというわけだ。

「だけど……、そんな事言われても……」

 ナムが心折れた風に呟く。

「待て、言うからには、あるんだろ?」

 俺がナムを支えるように言葉を添える、そうしてゼロもまた彼女のその心を支えるように、その絶望を塗り替えるように、強い口調で、ゼロはナムの人間としての眼を見た。

「ですね、進化抑制の薬なら在り処も分かります。だから私が進化抑制の薬を取りに行きます。私が今日目覚めさせられた意図は、そうでなければきっとおかしい。きっと私は、その為に目覚めたんだと思うんです。それを、伝えに来ました」

 

――それは、ゼロがナムに伝えた話の中で、きっと唯一ついた嘘だ。


 本来この部屋に来る目的はナムを呼びに来る為だったはず。だから薬を取りに行くのを伝えに来たというのは、嘘だ。少なくとも俺は、一言もそういう話を聞いていない。だけれど、俺はその言葉に一言も口を挟まずに話を聞いていた。


 きっとゼロは、その心に沸いた感情に従ったのだろう。そして彼女は、彼女がすべきことを、この部屋でハッキリと見つけたのだ。ゼロは優しくも力強い笑顔を作り、ナムの顔を見た。

「大丈夫、まだ間に合います。絶対に間に合いますから、ちょっとだけ待っててくださいね」


 ナムは、不安そうな顔を少し和らげてから、頷く。だが、何かを思い出したかのように、その顔はまた不安の色に染まった。

「この事は、ヨミには……」

 知られたくないのは当たり前だろう。あの姿は、俺だってヨミやナナミに見せたくは無い。

「大丈夫、言いませんから、ナム先輩さんも頑張って自分を保って待っててください」

「保てなかったら、またやりあうだけだしな。気楽に待っててくれよ」

 ナムよりも歳下のはずのゼロが、妙に大人びて見える。格好つけさせてくれよと言わんばかりに、俺も言葉を付け足した。


 俺達の言葉、というよりゼロの言葉にナムはホッとしたような顔をしてから、俺も一生懸命フォローを入れていたのに今更気付いたかのような仕草で俺の顔を見る。

「手首くらいなら、お互い様だろ? お前も俺を殺しに来てたから、おあいこって事でよろしく頼む。次が会ったら手加減してくれよ?」

 そう言うとナムは苦笑しながら、まだ痛んでいるであろう右手を上げてヒラヒラと振って見せた。

「手間かけるね、にーさん」

「それもお互い様なんだろうさ、きっと」

 それぞれが正しく和らぎながら、俺はドアへと向かった。 


「じゃあ、私達は行きます。なるべく早く届けますから、ナム先輩さんも頑張ってください」

 そう言いながらゼロは振り返り、少しだけ俺の目を見て軽く頷きドアノブを掴んだ。ドアの解錠音がなると同時に、ゼロは何かを思い出したように身体をビクッと震わせ、慌ててナムの方を振り返る。

「あああと! 勝手に開けてごめんなさい!」

「それも、後で説明してよね……」

 そう言われて頭を下げるゼロに、さっき感じた大人びた雰囲気は残っていなかったが、俺はそんなゼロの方が好ましいと思った。


「じゃあ、行こう」

 俺が場所を知っているわけでは無かったが、ゼロに行き先を促すと、彼女は少し驚いたような顔でこちらを見た。

「驚かれても困るよ。乗りかかった船どころじゃないんだ。勿論俺も行くさ」

 俺のその言葉に、ゼロは嬉しそうに「はい!」と返事をする。

まだ少しだけ残っているの感覚の青の力が、後ろで小さく笑うナムの声を耳に届けた。


 力の赤の残りは後二回、感覚の青の残りは後三回。使い切るまでは少なくとも俺に出来る事があるはず。

改めてナムに挨拶をしたゼロと一緒にナムの部屋から出た俺達は、その部屋の施錠音を聞いてから、ホールへと足早に戻った。

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