DAYS3 -2- 『おさかなさん?』
物凄く自然に俺の事を"フタミさん”と呼んだゼロは、慌てて口元を隠す。出てしまったた言葉はそれくらいじゃ無くならないのだが、その焦り方が可愛らしいというか、面白くてつい俺はその理由を訪ねた。
「フタミって? 俺の事だよな?」
問いかけながら彼女の顔を見た瞬間、彼女は目を逸らすどころか、顔ごと逸していた。
「なんでもありませんなんでもありません。忘れてください、本当になんでもありません。そう、間違えました、間違えたんです」
焦りながらそうやって呟き続ける彼女の横顔は真っ赤で、聞いたこちらが心配になる程だった。
「いやまぁ、そういう語呂合わせもあるだろうし、好きに呼んでくれていいけれども……」
「いえ! これは! えっと、後からも話しますけど事情があって……。ああもう……、番号で語呂合わせなんて便利だと思ったけれど、なんという落とし穴が……」
彼女が頭を抱えながら唸っていると、ソファでこちらを見ていたナナミがヨミを連れてこちらに近付いて来る。
「なぁーーーにいっきなり出てきた女の子を困らせてんです、かぁ!」
そう言いながらナナミは俺の頭をジャンプして軽くチョップしてきた。俺はそのチョップを頭の上で軽くいなし、返事をする。
「いや……、そういうわけではないんだけどさ……」
「そうですよー! 遠目で見ても困ってましたって! おにーさんこの人に何言ったんです?!」
言ったというか言われたが正解なのだが、弁解する暇も無く二人から口撃を受けると、思わず溜息が出そうになった。
「俺ってそんなに、信用無いか?」
「女性関係についてはね!」
ヨミはともかく、ナナミは楽しんでいるだけなのだろう。それこそウキウキしながら追撃してくるが、むしろその女性関係を囃し立てて来るのはナナミだろうにと思いながら彼女をジトっと睨むと、彼女はテヘペロと言わんばかりに舌を出した。
――ベタ過ぎる。
『可愛いつもりか狸娘』とチョップしてやりたくなるが、可愛いのは間違い無い。そもそもが男なのだ、色々なツボを分かっているのだろう。それにしたって板に付きすぎていて少し怖いくらいだ。
「えっと……、皆さん、私は大丈夫ですので……。トチっちゃったのは私ですし……」
ゼロが俺のフォローの為に声を振り絞ると、ナナミは意外そうな顔をする。
「おりょ! 珍しい! お嬢さんはおしとやか系なんですねー! お兄さん……そうかぁ……、さてはこういう系が……」
ナナミの顔が恋愛絡みの事を言う時のニヤついた顔に変わると、隣でヨミが目を白黒させている。
「こういう系ってどういう……、えぇ?! そういう?!」
ヨミはヨミでもう制御出来そうもない、よく分からない感じでワタついている。
『こういう、どういう、そういう』
一体どういう事だよと思いながらヨミを見ると思わず目が合うが、その目は少し不安そうな目をしていた。
これは、本当にそういう事なのだろうか。
思い立った疑問はとりあえず置いておく事にした。どうあったとしても、そういう場合ではないのだ、ずっと。
というかこの娘達は挨拶をそっち抜けでこんな事を言っているが、挨拶大事の精神はどうしたのだろうか。
確かこの施設で会った人達全員から『挨拶は大事』なんて言葉を聞いた気がするんだが……。
「こういう系いなかったからなー、そっかぁー、こういう事だったんですねぇ」
こういう系、こういう事。言いたい事はなんとなく分かるが、つまりどういう事だよと思いながら俺は相変わらずニヤつくナナミの頭に軽くチョップを入れる
「ああもう、恋愛脳は引っ込んでろ!」
つまりは、そういう事だった。
「アイッター!」と大げさにリアクションをするナナミを無視して、ヨミにも「とりあえず落ち着け」と言葉を送ると、やっと二人は静かになった。
そして俺の隣でただひたすら困った顔をしながら何か言おうとしているゼロの代わりに、彼女の紹介を始める。
「この子は……、部屋に番号が無かったから、とりあえずはゼロって呼ぶことになった。二人が寝てる間に部屋から出てきたんで色々話を聞いてたんだけど、この施設について色々と知っていることがあるらしい。だからとりあえず生存者を全員集めたいんだけど……、ナムは何処行った?」
「ん、多分自分の部屋だと思いますよ。ほら、コンテナ部屋行く前に分岐路が一つあったの、覚えてます?」
頭を抑えてリアクション芸を続けていたナナミが俺の質問に答える。というか、まさか本当に痛かったのか? と少し心配になるが、力を全く入れていなかったのでおそらくは演技だろう。
そういえば、コンテナ部屋の制圧をしに行った時はナナミの後ろにひたすらついていくだけだったから気にも止めなかったが、言われて見ると一回だけT字路があったのをなんとなく覚えている。
「あぁ、そういえば……、あった、かも?」
「あったんです! 初対面の私とのお話に夢中でしたか? まぁとにかくなむちゃんの部屋はその辺りですねぇ。私達は逆側に曲がったんで部屋の前は通りませんでしたけど。
なむちゃん、おさかなさんが調子悪いって言ってたんで、それ関係で戻ってるんじゃないですか?」
隣でゼロが首を傾げながら「おさかなさん?」と言っているのはとりあえず置いておくことにして、とりあえずはナムを迎えに行くのが得策だろう。
「じゃあとりあえず、俺とゼロでナムを迎えに行ってくるよ。 あのT字路をコンテナ部屋の時とは逆に行けばあるんだな?」
「ですねー。まぁ、ドアに思いっきり数字で七十三って彫ってあるんですぐ分かると思いますよ」
すっとリアクション芸をやめて、あたかも何も無かったような顔で返事をするナナミ。というかやっぱり全然痛くなかったんじゃないかと、少しホッとした。むしろ今平気な顔をするまでが彼女の笑いなのかもしれない。どちらにせよ何も言うまいが。
「んー……じゃあ私達はその間にしーちゃんとむーちゃんを呼んできましょっか」
ヨミがナナミに向かって聞き覚えの無い名前を言い出した。語呂合わせから考えると、四番と六番も生き残っているということだろうか。
「まだ俺はその二人に会えてないよな?」
「ですねー、この施設にいておにーさんがまだ会ってないのは、しーちゃんとむーちゃんでオシマイです。双子ちゃんですよー、 二人ともとってもちっちゃくて可愛いんですから!」
ヨミはどうやらある程度交友があるらしく、好意的な印象を持った。
「可愛さなら私も負けてないけどね!」
隣でナナミが胸を張るナナミの頭を、今度は少しだけ力を入れてチョップする。
「いった! 今度はホントにちょっと痛いヤツじゃないですか!」
「いや、これで少しは真面目になるかなって……」
「バカになっちゃいますってば!」
「もともと充分バカな気がするけどな……」
その様子をヨミが少し羨ましそうに見ており、ゼロは微笑ましそうに様子で見ている。すぐにハッとしたヨミがブンブンと頭を振って「まぁまぁ……」と俺達の小競り合いをなだめてくれた。
「というかお前ら初対面なのに挨拶とか良いのか? 挨拶大事の精神は何処行った?」
"挨拶大事"の精神を忘れてしまった可愛そうな娘っ子達にフォローを入れてみる。
というのも、隣でひたすらに困り顔を続けているゼロの事が不憫に思えたのもある。
「あ゛……」
「あっ……」
二人のハッとしたような声の『あ』が被る。
そしてワンテンポ遅れてゼロも「あ……」と緊張した声色が追って聞こえてくる。
だが意外にも、先に声を出したのはゼロだった。
「は、は、はじめまして……。ヨミさんと……ナナミさん、でいいんですよね? 私は一応、経緯は色々あるんですが、とりあえずゼロって呼んでくださればと思います。こんな私ですが、どうかよろしくお願いします……」
「えっと、なんか気を使わせてごめんね? よろしく! ゼロちゃん! でいいよね? 私の事もナナミちゃんって呼んでね!」
「私も、"さん"付けなんてしなくていいですよー。呼び捨てにしちゃってもいいくらいです。でも同じ女の子だからちゃん付けが嬉しいかもですね! とにもかくにも、よろしくです!」
ゼロのおずおずとした態度にこの元気な二人は慣れていないのか、ゼロの自己紹介を前に少しだけ緊張した面持ちになったがゼロが言った『こんな私』という言葉がどういう意味かは何となく理解できたようで、彼女達は持ち前の明るさで挨拶を返していた。
このくらいのシンプルな明るさでいてくれると嬉しいんだけどなあ、なんて事を思う。特に金髪碧眼美少女の方は、もうちょっとどころかだいぶ抑えていてくれた方が見栄え的にも良いのだが……。
簡単な自己紹介が終わるとゼロの緊張も和らいだようで、温和な笑顔で改めて挨拶を返す。
「ありがとうございます……。では、これからよろしくおねがいしますね。ヨミちゃん、ナナミちゃん」
きちんとちゃん付けで呼ばれた事に喜ぶ少女二人とはにかむゼロを見ていると、少しだけ父性のような物に目覚めそうになっている自分がいた。まるで自分の娘が初めて学校で友達を作ったみたいな感じだ。とはいえ最初に出会ったのが俺だというだけで一時間の付き合いでも無いはずなのだが。
「じゃあ、挨拶も済んだことだし。 まだ自己紹介も済んでないナムのとこにいっちょ二人で行ってくるよ」
そう言いながら、ゼロに向かって首で行こうと合図をし、ナムの部屋に向かおうとすると、ヨミがこちらへ近付いて来て、耳元で俺に聞いてきた。
「でもおにーさん……。ノッカーとか、この施設の説明とか、ゼロちゃんにちゃんと伝えてくれました?」
急に耳元で話しかけられたので思わずそのくすぐったさにササッと一歩距離を取ると、ヨミは少しだけ不服そうな顔でこちらを見ながら一歩距離を詰める。確かにそのあたりの事情についてもヨミとナナミにはまだ説明不足だったのを忘れていた。
「あぁ、それは大丈夫。きっとあの子、俺らの誰よりもそういうの詳しいだろうから」
そう言うと彼女は首を傾げながらも、俺の真面目な声色でなんとなく納得したようで、一度頷いてからはそれ以上何も言わなかった。
それを見て俺も一度だけ頷くと、ゼロを連れてナムの部屋がある廊下の方に歩きだした。
「じゃ、行こう、ゼロ」
そう言いながらゼロを見ると、嬉しそうな顔をしながら俺の少し後ろをついてくる。その笑顔は廊下に出て、ホールが少し遠くなるくらい歩いた後でも変わらずだった。
「友達が出来て嬉しいって感じか?」
何となく思ったことを聞くと、彼女の笑顔は驚いた表情へと変わる。
「えっ……、あっ……、そんな風に見えましたか……?」
「あぁ、見えたよ」
そう答えると彼女は今日何度見たか分からない赤い顔をしてから、少しだけ頬を膨らませた。
「ええ、そうです……、そうですよ……。嬉しかったんです。でもそれを言っちゃうのは、ちょっとデリカシー無いですよぅ……」
とうとうゼロにまで直接ダメ出しを食らってしまった。ナナミはまぁ良いとしても、この施設には女性ばかりだから、本当に気をつけないといけない。事実、俺の不用意な一言でナムが髪をバッサリ切り落とす事件があったばかりだ。これから先起きる出来事の中で、デリカシーについて考える余裕があればの話ではあるが、それでも善処はしていかないとなと俺は心に誓う。
「悪い悪い……」と言うと彼女は「まぁいいですけど……」と言いながら少しだけ歩を早めて俺の横に並んだ。
「でも、フォローしてくれてありがとうございます。こういうのってあんまり無かったんで、本当に嬉しかったな……」
嬉しさを噛みしめるように呟いたゼロのその声は本当に嬉しそうで、彼女は自分とそう変わらない年齢のはずだろうに、やはり父性のような、なんとも言えない嬉しさが俺の中に満ちているのを感じた。




