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PROLOGUE『実験』

 目が覚めて最初に思ったのは、見覚えのない部屋だという事。


 それ以上の感情も、それ以下の感情も沸かなかった。


 ――何故なら、それらを上回る、記憶の欠如という戸惑いがあったからだ。

 

 眼前に広がっているコンクリート天井は、見覚えがあるようにも思えたが、そんな事は些細な事のように思えた。


 俺は、静かに首を回し、周囲の状況を確認する。

 何故、自分はこんな所で寝ているのか、記憶を辿ろうとしても何処かで断線させられているような感覚を覚えて、思い出せない。


「こんな不便な部屋に住んでたんだったか?」

 

 俺は部屋を見渡し、ため息をついた。


 絞り出すように思考を巡らせると、ほんの少しの記憶が蘇る。

 断片的な、暮らしの欠片。それと同時に、何らかの制限がかかっていた暮らし。


「そう、そうだ。実験だ」


 思わず呟いてしまった声にも、聞き覚えがある。


 ――だが、これまでの人生の経緯が、一つも思い出せない。


 特別な事があったのだろうと、思っている。

 パニックになっていない自分が、不思議だった。


「まずは、ドア、か」


 この部屋の外に何があるかはまだわからないが、答えがその向こうにあるのは間違いない。

 俺は片方のドアが洗面所だという事を確かめて、もう一方のドアを見つめた。


 ドアノブと覗き穴が一つのシンプルなドア。


 鍵穴は見えない事が妙に思えたが、そういうものだったのかもしれないと思えば、自分を納得させる事も出来ないわけではなかった。

「実験であれば、こちらに自由はなくてもおかしくはない、か」


 そこで急に思い出した。確か最後の実験とやらで、全員が簡単な手術を受けた後に数週間の長期睡眠を余儀なくされたのだ。


「あぁ……そうだった。実験に関わったのは、間違いないな」


 改めて今の状態を確認しようと思ったが、部屋を見渡しても気になるものは見当たらない。

 仕方なく、俺はドアへ向かって、覗き穴に目をあてる。


「誰もいな……っと?!」

 外には何も見えないが、自分のすぐ前にあるドアが、二度、強くノックされた。そしてドアノブが少しだけ動き、止まる。


「誰……だ?」


 俺はその音に怯みながら、姿の見えない相手に声をかける。

 しかし、答えはなく、ノックの音が響き続ける。


「なんだってんだよ……」


 俺は、覗き穴から目を逸らさずに、そっとドアノブを握りしめる。

 実験の内容こそ思い出せなかったが、こういう意地の悪い事をされる事ではないだろう。少なくとも、そんな事をする道理がない。


 だが、俺の側からも、ドアノブは少ししか回らなかった。明らかに施錠されている。

 しかし、ノックに混じって小さな機械音が響いているのが聞こえた。


 鳴っているのはこちらの部屋側で、ノックをした外側から鳴っているものでは無さそうだ。


 そのうちに、カチリという音が鳴る。

「開いた……のか?」


 そうして、俺はドアノブを回す。


 ノックの音は相変わらず聞こえ続けている。もしかすると、自動録音か何かなのだろうか。

 そう思いながらドアを開けた瞬間、俺の身体に、熱が走った。


 ――熱では、ない。これは、痛み?


「ぐ……ッ。……あ?」

 自分の腹部を見てみると、鋭利な刃のようなものが突き刺さっていた。

 そうしてこぼれ落ちる赤い血液、熱が物凄いスピードで痛みに変わっていく。


 叫ぶ暇も、無かった。

 痛みに喘ぐ時間もなく、俺は喉元を、掻き斬られていたから。


 だが、それをしている存在の姿が、見えない。

「……ッッ!」

 ヒュー、ヒューと漏れる息に、俺はもうすぐ訪れる自分の死を悟っていた。

 視界がぼやけた瞬間、眼前に、何か、見てはいけないものを見た気がした。


 そうして、遠くなる意識の中で最後に聞いたのは、ノックではなく。

 俺は遠くから聞こえてきたドアが閉まる音だった。

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