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月を従え、ぶらぶらと辺りを散策しているうちに、周囲を木々に囲まれた大きな広場のような場所に出た。奥の方には半球体の可愛らしい白い建物が見えるが、それを除けば、本当に何もない、誰もいない、だだっ広いだけの場所だった。外灯や施設の明かりが遠くの方で見えるだけ。周囲は静かで、そして真っ暗だった。私は時々きちんと月が付いてきているかを確認しながら、あてもなく広場の中へと進んでいく。
広場の中心付近にたどり着いた私はふと夜空を見上げてみる。そこには見慣れた黄白色の月はなく、真珠をばらまいたように数多くの星々が瞬いていた。都会のネオンを離れ、月明かりすらない夜空は、今まで見たことがないくらいに美しく、自分が今東京にいることすら忘れてしまいそうだった。私は星空を背景にふわふわと浮かぶ月へと視線を向ける。わずかな星明りと遠くの外灯の明かりを照り返し、とても幻想的な色をしていた。
ここにいるのは、私と、真ん丸なお月様だけだった。大都会の喧騒の中で感じる孤独も、押しつぶされそうになるほどの窮屈さも、足の付け根にまとわりつくる無力感もここには存在しなかった。私は靴を脱ぎ裸足になる。足の裏に草の繊維があたり、くすぐったい。私は月に微笑みかける。暗闇の中で、月も嬉しそうに揺れ動いたような気がした。
私は気が付くと、鼻歌を歌っていた。満天の星空と穏やかな静寂にはふさわしくない、キャッチ―で底抜けに明るいメロディ。私が大好きなメリーポピンズの作中歌。『Supercalifragilisticexpialidocious』だった。私は歌に合わせてステップを踏み、手で小さくリズムを取る。私が頭上に視線を向けると、心なしか、月も私の鼻歌に合わせて身体を動かしているかのように思えた。そして、仲間に入れてとと言わんばかりに降りてくると、ゆっくりとしたスピードで私の周りを回り始める。
私は舞台さながらに踊りを踊っていた。最初は小さかった身振りも徐々に大げさになっていき、鼻歌はいつの間にか、本意気の歌に変わっていた。私の歌に合わせ、月も楽し気に私の周りをまわっている。それはまるで踊りのようだった。私が歌い、月がその歌に合わせて踊る。ここに観客はいなかった。ここにいるのは、歌と踊りが好きな一人の女の子と、人間のように不器用に踊る浮遊物体だった。
なぜあなたは地球にやってきたの? 私は心の中で月に問いかけた。私もまた美しい世界に吸い寄せられ、なかなか近づけないもどかしさを抱えながらも、それでもどこか遠く離れていくことすらできない存在だった。地球に実際やってきてみて、月はどのように感じたのだろう。パッとしない女優志望の一日に付き合ってみて、研究に熱を上げる科学者に網で捕まえられて、月は地球についてどのような感想を抱いただろうか。幻滅したのだろうか、来なきゃよかったと思ったのだろうか、もうこれまでのように地球の周りをぐるぐる回ることすらやめてしまおうと思ったのだろうか。
月に気持ちなんてない。それでもこのような問いが頭に浮かんでくるのは、それが自分自身に対する問いでもあったからだった。ねえ、教えて。あなたはどう感じているの? 私の口からこぼれるメロディが星明りの下で火花のようにチカチカときらめきながら、夜空へ向かって立ち上っていく。星々がそれを出迎えるように明滅を繰り返し、陽の明かりを反射する川面のように天蓋が輝いて見えた。
歌を歌い終わると同時に そのまま私は草の上にあおむけに倒れ込んだ。地面のひんやりとした冷たさが私の背中を通して伝わってくる。私はくすくすと笑いながら両腕を思いっきり伸ばし、背を伸ばす。私の真上には月があった。しかし、不思議なことに、先ほど見た時よりもずっと小さく、そして明るく光り輝いていた。しばらく観察してようやく、月が元々あるべき場所に戻ったのだということに気が付く。私は脈略のない出来事に驚きながらも、月が遠い夜空の真ん中にぽつりと浮かんでいることがどうしようもなくうれしかった。それが私の問いに対する、月の答えだった。それでもなお、地球の周りを周り続けることを選んだ。それでもなお、地球に愛想を尽かし、どこか遠い場所へ飛んでいこうとはしなかった。
私は決して届くはずのない月に向かって手を伸ばす。私に答えるかのように、夜空の月がふるふると揺れ動いたような気がした。




