表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歌う太陽、踊る月  作者: 村崎羯諦
4/6

4

 国立天文台の職員と名乗った男たちは私を丁重に白いエスティマに乗せると、何かに急かされるかのようにすぐ車を発進させた。車は国道20号線に出て、そこから西に向かって走っていく。街明かりが水に沈められた星空のようにぼんやりときらめく中、私は半ば投げやりな気持ちで移ろいゆく景色を眺めていた。私の隣にはもちろん、天井の低い車内で窮屈そうに浮かぶ月があった。私の緊張をほぐそうと、前の座席に座る一人がうわずった声で世間話を振ってきたが、正直、適当な相槌を返すだけで、彼が何を話しているのかなんて全く理解していなかった。


 三鷹市へと入った車は国道20号線から天文台通りへと曲がり、程なくして、国立天文台の敷地内へと入っていった。背の高い樹木に囲まれた敷地の中に入ると、都会の雑多な喧騒やビル街とは真逆の、冬の湖上のように静謐な雰囲気が私たちを出迎えてくれた。車は広い敷地内を奥深くまで進んでいき、白く無機質な三階建ての建物の前で音も立てずに止まった。


 男二人が先に車を降り、一人は先に建物の中に、もう一人はご丁寧に、後部座席の扉を開けてくれた。私が先に降り、月が私を後を追って、外へ出る。外灯の明かりに照らされた月は、ほのかに青白く光り、澄んだ夜空に浮かんでいてる時と同じくらい美しく見えた。私がふと国立天文台の職員へと目を向けると、男はあふれる好奇心を隠そうともせず、まじまじと私の後ろに浮かぶ月を観察していた。もちろん、彼らが私をここまで大事な客人として扱ってくれていたのは、この月が目当てだからだということは重々理解していたが、何だか自分がこの月のおまけか何かのように思われているような気がして若干不愉快に感じてしまう。


 私がわざとらしく咳き込むと、男はハッと我に返り、「すみません」と平謝りしながら施設の中へと私たちを案内した。白いタイルが張られた廊下を私と月は男に案内されるがままに歩いて行く。施設の中は厳粛な雰囲気が漂っているわけでもなく、むしろ近所にある市民病院を思わせた。私たち以外には人の気配がなく、靴音だけが周囲に反響し、それが妙に私の胸をざわつかせた。


 廊下の突当りにあったベージュ色の扉を開き、私は中に入る。部屋の中には、先ほど私を車に乗せた片割れと、もう一人、くたびれたこげ茶のツイードを羽織った見知らぬ初老の男性がいた。二人は向かい合わせの状態で椅子に座り、ディスプレイに映された資料か何かを熱心に眺めていた。


「例の方をお連れしました」


 私たちをここに連れてきてくれた男が声をかけると、初老の男性がゆっくりとこちらを振り返り、私と、その後ろに浮かぶ月を認めると、これ以上ないくらいに親し気に表情を崩した。二人の直属の上司であろう初老の男性は椅子から立ち上がり、私に近づき、手を差し伸べた。少しだけ戸惑いつつ、握手をすると、男は主任研究員の棚原ですと簡単に自己紹介を行った。


「わざわざこんな時間にお越しいただき、大変申し訳ありません。なにせ、緊急事態と言ってもいいような事態ですから」


 棚原はちらりと私の背後に浮かぶ月へと目を向ける。その瞬間、眼鏡の奥できらりと眼光が瞬いたような気がした。しかし、棚原は再び私に視線を移すと、部屋の中央に置かれた椅子に腰かけるように勧めた。私が勧められるがままに椅子に座ると、棚原は向かいの席に腰かけ、じっと私の目を見つめながら話を始めた。


「さて、三橋さんもご承知の通り、私たちはあなたの真上にうかぷかと浮かんでいる物体に興味があるんです。これは一体なんのなのか。今日未明に忽然と姿を消した月なのか、それとも全く違う物体なのか。違う物体であるならば、これと月の消失との関係に因果関係はあるのか。そして、そもそもなぜあなたの頭上にこの物体が現れたのか。原因はなんなのか。問いはうずたかく積もっていますが、残念ながらどの問いに対しても満足のいく答えを私たちは持ち合わせていません。だからこそ、あなたの協力が必要なのです」


 一言一言かみしめるように発言する棚原はその間もじっと私の目を見つめていた。それは、本当は私の頭上に浮かぶ月を嘗め尽くすように観察したいと言う気持ちの裏返しなのだということに気が付くのに、少しだけ時間がかかった。


「棚原さんは、これがあのお空に浮かぶお月様だと考えているんですか?」

「常識的に考えればありえません。しかし、常識が間違っていると言うことは科学の世界においては珍しくないのですよ」


 箴言めいた棚原の言葉に、私は納得したような風の相槌を打つことしかできなかった。そして、私がふと私をここまで連れてきてくれた二人の職員が、部屋の隅でこそこそと何かを準備している姿が目に入った。男たちは漁に使うような大きな網をぴんと張り、すぐそばに置いてあるゲージを見ながら何かを相談しあっている様子だった。なんだろうと私が彼らを見つめ続けていると、棚原も私の視線の先に目を向けると、なんでもないことかのように「ああ、あれですね」とつぶやいた。


「三橋さんもこのまま月につきまとわれることも大変でしょう。だから、いったんこちら側で捕獲しておこうと思ってるんです」


 それだけ言うと、棚原は二人の職員に声をかけた。彼らは棚原の合図にこくりとうなづき、網を携えたままゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。棚原はというと、大きなディスプレイにつながれたノートパソコンをカタカタと操作し、ディスプレイ上に美しい地球の姿を表示した。黒い宇宙を背景に、青と緑が鮮明に映える美しい惑星。職員の一人が地球が映ったディスプレイの背後に立ち、腰をかがんで、その重たい映像機器を両手で持ちあげる。


 私と棚原は二人同時に頭上に浮かんでいた月へと視線を向けた。月は逡巡するかのように上下左右に揺れ動いた後、抗いがたい誘惑に引き寄せられるかのように、少しづつ職員が持つディスプレイに映った地球の映像へと近づいていく。職員は一歩ずつ後ずさりし、それを月が追いかける。そして、私たちの座高ほどの高さまで降りてきたそのタイミングで、もう一人の職員がえいやっと網を放り投げ、見事に月を捕獲して見せた。網の端に着けられた重りがフローリングの床に落っこち、甲高い音が部屋にこだまする。網に絡み取られた月は少しの間、四方八方へと揺れ動いたが、やがてなすすべがないことを悟ったのか、それ以上の抵抗を止め、床に降り立ちると、そこでピタリと制止した。


「あれだけ身近な存在でありながら、月には未だに謎が多く残されています」


 二人の職員は網にかかった月を二人で持ち上げ、そのままペットショップに売ってあるようなお粗末なケージへと押し込んでいく。


「これが月に残された謎を解明するための大きな一歩になればいい、そう思っています」


 ガチャリと、金属の錠がおろされる音がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ