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歌う太陽、踊る月  作者: 村崎羯諦
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 夢から目覚め、重たい瞼を開くと、サッカーボールほどの大きさのお月様が私の頭上でふわふわと浮かんでいた。人の手を離れた風船のように、月はオフホワイトの壁紙が張られた天井に張り付いていて、時々居心地が悪そうにゆらゆらとその身体を揺らしている。


 ああ、寝ぼけてるんだ。六畳半しかない部屋の中で、あんなふうに月が浮かんでいるなんてありえないもの。私はもう一度目を閉じ、寝返りを打った。先ほど見ていた夢は何の夢だったっけ。身体にまとわりつく気怠さから考えると、きっといい夢ではなかったのだろう。もしかしたら、昨日の出来事に関係した悪夢だったのかもしれない。そうだとすると、もう一度眠りに落ちるのは気が引ける。たとえ夢の中であろうと、昨日のあの辱めを再び味わうことはどうしても嫌だから。


 泥のように重たいまどろみの波の中で私はもう一度目を開け、ちらりと天井の方へ目を向ける。そこにはまだ、先ほどと同じく、まんまるなお月様が浮かんでいた。





 ベッドから起き、顔を洗ってさっぱりした後も、月はなお私の部屋の中にいた。いや、部屋の中にいた、というと若干語弊があるかもしれない。というのも、月は狭い部屋の中でさえ、刷り込みを受けたカルガモの子供のようにふわふわと私の後ろをついてきたからだ。私が洗面所やトイレに行くたび、天井にぶつかりながらも私の背中を追いかけてきて、扉を閉めてトイレの個室に閉じこもると、扉の外から寂しげにコツコツと天井やドアにぶつかる音が聞こえてくるのだった。


 一体、これは何なのだろう。ひょっとするとストレスで幻覚が見えているのかもしれない。私は椅子の上に立ち、浮遊物体の表面を手でなぞってみることにした。表面は岩のようにごつごつとした部分もあれば、きめの細かい砂のようにさらさらとした部分もあった。学校で習ったクレーターらしき凸凹もある。全体的に日陰に置かれた小石を思わせるような冷たさで、色は白く明るい部分と、黒っぽい部分とに分かれていた。月を手でくるくると回してみると、角度によっては、餅をついているうさぎや、大きな鋏をもった蟹のように見える。観察すればするほど、それはまさに学校で学んだ月と全く同じ性質のものだった。


 よくできた作りものだな。私は椅子から降り、部屋の中に浮かんだ月を見上げた。もちろん、これが私の知っている本物の月であるわけはない。そもそもサイズからして大きく違うし、月であるならば、こんなとこにいないで、きちんと地球の周りをまわっていなければならないはずだ。


「月ならちゃんと衛星としての役目を果たさなくちゃだめだよ」


 私は冗談交じりに月らしき浮遊物体に語りかけた。すると月は、まるで私の言葉に反応するかのようにふるふると身体を小刻みに揺り動かした。そして、張り付いていた天井から離れ、私の胸ほどの高さまで降りてくると、そのままゆっくりと私の周りを回り始める。


 私は呆然としたまま月の動きを見つめ続けた。その速度は非常にゆったりとしたもので、見ていてもどかしさすら感じるほどだった。月は軌道傾斜角5.145°を保ったままゆっくりと部屋の中を旋回し、机の上に置かれていたティファールの電気ケトルとぶつかって鈍い音を立てた。ケトルはことりと机の上に横倒しになり、注ぎ口から中のお湯が流れ出す。


「あーあー」


 私はケトルを立て直し、こぼれたお湯をタオルでふき取る。拭き掃除を終え私が月へ視線をやると、月はいつの間にか浮上していて、天井に張り付いたままピクリとも動かないでいた。その様子がまるで、いたずらを叱られた小さな子供が、いたたまれなさのあまり部屋の端っこで縮こまっているかのように見え、私は思わず笑ってしまう。


「あなたって意外とおっちょこちょいなのね」


 私は月を安心させるようにできるだけ優しい声で語り掛けた。私が怒っていないことに安堵したのか、月は嬉しそうに身体を震わせる。私は再びその仕草に笑ってしまう。私はふと、昨日の嫌な出来事を忘れてしまっていることに気が付いた。この月のような浮遊物体が一体何なのかはわからない。それでも、この存在のおかげで幾分私の気持ちが救われたのは事実だった。


 私は壁に掛けられた時計を見て、時間を確認した。時刻はちょうど八時になろうとしているところで、楽しみにしている朝の連ドラがもうすぐ始まることに気が付く。私はベッドの上に転がっていたリモコンを手に取り、テレビの電源をつけた。画面には椅子に座った凛々しい表情をした男性アナウンサーが映された。この時間にはいつも天気予報をやっているはずなのにな、といぶかりながら、私はアナウンサーが読み上げるニュース速報に耳を傾けた。


『ニュース速報です。アメリカ航空宇宙局、NASAの発表によりますと、今日未明、地球の衛星である月が突然消失したとのことです。他国際機関においても、同現象が確認されていますが、消失の原因等については現時点では不明です。繰り返します。アメリカ航空宇宙局、NASAの発表によりますと―――』

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