それは何かが変わった夜。
――ああ、こんなに幸せで良いのだろうか。
優綺は憧れの人物であり、先生とも呼んでいる良治とこの夏祭りの屋台で買ったものを食べながらそんな幸福に浸っていた。
退魔士という特殊過ぎる仕事。良治はその先輩にして優綺の師匠だ。
小学生の頃にこの世界に足を踏み入れたが、中学生になっても目立った成長は出来なかった。
それが高校生に上がる前に彼に出会い、色々あった末師事することになった。それからの毎日はとても充実している。
退魔士としての手解きもそうだが、それと同じくらい彼のサポートをすることに。
――でも、このままじゃいられない。
満足はしているが、それでもこのままではいられない。いてはいいけない。
優綺は四か月ほど前から内弟子として彼と同居しているが、それは彼女の向上心を良治が認めているからだと優綺は理解している。
良治は基本的に優しいが厳しいところは本当に厳しい。向上心を持ち続けなくてはそのうち見放され追い出されてしまうだろう。
「ん、優綺どうした」
「いえ……郁未さんは今どうしているかなと」
「郁未は今日バイトだよ、確か。さすがに祭りには間に合わないけど、何かしらお土産を買っておいてあげようか」
「そうですね。喜ぶと思います」
もう一人の同居人にして年上の妹弟子。彼女はアルバイトをしながら良治の教えを受けている。いつも通りなら二十二時に終わる予定で、彼の言う通り間に合いはしないだろう。
だが彼女は素直ではないがこういった賑やかな雰囲気は好きだったはずで、何か土産があれば喜びを隠しながら受け取るのは容易に想像がつく。
「郁未とは上手くいってる?」
「はい。ちょっと素直じゃないところもありますけど、根はとても善い人ですから」
「ならよかった」
金髪ツインテの彼女はなんだかんだ言って善人だ。簡単に言えば世に言うツンデレに近いものがある。
良治もその辺はわかっているだろうが、それでも優綺がどう思っているのか知りたかったのだろう。彼女が来てから三か月、人となりを知るには十分な時間は経っていた。
だが少しだけ不満もある。
それは良治と二人でいる時間が減ってしまったことだ。
そのことを良治は問題として認識していない。
――ちょっとだけ残念だけど、仕方ないよね。
出会う前から彼にあった気持ちは憧れから仄かな恋心になり、それが少しだけ残念という気持ちをもたらせていた。
だが今は、もうその段階を超えようとしていることに気が付き始めている。
「ん……あ」
道路の端で屋台で買ったお好み焼きを食べ終わった良治が何かに気付いてポケットを探る。そして取り出した携帯電話の画面を見ると小さな声を上げた。
――これでおしまいかな。
引っ越す前一緒に住んでいた保護者から貰った桃色の浴衣を少しだけ握り、優綺はそう直感した。
「ちょっとごめん」
「はい」
良治は震え続ける携帯電話のボタンを押してそのまま耳に当てる。
相手側の声が大きいのか時折良治は耳を離しながら会話をし、謝りながら最後に彼は「待ってる」と言って通話を切った。
「結那さんですか? それともまどかさん?」
「それにプラスして天音もだ。……ごめん、三人とも来るって」
「別に大丈夫です。皆さん彼女さんですし、当たり前ですよ」
「いやまぁそうなんだけどね。ただ今日は優綺に誘われて来たわけだし。ごめんな」
師匠である柊良治には三人の彼女がいる。
全員が退魔士で、優綺にとっては皆優しい先輩であり姉と呼べる存在だ。
特殊な状態だが、それも全部話し合った結果のことと聞いている。優綺が口出しするようなことではないし、彼はそうされることを嫌うだろう。
――うん。きっとこれで良かった。
三人の先輩に何も言わずに良治を連れ出したこと。そのことに僅かばかり後ろめたい気持ちは存在していた。
二人で夏祭りを回るという、まるで――いや、彼女にとっては間違いなく――デートのような行為に幸福を感じながらも、やはりそんな気持ちは付いて回っていた。
「こんな夏祭りなんてイベント、まどかさんたちが見逃すわけないですもんね。特に結那さんは」
「まぁそうだな。『仕事で疲れてるだろうから気を遣って連絡してなかったのに!』って言われたよ」
苦笑交じりに言うのはさっき耳を離した時のことだろう。
「結那さんらしいですね」
「ああ。――ん?」
「どうしました?」
何か気付いたように良治が視線を動かし、優綺は振り向いてその先を追う。しかし目立ったことはなく、ただ雑多な人混みが流れているだけだ。
「……いや、なんでもないよ。気にしないで大丈夫だ」
「そう、ですか?」
「ああ。と、そうだ。一つ言っておきたいことを忘れてた」
「なんですか?」
話を変えたなと思ったがそれを追求するのは控える。きっと優綺には関係のないことなのだろうと思えたからだ。
良治は居住まいを正して、ほんの少し照れくさそうに口を開く。
「――うん。その浴衣、とても可愛くて似合ってるよ」
「っ――!」
なんてことを言うのだ、この人は。
不意打ちにもほどがある。
そんな気持ちが押し寄せていっぱいいっぱいになったが、頑張って、努力して、無理やりに押し込める。この気持ちを悟らせてはいけない。ならないのだ。
「あ、ありがとうございます」
「ん。じゃあ三人が来るまでもう少しだけ回ろうか」
「はいっ」
それから三人と合流するまでに買って貰った、琥珀色をした五枚の花弁のブローチ。
それを受け取った時、優綺は自分の気持ちが確かなものに変わったことを自覚した。
――私はこの人を、愛してる。
本編に入れろよ! と言われそうな番外。
前回の後編となりこちらもお蔵入りしそうだったので投稿することに致しました。
これでしばらくは番外の投稿はありません。書き溜め分もありませんし、書くなら本編書きたい気持ちが。
あまりいらっしゃらないと思いますが、読んでいない方がいましたら本編もどうぞ。