愛の産まれた日
本作品は遊言会サークル誌“ことのは”用に書き下ろされたものです。
「無事に産まれましたよ。ほら、こんなに元気に泣いて。お母さんも頑張りましたね」
「良かった、良かったぁ……うん、ありがとうなぁ。頑張った」
全身汗まみれで、でもそれがどうでもいいと思えるほどの虚脱感の中、今出産を終えたばかりの女性は助産師の女性と自分の夫が声をかけてくる。
白い部屋の中に響く声。一泣きする度に嬉しさが込み上げてくる。
そして額の汗を拭い、手を握ってくれる夫。
(――ああ、私はやっとこの人を好きだと、心から言える気がする)
夫の手を軽く握り返しながら、彼女は一筋の涙を流した。
夫との出会いはお見合いだった。
そう珍しくもないことだが彼女は当時二十一歳。普通お見合いをする年齢から十は若い。
そのことに友人たちは驚いたが、彼女の実家のことを思い出して皆そういうこともあるのかもしれないと納得したことを今でも思い出す。
そんなことはない。実家が神社だからと言ってもとても早いことだ。父親にも何回も確認されたが、それでも彼女は自分の意思を変えることはしなかった。
自分の中にこんな頑固な一面があったのかと思うくらいで、ずっと傍にいた弟も驚くほどだった。
心配そうな弟に、彼女はそっちこそこれからはこの神社を守っていかないといけないのよと笑いながら言ったものだ。
相手の男性との年齢差は十五ほど。彼の実家も神社で、この話がなければ養子や別の人に神社を任せることも考えていたらしい。
あちらにしてみれば渡りに船で、父親と同じように何度も確認をされた。その時のやり取りを微笑ましく、懐かしく思う。
数度のデートを経て結婚が決まり、順調に、滞りなく、すべてが問題なく進んでいった。
彼は穏やかで口数が少なく、彼女と同じような黒縁メガネを愛用していた。
何故今まで結婚していなかったのだろうかと思ったが、きっと原因は口数が少ないことに起因する感情表現の乏しさだと彼女は感じた。
それでもさり気ない心遣いや優しさは初めてのデートから感じられ、この人とならと考えることが出来た。
彼は最初戸惑っただろう、自分より一回り以上年下の相手に。
それも彼女の方からのお見合いの申し出だ。不思議に思って当然と言える。だが彼はそんなことをおくびにも出さなかった。
そのことに彼女は自己嫌悪を感じた。
お見合いをする切っ掛けが、好きな人が失踪したせいだなんて――そんなことが原因だなんて。
後ろ向きな理由でお見合いをした自分。これは現実逃避ではないかと思った時期もある。
でも、それでも彼女は結婚を取りやめることはしなかった。――自分も先に進まなければならい。そう感じたからだ。
好きな人にはもう付き合っている恋人がいて、その間に割り込むことは不可能なことのように思えた。何か特別な絆があるように見えたのだ。
高校時代ずっとクラス委員長を務めていて、自他共に地味で真面目な人間だったと認められていた彼女が唯一見せた我が儘な恋心。
でもそれは届かなかった。
何度も泣いたし、幾度も眠れないまま朝を迎えた。
だがそんな恋心は彼がいなくなったことで静かに、少しずつ思い出に変わっていき――最後の決別を込めてお見合いをすることに決めた。
結婚をしてから四年近く経った晩秋、ようやく授かった子供が産まれる日が来た。
普段口数の少ない夫が涙を目に溜めてありがとうを繰り返す。その姿に彼女は小さく笑った。
――ああ、この人のところに嫁いできて良かった。
産声とありがとう。二つに囲まれた彼女は幸せを全身で感じ取る。これ以上の幸福などあるのだろうか。
「……ありがとう。これからもよろしくお願いしますね」
彼女は知った。
自らの中に愛が産まれたことを。
何処かの誰かの物語。
と言ってもわかる人にはわかると思いますが。
本編には書けない話を書いていけたらと思います。