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由衣の冒険2  作者: 和瀬井藤
白い吐息の季節
8/33

 メリークリスマス……十二月二十四日の今日はクリスマスイブである。恋人たちにはお馴染みのビッグイベントだ。当然ながら恋人などいない由衣にとっては、どうでもいい日だった。いや、どうでもいいというよりは、街に出たくない日だった。数日前から赤と白と派手な電飾が、これでもかと視界に入る。一昨日に由衣が、宣子の買い物にスーパーへついて行った際にも中はクリスマス一色なのだ。全くどうにかならないのかねえ……と冷めた目でこのお祭りムードを眺めていた。——まあ、恋人のいない者の僻みなのだが……。


 今日は本屋に連れて行って貰う事にした。退院して何度か本屋に行ってはいるものの、入院前にほぼ毎週の様に行っていた『門田書店』に退院後、初めて行った。

 門田書店は、広島県に本社がある西日本ほぼ全域に店舗を持っている大手書店だ。西日本のみである為、愛知県だったか岐阜県あたりより東には店舗は無い。

 岡山県は広島の隣県である為か進出が早く、各市町村に一店舗あるくらい店舗数が多くある。フランチャイズ店も多い。由衣は瀬戸内市に住んでおり、瀬戸内市にも店舗はあるが、そこは小さい店舗なので滅多に行かない。由衣がよく行くのは、岡山本店という岡山の旗艦店だ。店舗は広く、蔵書数もかなり多い。そして大きな駐車場がある為に、自動車での移動が主である由衣にとって非常にアクセスし易い店だった。もっとも車を運転出来ない現在では行きにくい店になっているが。


「久しぶりだなあ……」

 門田書店の店舗が見えてきた。以前は本当によく来ていた。毎週行って、一、二冊の文庫を買って帰っていた。由衣は、家にある文庫の半分以上はここで買っていた。

 車を駐車場に入れた。割合埋まっているが、所々に空いてる場所があった。一番入り口に近い場所に車を止めると、宣子と光男に手伝ってもらって車を降りた。

 そして店内に入っていく。由衣は松葉杖を使って歩いた。隣には宣子が寄り添っている。近くにいた客が由衣の方を見ていた。どうやら松葉杖の美少女は珍しい様だ。

「いらっしゃいませー」

 店員の声が聞こえた。

 由衣は入り口のすぐ横にあるレジを見た。二箇所あるうちの一箇所には、名前は知らないが顔に覚えのある店員だった。ちょっと嬉しくなった。別に話をした事もない只の店員だが、このこみ上げてくる懐かしさはなんだろうか?

 店内は以前、由衣が最後に来た時と特に変わっていない。特に模様替え等はしていない様だ。店舗内は広く、入ってすぐ目の前にあるのが雑誌などのコーナーで、そこから左手方向にはムック、実用書などがあり、更にその向こうには文庫のスペースが広がっている。

右手方向には旅行、地図などのコーナーで、その奥には専門書の棚が広がる。


 由衣はとりあえず雑誌の棚に向かった。宣子が側に付き添っている。光男は何か欲しい本があるのか、別の所に行った。由衣はファッションや道具などの雑誌を立ち読みしようとした。しかし、松葉杖での立ち読みは以外と難しく、ざっと並ぶ雑誌の表紙を見るだけで止めた。

「何を買うの?」

 宣子は由衣に聞いた。

「文庫を買うつもり。えっと……あっちだったかな」

 そう言って、文庫の棚がある方を指差した。

「もうひとりで大丈夫だから」

「本当に? 転んだりしたら……」

「大丈夫だって」

「気を付けてね、無理しちゃダメよ」

 宣子は心配そうに由衣を見ていた。

 由衣は慣れた手つきで杖をついて文庫の所に向かって行った。


 由衣はある店員を探した。——もう二年以上前だし、まだここで働いているのかは分からない。あまりキョロキョロするのは周囲から不審がられそうなので、そっと周りを見ていた。

 しばらく見ていると、向こうで見覚えのある、一生懸命働いている女性店員が見える。いた。香川と言う店員である。まだ辞めていなかった様だ。

 由衣は嬉しくなった。この香川という店員の生真面目でひたむきに働いている姿が好印象だったのが、この店を贔屓している理由のひとつでもあったからだ。また、由衣の目から見て美人だと思っている事もあり、少なからず好意もあった。

 ——今も頑張っているんだなあ……。

 と思いつつ、由衣は目的の本を探す事にした。

 探すのは『たったひとつの冴えたやりかた』と言うSF小説だ。ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの小説である。ハヤカワ文庫から出版されている。表題作のほか二作品が収録されている。前に何かで見かけて読んでみたいと思っていた。

 早速ハヤカワ文庫のあるスペースに向かった。もう松葉杖もかなり慣れたもので、何の苦労もなくやってくる。松葉杖を使っていると言う珍しさからか、客からジロジロ見られる事もあるが、もうそういうのに慣れている由衣には気にならなかった。


 ハヤカワ文庫の棚を探した。しかし……無い。もう一度、丹念に見ていく。やっぱり無かった。——無いのかな……取り寄せてもらわないとダメかな。

 由衣は、がっかりして振り向いた時、すぐ目の前に人の姿があって驚いた。

「わあ!」

「きゃあ!」

 由衣はバランスを崩すが持ち直した。——危ない、転ぶ所だった……。

「——すいません、大丈夫ですか?」

 目の前にいたのは香川だった。数冊の本を持ったまま、心配そうに由衣を見ていた。

「あ、うん……だ、大丈夫です」

 由衣は顔を真っ赤にしていた。

「本当にすいませんでした……」

 気まずそうな顔をして由衣を見ていた。

 ——ど、どうしようか。自分の不注意のせいで……何だか嫌な空気になってしまった。そ、そうだ。

「あの、すいません。探して欲しい本があるんですが……」

「あ……はい、何という本ですか?」

 香川は由衣を見た。

「『たったひとつの冴えたやりかた』と言うんですが……ジェイムズ・ティプトリーの……」

 少し緊張した声色で話すと、

「は、はい。少し待っててくださいね」

 香川はそう言って、どこかに行ってしまった。


 少しして香川は一冊の文庫を持って戻ってきた。

「これでいいですか?」

 差し出された本は、由衣の求める本だった。

「あ、はい」

 由衣は上目使いに返事した。

「一冊だけ在庫がありました」

 香川はニッコリ笑って、本を由衣に渡すと「では……」と言って、向こうの棚の本を並べる作業に戻っていった。その姿を見送りつつ——やっぱり尋ねてみるものだな、と思った。

 由衣が買って貰う為に雑誌コーナーの辺りにいる宣子のところに行こうとした際、背後から声をかけられた。

「ねえ、その本。譲ってくれない?」

 振り向くと、恰幅の良い中年女性が立っていた。背丈も由衣より高く、まるで熊みたいなオバさんだ。睨むような目つきが少し怖い。

「え、えーっと……で、でも」

 由衣は困った。せっかく香川が見つけてきてくれた本だし、譲りたくない。しかし、こういう面倒臭いオバさんと揉め事を起こしたくない。いつも厄介事は勘弁願いたいと思っていた。

「探していたのよ。やっと見つけたわ」

 一歩踏み出して、由衣の目の前に立ちはだかって威圧する中年女性。由衣は正直怖いと思った。——見つけたって……わたしが探して貰ったのに。

「いや、でも……そういう訳には……」

 抵抗しようとするが、この姿ではとてもじゃないが対抗出来そうにない。

「何?」

 見下すオバさん。まるで由衣を取って食わんとするかの様な攻撃的な視線だ。

「……まあ、その……」

 由衣は視線を逸らし、もう折れそうになっていた。その時由衣の背後から声がした。

「ちょっと! ダメでしょう!」

 由衣が後ろを振り向くと、そこには香川がいた。

「こちらのお客様が購入されるんです。それを横から奪い取るような事は許せません!」

「はあ? 何アンタ、店員? 店員が客に何偉そうな事言ってんの!」

 オバさんは、香川を睨みつけて恫喝する。香川は由衣とオバさんの間に入って、対抗している。

「文句があるなら帰ってください! この本はこちらのお客様の為にご用意したんです!」

 香川も負けていない。自分より大柄な相手を前に立ちはだかる。優しい声だが、力強く由衣の事を守ろうと奮闘している。何事かと客や店員が集まってきた。

 ……しばらくの沈黙の後、

「はん! バッカじゃないの? もうこんな店絶対来るか!」

 捨て台詞を残して去っていった。すれ違い際に由衣と香川を睨みつけて。

「あ、ありがとうございます」

 由衣はお辞儀してお礼を言った。

「ああいう人には本当に困ったものです」

 香川は苦笑いした。

「あの……大丈夫なんですか?」

「大丈夫ですよ。他のお客様の迷惑になる様な方にはハッキリ言わないと」

「そうですか……で、では、ありがとうございました」

 由衣はまた小さくお辞儀をして、その場を後にする。

「いつもありがとうございます。またお越しくださいね」

 由衣が振り向くと、そこには香川の飛びきり素敵な笑顔があった。由衣も笑顔を返した。


「由衣ちゃん、あっちで何か大声聞こえてたけど何かあったの?」

 宣子は心配そうな顔をしていた。近くに由衣がいたのではないかと思ったからだ。……近くどころか当事者だった訳なのだが。

「何でもないよ。困ったおばさんが喚いていただけ」

「そうなの?」

「……うん。で、これを買うんだけど」

「それなの? じゃ、お金払ってくるわね」

 宣子は由衣から本を受け取った。

「あら、なんか嬉しそうねえ。そんなに欲しかったの?」

「ううん、そうじゃなくて……いや、なんでもない」

「そう?」

 由衣はずっと嬉しそうだった。


「ねえ。さっきの子、香川さん知ってるの?」

 同僚の店員が香川の所にやって来て言った。

「え? ううん。多分初めてみるお客様だと思うけど……」

「そうなの? いつもありがとう……だとか言ってたでしょ。私は見た事無いお客様だったから」

 この店員は三年くらいこの店で働いているが、当然由衣は見た事が無い。

「ああ……そういえば。うーん、何でそう言っちゃったのかしらね」

 香川は首を傾げた。

「まあ、何ていうか——誰か似た人の面影があったのかなあ。誰だったかな?」

「ふぅん……」

 香川と同僚はレジに向かう由衣を見送った。

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