六
それから数日後、引越しの手続きを終えて来週には新しい部屋でひとり暮らしが始まる。
「本当にひとり暮らしするの? ……大丈夫?」
「大丈夫だって。見た目が子供だからって、わたしは四三歳だよ」
「でもねえ、お母さん心配で、心配で……」
宣子は心配そうな目で由衣を見ている。由衣は少しウンザリしていた。こんなところであれこれ言ってても、何も始まらない。
「さ、引越しの準備進めようか」
由衣はそう言って荷物の整理を始めた。
白のTシャツとグレーのカーゴパンツ。由衣は片付けの為に着替えていた。汚れてもいい格好。というか少しくらい汚れた方がかっこいいと思っている。由衣はこの格好を割と気に入っていた。
不要なものは一箇所にまとめ、必要なものはダンボールに入れてまとめた。机や本棚など一部を除いて大方のものは小物で、明日引越し業者に持って行ってもらうが、量はそんなに多くない。
本など、は個別にダンボールにまとめておく。そうしてある程度まとめたら今度は小物だ。特に二階の自室だった部屋の片付けが大変なので、それをする為だ。宣子達が手伝おうかと言うが断った。何か見られて困る様なものがあるかもしれないからだ。
恥ずかしい過去の思い出とか出てくるかもしれないし。
「それにしても不用物だらけだ……」
押入れを開けた由衣は、中にあるどうでも良さそうなガラクタなどを見て呟いた。
手前にはコミックスが十数冊積み重ねてあった。多分高校生くらいの頃に買った、当時人気の漫画だ。その奥にはプラモデルの箱もある。由衣は元々ものを作るというのが好きだった為、子供の頃にはプラモデルも好きで作っていた。二十代くらいまでは、気に入ったものがあれば買う事もあった。目の前にあるプラモデルの箱は、今でも新作がアニメで放送されている、某ロボットアニメの昔のやつである。これは懐かしい。開けてみると、中には既に組み立てたプラモデル本体と、パーツを切り離した後のランナーが残されていた。組立説明書もある。
「これは……そうそう、こんなだった。本当に懐かしいな」
つい色々とパーツを動かして様々なポーズをとらせてみる。——なかなかよくできてるじゃないか、と片付けそっちのけで遊んでしまった。
ある程度まで片付けた頃、由衣は押入れの奥にダンボール箱を見つけた。少し持ってみると対して重くない様なので、外に引っ張り出した。中には様々な小物が入っていた。子供の頃のものが多く、小学生の頃のプリントの類など、懐かしいものがある。修学旅行のしおり等も出てきた。
「あ、これは……」
由衣は一枚の手紙が出てきた。表には下手な字で『さっちゃんへ』と書いてある。裏には『早川文彦』と書いていた。これは……子供の頃、従姉妹の家に遊びに行った際によく遊んでいた女の子が引っ越しするので、渡そうと思って結局渡せなかった手紙だ。今思うと、当時その子が好きだったのだろうと思った。多分、内容はラブレター的な内容だったかな……無意識に開封してみようかと思って、思いとどまった。
――思い出は思い出のまま。過ぎ去った過去に野暮な事はよしておこう。由衣はそう思って、再びダンボールの中に入れた。
今日、御津の運転免許センターに行って、運転免許を再取得した。教習所で実習は完了していたので、ここでは学科試験だけだ。しかし学科試験など、高い頭脳の持ち主となっている由衣にしたら、有って無い様なものだ。余裕で全問正解である。当日のうちに発行された。
由衣は、親に助けてもらいたくなかったので、車で送ってもらわずに、電車とバスで行った。それにしても、こんな山の中になんであるのだろうか。交通の便の悪い所である。駅の近くにあればいいのに……。
明日の日曜日が引越しの日だ。フォレスターの中に幾つかの小さい荷物を放り込んでいった。全て引越し業者に運んでもらってもいいのだけど、あまり他人に見られたくないものは自分の車に積み込んでおくことにした。
さすがに今日は普段よく着ているワンピースだ。この程度ではTシャツにカーゴパンツのワークスタイルにはならない。
必要なものを全て積み終わると、真昼の空の下で何気なく遠くを見た。フォレスターのフロントバンパーの前に行き、そこにもたれかかる。目の前の道路を車が通り過ぎた。
今はまだ九月、まだ夏の気温である。由衣の額に汗が滲む。首にかけてあるタオルで汗を拭いた。
「一年か……」
何気につぶやいた言葉に、少しだけ照れ臭くなった。退院が去年の十月だったから、あれから大体一年程経った事になる。色々あった一年だったと思う。松葉杖無しで歩ける様になって、体力も日常生活では支障ない程度に回復して、仕事も出来るようになって、ようやく車も運転できる様になって……そして、ひとり暮らしだ。
一年前はこの先、どうなる事かと不安もあったが、それでもここまで来れた。辛い事はあってもどうにか立ち直れた。
——まだ歩いていける。由衣はそう思って少し笑った。
不意に家の前を高校生と思われる男の子が通り過ぎる。その際に由衣の方を見て、少しこちらを凝視すると、慌てて前を向いて行ってしまった。
——なんだろうね、さっきの子。
と考えて、ふと思いついた。今はスカートを履いていた。膝を立てて座り込んでいる、この体勢は下着が丸見えだ。由衣はそれに気がつくと慌てて立ち上がった。——ヤバい、ヤバい。全然気がつかなかった……気をつけないと……。
「由衣ちゃん……本当に大丈夫? ずっと家にいたらいいのよ、本当に……」
「大丈夫だって、ようやく一人暮らし出来るし、近くに信用できる人が住んでるし」
とにかく心配そうな顔の宣子と、無表情の光男が見送りに出てきている。本日は快晴、とてもいい引っ越し日和だ。由衣はフォレスターのドアを開けて車に乗り込んだ。エンジンスターターのボタンを押すと、いつも通りのエンジン音が鳴る。
由衣は車の窓を開けた。
「じゃあ、アパートに到着したら電話するから」
そう言って、由衣は窓を閉めた。実家を出て行く由衣の車。宣子と光男はずっとその後ろ姿を見送っていた。
実家からアパートまでの道のり、すでに何度か運転しているものの、少し緊張していた。由衣はただひたすら運転に集中した。
一時間もかからず、アパートの前にやってくる。
由衣はフォレスターをアパートの自分の駐車場所にバックで止めた。「ふうっ」とひと息ついて後ろを振り返る。これから住む、自分の部屋だ。由衣の心には、期待と不安が入り混じった不思議な色に染まっていた。
——さあ、これから始まるんだ。頑張らないと!
由衣は決意を新たに、新しい生活の一歩を踏み出した。
「由衣の冒険2」はこれで完結です。
最後まで読んでくれて、どうもありがとうございました。