五
日曜日、由衣は藤井工業へ向かった。当然だが今日は会社は休みだが、ここで小宮山と待ち合わせをしていた。例のアパートを紹介してもらう為だ。
由衣が会社近くのバス停に到着すると、向こうから車が一台、会社の前にやってきて止まった。由衣も近づいていくと、車の中から出てきて手を上げた。その姿は小宮山だ。
「すいません。お待たせしました」
「いや、ついさっき到着したばかりだよ。まあ乗ってくれ」
白のポロシャツにダークグレーのスラックスという、普段着の小宮山だ。由衣は初めて見たが、なかなか新鮮で似合うと思った。
「はい。じゃあ、お邪魔します……」
由衣は少し遠慮がちに助手席に座った。
由衣は車の中を見渡した。この車はプリウスだ。ハイブリッドカーの代名詞と言っていい、あの車である。これは未だ街でよく見かける三代目モデルである。プリウスは現在四代目モデルが現行型で、来年あたりにマイナーチェンジを控えているという噂があるという。四代目もよく見かける。
「プリウスってやっぱり燃費いいですか?」
由衣は少し話を振ってみた。
「ああ、そうだね。前は普通のセダンだったが……燃費は雲泥の差だよ」
「わたしの車は燃費イマイチだから、プリウスの燃費は羨ましいなと思います」
「はは……でも次々良いのが出てくるからね。このプリウスも最新と比べると、やっぱり少し劣る様だ」
「へえ、やっぱり最新はいいですねえ」
他愛ない雑談をしていると、やはり近いせいかすぐに到着した。由衣の住む実家の倍はあろうかという、広い一軒家の駐車スペースに止めると、車を降りて事前に聞いていた通り、隣に建つアパートに向かった。
「小宮山さんの家って、結構大きいですね」
「しかし一人暮らしだから、広すぎるんだがね」
小宮山は苦笑いする。小宮山は十年程前に妻を亡くして、以来この自宅にひとり暮らしをしていた。両親もすでに亡くなっている。
目的のアパートは小宮山の家から狭い空き地を挟んだ隣にある。外観は写真で見せられた通りの白い壁にダークグレーの屋根という外観で、結構綺麗だ。割と新しい建物なのもあるのだろう。洒落た雰囲気の、二階建て鉄筋コンクリートである。道路に面しているのは北側で、部屋の入り口はこちら側だ。手前には駐車場があり、数台止まっていた。
「さあ、ここだ」
小宮山は一階の一番端の部屋行き、呼び鈴を押した。少ししてドアが開くと、背の低い太った中年男性が出てきた。
「やあ兄貴、来たか。その方かい?」
男は由衣を見て、小宮山にそう言った。
「そうだ。早川由衣さんだ」
どうやらこの男が小宮山の弟の様だ。大分見た目が違う。背が高くて痩せぎすな小宮山とは正反対な体格だ。ただ、なんとなく顔立ちは似ている気がする。
「あ、あの。よろしくお願いします」
由衣は挨拶した。
「ああ、こちらこそ。いつも兄がお世話になっています。気に入ってもらえると嬉しいのですが……」
見た目は若干強面は感じではあるが、非常に礼儀正しい人だった。——やっぱり人は見た目では判断できないな……と由衣は思った。
「早速だが、部屋に案内してくれ」
小宮山が言うと、弟は「じゃあついてきてくれ」と言って部屋に案内された。
このアパートは各階に五部屋ある。二階建てなので合計で十部屋ある。空き部屋は、二階の端から二番目、<202>と書かれた部屋だった。弟が部屋の鍵を開けると、「どうぞ」と言って、由衣と小宮山を中に入れた。
中の間取りもよくあるタイプのもので、入ってすぐに大きめのダイニングがあり、奥側にふた部屋が横並びで備わっている。これらの部屋は六畳か八畳か、そのくらいの部屋だ。
「やっぱり暑いね……。一応窓を開けておいたんだが」
小宮山の弟は、室内の暑さに少し汗が滲んできた様子だ。やはりまだ夏の気温である。エアコンを使ってないせいか室内は暑い。
「ひとりで住むにはまず問題ない広さだと思いますよ。こちらは八畳の洋間で、隣は六畳の和室です」
それぞれの部屋を見る。なかなかいい感じだ。次第に由衣はワクワクしてきた。頭の中で、ここに机を置いて、ソファを置いて……など構想を練っていた。
「洋間の方はベランダがあるので、洗濯物を干せますよ」
由衣はベランダに出た。エアコンの室外機もあるし、あまり広くないが良い感じだ。周辺は住宅地で、以外と背の高い建物は少ないせいか、開放感があった。涼しい風が入ってくる。まだ暑い毎日だが、このベランダは風が通って心地よかった。
「どうですか?
「——いいですね。いい部屋だと思います」
「それは良かった。気に入ってもらえて良かったです」
ただ……このまま賃貸契約を結ぶ、この状態はいわゆる直接契約といって、不動産会社を仲介しない契約だ。これは後になってトラブルになりやすいと聞いた事がある。
——どうしたものか? やはり仲介を間に挟んだ方がいいのだろうか。
結局、その日は見せてもらって、それだけで終わった。
翌日、朝のミーティングの後に小宮山のところにいった。
「ふむ、契約か……」
「その辺、どうなんですかね。わたし、詳しくなくて……」
「不安に思うなら不動産屋に間に入って貰った方がいいだろう。弟も管理は管理会社に任せてあるそうだし、そうするかね?」
「……そうですね。そうします」
由衣は少しだけ思案した後、そう答えた。
「知っている不動産屋がいるから、後で紹介しよう」
そう言って、小宮山は腕時計を見た。
「お願いします」
翌日、仕事が終わった後に紹介された不動産会社の担当と会った。この人物は、小宮山や小宮山の弟の知人だった。当然すでに内で話ができている状態なので、この担当者との交渉など形式上のもの程度の事でしかなかった。当然、担当者は終始ニコニコしていた。
特に何事もなく、話はスムーズに進んだ。正式契約は後日だが、もう後は時間の問題だった。
店舗から帰る際に、小宮山が岡山駅まで送ってくれると言った。
「小宮山さん。どうもありがとうございました」
「気に入ってくれて嬉しいよ。弟も喜んでいる」
駅前で別れると、由衣は笑顔で歩き出す。最近、色々辛い事もあったけど、それでも今は楽しい気分に浸れた。
——さあ、心機一転頑張ろう! そう意気込んで電車に乗り込むのだった。