四
翌日、由衣は意外にも落ち着いていた。散々毒を吐いて、不満をぶつけたら気分はすっきりした様だ。以前はこういう事をずっと溜め込んでいたのが、良くなかったのだろうと思った。
将来への不安は拭えないが、それでもまあ……なんとかなるさ、と幾分吹っ切れた気持ちになった。
ただ単に、現実から目を背けているだけなのかもしれない。なんの解決にもならない。
でも、時にはそんな考えも大切なのかもしれない。そんな風に思って、由衣はベッドに寝転がって天井をずっと眺めていた。
それから……結局、本当にひとり暮らしする事に決定した。その後も色々と口論になったりしたが、親達も由衣の我儘に辟易していたのと、周囲に相談した結果、少し距離をおいた方が良くなるのでは、と助言されていた。
しかし条件として実家の近くにしろという。由衣はこれを却下した。そんなのひとり暮らしをする意味無い。絶対ダメだ。
その後更に話あって、最終的に職場の近くか、信用できる人の近くにする事で決まった。職場の近くだと通勤時間を短縮出来る為、事件事故に巻き込まれる可能性が減り、信用できる人の近くだと、困った時に頼れるからだという。
由衣は新居となる物件探しをスタートさせる事にした。
自宅での騒動の翌週、月曜日から出勤する事になった。
「……すいませんでした」
事務所にて藤井達に急な休みを取らせてもらった事を感謝しつつ、謝罪した。
「良くなったかい?」
藤井はニコニコしながら、由衣に言った。
「はい、今日からもう大丈夫です」
「そうか、わかった。早川さんには色々と仕事が溜まってるんだ。頼むよ」
「はい」
由衣はその後、工場の方にも挨拶に向かった。
午前中は途中止めになっている新製品の図面制作を再開、明日中に完成させる為に集中した。
そして昼休み、ちょうど小宮山がソファのところでコーヒーを飲んでいたので、相談に乗ってもらうことにした。
「アパートかね?」
事務所のソファに座ってコーヒーを飲んでいた小宮山は、由衣の言った事に答えた。
「ええ。やっぱりひとり暮らししたいんですよ。もう実家を出たいんです」
「ふむ、でも大丈夫かね? 掃除洗濯料理……全部ひとりでしないとダメだろう」
「それはそうですけど、もう体調も問題無いし、大丈夫だと思うんです」
由衣もコーヒーをひと口飲んだ。
「うーん、そうだな……この近辺は探せばあちこちにあるから、良さそうなのを見てみよう」
「ありがとうございます」
由衣は、小宮山に良い物件がないか探してもらう事にした。なぜそうしたかというと、由衣はアパートを探すのは初めてであるから、どこを見たら良いかわからないという事、この容姿である事から、ひとりで探すと色々と不利な事があるかもしれない事、そして自分で言い出した事なので親の手は借りたくないという事だった。また藤井ではなくて小宮山に相談したのは、単純に小宮山が生真面目で、とても信頼の置ける人物だという事だ。あと、小宮山はこの近辺に住んでいるそうなので、この辺りの土地に詳しいと思ったのだ。
「二、三日中に良さそうなのをピックアップしてみよう」
「お願いします」
翌日、朝のミーティングの後に小宮山が近ついてきた。
「——早川さん、昨日言っていたアパートなんだが。ちょうど良いのがあるんだ」
「本当ですか!」
なんと翌日には良い物件が見つかったらしい。
「ああ。ただ、私はこれから倉敷まで行かねばならない。定時までには戻ってくるから、よかったらその時に話そう」
「ありがとうございます」
書類をバッグに入れながら話す小宮山に、由衣は笑顔でお辞儀した。
小宮山の持って来た物件は、ひと言で言って、かなり良い物件だった。
ここ藤井工業から少し北にいったところにある、鉄筋コンクリート二階建てのアパートだ。二階の部屋で、2DKである。間取りも悪くない。家賃は四万円で、敷金礼金無し。駐車場もある。これだけ良いのをどこから……と思ったら、なんとこのアパートは小宮山の自宅の隣に建っているアパートだった。しかもオーナーは小宮山の弟である。前に住んでいた人が出て行ったばかりで、ちょうど空きができたのだ。また兄の知人という事で、この様に良い条件で貸してくれるというのだった。
小宮山の弟はこの界隈に三棟のアパートを持っている。全て、親が亡くなった後の相続した遺産の土地でアパート経営をやっているらしい。昨日、小宮山は弟にどこか空いている部屋はあるか聞いたら、実家の隣のに空きがあるんだ、と言われ由衣に紹介する事になった。
「これはすごく良いです。どうもありがとうございます」
「いやまあ、礼は無用だよ。弟にしてもちょうど良かったんだ。すぐに入居者が決まるわけだし」
「次の日曜日に見に行ってもいいですか?」
「ああ、構わんよ。案内しよう」
翌日の会社帰りに山陽医大に向かった。前に言っていない事がもう一点あるので、来て欲しいという事だ。由衣は、多分『歳をとらない』というこの間の件の続きなのだろうと考えた。という事はおよそ想像がつくが……。
総合内科のナースステーションに直接やってくる。近くにいた看護師に来た旨を伝えると、中に声をかけ、島崎が出てきた。
「——早川さん。気持ちの整理はつきましたか?」
島崎は少し表情の明るくなった由衣の顔を見て、安心半分、心配半分といった感じである。
「はい、とりあえず納得させました」
随分とふさぎ込んで、家族に八つ当たりした分、今は割合スッキリしていた。将来の不安は拭えないが、それでも一応覚悟は決めた。
「……良かった」
島崎は微笑んだ。
「前回一緒に伝える事だったんですけどね。とりあえず早川さんの気持ちが落ち着いてからの方がいいだろうと思って。休んでいた会社に復帰したと聞いて、そろそろいいかなと思って」
「ああ、なるほど……」
由衣は島崎と並んで歩きながら、あれこれ話し合った。そして岡本の部屋にやってきた。
「——細胞が劣化しないという事を前に言いましたが……通常は劣化が限界に達した時、それがその体の寿命なのです。細胞というのは、どんなに分裂によって新しい細胞が増えても、劣化した状態の細胞しか増えません。だから身体は歳をとり、老いて寿命を迎えるのです」
岡本は由衣の顔を見た。その目は真剣だった。
「しかし、<老化>及び<若返り>の細胞というのは、細胞分裂によって新しい細胞ができた時、その細胞は劣化していません。この新しい細胞は再び新品の細胞に戻っているんですね。という事は、はっきり言うと細胞分裂が永久に行われ続ける、身体の寿命がやってこないという事になります。これは……ひと言でいうならば、『不死』という事になります」
「『不死』、ですか?」
言っている事は分かる。由衣の予想していた通りだった。細胞が劣化しないのなら、寿命も来ない。だから『不死』という事だ。
「はい。しかし、生き続けるには当然必要なものが様々あります。食べていく必要があり、怪我や病気も避けなくてはなりません。要するに、生命維持が困難な状態にならない限りは、死亡する事は無いのであろうと考えられています」
「これは、いわゆる『不老不死』の身体という事ですか?」
由衣が言った。
「言ってみれば、まさにそういう事ですね。ちょっと通常では考えられない事ですが……そもそも<老化>や<若返り>自体がありえない出来事ですけどね」
岡本は苦笑した。
「でも、何だか……変な表現かもしれませんが、うまく出てきてるものですね」
「何がですか?」
「えっと……<老化>や<若返り>が不老不死なら、このまま患者が増え続けたら人口が凄い事に事になりますよね。でも、<老化>や<若返り>は子孫を残す事が出来ない。どういう原因なのか未だに解明していない発病でしか増える事が出来ないですね」
「そうですね。子孫を残せない代わりに不老不死である……もしくは不老不死であるから子孫を残せない……自然とはそういうものなんでしょう」
由衣と岡本はお互いの顔を見た。そして由衣はふと呟いた。
「……こういうのを『自然の摂理』っていうんでしょうか」
「まあ、そういう事でしょうね」
岡本はそう言って少しだけ笑った。




