表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
由衣の冒険2  作者: 和瀬井藤
ワインディングロード
30/33

 あれから三日後、用の無い時以外ずっと部屋に引きこもっていた。何度か携帯の着信があった様だが、全部無視した。

 午後一時過ぎ、冷房のない部屋の外は温度が高かったが、涼しい場所にいた為か特に汗は出ない。

「由衣ちゃん、ご飯食べる? お昼ご飯」

 部屋から出てきた由衣を見つけた宣子は早速声をかけたが、その返事はこの間から同じだった。

「いらない」

 由衣は宣子の方を見ていない。

「そ、そう? まだおなか空かない?」

 由衣は何も言わず、宣子を無視して洗面所に入っていった。その直後、二階から戸を開け閉めした様な大きな音が響いた。由衣は洗面所から顔を覗かせ、二階を睨んだ。


 由衣は洗面台の鏡の前に立った。目の前には見慣れた少女の姿がある。自分の姿である。

 ——わたしは……どうしたら……。

 由衣は両頬を軽く叩いた。少しでも気分を入れ替えようと思ったからだ。しかし、そんな事をしても特にどうという事はなかった。

 ——それにしても、あのバカ善彦はどうにかならないのだろうか? そろそろ四十歳になろうというオッサンがアレでいいのか? 無職のヒキコモリでいいのか? わたしがこんなに辛い思いしているのに、のんきに……ああ、腹が立つ!

 由衣は顔を洗うと、手元にタオルが無いのに気がついた。顔を拭けないのにイライラして、隣の洗濯機を蹴飛ばしてイライラを解消した。


 早川家の夕食の時である。皆、何も話さない。今日の献立は個別に鶏の唐揚げと、味噌汁。共通の皿には魚の刺身があり、ミートボールの入った皿もある。善彦は手元の鶏の唐揚げをそっちのけで、ミートボールをいきなり三つ食べた。好物のはずの刺身はまだ食べない。由衣は刺身が食べられないので、先に食べられる心配がないからだ。

 由衣は目の前にある鶏の唐揚げを見て、箸でひとつ取って口に入れた。半分ほどかじって食べた。

「……美味しくない。いらない」

 由衣は素っ気なく呟くと、箸を置いた。

「そ、そう。由衣ちゃん、じゃあ……」

「由衣! 何を子供みたいな事いうんだ! 食べろ!」

 光男は由衣を睨みつけて言った。この頃の由衣の自分勝手な行動が、目に余る様に感じてきたのだ。最初は同情気味だったが、とうとう光男も怒りが収まらなくなったらしい。

「いらないったら!」

「いい加減にしろ!」

 由衣と光男は、お互いを怒気をはらんで睨みあう。横で宣子が不安な表情でオロオロしていた。

「善彦に食べさせたら? わたしの分、あげるよ。唐揚げだってもっと食べたいんでしょ。いつもそうだよね。わたしが残すのを知ってるから、わざとゆっくり食べてわたしが部屋に戻ってから、わたしの残りを食べてるんだよね」

 由衣は横に座る善彦を、汚いものを見る様な目で見た。

「意地汚い奴」

 善彦は箸を止める。そっぽ向いて由衣の方を見ない。実は、別に由衣が言う様な事はしておらず、由衣の勝手な憶測だが、善彦は何も言わなかった。

「何? その変な箸の持ち方。そんなのでよく摑めるね。バッカじゃないの」

 善彦は子供の頃から変な箸の持ち方をしていたが、親達は特に直させようとしなかったので未だに変なままである。もっとも、由衣にしても文句があるなら、由衣からなぜ言わなかったのか、というのもある。

「由衣!」

 光男が怒鳴る。由衣は構わず続ける。

「お父さんもそうだ。このロクデナシに何も言わないからこんなになったんだ。マナーも何も無い、とても家族だなんて人に言えない様なダメ人間にしたのは、お父さんにも責任があるんだ!」

 由衣は光男に向かって吠えた。

「由衣!」

 光男は立ち上がり、由衣に掴みかかりそうな勢いで乗り出した。

「お、お父さん!」

 宣子が慌てて光男を抑えようとする。

「――邪魔」

 由衣は善彦の座っている椅子を軽く蹴ると、ダイニングキッチンから出て行った。


 翌日も由衣の八つ当たりは止まらなかった。

「善彦を家から追い出すべき!」

「でもそういう訳には……」

 由衣の、善彦を実家から追い出せ、という言葉にどうしたらいいか戸惑う宣子。当の善彦はいない。昨日由衣に槍玉に挙げられて、由衣と顔を合わせたくないのか、宣子が夕食だと呼びに行っても部屋から出てこない。

「善彦は仕事をしてないんだからダメだろうが」

 光男が由衣に向かって行った。

「はあ? そんなの仕事すればいいだけでしょうが。バイトでもなんでもいいじゃないか!」

「なんでもいい訳じゃないんだ。人間関係なんかもあるし」

「そんな事言ってたら仕事なんて全然できないじゃん」

「いつかは善彦も仕事をする、その時まで見守ってやらんと……」

「それがダメなんだ! いつか、いつかってその『いつか』とやらは一体いつの事なわけ?」

 光男の根拠のない願望に、由衣は声を荒げた。

「だから……まあ、家族みんなで協力してだな……」

「何で、こんなヤツを助けないといけないワケ? そんな事やってるから、こんなダメ人間になったんじゃないか!」

 由衣が怒鳴った後、室内は静まり返った。誰も話さない。しばらくの沈黙の後、由衣が口を開いた。

「――わたし、もうここを出るから。ひとりで生活する」

 いきなりの予期しない発言に、宣子は少し驚いた。

「そ、そんな……で、でもどうして?」

「もうこんな家なんて住める訳無いじゃん! いい加減にしろっての!」

 由衣は両親を睨んだ。

「ゆ、唯ちゃん……でもひとりでなんて、それに女の子のひとり暮らしは……」

「そんなの関係ない!」

「で、でも……」

 宣子はオロオロするばかりで要領を得ない。そんな姿に少しイライラした。

「お前が出ていってちゃんと生活できるのか。家族で協力して、力を合わせて暮らしたほうがいいだろうが」

「そんなの、わたしにあのダメ人間を世話させようとしてるだけでしょ。絶対するもんか!」

「そんな事誰も言っとらんだろうが! それになんだ、病気で散々家族の世話になっといて」

「それはそれ、これはこれ。関係ないでしょ!」

「そんな事あるか!」

 どこまでいっても話が噛み合わず、お互い言い合うだけの時間が過ぎていく。


 由衣は自分の目の前に立ちはだかる現実に絶望を感じた。その現実の逃げ道に、以前から不満を感じていた弟の善彦に八つ当たりしていた。

 善彦は、高校を卒業後、五、六年ほど勤めて退職。その後、光男のつてで知り合いの工場で働いたが、三年ほどで辞めてしまい、それ以降十年以上無職だ。アルバイトもやっていない。何も言わない親も問題だが、由衣も特にどうしろとも言っていない。由衣にも正直、人の事は言えない。

 善彦はコミュニケーションをとるのが極端に苦手ならしく、家族ともまともに話せない。由衣は退院してから、まだいちども話をしていない。

 ただ他人とコミュニケーションをとるのが苦手なだけなら、そんなに嫌う事もないだろうが、善彦は基本的には無意識的に我儘で横柄だった。特に由衣はそういう部分を嫌っていた。


 さすがに空腹に耐えかねたのか、いつの間にかダイニングキッチンにやってきた。由衣は善彦を睨んだ。由衣の方を見ない様にして、自分の席に座った善彦は、今日の夕食――今日はすき焼きだ――の肉をいくつか取って食べた。いつも通りの足を組んで、横柄な格好で肉を重点的に食べる。

「ほら、これだよ。肉ばっかり食べてる」

 由衣が指摘すると、善彦はうつむきじっとした。相変わらずの憎たらしい態度だった。

「大体、何様! 働きもせずにご飯だけはひと一倍食べるし。こいつが一番何もできないくせに一番横柄じゃないか!」

「ゆ、由衣ちゃん……」

「いい加減働いたら? お父さんとお母さんが死んだ後どうするつもりな訳? わたしは絶対あんたなんて助けてやらないから。お金無くて食べられなくなっても絶対助けない! 死ぬんだったら勝手に死んで!」

 うつむいたままずっと顔を上げず、何も言わない善彦。

「由衣! お前は何て事を言うんだ!」

 光男はテーブルを叩いた。その目は怒りに染まっていた。

「当然の事を言ったまでだし。現実を見ろって言ったんだ!」

「謝れ!」

「嫌だね!」

 両者は再び睨み合った。

「なんでそんな我儘ばかり言うんだ! もうお前が出ていったらいいだろう! 好きにしろ!」

 光男は言いたい放題の由衣に、とうとう怒鳴った。腕を組んだまま由衣を睨む。

「お、お父さん……」

 オロオロする宣子。

「だから最初からそうするって言ってるんだっ!」

 由衣はそう言って立ち上がると、有無を言わさず部屋に戻っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ