三
八月の半ば、世間は盆休みの頃である。突然だが、今日は墓参りに行く事になった。毎度の事だが、その日になって突然である。どうやら光男が言い出した様だった。
由衣が働いている藤井工業も、昨日から盆休みに入っていて四連休である。発病以降、めっきりインドア派になってしまった由衣は特にどこに遊びに行こうとかいうものがないので、家でのんびり読書と映画でも見るつもりにしていた。教習所も昨日だけで、次は連休明けにするつもりだった。……そうしていたら、突然墓参りに行くとか言い出す。由衣はこの連休の間に当然行くのだろうと思っていたし、前述の通り特に予定は無いので、別に困る事はなかった。
しかし何で突然言い出すのか? 由衣は本当にウンザリしていた。もし何か予定があったらどうするのか――いつもながら行き当たりばったりだ。しかし、だったら自分から聞けばいいだろうと言われたら……由衣には反論できないだろうけども。
「由衣の車でいくか?」
光男は由衣の車で行く事を提案した。
「いや、確かかなり狭かったはず……車幅が広いし、わたしの車じゃ……」
家には光男のセダンと弟の善彦の軽自動車、そして由衣のフォレスターがある。フォレスターが広い上にゆったりしてるから快適ではあるけど、母方の方はともかく、父方の墓場へはかなり狭い山道を通る事になる。由衣はあそこには自分の車では行きたくなかった。
「じゃあ、わしの車でいくか」
結局光男のセダンで行く事になった。このセダンは二十年くらい前のトヨタ『カローラ』だ。新車で買ったはずだが、今では中古車かと思うほど古臭く感じる。光男はどこが気に入っているのか、ずっとこの車を乗り続けている。まあ、気に入っているのだろう。
「うん、その方がいいね」
由衣は同意した。
「じゃあ行こう」
光男はそう言ってすぐに出発しようとする。
「え、もう? ちょっと待って、着替えないと……」
由衣はまだ部屋着のままだ。Tシャツに短パン姿である。よく見ると由衣以外はみんなよそ行きの格好になっていた。――やれやれ、わたしだけか……と呆れつつ部屋に戻って支度を始める事にした。
由衣は、今日も暑くなりそうなので、なるべく涼しそうな格好で行こうと考えた。衣装ケースを漁っていると、宣子が横槍を入れてきた。
「この間買ってあげたワンピース着たら? あれいいわよ。本当似合うと思うわ。絶対良いわ」
宣子が言うのは、一週間くらい前に買ってきた真っ白のワンピースだ。ちょっと爽やか過ぎるほどのデザインで、肩を少し幅の広い帯で繋いである。スカートの裾や帯にさりげなくレースがあり、とても可愛らしい。それに薄手の生地なので涼しそうではある。
やたら勧めてくるので、由衣に着させたいのだろうと思われた。実はこの間買ったばかりだったので、まだ一度しか着ていない。それも家の中で試着しただけだ。由衣はあまり気が進まなかったが、まあ折角だしそうする事にした。これに同じく最近買った、麦わら帽子を被った。これは前から持っていたコンパクトな白いのではなくて、割合一般的だと思われるつばの広いベージュの麦わら帽子だ。
着替えると部屋から出てきて、玄関で宣子に披露した。
「うん、可愛らしいわあ。似合ってるわよ」
宣子はご機嫌である。しかし由衣はフェミニンというか、少女チックというか……ちょっと恥ずかしいと感じた。正直なところ、あまり着たくない服だ。
途中、お供え用の花と菓子を買っていく。そういう事で、瀬戸内市内のスーパーに寄って店内の花屋で花を買い、それからお供えも買う。それから同じく店内にある和菓子店に行って、そこでも菓子を買った。これは親戚に持って行く土産用だ。
由衣は車で待ってると言ったが、宣子は一緒にいこうと無理に引っ張っていく。
——いい加減なところもそうだが、最近少し強引じゃないか、とも思えてきた。押せば妥協するとでも思われているのだろう。前からそうだが、由衣は親達に対する不満は次第に増してきていた。
まずは母方の方のお墓に向かう。宣子は邑久町の出身で、先祖の墓も邑久町にある。ちなみに邑久町とは、瀬戸内市を構成する三つの町のひとつになる。
家から車で十五分程度の距離にある、比較的近場にあった。それにすぐ近くまで車で行けるのでアクセスし易い。
あっという間に到着すると墓場の入り口の前にある狭い空き地に車を止めて、先ほど買った花や菓子などのお供え物を持って入っていく。
山の傾斜を削って墓地を作ったような場所で、墓場の付近にはあちこちに段々畑がある。そして、墓地の裏手は雑木林になっている為、虫とか蚊が多そうだ。もしかしたら蜂、しかもスズメバチなんかの巣があったりしたら最悪だ。あまり長居したくなかった。
「善彦、これ持っていって」
宣子は善彦に掃除セットを持たせた。自身は菓子を持っていくみたいだ。由衣は何も持たなくていいらしい。暑いしウンザリしていたので助かった。ふと善彦が手ぶらの由衣を少し見て行ったが、由衣は気にしなかった。
やはり蚊が多い。蜘蛛の巣もあるし、あの女郎蜘蛛は本当に気持ち悪い。由衣は蜘蛛が大の苦手だった。
光男と善彦が掃除をして、宣子は水と花を変える仕事をしていた。由衣は手を合わせるだけだ。何もしない由衣を、再び善彦は恨めしそうに見ていたが、やはり由衣は気にしなかった。
それからしばらくして済ませると、今度は父方の方へ向かう事になる。しかしもう昼を過ぎていたので、向かう途中の道中にあったレストランで昼食を食べてから向かった。
「もう二時過ぎてるわねえ……ちょっとゆっくりし過ぎだったねえ」
宣子は少々不満気味の様だ。
光男は先ほどのレストランで、後からやれコーヒーだ、デザートだ、といろいろ注文したせいだった。しかも由衣に食べろと言い、善彦にも食べろと言っていた。なぜかこんな時にはあまり食べない善彦。いつもの夕食には、好きなおかずを全部独り占めして食べるかの様な勢いで食べているというのに。訳がわからなかった。
ともあれ父方のお墓に到着すると、早速花を生けたりお菓子をお供えしたりしていく。母方の方と同じだ。
――ひと通り終わって、改めて周りを見回す。木々に囲まれて鬱蒼としている。ここは光男の実家の裏山の奥に入ったところにあって、言葉通りの森の中という場所だった。一応かなり近くまで車で来れるので、そっからの移動は特に大変ではない。ただ足場はよくない。
そうして、「さて帰るか」という所で、車が一台やってきた。
光男の車の隣に止めて、ゆっくりと出てきた老人は見覚えがあった。叔父だ。由衣の親戚一家のようだ。
「よう、みっちゃん。参りに来たんか?」
みっちゃんというのは、光男の事だ。大概の親戚にはそう呼ばれているみたいだ。
「そうだ、もう終わったけどなあ」
光男が答えた。
運転席の方から小柄な中年女性が出てきた。助手席の方からも、さらに年上と思われる女性が出てくる。
「あら、みなさんこんにちは。今日も暑いですねえ」
助手席のおばさんが挨拶した。
この人達は光男の兄弟の三番目にあたる人の家族で、叔父は早川武という。それに運転席から出てきたのが、叔父の娘で要するに由衣の従姉妹になる女性だ。助手席の方は、言うまでもなく叔父の妻、つまり叔母である。
由衣はこの従姉妹と叔母は、会った憶えがろくになかった為か、初めて見たような感じがしていた。
「あら、そちらの子はあの……?」
「あら、どうもこんにちは。そうなんですよ。こちらは由衣と善彦です」
宣子は由衣と善彦を紹介した。
「――どうも、由衣です」
由衣はそう言って小さくお辞儀した。
「……」
善彦は無言のまま……。
「まあ、確か<若返り>だったんだっけ? 大変だったって聞いたからねえ。でも治ってよかったわねえ」
由衣の事は母方の角川家だけでなく、父方の早川家の親戚にもよく知られている様だ。殆ど交流がないが、そういう話は何故か知っている。
「はは……そうですかね」
由衣は愛想笑いした。
そして、叔母は先ほどの運転席の女性を紹介した。
「この子は娘の聖美っていうの。あなたの従姉妹なのよ」