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由衣の冒険2  作者: 和瀬井藤
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 梅雨が明けて暑い夏がやってきた。由衣は寒いのも苦手だが、暑いのもやっぱり苦手だった。

 昼時の暑さなど殺人的で、由衣は長時間外にいると時々気分が悪くなる。この間も職場の作業場で試作品を試していた際に倒れそうになって、周りの人を慌てさせた。相変わらずの体の弱さに辟易していた。寒いのは着込む事でどうにかなるけど、暑いのはどうにもならない。薄着するにも限度があるのだ。由衣はグッタリしたまま、以前の強い体が恋しくてたまらなかった。

 うだるような暑さ、どこまでも透き通った空、相変わらずうるさい蝉の鳴き声。

 今はまさに夏だった。


 ——藤井工業、事務所の二階。この部屋のドアには<開発室>と書かれた紙をテープで貼り付けられている。ここが由衣の仕事場だった。夏の暑さもこの部屋の中は関係ない。エアコンが快適な温度に調節してくれ、由衣を仕事に集中させてくれるのだ。これだけ暑い夏を遮断してくれる快適な室内も、カーテンが無いせいで窓から入る強い日差しは防げない。やはり夏だと否が応でも思い出す。

 いくら冷房の効いた部屋でも、どうやら完全には夏を忘れさせてはくれない様だ。


「早川さん、どうだい?」

 藤井が二階にやってくると、パソコンに向かう由衣に話しかけた。

「まあ……そうですね、とりあえず今週中には例のシリーズ、幾つか試作できると思うんですが」

「いけそうかい。結構早かったね」

「一から考えたものでは無いですから……来週中には、試作品を見せられるかもしれないです」

「楽しみだねえ。今年中には販売にこぎつけたいね」

「そうですね、でも量産は……大丈夫なんですか?」

「そこは僕がどうにかするさ。早川さんは安心して開発に専念してほしい」

「わかりました」

 由衣は藤井工業に就職してそろそろ半月ほどなる。今は、藤井が大まかなアイデアを考えていた製品シリーズを、もっと具体的に形にしていく作業を進めていた。

 由衣はこの<開発室>でひとり仕事に没頭している。十二畳程度の部屋に事務机が四台置いてあり、このうちの一台を由衣の机として使っていた。

 製品の設計はCADと呼ばれる製図ソフトを使っている。由衣はMacが好きなので、CADもMacで使っていた。藤井工業は基本的にパソコンは全てMacなので、特には何も問題はなかった。ここで使われるCADは、由衣が初めて使うソフトだったが、あっという間に使い方を覚えて、もうかなり使いこなしていた。由衣は身体能力がかなり低いが、当然手や指の動きも低い。いや、遅い。CADの扱いは優秀だが、作業スピードが遅いのが欠点だ。

 しばらく作業に没頭していた由衣は、不意にドアを叩く音に気がついた。

「はい」

「早川さん、お昼よ」

 声の主は、藤井恵美。この藤井工業の社長夫人……要するに藤井の奥さんだ。この種の中小企業はよく社長の奥さんが事務関連の仕事をやっていたりする。ここ藤井工業もそうだった。

「今行きます」

「待ってるわね。無理しちゃダメよ」

 そう返事があった後、階段を下りていく音が聞こえていた。

 由衣は時計を見た。十二時七分だ。確かにもう昼休みである。藤井工業は十二時から十三時までが昼休みだ。その後十七時で定時である。

 由衣は一旦データの保存をすると、席を立って自身の仕事場——開発室を後にした。


 由衣は昼食の後、すぐに部屋に戻る事が多いが、時々藤井達と一緒にテレビを見ている事がある。今日もそんな気まぐれな日で、テレビではニュースが流れていた。最近特に多いのが中国関連だ。

 現在、中華人民共和国……要するに中国は混乱が続いている。特に北部、民主化を画策する組織「魏」と名乗る組織が勢力を伸ばしている。どうも共産党内にも「魏」のシンパが存在すると噂されており、それもあって党の崩壊が止まらないと言われている。すでに以前から経済状況の悪化から、中共の影響力は薄れつつあり、それと共に魏の勢いは増している訳だ。また南部でも「秦」が勢力を伸ばしている。

「えらい事になってるねえ」

 藤井はテレビを見ながら言った。

「長く続くと、関係のある企業は苦しいだろう」

 続いて小宮山が言った。

「ま、うちなんて中国とは直接関係ないからいいけど……大内さんとこ、厳しいな。こりゃ」

「まだ持ち堪えるだろうが……来年までこのままだと、どうなるか」

「早川さん、どう思う?」

 藤井は突如、由衣に話を振った。

「え? うーん、日米の魏への支援が積極的なら、まだまだ混乱が……いやひどい場合には内戦でもなるのかも……まあ、そこまではないか」

「いや、ありえない話ではないな。行くところまで行くのかもしれない」

「ま、中共がどうなろうが知ったこっちゃないんだけどね。この混乱が日本に伝わってくると面白くないよなあ」

 藤井が苦々しい顔になる。

「結果はどうあれ、早めに落ち着けばいいんですけど」

「そうなんだが……あまり楽観的な見方は出来そうにない気がするね」

「やれやれ……」

 そうしていると、向こうから声がした。

「小宮山さーん。電話よ」

 藤井夫人だ。

「ああ、わかった。今行く」

 そう言って、小宮山は電話の方に歩いて行った。

 ニュースは海外のニュースから国内に変わった。毎日報道されているが、衆議院選挙である。九月に任期満了で総選挙なのだ。

「選挙か……そうそう。『ケンゾウ』さん引退するんだってね」

「ケンゾウ? ああ、井沢ですか」

「変わりは誰だったかな?」

 藤井はアイスコーヒーをひと口飲んで、由衣に言った。

「前にニュースでやってましたね。宇多川? だとか……」

「ああそうだ。宇多川、宇多川真一郎だったかね。確か、ケンさんの甥だったっけかな」

「だったと思います。地盤をそのまま引き継ぐんでしょうね」

「そうだねえ。ま、どんな人間なのか知らないが、我が社に恩恵のある人間だったらいいけどね。ははは!」

「まあ、そうですね」


 岡山県では、今回の選挙は大きな話題があった。長らく岡山一区から出馬していた、現与党である自由党の実力者「井沢兼造」が引退を表明している為、今回の岡山一区からは別の候補者が出馬するという。

 井沢は大蔵大臣や厚生労働大臣、党の政調会長など、閣僚や党の要職を歴任してきた重鎮だ。特に厚労族のボスとして医療業界に絶大な影響力を持つ実力者で、特に製薬会社との関係が様々噂されてきた人物だ。しかし、近年は体調不良が続き入退院を繰り返してきた。とうとう政治活動は厳しいと判断したらしく、引退を決めたという。

 地盤は甥の「宇多川真一郎」が引き継ぐという。要するに九月の選挙は、岡山一区からはこの宇多川が出馬する。官僚出身のエリートで、大変有能な人材だとも聞く。

 ちなみに、由衣の住んでいる瀬戸内市は岡山二区なので、この人達は直接は関係が無い。

 ただあと一ヶ月もしたら、外がうるさくなるのだろうな……と思いつつ、誰に投票しようかと様々考えるのだった。


 午後も相変わらず部屋で仕事に没頭する。

 一時間ばかり集中して製図をして、ひと段落ついたところで、椅子の背もたれに背中を反らせて体を伸ばした。由衣はデスクワークは元々はあまり好きな仕事ではない。体を動かして仕事をするのが好きな人間なのだ。現在の体は、そういうアクティブな仕事には向いていない。

 しかし……今はこれが由衣の仕事である。新しい可能性を求めて、選んだ仕事だった。

 由衣は立ち上がり、室内にある大きめの作業台の前にやってくる。ここには様々な形にカットされたダンボールや厚紙が散乱している。由衣はプリントアウトした図面の中の形状に沿ってカットした。それを厚紙に当てて、線を引く。引いた線に沿ってカッターナイフで切り取った。そうして作った複数の形状の紙をセロテープで繋いで形にしていく。

 由衣は目の前の作業台に、先ほど組み立てた、独自の形状をしたペン立ての模型を見た。これは藤井が、大まかに書いていた絵を具体的に設計したものだ。由衣の考案したアイデアも多く盛り込まれていた。

 由衣は、それを手にとって目の前にかざして見た。これは製品では金属製になる。来週には実際に金属で部品を加工して、試作品を制作する。

 壁の時計を見ると、すでに午後四時を過ぎていた。

 ——定時まで、もうひと息だ。さあ、頑張ろう。

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