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由衣の冒険2  作者: 和瀬井藤
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 数日後、由衣は再び倉岡工業に赴く。退職する為の手続きをする為だった。本社から担当の課長が来て、書類などの手続きの関係をやってしまい、今月末の退職日で完全に倉岡工業を退職という事になる。

 それでこの間、西大寺工場の人で送別会をしたいとも言われたが断った。由衣は自分を知る人には、なるべく会いたくなかったからだ。申し訳ないけど、心情を考えて欲しいと言ったら了解してくれた。

 ただ、この土曜日に長井と大越達数人だけで、他の班には内緒で送別会をしたいというので、それは受けた。彼らは由衣の今の姿をすでに知っているからだ。規模も小さいので問題ないと思った。


 ――うーん、どうしたものか……。

 由衣が何を考えているのか。それは服装だった。倉岡工業に行くのも最後だから、せめてちゃんとした格好でと思ったのだが、由衣はまだスーツを買っていなかった。その為、どうしたものかと考えていた。そんなもの早く買っておけばいいのにと思うかもしれないが、意外と忘れているものである。見た目が幼いので、スーツ姿が変じゃないかというのもあり、店に出向くのを避けていた所もあった。

 由衣は結局、いつも通りのカジュアルな服装で行く事にした。退職する為に行くのであって、採用試験に行くのではないのだから、気にしてもしょうがないという結論に達した。

「スーツ持ってないし、まあしょうがないよねえ……」

 由衣はそう呟くと、早速着替えに取り掛かった。

 由衣の服装は紺色のワンピースに、つばの短い白い麦わら帽子、足元はスニーカーだ。見た目には中学生の女の子でしかない。さすがにこれで行くのは場違い過ぎるかもしれない。

 ——でも、もうこれでいい。会社……いや、それまでの自分との決別だ。だから、こんな容姿ではもう倉岡工業では働けない、そして会社と決別するという意識を持つにもいいような気がしてきていた。

 出発時間が来ると、ザックを背負って家を出発した。


 前に行った時と同じく、電車で西大寺駅まで行ってバスに乗り、バス停からは歩いて行く。ここから百メートルもない距離であり、あっという間に会社の前にやってきた。

 ――来ちゃったな。これで終わりか……などと少し感慨深い思いがこみ上げてきた。

 古臭い自家製と思われる鉄製の門、会社を囲むブリキ板の塀は塗装も褪せて、見るからに汚らしい。所々赤茶色のサビがある。腐食して穴が空いている所さえあるのだ。

 それでも二十年近く在籍して、働いてきた職場だった。


 由衣は門をくぐると、正面にある事務所を目指した。工場の方にはいかなかった。音がしないので、今日はみんな取引先の工場で仕事をしているのだと思われる。

 ――誰も居ないなら後で見て行ってもいいかな。そんな風に考えながら、事務所の前に立つ。


「おお、よく来たなあ! はやちゃん」

 浜本所長は笑顔で由衣を迎えた。ちなみに『はやちゃん』というのは、職場関係で呼ばれていたあだ名だ。浜本の様に、あだ名で呼ぶ人は以外と多い。由衣や長井の様に真面目なタイプの人は苗字で呼ぶ事が多いが。

 浜本は由衣を中に入れると、笑顔で由衣の目の前に立った。後ろで手を結び、胸を反って貫禄を見せている。しかし浜本は一五〇センチ前後しかない為、一六二センチある由衣の方が背が高い。そのせいでどうしても由衣が少し見下ろし気味になり、浜本が見上げる様な形になってしまう。距離が近いのもあるだろう。本人は所長らしく格好付けようとしているものの、由衣に見下ろされている様は、どうにもイマイチ決まらない。

 ――うーん、この人は……。由衣は心の中で苦笑いするしかなかった。

 浜本は事務所の角にあるソファーのところに案内した。

「まあ突っ立っててもしょうがない。さあ座ってくれたまえ。まだ田代課長が来とらんのだよ」

「ああ、そうですか」

 由衣は背負っていたザックを足元に置くと、ソファーに座った。浜本は横を向くと、窓の外を見ながら、

「二時には来ると連絡があったからな。もうそろそろ来ると思うが……」

 と呟いて、奥の壁にある時計を見た。あと十二分で二時である。そうしているうちに、事務員の堀田が麦茶を持ってきた。


「ふぅ、いやあ……暑いなあ」

 事務所の戸が開いたかと思うと、長井が事務所に入ってきた。

「あ、こんにちは」

 由衣は立ち上がって挨拶した。

「——お、そうだった。早川さん、今日退職の手続きにくる日だったね」

 長井はタオルで汗を拭きながら言った。

「そうですよ。長井さんは現場ですか?」

「うん、昨日から大掛かりな据え付け工事があってね。現場がもう暑いのなんのって……」

「大変ですね」

「ははは……。それにしても早川さん、随分と可愛らしい格好で来たね。でも似合っているよ」

 長井は相変わらずの人の良さそうな笑顔だった。

「まあ、あの……わたしスーツ、持ってないですから」


「お疲れでーす。すいません、ちょっと遅くなって……」

 汗だくになって入ってきたのは、倉岡工業の本社総務課長の田代である。四十六歳のよく肥えた男で、背も低く天然パーマに、ニコニコした表情が特徴の男だ。父親が役員なので、ほぼ自動的に今の地位にいた。

「おお、田代課長。こっちこっち」

 浜本は事務所に入ってきた田代を手招きしてソファの方に呼んだ。

「この女の子が早川文彦だ。信じられんかもしれんけど」

 浜本は田代に由衣を紹介する。

「あの、一応改名してますので、文彦じゃなくて由衣です」

「おお、そうだった。すまん、すまん」

 そう言って、はっはっは、と笑い出した。

「……どうも。早川です」

 由衣は立ち上がって、田代に挨拶した。しかし田代は、目の前の美少女に動揺を隠せなかった。

 ――こ、この子が? この美少女が……し、信じられん……。田代には目の前の少女が、早川文彦だとはとても思えなかった。何度か会っており、一応顔も覚えている。——別に普通の男だ。しかし……これは、こんな……。

「あ、あの……」

 由衣は、自分を見たまま硬直している田代を怪訝な表情で見た。

「あっ……ああごめん、ごめん。そうそう書類だね、書類」

 誤魔化すように持ってきた茶封筒から必要書類を取り出して、早速手続きに入った。


 ひと通り済ませて、細かい説明をしている時、田代は見てしまった。

 ――は! あ、あれは……。田代は目の前に座る由衣の足を見て驚愕した。由衣は気が付いていないが、スカートが少し捲れて両足の間から白い何かが見えていた。それが何かは分かっている。田代はそれを見逃さなかった。

 田代の目は引き締まり、矢の様な視線で由衣の下半身を見据えた。

「あ、あの……」

 由衣は、田代の普段と違う射抜く様な鋭い目つきに、何事かと訝しがった。

「あ、いや……まあ……ははは」

 田代は慌ててごまかした。

 ――やばい、やばい。バレたら本当にヤバい。田代は心の中で冷や汗をかいていた。

 由衣は田代をじっと見据えた。

 ――な、何なんだ……この人は……。

 由衣は田代の視線には気がついていない。しかし、どうも態度が挙動不審な為、少し心配になってきた。

 ——大丈夫かな、この人……。


「——まあ、はやちゃん。残念だがなあ……本当に。本当、残念でならんよ」

 浜本は少しだけ残念そうな表情をした。実際には大して残念がっている様には見えなかった。実は浜本は、現場復帰が出来ない由衣は無駄だと考えていた。長井は経験や知識、技術面での教育に必要と考えていたが、そういうものを考えない浜本はすでに無用な存在と考えていた。それに国が給料の半分を見てくれると言っても、仕事が出来ないのでは意味がないとも考えていた。とはいえ本社は補助が欲しくて引き止めたかった様だが。

「本当に、本当に残念だよ。何だったら……いや、ぜひ本社に来て欲しかった。一緒に仕事をしたかった……」

 田代は本当に残念そうだった。――こんなに可愛い美少女が……何で! 何でなんだ! と田代は心の中で叫んでいたが、それは由衣には気づかれなかった様だ。

「いえ、もう決めていますから……」

 由衣は苦笑いした。

「君が新しい職場でも活躍する事を祈ってます」

 心の中で泣いていた田代は、そう言って由衣の前に手を出した。

「ありがとうございます」

 由衣は田代の手を握り握手をした。


「早川さん! ようこそ僕の夢へ!」

 藤井は満面の笑みで由衣を歓迎した。

「改めて、よろしくお願いします」

 ――ゆ、夢? ……心の中ではそう思いながら、由衣はそう言ってお辞儀をした。

「最高の気分だよ。これで僕らは躍進するんだ! そうだろう、早川さん!」

「は、はあ……そうですか……」

 相変わらずのテンションの高さに少し引き気味の由衣だった。

 倉岡工業に最後に行った翌日の午後、藤井工業にやってきた。そして、使っていなかった事務所の二階を由衣の仕事場として与えられた。

「今日はまあ、ちょっと急だけど仕事終わった後に歓迎会やろう!」

 藤井はご機嫌である。小宮山も異論はなさそうだった。

「あ、ありがとうございます」

 由衣はあまり気が進まなかったが、それを見せても印象が悪いので嬉しそうにした。

 まだ明るい午後五時、もう定時が来る。小宮山が二階にやってきて、由衣を呼びに来た。

 由衣は、すぐ行きます、と返事して帰り支度をする。今日は歓迎会をしてくれるそうなので、まだ家には帰らないが。

 窓の外を眺めた。これから新しい職場で、新しい仕事が始まる。――さあ、頑張らなきゃ! 少し可愛らしくガッツポーズをした。

 しかし少しだけ恥ずかしくなって、その姿を誰かに見られてないか周りを見回したのだった。

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