五
車は西大寺公民館の駐車場にやってきた。そこかしこにある桜の樹が、綺麗な花を咲かせていた。これだけ咲いていると、やっぱり絵になるものだと少し嬉しくなった。
荷物を降ろして、持っていく準備を始める。由衣は飲み物の入ったボックスを持とうとした。どのくらい入れてあるのか分からないが、持つと割合重かった。
「由衣ちゃん、それは僕が持つよ」
慎介が由衣からボックスを受け取った。
「由衣さんはこれ持って」
桃香は由衣にブルーシートを渡した。これはとても軽かった。折り畳まれていて特に持ち難い事もない。由衣は桃香を見た。桃香は食べ物が入っているであろう、四角い包みを軽々と持ち上げた。由衣の視線に気がついた桃香は、「別にこれも重くはないけどね」と言って笑った。
「そうなの? 割合重そうだけど」
「そりゃあ、由衣さんには重いかもね」
桃香はニヤニヤしている。
「……ま、まあ」
由衣はからかわれた様な気分になったが、気にせずにブルーシートを持っていく仕事を開始した。
——しかしブルーシートって……もっとこういう時用のシートって無かったのかな?
「それにしても、良くなったねえ。松葉杖はもう全く不要かい?」
一緒に歩いていた慎介が言った。
「そうですね。今はもう全然使わないです」
「良くなったねえ。この調子で完全に回復できるといいね」
「そうですね。もうちょっと良くなると走れるかもしれないですね」
「おお、そうかい」
のんびり歩いていると、桃香が二人の所に寄ってきた。
「ねえ、由衣さん。由衣さんって<若返り>なんだよね」
「そうだけど」
「どのくらい若返ったの?」
「うーん、大分若くなったけど」
「大分? 何歳くらい?」
「……二十以上かな」
「えー? 結構若返ったんだな……ってことは歳は何歳? もしかして結構おばさん?」
「ま、まあ……」
桃香は由衣が元は男であった事は知らない様子だった。
「由衣さんってさ、なんていうか……お人形さんみたいなんだよね」
「そ、そう?」
「うん。すごい華奢で、抱きしめたら壊れてしまいそうな……」
確かに屈強な印象のある桃香に抱きしめられたら壊れかねない。
「まあ……弱っちいのは認めるけど、そもそも強そうな桃花ちゃんにだとホントに壊れそう……」
「あ、それちょっと酷くない? あたし、これでも女の子よ」
桃香は少し膨れた顔をした。
「あはは……ご、ごめん」
——なんかヤバかったかな? と思っていたら、空いていた右手をすっと出して胸を触られた。
「お返しー、おっ、なかなか大きいじゃん」
「——あ、もう! ちょっとー」
由衣が抗議しようとするも、クスクス笑う桃香は早足で行ってしまった。
公園の中ほどの辺りの適当な木の近くに持ち物を置いていく。まずブルーシートを広げて、その上に弁当などの荷物を置いた。
そして、みんな座って飲み物や食べ物を広げて、お花見の開始である。
「由衣さん、あっち行ってみない?」
飲み食いを始めて少しした頃、桃香はそう言って川の向こう側の寺の方を指差した。
「あ、うん」
由衣は頷き立ち上がった。
「ちょっと由衣さんと散歩してくるね」
「気をつけて行くのよ」
「わかった」
桃香と由衣は親達の所を離れて、寺の方に向かった。
ここ西大寺観音院は、先程の西大寺公民館南側の向洲公園と隣り合わせになっている。桜並木の南端に寺と公園を分けている川を渡る為の橋がある。ここを渡ると寺側の敷地である。
「由衣さんって、前は松葉杖で歩いてたって聞いたけど」
「うん。寝たきりが長かったからかな……歩くのが苦手になってしまって」
「そうなんだ。腕は大丈夫だったの?」
「うん、腕の方が回復が早かったなあ。それに足は腕と違って、転ばないようにバランスをとりながら歩かないとダメだし。それに体重を支えなきゃ」
「ああ……なるほど。それで」
「でも今は大丈夫。長く歩き続けられる訳ではないけど、疲れたら休めばいいし」
「走る事は出来ないの?」
「流石に走るのはまだ……厳しいな」
二人は橋を渡って、まっすぐ歩いた。本殿の裏を通って、西側の方にやってくる。
「あ、三重の塔だ」
由衣は視線の向こうに聳え立つ塔を見つけた。
「やっぱ大きいね。確か五重の塔とか、どこかに無かったっけ?」
桃香が呟くと、
「岡山だと備中国分寺にあるね」
由衣が答えた。
「どこだっけ? 国分寺って……」
「総社だよ。古墳とかある所」
「ああ、そうそう総社だったけ。って、そういえば遠足で行った事があるような……」
「わたしもある。多分中学生だったかな」
由衣は三重塔の石段を二段程登って、その場に腰をかけた。桃香も隣に座った。
「なんかさ。写真撮りたいね」
「写真ねえ……」
「あ、すいませーん!」
桃香は観光かと思われる若い女性が、近くを歩いているのを見つけて声をかけた。
「あたし達を写真撮って欲しいんですが」
「いいですよ」
大学生と思われる女性は、快諾してくれた。桃香は自分のスマホの写真アプリを起動して手渡した。ちなみに桃香のスマホはiPhone6Sだ。
「いいですかー」
女性は構えると、二人に声をかける。
「はい」
由衣と桃香は石段に座って、並んでポーズをとる。——由衣は特にポーズらしいポーズは取っていないが。
「行きますよー」
シャッター音が鳴った。
「もう一枚」
再び音が鳴る。
「ありがとうございます!」
お礼を言いながら桃香は女性に駆け寄った。女性は笑顔でスマホを桃香に返すと、手を振って行ってしまった。
「いいねえ! 由衣さん、写真あげる。メルアド教えて」
「あ、うん」
別にメールに添付せずとも画像を送る事は出来るが、由衣は特に言わなかった。説明が面倒だし。
先ほどの写真が由衣のiPhoneに送られてくる。由衣と桃香が隣に並んで座っている写真だ。桃香の明るい笑顔が可愛らしい。
「あっち行ってみよう」
桃香は敷地の南側にある石門の方を指差した。この石門は外の道路に繋がっている訳ではなく、門の外は噴水がある。昔はどうだったのか不明だが、現在では門としての用はしていないみたいだ。石でできているので、やはりヒンヤリしており、他の場所よりも寒く感じた。
「何かさ、ゴツいね」
「そうだね」
石門から北を見ると、真正面にそびえるのが本堂だ。ここはいわゆる<裸祭り>の名前で有名な<西大寺会陽>のメイン舞台でもあり、まさに観音院の中心部である。
由衣と桃香は本堂の方に歩いて行った。
「やっぱ、これだけは別格って感じだね」
本堂は背も高いが幅もある為、やはりそれなりに威容を感じる。由衣達は、手前の石段を登って行き、上の舞台に上がった。そこでまた二人で並んで座った。
「由衣さんってさ、学校にはもう行かないの?」
「うーん、学校ね……出来るなら大学にはチャレンジしてもいいかも」
「いいじゃん。由衣さんって本当は大人なんだし、試験楽勝でしょ!」
「いや、そうでも……頭そんなに良くないしなあ……」
「大丈夫、大丈夫だって。由衣さんなら出来る」
「簡単に言うけどねえ……」
由衣は苦笑した。
「さ、そろそろ戻らないと……」
そう言って、桃香は立ち上がった。
「そうだね」
由衣が答えると、桃香は階段を降りていった。由衣もゆっくりと腰をあげる。
そして立ち上がってしまうと、目の前のずっと遠くの空を眺めた。切なくなる程に遠い空。由衣は、ふうっとひと息つくと階段を降りていった。
「由衣さーん、戻ろうよ」
階段の下にいた桃香が由衣を見上げて言った。
「うん」
由衣は一歩づつゆっくりと階段を降りていく。もう普通に階段の上り下りはできるが、それでも少し気を使う。
「お待たせ」
由衣が降りてくると、桃香は何を思ったか突如ニヤニヤし始める。
「どうしたの?」
「ふふ……由衣さん、正統派だねえ。純白とは」
「へ?」
由衣は、何を言ってんだろ……と思いつつ、自分が今日履いているのが白い下着だった事と、すぐ下に桃香がいた事を思い出した。
「あっ……下から覗いたなっ!」
「あはは、だってさ。上向いたら見えたんだもん、偶然だって」
由衣は早足で逃げる桃香を追いかけて行った。
「あなた達、どこまで行ってたの?」
桃香の母が二人に聞いた。
「ちょっと向こうの三重塔の所までね。あ、この唐揚げ美味しそう」
桃香はそう言って箸で、鶏の唐揚げをひとつ取って口に放り込んだ。
「うん、最高!」
「あら、嬉しいわあ」
晶子は桃香の満足げな顔に顔を綻ばせた。
「わあ、キレイねえ」
晶子が舞い散る桜の花びらを見て言った。先ほど強めの風が吹いて、落ちていた花びらが舞い上がったのだ。
ひらひらと落ちていく薄い桜色が景色を包んだ。
「こういうのって良いわねえ」
「そうだなあ。やっぱりお花見してる気分が出るからね」
慎介は嬉しそうだ。
「由衣さん、肩に一枚付いてるよ」
桃香に言われて見てみると、確かに一枚だけ由衣の方にくっついていた。
由衣は肩に付いた一枚の花びらを摘んで、目の前にやった。摘んだ指を緩めると、春風にさらわれて小さな花びらは空に舞い上がった。
由衣は宙を舞う花びらをいつまでも眺めていた。