四
「お花見? 観音様のところで?」
由衣は怪訝な表情をして宣子に聞き返した。
「そうなのよ。兄さんがねえ。みんなでしないかって」
観音様というのは、岡山市東区の西大寺にある<西大寺観音院>の事だ。隣に西大寺公民館とその南側に向洲公園という公園があり、この公園に桜並木がある。そんなに賑わっている感じはしないものの、時期に通りがかると所々で花見をしている人達がいる。
今は三月下旬で、岡山でも開花宣言があって、実際街ではあちこちに桜の花が目立つ様になっていた。
「うーん、でもねえ……」
いつもの事だが、由衣は返事を渋った。由衣はどうもこういうイベントを好まなかった。全く嫌いな訳でもないが、あまり結局的に参加したくない。由衣はこういうイベントで騒いで楽しむ性格ではないのだ。
「由衣ちゃんが来てくれる事みんな楽しみにしてるわ。ねえ、行こう」
「うーん……」
どうも宣子は由衣を人前に連れて行きたがる。可憐な容姿の由衣は、とても見栄えがするので、宣子が周りに見せたがるのはおよそ想像がついた。帰ってきてからは、特に内向的というかインドアな傾向があるので、その辺りを何とかしたいと思っているのかもしれない。
どちらにせよ、押しに弱い由衣は結局うやむやの内に参加する事になっていた。
翌日。午前十時頃……家の前に車が止まる音が聞こえた。由衣が窓の外を見ると、家の前にミニバンが止まっている。親戚の角川夫妻の迎えが来たようだ。
由衣は窓から離れて、ベッドに座り込んだ。玄関のベルが鳴った。「はーい」という宣子の声が聞こえて、バタバタと廊下を駆けて行く音が聞こえた。
少しして、部屋に宣子が入ってきた。
「由衣ちゃん、そろそろ行こうか」
「……わかった」
のろのろとベッドから腰を上げた。由衣は今日初めてスカートで外出する。まだ薄着には早いので、上はシャツにカーディガンを羽織って、一応コートも持っていく。忘れ物がないか確認して部屋を出た。
家の前に止まっている車は、日産のミニバン『セレナ』だ。叔父の慎介が無理を言って買ったらしい。妻の晶子は、買い換えるなら小型の車でいいと言ったらしいが、子供達が孫を連れて帰省した際に、一緒に遊びに行きたいという事だそうだ。それでこの八人乗りのミニバンに拘った。慎介の望み通りのお出かけが今後有るかは分からないが。
先月に納車したばかりらしく、慎介は満面の笑顔だ。
「やあ、由衣ちゃん。今日はみんなで楽しもう! やっぱりいいねえ、八人乗りだからみんな一緒に行けるんだよ。ははは!」
さっきからずっと笑顔の慎介だった。
「この車はセレナですか?」
「お! 由衣ちゃん分かるかい。そうなんだよ。先月納車したばかりでねえ。まだピカピカなんだ」
由衣は運転席側の窓から中を見る。やっぱり新車は綺麗だ。しかし、おじさん達は何故にレースのシートカバーを付けたがるのだろう? と少し思った。ちなみに由衣の父である光男もレースのシートカバーだ。
「さあ、由衣ちゃんも後ろに乗ってくれ」
そう言って、慎介は後部座席のスライドドアを開けた。
由衣は開けて貰ったドアの中を見た。そこには見知らぬ女性が二人いた。目の前には高校生くらいの少女、その奥には少女の親くらいの年齢の中年女性が座っている。
「あ、どうも……」
由衣は少し慌てて言った。
「こんにちは。ああ、もしかして……のんちゃんとこの……」
奥のおばさんが言った。
「そうよ、うちの由衣ちゃんよ」
由衣の後ろから宣子が自慢げに言った。
「へぇ……ホント可愛らしいわねえ、由衣ちゃんっていうのー、背高いわねえ。桃香と同じくらいあるんじゃないの」
「確かにあたしくらいあるね」
手前の少女は、隣に座っているおばさんに言った。そして由衣の方を向いて微笑んだ。
「あたし、伊藤桃香って言います。よろしくお願いします」
そう言ってお辞儀した。
「まあまあ、礼儀正しいのねえ」
宣子は嬉しそうに伊藤桃香を褒めている。
「やあねえ、礼儀も何も空手ばっかりやって片付けも出来ないのよねえ。この子は」
「もう! お母さん、変な事言わないでよ」
桃香は隣の女性に文句を言った。どうやらこの二人は親子の様だ。
伊藤桃香はこの四月から高校三年生になるという。現役女子高生だ。しかし、空手をやっているというその容姿は、やっぱりスポーツマンだと感じさせる体格だ。とても強そうで、由衣などが一撃喰らおうものなら命に関わりそうなくらいだ。
その強そうな見た目と裏腹に、性格は明るい。よく喋るし、よく笑う。誰とでも仲良くなれるクラスの人気者なのだろう。
美人な顔立ちではないものの、精悍で格闘家の印象にぴったりだった。
「早川由衣さんだっけ。よろしく!」
桃香は由衣に向かって精悍な顔つきを綻ばせた。
「あ、う、うん。よろしく……」
由衣も作り笑いして対応した。少し引きつっていたかもしれない。
「さあ、由衣ちゃんは二列目だね。宣子は三列目に座ってくれ」
慎介が由衣と宣子に指示を出す。
「あ、わたしは三列目でいいです。……いや、三列目がいいです」
由衣が言った。多分三列目の方が気楽だと思ったからだ。知らないおばさんと隣はどうも嫌だった。
「そうかい?」
「あたしも由衣さんと一緒に座りたいです」
桃香が言った。由衣と一緒に座りたいらしい。
「うーん、じゃあそうしてくれるかい」
慎介はそう言って、二列目のシートを前に移動させて三列目に乗り込めるようにした。
「由衣さん、お先にどうぞ」
「あ……う、うん」
モタモタしながら三列目に乗り込んだ。続いて桃香が乗り込む。流石はミニバンで、大して狭いとは思わなかった。
「じゃあ出発としようか」
運転席に座った慎介は、後ろを振り向いて言った。そうして車は由衣の家を出発した。
「いやあ、今日は綺麗なご婦人方ばかりで、僕は緊張するなあ」
慎介は運転しながら笑顔で言った。
「もうっ、お世辞ばっかり言っちゃって」
何て言いながら、笑顔のおばさん達。由衣はこういうノリについて行けない。申し訳程度に愛想笑いをして窓の外を見ていた。
「由衣さん、白いね」
「え?」
「肌の色。綺麗だね」
桃香は由衣の顔をマジマジと見つめている。
「あ、まあ……入院が長かったから……」
「二年以上入院してたって聞いたよ。大変だったんだろうなー」
「うん、まあ……やっと去年退院できて……」
「よかったね。それでもよくなってるんでしょ、体調」
桃香は由衣の手を取って触った。桃香の手のぬくもりが感じられる。同時にガッチリとした空手家の手の感触があった。
「少しづつだけどね。最近は自分の足で歩ける様になったし」
「前はダメだったの?」
「うん、松葉杖がないとまともに歩けなかったんだ」
「予想以上に大変だったんだねえ」
「……ま、まあ」
桃香は由衣を見た。そしてニコッと笑う。由衣も愛想笑いをする。――高校生か……うまくやれるかなあ……。
由衣は少し不安な気分が漂っていた。