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由衣の冒険2  作者: 和瀬井藤
白い吐息の季節
12/33

 まだ寒い二月のとある午後、由衣は散歩に出かけていた。家の周囲、大して遠くにはいかないが、殆ど毎日散歩に出かけているのだった。

「ふう……」

 由衣は一息ついて周りを見渡す。家からまだ数十メートル離れた程度の場所だ。もう少し歩くと、スーパーマーケットが見えてくる。由衣はそこまで行って、何か飲み物を買おうかと思っていた。

 道路の先を見ると、視線の先に車が見える。大きなミニバンだ。こちらに向かってきている様だが、ここは道が狭く由衣のすぐそばをすれ違うだろうから、気を付けなくてはならない。先週この道の先で大型のトラックとすれ違って、道路沿いの田んぼに落ちた事があった。別に怪我はなかったが、トラックを運転していたおじさんは顔を青くして駆け下りてきた。

 今、由衣が立っているところの道路の反対は田んぼである。あの時と同じ状態だ。しかし先週のトラックより、向かってくるミニバンは小さい。何も問題ないだろうと、由衣は油断していた。

 しかし……正面のミニバンは由衣を避けるように走るはずが、そのまままっすぐ走ってきた。

「え? ちょっ……」

 そのまま来たら、下手すると接触する可能性が……恐怖を感じた由衣は、ギリギリで田んぼの方に身を乗り出した。車との接触は免れた。それは良かった……しかし、再び田んぼと接触する事になった。

「何なんだ……ひどい車……」

 乾いた田んぼの上に寝転がったまま由衣は呟いた。誰も来ない。さっきのミニバンは気が付かずに走り去ってしまったのだろうか? ——とんでもないヤツだ! と由衣は憤った。が、このまま寝転がったのではどうしようもないので上半身を起こした。髪や服に枯れ草の破片がそこらじゅうについている。

「はあ……」

 由衣は髪の横についていた枯れ草の破片を指でつまんで取った。目の前に持ってきて枯れ草を睨む。ふうっ、と息を吹き付けると、そのまま風に乗ってどこかに飛んで行った。

 由衣はゆっくり立ち上がった。お尻をパンパンと軽く叩いて、汚れを落とす。乾いた土や枯れ草が落ちる。でも多分全部は落ちていない。他の部分の見える範囲で取った。

「まあ、どうしたの? 大丈夫?」

 不意に声をかけられそっちを見ると、かなり横幅の広いおばさんが心配そうな表情で見ていた。

「あ、いえ。大丈夫です……」

 由衣が苦笑いしながら答えると、

「上がってこれる?」

 おばさんは手を伸ばして、由衣が田んぼから上がるのを手伝ってくれた。

「あ、ありがとうございます」

 由衣はお礼を言うと、辿々しく頭を下げた。

「怪我がなくて良かったわねえ。じゃあ、気をつけてね」

 そう言うと行ってしまった。その姿をしばらく見送った後、とりあえず家に引き返した。まだあちこち汚れているからだ。


 とぼとぼ歩いて家まで戻ってきた。宣子が「どうしたの?」と聞いたが、「ちょっと転んだだけ」とだけ答えて、部屋に入った。

 部屋に入ると、とりあえず来ている服を全部脱いで下着だけになった。ズボンのお尻の所を見ると、やっぱりシミが付いた様に汚れている。落ちた時、お尻の辺りに冷たい感じがしたと思っていた。田んぼは乾いていたが、一部に泥状になっている所があったのだ。完全に染み込んでいる。という事は……パンツも、という事だ。由衣はパンツを脱いだ。お尻の所を見るとやはりしみている。水色のパンツがお尻の所が濃い灰色になっていた。

 ――はあ……これも洗ってもらおうか。

 由衣は樹脂の衣装ケースの中を探って代わりのパンツを取り出して履いた。由衣の衣類はホームセンターなどでよく見る樹脂のケースに入れている。この部屋は本来は応接間で、仮に由衣の部屋にしているのと、わざわざタンスを二階から降ろす手間や、新しいのを購入するのも……という事で、とりあえず衣装ケースを複数買ってきて入れていた。

 ケースから別のズボンを出そうとするが……無い。――あれっ? と思ったが、昨日履いていたのは、今日洗濯して貰ってて外に干されているだろうし、その前のは……前のが無い。由衣は長ズボンを三足持っている。汚れてしまったジーパンと、昨日履いてたチノパン。そして、すでに洗濯を終えているはずのもう一足のジーパンが無い。

 由衣は部屋を出て宣子の所へ行った。

「ジーパンが無いんだけど、こっちに無い?」

「ジーパン? えっと……ちょっと待ってね」

 宣子は洗濯物をゴソゴソと探している。どうやら見当たらない様子だった。

「……無いの?」

「うーん、おかしいわねえ……」

 宣子はキョロキョロと周囲を見ながら困惑していた。そして自分の部屋に入っていって更に探すと、「これかしら……」と、持ってきた。

「あ、これこれ」

 由衣は見覚えのあるジーパンを見て、宣子から受け取った。

「ごめんね、気がつかなかったわ……」

「……まあ、いいけど」

 とは言いつつ、あまりいい気はしなかった。前からそうだが、由衣の両親はそういうのがルーズというか、あまりよく考えていないと思っていた。どうもいい加減なのだ。反面、由衣は気にするタイプで、とにかく他人と共用は嫌がるのだった。特に着るもの、口に入れるものなど、こういうものは自分の専用のものを用意していた。箸にスプーン、コップ、歯ブラシなど、全て由衣が自分で気に入ったのを選んで購入して使っているのだ。歯磨き用品は洗面所に置かずに、自分用をポーチに入れて部屋に置いておくし、箸やスプーンなどもそうだ。

 ジーパンを受け取った由衣は、部屋に戻ってそれを履いた。上も下も着替えて、改めて出かけることにした。

 再び出発する。さっき引き返してきた道を再び歩く。今度は暴走車はやってこない。

 ――やれやれ、今度は大丈夫かな。

 元気よく歩き出す由衣。まだ特に疲労もなく軽々と歩き続けた。そして目的のスーパーマーケットに到着した。


 スーパーマーケットに到着した由衣は入り口のそばに三台並んでいる自動販売機の所に行った。そこでホットのコーヒーを買う。小さいサイズのペットボトルのものだ。由衣はブラックや微糖は嫌いで、甘いカフェオレが好きだった。買ったのも当然カフェオレである。ふと中に入ろうかとも考えたが、特に買うものも無いし、ようが無いのでいいやと思って、帰る事にする。コーヒーを一口飲んで蓋をするとコートのポケットに入れた。

 時計を見ると、まだ午後の二時半だ。まだしばらく明るい時間帯である。少し考えて、iPhoneを取り出して、地図アプリを起動する。現在地が表示されると、周辺の地域を見た。ここから割合丁度良い距離に小学校がある。由衣はこの小学校の方へ向かう事にした。


 由衣は小学校の前にやってきた。瀬戸内市立福岡小学校だ。由衣の住む家はこの小学校の学区なので、昔から住んでいたらここに通っていたのだろうが、小学生の頃は岡山市に住んでいた為、福岡小学校の卒業生ではない。ただここの体育館は、この地域の選挙の投票所になっているので、選挙の度には校内に入る事がある。しかしそれ以外は特に用の無い場所だった。

 校門の前でつい佇んで、校舎の方を眺めていた。しばらくそうしていると、声をかけられた。

「あの……お姉さん、卒業生ですか?」

 由衣が声の方を振り向くと、可愛らしい女の子が三人いた。小学校高学年と思われる女の子で、真ん中のショートカットの子が声をかけたと思われる。ちなみにその子の左には

ポニーテールにしている子と、右には優しい顔をしたぽっちゃりした子がいた。

「ええと……何ていうか……ううん、違うんだ」

 由衣は、予想外の人から声をかけられて少し狼狽していた。

「この向こうに住んでいて、ちょっと散歩で通りがかったんだけど……」

「ふぅん、そうなんですか」

 ショートの子はそう答えて、由衣の顔を見ていた。

「あの……お姉さんってキレイですね。ABCみたい……」

 ABCとは現在大人気のアイドルグループだ。正確にはABC84という。由衣はアイドルには疎く、どういうアイドルのなのかよく知らなかった。

「そ、そうかな……」

 由衣は照れ笑いした。

「お、お姉さんは……もしかして、芸能人じゃないですか?」

 ぽっちゃりの子が意を決した様に質問した。

「え? い、いや……違うよ。わたしは芸能人じゃない。ただの一般人だけど」

「そうなんですか……」

 少しがっかりした様な表情になった。どうやらそれを期待して声をかけてきた様だ。由衣の容姿が綺麗な為、もしやタレント……テレビの撮影か何かとでも思ったのだろうか。

「お姉さんって高校生ですか?」

 テレビとは関係無いと分かると、ショートの子は話題を変えて質問した。

「ううん、高校生じゃ無いんだ。もっと年上なんだけど……多分君らのお母さんくらいの歳」

「ええ? そ、そうなんですか……本当に?」

「うん。<若返り>って……分かる?」

「あ! そうなんだ。ああ、それでなんですね」


 この子達はみんな近所の子で、ショートの子は中学一年生で、ポニーテールの子は妹らしい。ぽっちゃりの子はポニーテールの子の友達だそうで、ちょうど向こうのコンビニでお菓子を買って、家に帰る途中だったそうだ。

「お姉さんはどこの学校に行ってたんですか?」

「わたしは岡山市の学校に行ってたよ。中学校も」

「ふぅん、あっちの岡山は生徒とか多いんだろうなあ……」

「そうでもないよ。わたしの通ってた所は田舎だったし、多分生徒数はここと大して変わらないと思う」

「岡山市でもやっぱりそういう学校あるんですね」

「それはまあ、広いからね」

「そうですよね」

「あ、お姉さん。良かったら飴玉どうぞ」

 そう言って水色の小さな袋を差し出した。ソーダ味と書いてある。

「ありがとう」

 由衣は受け取って飴玉を口に入れた。

「お姉さんのマフラー可愛い……」

 ポニーテールの子が言った。入院中に看護師達にプレゼントして貰ったものだ。

「これは、クリスマスプレゼントに貰ったんだよ」

「わあ、いいな。あたしもそういうプレゼントが欲しかったなー」

「わたしもお気に入りなんだ」

 由衣は子供達に微笑んだ。

 そうしていると、高校生くらいと思われる男の子がやってきた。

「夏帆、何やってんだ」

 男の子はポニーテールの子に向けて言った。

「ああ、お兄ちゃん。ちょっと……」

 夏帆と呼ばれたポニーテールの子は、兄らしい男の子に説明している。どうも夏帆の家で遊んでいて、お菓子を買ってくる様にお使いを頼まれて三人で行ったらしい。その帰りに由衣に遭遇した訳だ。この男の子は、なかなか帰ってこないから、親に様子を見てくる様に言われてやってきたという。

「あ、あの……妹が迷惑かけてすいません……」

 顔を真っ赤にしながら由衣に頭を下げた。

「あ……い、いえ。別に問題無いですから……ただの散歩の途中だし」

「そ、そうなんですか……」

 男の子は相変わらず真っ赤にしている。由衣の顔が見れないのか、視線を逸らしていた。

「あー、兄ちゃん。顔真っ赤だ! もしかして……」

「う、うるさい! このバカ夏帆!」

 男の子は妹に大声で反撃しようとするが、妹はニヤニヤしている。

「さ、さあて……わたしも行かなきゃ」

 由衣が立ち去ろうとすると、

「お姉ちゃん、またね!」

 とショートカットの子が言った。

「じゃあね!」

 他の子達も言って、その場を立ち去った。男の子も少しだけ頭を下げて、すぐに妹達の後を追った。

 由衣は、女の子達が塀を曲がって見えなくなったのをきっかけに帰宅の途についた。

 冷たい北風が吹いて由衣は少し震えた。春にはまだ少し遠い様だ。

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