(二)
病室に、ナースコールが、こだまする。
看護師たちの慌ただしく動き回る音。母親のすすり泣く声。父親は息子の死ぬ時間を心待ち。親戚一同は、電話越しに早速、葬儀の段取りの話をし出す。まだ、病室の青年は死にきっていないというのに。
病室の冷たい光が差し込む窓辺に佇み、寂しく微笑みを零す姿一人。
青年は、危篤状態である自らの肉体を抜け出して、病室内の出来事を、哀愁漂う瞳で、見渡していた。
この病室にお世話になったのは、三ヵ月ほど。
父母に迷惑をかけ続けて生きた年月は、十九年ほど。
長く、ながく、生きた。
生かしてもらった。生かせていただいた。もう―――。
「この部屋に、戻ってくることも、ございませんね」
青年は手を尽くしてくれている看護師たちと医師、ひとりひとり、それぞれに礼を尽くして、懇切丁寧に申し訳なさから、頭を下げる。
「お世話に、なりました」
父がかけている電話越しの向こう側にいる親戚に向かい、“一度、やってみたかったんです”と心優しく微笑んでツバを吐く。
「わたくしの代わりに、あなた方が大病で死んでください。……なんてね。ついには、面と向かって口では言えませんでしたね。とりあえず、呪われておいてください。あなた方にかける別れの言葉は、それ以外、持ち合わせません」
深い憎悪をにじませた眼が、電話を通り越して、ロクでもない相談をしている親戚一同を射抜いた。
さっと興味を失くして、お次に、興奮状態で時計の針と息子をにらめっこしながら、葬式会議に参加している父を見る。呆れた眼だ。仕方ないと許す目だ。
「父さん、生まれてからこの方、ご迷惑をおかけしっぱなしで申し訳ありません。お世話になりました。ついでに、母さんと、わたくしの葬儀も、よろしくおねがい申し上げます」
深々と頭を下げた。かと思ったら、父親の尻に回し蹴りをかます。
すり抜ける足。だが、それでいい。
父の顔にツバを吐く。
「おとといきやがれ。母さんを泣かせたら許しませんよ。遺産をたっぷり残して早く死ね。わたくしの次は、あなたの番です」
父はそれから三日後、風邪をこじらせて亡くなった。
息子は穏やかな眼差しで、愛ゆえにすすり泣く母と対面する。
彼の衣装は、いつの間にか、通うはずだった高等学校の、学生服姿に代わっていた。
青年は、母親に手を伸ばしかけて、……やめた。
『死にゆく者が、生者に心を残して、触るべきではない』
青年は、学生帽をちょっと上げて挨拶をする。
―――どうか、お幸せに。
心持ち、深く頭を下げて、礼をした。
母が贈ってくれた真新しい学生服に身を包み、『命灯堂』のチラシを手に持って、父のお古を仕立て直した黒の外套をひるがえす。
―――ああ、学校。一度だけでも、行ってみたかったなぁ。
青年は、晴れ晴れとした顔で、生まれて初めて旅に出た。
次回も、午後六時。暮れ六つ。逢魔が時に投稿予定。
その間に、私(作者)は、続きを考えます。