悪役令嬢に転生しました! ゴリラ顔です……
悪役令嬢に転生しました!
乙女ゲームの中に入っちゃったワケです!
うん、ココまでは良い。本当は主人公に転生したかったけど、文句は言わない。
でも、転生先の乙女ゲームが悪かった。
非常に。
とても。
半端なく、悪かった。
……だってさ、せっかく転生した悪役令嬢(私)の顔がゴリラ顔なんだよ?
無理じゃん。私の知ってる転生悪役令嬢モノみたいに主人公から攻略キャラを掠め取るとか、顔面スペック的に無理じゃん。
モブより不細工って何?
ライバルどころか噛ませ犬にすらならないよ?
ふざけんじゃねえよコンチキショー!
* * *
乙女ゲーム『ドキドキ☆ハイスクール!!』
乙女ゲーム業界を震撼させた超問題作であり、私がゴリラ顔の悪役令嬢として転生してしまった作品だ。
で、何で超問題作かって?
完成度の高いシナリオと魅力的な攻略キャラクター達、美麗な絵柄。
練り込まれた設定は物語の進行に伴って複雑緻密に絡み合い、やがて大きなカタルシスを生む様は従来の乙女ゲームに、いや、将来含めて超えるもの無しと謳われた程だ。
攻略対象はテンプレなのだが、何故か本当に生きているかのように人間臭く、そしてカッコいい。
絵柄は現実と理想を上手く混ぜ合わせ、素晴らしいストーリーや個性的なキャラクターと相まって、プレイヤーをゲームの世界にするりと引き込む。
そこまでなら完璧な乙女ゲーだった。
だがしかし制作会社は何を血迷ったのか、そこにゴリラ顔の悪役令嬢をぶち込んでしまったのだ。それも身体能力が作中最強のバグスペックという形で……
想像してみてほしい。
美麗で繊細なタッチで描かれたゴリラ顔を。緻密な物語を一人で台無しできるような身体能力を。
ちなみに、その悪役令嬢の名は“錵部小糸”
ゴリラ顔のクセに可愛い名前だと思うでしょ?
残念!
これは実在するゴリラ“コピート・デ・ニエベ”をもじった、ネタ全開の名前だからね。
こんな感じの、例えるなら三ツ星レストランの料理に醤油をぶっかけて台無しにしたようなこのゲームは、乙女ゲーム業界に一石を投じたわけです。
目の前の無駄に豪奢な鏡には、キラキラと輝く白髪が侍女の手によって縦ロールに整えられていく様子が映っている。それを見ながら、転生してしまった|この世界《ドキドキ☆ハイスクール!!》について思い返していると、ふいに部屋の扉が開かれ執事が恭しく入ってきた。
「小糸様、登校の為の御車を用意致しました」
「そう。
もう少し時間がかかるから、車で待っていなさい」
「かしこまりました」
そう応えるや、一礼して部屋を出ていく執事。
何となく、申し訳ない気持ちが込み上げてくる。人生の先輩に『待っていなさい』みたいな命令口調を使うなんて、人としてダメでしょ。
でも、流石はシナリオが練りに練り込まれているこのゲーム。悪役令嬢を悪役足らしめる性格の悪さにするための設定がしっかりと存在していた。
転生したとはいえ、実の両親にこんな評価をするのは嫌なのだがハッキリ言って私の両親はクズでゴミの小物なのだ。
人を地位や財力でランク分けし、上には媚びて下は見下す。そんな両親に育てられれば、性格悪くなるよね。
今でも覚えているのは、転生してから四年目。つまり私が四歳の頃、侍女の一人に敬語を使ったところ、両親は私を厳しく叱りつけ中々にゲスな説法をしてくれた事があった。
それからというもの、家の中では高圧的な言動をしなくてはいけなくなった。
本当に、この最低な家に勤めている方々には申し訳ない。
「お嬢様、髪のセットが済みました」
「そう、なら早く出ていきなさいよ」
私の命令に、執事と同じく一礼して退室する侍女。
鏡には綺麗に巻かれた白髪の縦ロールとゴリラ顔。その奥には部屋を出ていく侍女が映っている。
そして、パタンと部屋の扉が閉まったところで、おもむろに私は立ち上がった。
身を翻して、全力で天蓋ベッドへダイブ!
「うわぁぁぁあああ!
申し訳ないぃぃぃいいい!」
ふかふかの枕に顔を埋めて、思い切り叫ぶ。
「いや、本当にごめんなさい!
馬鹿じゃないのウチの親! クソジジイ! クソババア!
しっかりと働いている人に何で命令口調しないとなのよ!
んあああぁぁぁあああ! イライラするぅぅぅううう!」
バタバタと足をベッドに叩きつけ、のたうち回る。
「みんなこんな家の仕事なんて辞めなさいよ!
せっかく有能なんだから、もっと待遇の良い職場探してよぉぉぉおおお!
っていうか、ウチが没落しろ! 錵部家滅べぇぇぇえええ!」
………………。
…………。
……。
綺麗に整えてもらった髪型を崩さないように、作中最強の身体能力を駆使して器用に身悶えること数分間………。
ゼェゼェと荒い呼吸を整えつつ、ゆっくりとベッドから身を起こした。
悪趣味にゴテゴテした装飾の姿見で、今の行為で乱れた所は無いかと確認する。
制服や髪型の乱れがあれば、あのとってもステキでスバラシイ御両親様方に怒られるのは私ではなく侍女や執事なのだ。それだけは避けなくてはならない。
「……ん、オッケー」
問題無さそうだ。
執事を車で待たせてしまっているし、早く行かないと。
そう思いながら視線を上に移すと、鏡の中の自分と目が合った。
サラサラとした縦ロールの白髪に雪色の肌。そして、見事なまでのゴリラ顔。
前世で笑っていた顔も、今になっては笑えない。引けば喜劇、寄れば悲劇といったところか。
「……はぁ」
最近はため息が増えた。そのうちストレスで胃に穴が開くんじゃないかと思う。
一歩でも部屋から出れば悪役。
もう一度大きなため息を吐いて、執事の待つ車へと向かった。
前世の記憶が正しければ、今日は主人公が転校してくる日だ。
目指すはモブキャラ。素直に悪役令嬢なんてするつもりはない。
ぶっちゃけ、私が悪役やらないのが原因で、この世界が崩壊してくれたら嬉しいし。
* * *
陽光の射し込む窓際で、黙々と本を読む少女。
本のカバーには有名な哲学者の名前が記されており、少女の教養の高さが窺える。
和気藹々とする他のクラスメイト達も少女には近づかず、まるで少女の辺りだけが別空間のように静かだ。
「……ふぅ」
読書に疲れたのか、パタリと本を閉じて小さく息を吐く。
そして鬱陶しげに髪を掻き上げると、艶やかな白髪がまるで星屑のように輝いた。
その少女の顔は、ゴリラだ。
美少女だと思った?
残念! 悪役令嬢です!
「……はぁ」
嫌だなぁ……ゴリラ顔……
悪役したくないから取り巻きを作らなかった結果、友達ゼロですよ。絶対にゴリラ顔のせいだよ。
家では威張って、学校では一人ぼっちって最悪じゃね?
まあ、そんなこんなあって、HRの前や休憩時間は読書で時間を潰している。ちなみに読んでる本は哲学書と見せかけて、ラノベだったりする。親にバレないように、持ち前の身体能力を駆使して買ってきた宝物だ。
そろそろ先生が転校生を連れてくる頃だ。
クラスの皆はその事で盛り上がっているが、私には関係ない。友達いないし……
などと考えていると、ちょうど担任が教室に入ってきた。
「えー、今日は新しくこのクラスに入る転校生を紹介する」
テンプレートなセリフを担任が言い、転校生が入ってきた。
ゲームの通り、可愛い顔をしている。
少し癖っ毛で栗色いセミロングの髪、化粧をあまりしていない素朴な顔。身長は160センチくらいか。
ちょっと、ほんのちょっとだけ、嫉妬しちゃう。本当に“ちょっとだけ”だよ?
「じゃあ、自己紹介をしてから、席に座って。席は出入口側の一番奥だから」
「……はい」
声まで可愛いなチクショウ。
あ、全然嫉妬なんてしてないよ?
「は、はじめまして。
わたしの名前は…………」
……随分と溜めるな。
ゲームだとすんなりと名乗っていたはずなのに。
「わ、わたしの名前は――――です……」
名前の部分だけ小声過ぎて聞こえなかった。
何だろう。主人公ってこんなキャラだっけ?
「あの、もっと大きな声を出してもらえるかな」
「あ、えと、すみません……」
担任も呆れたような表情をしている。
対する主人公は半ば自暴自棄になった顔で口を開いた。
「わたしの名前は お婆ちゃん です!
よろしくお願いします!」
…………は?
「じゃあ、お婆ちゃんさん、席に座って」
「……え? あ、はい」
一瞬、驚いたように担任を見た後、主人公はそそくさと席の方へ向かった。
名前が“お婆ちゃん”て……
ネタプレイなの? というか、誰も名前にツッコまないの? そもそも、どこまで苗字でどこから名前なの?
そんな私の胸中を無視して、普通に授業がスタートした。
* * *
終礼のチャイムが鳴り、クラスメイト達が帰っていく。この後ゲームでは、主人公が悪役令嬢に呼び出されるイベントがある。
モブキャラでいくと決めた手前、ゲーム通り人気の無い校舎裏へ呼び出すつもりはなかったのだが、私の足は主人公の所へ向かっていた。
理由は、主人公の名ま……態度だ。
そう、決して主人公の名前についてツッコむつもりはない。主人公登場時の態度が気になっただけだ。
ゲームの性質上、主人公の性格は相手の反応から推し量るしかなかった。だから、このゲームをプレイした私も主人公の性格を詳しくは知らない。
けれど主人公の登場シーンを思い返してみると、周りの反応が私の記憶と若干違っていたのだ。
悪役令嬢は元々のゲームと比べて取り巻きがいないなど、立ち位置が違う。主人公もそれに影響されて登場シーンが変化したのか。
もしくは、主人公も私と同じように転生してきたのか……
どちらにせよ、今後もこの世界で生きていく以上、原因を知っておきたい。
「ねえ、お婆ちゃん。
ちょっと話をしたいのだけど、いいかしら?」
「……はい」
私を悪役令嬢と知ってか、はたまた口調のせいなのかは分からないが、お婆ちゃんは若干怯えた顔で頷いた。
家同士の付き合いがあるクラスメイトも少なくない為、学校でも高圧的な口調を使わなくてはならないのだ。
「じゃあ、校舎裏へ行きましょう」
私の提案に、コクリと首を振るお婆ちゃんの顔は心なしか緊張して見える。
きっと私の美貌に惚れたのね!
…………うん、虚しいや。自虐ネタはダメだね。
と、そんなこんなで校舎裏。
自虐ネタで勝手に自爆して落ち込みながら歩く悪役令嬢に、後ろを歩く緊張した面持ちの主人公。
さぞかし滑稽な絵面だったろう。ゲームでは、悪役令嬢の呼び出しから場面転換ですぐに校舎裏だったから気づかなかったわ。
「さて、と……」
私の目の前には地面を一心に見つめる主人公。
ゲームでは、悪役令嬢に呼び出された主人公は泣いてしまい、そこを攻略キャラの一人“虚嶋ヤナメ”が助けに入るイベントだ。
主人公が泣くような事をするつもりなんて無いが、それでも悪名高い錵部家の令嬢が転校初日の主人公と一緒に校舎裏という状況は、あまり見られたくはない。
さっさと話を聞き終えて、この場を去らなくては。
「ねえ、お婆ちゃん。
ちょっと聞きたいのだけど、貴女はここがゲームの世界だと知っている?」
「へ……? ゲーム……?」
「ええ、そうよ。
それとも、他のキャラと同じく、ゲームの世界だとは知らないの?」
訊ねる時は端的に。ストレートに。
けれども、お婆ちゃんは呆けた顔で私を見つめるばかりだ。
私の美貌に惚れ……いや、このネタは止めよう。
端から見れば、意味不明な質問をしているのは承知の上だ。けれど、私には勝算があった。
理由は主人公の名前だ。“お婆ちゃん”なんて名前は、この世界に来てからの十七年間、見たことも聞いたこともないのだ。
ならば目の前の少女もまた、元の世界から来た可能性が高い。
仮に目の前の少女が他のキャラと同様ならば、この事を他言しないようにお願いすればいい。
「……えっと……はい、ゲームの世界だと知ってます」
少し戸惑った様子の答えに、私は内心でガッツポーズをした。
私以外にもゲームの世界だと知っている人がいたからだ。彼女と力を合わせれば、もしかすると元の世界へ戻れるかもしれないと希望が湧く。
「あの、わたし、気がついたらこの世界にいて……
どうすれば元の世界に戻れるんですか?」
同じ心境なのだろう。半ば懇願するように、私に詰め寄ってきた。
しかし、それは私が知りたい。仮説はいくつかあるが、仮説は仮説でしかない。
「元の世界へ戻る方法は知らないわ。
それを知ってたら、十七年もゴリラ顔をしてないわよ」
「そう、ですか……」
私の答えに肩を落として落胆するお婆ちゃん。
だが、何かに気づいたのか、すぐさま顔を上げた。
「……十七年もこっちの世界にいたんですか!?」
「え? 貴女もそうじゃないの?」
お婆ちゃんはブンブンと首を横に振って、それを否定する。
え、なにこの可愛い動作。もしかして、私も首で肯定否定をすれば可愛くなる?
……んなワケあるか!
ゴリラ顔が首を振ったって、全然可愛くならないっての!
思わず地団駄を踏んでしまった。
突然の行動に目を丸くするお婆ちゃんには、私の行動はさも奇怪だろう。
だけど! だけれども、女にとって“可愛らしさ”ってのは大事なのですよ!
最初から可愛い女の子には、それが分からんのですよ!
「……えっと、あの……に、錵部さん?
地面が、その、抉れてる、と言うか……」
「ああん? 地団駄踏んだ程度で地面が、えぐれ……え?」
抉れてる。
深々と私の足跡が大地に刻み込まれている。
「……大丈夫、ですか?」
何が大丈夫なのかは分からないが、とりあえず頷く。
ゴリラ顔が頷いたって可愛くないんだろうけど、とりあえず首を縦に振っておく。
「あの、話を戻してもいいですか?」
「……ええ、是非ともお願いするわ」
そうだ。
お婆ちゃんの可愛らしさを嫉妬するために校舎裏に呼んだわけじゃないんだった。危ない危ない。
「十七年もこっちの世界で過ごした錵部さんと違って、わたしは家でこのゲームをやろうとして名前を入力したら、白い光に突然包まれて……そしたら、ゲームの主人公になって校門の前に立ってたんです」
「確かに、全然状況が違うわね」
私の場合、そもそも前世の記憶が曖昧だ。お婆ちゃんのように白い光に包まれた記憶も無い、というよりも思い出せない。元の世界で普通に生活している中で、何かが起こり、気がつけば赤ん坊になっていたのだ。
この世界へ来たショックで忘れてしまったのだろうと考えていたが、違うのかな……?
お婆ちゃんの場合は、こちらの世界で十七歳まで成長した身体に意識が入ったらしいし。
この違いは何だろう。お婆ちゃんが主人公だから? それとも、単なる偶然?
……駄目だ。
まずは出来る限り、私がこの世界へ来る直前の事を思い出さないと。
それを思い出さない限り、私とお婆ちゃんの違いについて考えたところで意味は無い。
「じゃあ……わたし、もう元の世界へ戻れないかもしれないんです、よね……」
私の思考を遮って、今にも泣き出してしまいそうな声が耳に届いた。お婆ちゃんだ。
考察している間、彼女も戻れないかもしれないとセンチメンタルになってしまったのかもしれない。
思えば私も、自分の現状に気がついた時は不安で泣いたっけ。
とはいえ、その時はまだ赤ん坊で、執事や侍女達は泣きじゃくる私を『元気な赤ちゃんだ』と可愛がり、両親は『うるさい』『黙らせろ』と邪険に扱っていた。
……まあ、こんな思い出話なんて蛇足だね。
「……うっ…………ひっぐ…………」
私と違って、お婆ちゃんは今朝この世界に来たばかりなんだ。最初の私と同じ。
だから、泣き始めたお婆ちゃんを責めることも慰めることも出来ない。私が出来るのは少女が泣き止むのを待つだけだ。
……………………ん?
そういえば、何かを忘れている気がする。
シリアス気味な空気に一瞬流されそうになったけど、この後何か起こる気が――――
「おい! こんな所で何をしてるんだ!」
私の予感を裏付けるように、突然凛とした声が私とお婆ちゃんの間に割り込んできた。
声の方を見ると一人の男子生徒が歩いてくるではないか。
黒縁眼鏡に利発そうな顔立ち。右腕には“風紀委員”と書かれた腕章が付けられている。
あ、そうだった。
主人公が泣いているところに攻略キャラの一人、虚嶋ヤナメが登場して悪役令嬢を追っ払うんだっけ。
理由はどうであれ、現に主人公は泣いてるし、奇しくもゲーム通りの展開になってしまった。
「なっ……地面が抉れてる……!」
どんどんと近付いてきたヤナメは、私の足下を見て絶句した。
だが、それも一瞬。視線を地面から泣いているお婆ちゃんに、そして私へと転ずると、キッと眼光を鋭くする。
「お前はたしか、錵部家の人間だな?
これはどういうことだ?」
やだ! この世界では初めて話すはずなのに、彼ったら私の事を知ってる!?
もしかして、もしかすると、一目惚れってヤツ!?
…………錵部家の悪名とゴリラ顔のせいですね。ええ、知ってますよ。
「……別に。貴方には関係の無いことよ」
「そんなはずあるか!
その子は何故泣いているんだ!」
あーもう、うるさいな。そんな声を張り上げなくても聞こえるって。
あと、お婆ちゃんも助け船を出してくれても良いんだよ?
いきなり転移しちゃって動揺したり不安だったりするのも分かるけど、TPOを考えよ?
私ピンチだから。ね?
「風紀室まで来てもらおうか。
その子が泣いている理由を詳しく説明してもらう」
いや、そこに行ったら私の負けは決定じゃん。
痴漢冤罪で駅員に連れて行かれるのと同じだよ。
「聞こえなかったのか?
風紀室まで――」
口うるさく私を連行しようとするヤナメ。
面倒臭いなぁ……
……よし、逃げてしまおうか。
そのうち泣き止んだお婆ちゃんが私の無罪を主張してくれるだろうし。
そうと決まれば後は簡単。
周りを見渡して、足場になりそうな所を探す。
「何をしている?」
ヤナメがキョロキョロとし始めた私に怪訝な顔で問いかけた。
無論、面倒なので答える気は無い。
そして屋上までのルートを決めると、足を軽く曲げて力を込め、一思いにジャンプした。
「なっ!?」
ヤナメが驚きの声をあげる中、木の枝や校舎の窓の縁などを足場に、上へ上へと跳び跳ねる。
作中最強の身体能力を駆使した逃亡に、思わず呆けた顔で私を見上げるヤナメ。お婆ちゃんも泣き止んで私を見上げている。
うん、中々に良い気分だ。
悪役令嬢らしく、笑い声でも出してみようか。
「フハハハ――ハァ?」
しかしその下手くそな笑い声も長くは続けられなかった。
だって、上から人が落ちてきたんだもの。
「はあああぁぁぁあああ!?」
何!? 自殺!?
というか、私目掛けて落ちてくるんだけど!
咄嗟に手を伸ばし、落ちてくる人を抱き止める。
しかし、そのせいで私の身体も重力に流されてしまった。
やばい……このままじゃ、死ぬ。
「ふざけんなぁぁぁあああ!!」
雄叫びをあげて身体をうまく動かせない中で、必死に重心を調整する。
ゴリラ顔とはいえ、こんなふざけた理由で死ぬなんて真っ平御免だ。
地面まであと僅か、という所でギリギリ身体を安定させることが出来た。そしてその体勢を崩さぬように、着地する。
ゴッ、と鈍い音が聞こえるのと同時に、今まで感じた事の無い衝撃が身体中を駆け抜けたが、気合でそれを耐え切る。
大股を開き、鬼の形相で人を抱えるゴリラ顔。
舞い上がった土埃も相まって、中々の迫力だろう。
時間にすれば一瞬の出来事。
呆けた顔のヤナメとお婆ちゃん。無事に着地できたことに安堵する私。
しかしそんな中で一人、空気を読まない男がいた。私の腕の中の男だ。
「痛ってぇなー。もっとソフトに受け止めろ」
男は命の恩人に対して、そんな不満を漏らしたのだ。
その一言にイラッとして、思わず放り投げる。
勢いよく地面に叩きつけられた恩知らずな男は軽い呻き声を漏らした。しかしダメージは浅いらしく、よろよろと立ち上がり始めてしまった。
……強めに叩きつけるべきだったかしら。
「……銀杏瀬、カイト?」
まるで信じられない奴を見た、というような顔でヤナメがポツリと呟いた。
銀杏瀬カイト。
その名前は私も聞き覚えがある。
ヤナメと同じく攻略キャラの一人で、生徒会長。なのに、ほぼ不登校。
ゲームではデータ内にテキストや立ち絵が入っているものの何故か登場すらしない、本当の意味でバグなんじゃないかと言われていたキャラだ。
意味が分からない。学校に来ない生徒会長で、姿さえ見せない攻略キャラって何だよ。
助けた時は必死で気がつかなかったが、改めて見ると間違いない。
金髪のツンツン頭に、力強い目付き。
某掲示板サイトにアップされていた画像と同じだ。
「銀杏瀬、何故お前が屋上から……?」
「あ? ゴリラが飛び跳ねてきて、面白そうだから捕まえてみたんだよ」
至極真っ当なヤナメの問いかけに、理解不能な返答を『何当たり前の事を聞いてんだよ』といった表情でするカイト。
面白いなんて理由で屋上から飛び降りるとか、馬鹿なんじゃないの?
流石のお婆ちゃんでさえ少々あきれ顔だ。
「それよりも、ほら。逃げようとしてたゴリラを捕まえてやったぞ」
「ちょっと、初対面の相手をゴリラ呼ばわりしな――」
「ああ。感謝する」
「で、このゴリラは何をしたんだよ」
「だから、ゴリラって言わな――」
「このゴリラが、そこの子に危害を加えていたんだ」
「やめて! これ以上ゴリ――」
「へえ。危害を加えていた、か。
現場は見たのか?」
「女の子は泣き、ゴリラの足下の地面は陥没していた。
恐らく、何かを脅迫していたんだろう」
……ナチュラルにゴリラ呼ばわりするの止めてくださる?
そろそろ泣いちゃうよ?
目が潤い始めた私を無視して、カイトの視線はお婆ちゃんへと移った。
あ、ヤバイ……涙が零れちゃいそう……
「おい、ヤナメの言う通り、このゴリラに危害を加えられていたのか?」
「いえ、錵部さ……ゴリラさんとは普通に会話してただけです」
お婆ちゃん、さっきはTPOを考てとは思ったけど、この場面で空気を読まなくても良いんだよ?
ほら、私の頬でキラリと涙が輝いているでしょ?
「だとよ。
危害なんて加えてねーじゃんか」
「しかし、他言しないように脅されている可能性も……」
「脅されてるのに、その相手をゴリラ呼ばわりする奴なんかいねえよ」
そりゃそうだ。ナイスフォローだ、ツンツン頭。
というか、やっぱり意図的にゴリラ呼ばわりしてたんだね……
「だからさ、そろそろ解放してやれよ」
「……いいだろう。
だが、次は無いぞ、ゴリ……えーと……錵部小糸!」
そんなに無理して思い出すくらいなら、もうゴリラでいいよ……
私の名前を思い出せてスッキリした顔してるけど、私の胸中は荒みまくってるからね。
せめてもの反抗として、踵を返して去って行くヤナメの後ろ姿を全力で睨みつけてやる。
そんな中、お婆ちゃんはカイトに頭を下げていた。
「助けていただいて、ありがとうございます!」
「別にいいよ。面白かったから、許す」
さっきも面白いって理由で屋上からダイブしちゃってましたけど、この金髪ツンツン頭の行動理由は面白いかどうかなんですか?
「ところで、見ない顔だな。転校生か?」
「はい、今日転校してきました」
「名前は?」
「お、お婆ちゃん、です……」
「お婆ちゃんか。良い名前だな」
どこがだよ!
こんな時だけゲームのキャラっぽい反応してんじゃないわよ!
それにしても、やっぱりゲームのキャラからすれば“お婆ちゃん”なんて名前でも問題無いんだ。
ホント、なんで“お婆ちゃん”なのよ……
「……ねえ、ずっと気になってたんだけど、どうして“お婆ちゃん”なんて名前なのよ」
「え? えーと……この名前の方が面白いかなー、って思ったんです」
やっぱり思った通り、ネタプレイですか。
まあ、まさか自分がゲームの世界に入って、名乗るだなんて考えないよね。
それにしても、面白そうだからと行動するあたり、もしかするとカイトとお婆ちゃんは案外気が合うのかもしれない。
「…………おい、何を二人でコソコソ喋ってんだよ」
「い、いえ、その……何でもないです、よ?」
「なんで疑問形なんだよ」
怪訝そうに眉を潜めたカイトだったが、それ以上は追及してこなかった。
そのかわり、まじまじと私の顔を見つめてきた。
そんなに見つめられると、ちょっとドキドキしちゃうじゃないの……
「で、そこのゴリラ。
もしかしてお前、錵部家の令嬢か?」
「っ!
ええ、そうよ。だからゴリラ呼ばわりするの、止めてくださる?」
嬉しくないんだからね!
やっと私にマトモな言葉を向けてくれたからって、べ、べべべ別に嬉しくも何ともないんだから!
「ゴリラが顔赤らめてんじゃねーよ」
視線を反らすな! 後退るな!
気持ちは分かるけど、そんな露骨にドン引きしないでよ!
お婆ちゃんだって、名乗った時に赤くなってたじゃん!
……可愛いって得だよね。
………………。
…………。
……。
* * *
「……小糸様、何か良い事でもありましたか?」
家へと向かう車の中で唐突に執事が声をかけてきた。
いつも通り仏頂面を作っていたはずなのに、何故分かったのだろうか?
「十七年、小糸様を見て参りましたが、これほど嬉しそうな表情は初めてでしたので」
私の胸中を見透かしたように、執事の言葉が続いた。
軽く息を吐いて、それに応える。
「ええ、とても良い一日だったわ」
「そうでございますか。爺も嬉しゅうございます」
「ところで、なんで分かったの?」
「いつも高圧的な態度を演じている小糸様が、口元を弛めていらっしゃいましたので」
演技してるの、バレてたんだ……
流石に十七年も私の傍にいただけあるわ。
「……いつも、ありがとね」
思わず呟いた一言が届いたのか、バックミラーの中で執事の顔が少し柔らかくなった。
執事の言う通り、本当に良い一日だった。
ついにゲームの日々が始まった訳だが、思っていたより悪くない気がする。
こうして、乙女ゲームの世界は動き始めた。
この後、お婆ちゃんがモブキャラに恋したり、私以外の悪役令嬢が登場したりするのだが、まだこの時は知らない。
個性なキャラクターたちとの日々は、また別の話。
一万字程度で終わらせたかったので、少し唐突な終わり方になってしまいました。ごめんなさい。
※5/19
誤字脱字と描写不足の部分を修正しました。
他にもありましたら、お手数ですが教えて頂ければと思います。